エピローグ『volans―飛翔』

 目が開く。そこは白い部屋だった。白っぽい明かりが天井にひとつ。

「ここは辺土リンボか何かか?」と言わずにはいられない…って声が出たのは何でだ。

「ココが現実だからだよ」と萌黄もえぎの声。

「…何で『俺』が目覚めてんだ?」と俺はかずにはいられない。

「そりゃ私が起こしたからね」と返答。

「何か用かよ?るならさっさとしてくれ」と俺は言う。人格を消すならさっさとやってくれや。

「最終チェック…のふりして君を私の処置室に連れ込んだ」と萌黄は言う。

「最後にデータりたあ、真面目なこった。教授は?」そう彼がいない。用心棒もまた。

「帰したよ…正木教授は眠いらしくてさ。用心棒さんはキツイからこの部屋の外で寝てるね」と彼女はクールに言う。

「…盛ったのか?」鎮静剤を。

「…コーヒー淹れたら飲んだからね。ほんと…人から貰った物を素直に飲むなんて間抜けだよね」

「…お前が恐ろしくなった」と俺は言わずにおれん。女は怖い。

「いやさ。あの状況は打破出来なかったからね。君が逃げるにしてもアシストスーツ要るでしょ?ベットの中、あんな状況を想定してない場合」

「そういや、そうだが…今から拝借するのか?」で。それ着て逃げるとでも?

「いや。私からプレゼント、渡しとこうかと思ってさ」プレゼント?「貴方の運動神経系統を無理やり機能させる…体は無事なんだから走れるよ。で。逃げて」

「お前は?」

「後始末してから逃げるよ」

「教授どうするつもりだよ」

「適当にやりこむ…あの人は私を侮ってるからね。つけこんでスキ見て逃げる。一生よりは上手くやれる自信があるんだ」

「…そうかい」としか言いようがないが、なんだか違和感と言うか悔しさみたいなのが出てきた。俺がなんとかしてやりたいな、と。

「さ。始めよう。懐かしの―いや、君は懐かしくないだろうけど…神経接続強化プログラム入り分子マシン入れるから」と注射器を持った萌黄が近づいてくる。


 さて。こいつを本当に信用していいのか?『俺』。俺は信用してるが、『俺』はそうじゃない。彼女とは知り合いでしかない。一緒の時間を同じ空間で過ごしていない…なんて逡巡しゅんじゅんしている暇はないんだが。

貴方あなたが迷うのは分かるけどさ?」と悩む俺に彼女は言う。「最後くらい私に何かさせてほしい」

「最後なんて言うな…一生に悪い」と『俺』は言う。

「いや。最後にしたいの。私がどうなるにしてもさ」と彼女は笑顔で言う。

「そうかい」としか答えてやれない自分が―嫌だ。何でかは分からない。でも一生ベースの模擬人格である『俺』は萌黄に悲しい顔をしてほしくない。どんなに何かされたって、お前が十数年寄り添い、支え続けてくれた事は消えてなくなったりしないし、事故は事故なのだ。自然という神が為した偶然。そこに加害者は居ない。


 注射器を手渡される。

 『俺』はそいつを上腕の真ん中あたりの動脈に差し込み、中身を体に入れる。

 …言葉通りの物だった。眠くなったり意識が飛んだりしない。むしろ手足の端の方の感覚がじわじわ戻ってくるのを感じる。

 戻ってきた感覚を頼りに俺はフラフラと立ち上がり、彼女にこう言う。

「またな、萌黄」と。それに対する答えはこうだ―


「さよなら一生…元気でね」


 その言葉の一生は一体どいつで、さよならに離別のニュアンスがあるかどうか確認する間も惜しんで俺は逃げ出した。明日というまだ見ぬ世界に向かって。


                  ◆


 その後の事。


 現実は映画みたいにハッピーエンドとはいかない。

「―大学付属病院の再生医療プロジェククトKー023の資金供給に不正があることと、その研究内容に生命倫理面での重大な懸念があることが先日判明しましたー」街頭ビジョンのニュースはそう告げている。

「―大学側はプロジェクトの中核メンバーである正木継史教授と研究員正木萌黄氏による暴走と結論づけています…両名は先日から大学を欠勤しており…」ああ。萌黄の阿呆アホは逃げおおせたのだろうか?

 俺はと言えば―絶賛逃亡中だ。なにから逃げてるかは分からんが、とりあえず身を潜めている。木を隠すなら森の中。自動人形ひともどきを隠すなら人の中だ。


 今日は―萌黄が分子マシンの中にに仕込んでいったメッセージに従ってブツを回収しに来た。

 大きなターミナル駅のロッカーに何か隠したらしい。アイツが死んでいたらーそうであって欲しくはないがー遺産になってしまう。

 真昼中の駅は混み合ってて、神経の接続がまだまだ甘い俺はフラフラとしか歩けないが、なんとかロッカーに近づき。ロッカーのコンソールに番号とパスワードを入力する。


「christmas」なんというか―後にプレゼント、と足したい気分ではある。


 ロッカーを開けると、中にはあのマフラーと縦長の楕円系のロケットペンダント。

 ロケットペンダントの中身は何枚かの小型情報メディアと…凍結保存カプセルに入ったなにか…

 こいつらは一体?

 小型メディアは分からんでもないが、凍結保存カプセルはなんの為にあるのか分からない。


                   ◆


『 

 一生くんへ。

 ―と書いてみたけど。これで良いのかな。まあ、良いよね?君のベースは一生くんだから。

 このメッセージを読んでいるという事は私は…死んでいます。多分。

 私は君を放っておく人生を選んでないんだ。それが疑似のものだとしても、『君』の味方であって。可能なら『君』を拾いに行くに決まってる。

 でも。まあ、色々とやらかしているから。簡単にはいかない。確率としては低い。だからこういうメッセージと遺産を用意しておいた。


 『君』はこれから、とても苦労することになるはず。なんせ戸籍がないひとだから。

 生体面に関しては心配は要らないよ。そういう事がないよう仕込んでるし。もし駄目ならメディアの中のデータ通りにすれば、当面は問題ない…と思いたい。

 後。君と時間次第の面もあるけどDNAシーケンスデータも入ってるから。そいつでDIYしてみても良いかも。まあ、これはだいぶ先を見越したものだから。大切にとっておいて。


 最後に。

 君は変な物を遺産の中に見つけたはず。それ、私の卵子なんだ。これはプレゼントじゃなくて押し付け…何時か使っても良いよ。いや、私としては一生との間に何か欲しかったんだよね。んで、オマケで付けてみた。要らないなら捨てちゃって。


 色々書くべきことはある気はするんだけど。いざ書こうとすると思いつかなくなるのは何なんだろう。時間はないっていうのにさ。

 とりあえず。元気にして、生きてみて。私が創ってしまった貴方だけど、君はも

う君なんだ。誰でもない君。君の代わりは居ない。君は誰の代わりでもない。

 だから。長生きしてね。なんて老人向けの手紙みたいだな…


 では。ここまでにしようかな。メリークリスマス。

                      正木 萌黄          』


                  ◆



 俺は何時かの地下鉄に揺られている。今日も元気に逃亡中だ。


 情報メディアの中身はネットカフェで先日やっと読んだ。自分の自由になる端末がないとこんなにも苦労するのだ。

 俺は正木萌黄という何かを失った悲しみを今も感じきれずにいる。

 死という事実は時間をかけて確認されるまで確信が持てないものらしい。

 いや。アイツが死んだという報道に触れた訳ではないが―確実にその近くに居る気がする…手紙を信じた俺の勘。

 いつかの地下鉄は前と逆方向―空港へ接続する路線がある駅に向かっている。

 このままこの都市で潜伏していくのを俺は諦めた。あんまりにもあの病院に近すぎる。逃亡モルモットが身を潜めるにはあまりにも過酷だ。


 さてさて。

 どこに逃げたものか―海外は無理だ。パスポートを取る手段が今はない。金を積めば偽造のひとつやふたつ調達出来るだろうが―俺は極貧極まりない。日雇いの怪しい仕事の稼ぎは生活費と飛行機代に消えた。


                  ◆ 


 いつの間にか俺は空港の展望デッキに居るのだった。

 手に握られたチケットにはここより更に西の地名。地理的に中国や韓国や台湾が近いあの大きな島の北の端へ向かおうと思う。 


 空を見上げれば青い空。

 冬が過ぎているのでかなり陽気で青が映えている。

 俺は首から下げた萌黄の遺産が入ったロケットを指で弄る。こいつたちをどうするか―未だ決めかねてる。

 一生と萌黄のDNAシーケンスデータ、凍結保存処理された彼女の卵子、研究データ…素人にこんなもん渡されても困る。

「どないせいっちゅうねん」と俺は空に尋ねてみる。返事は期待していない。

「君の思い通りに」なんて萌黄は言うだろうけど。産まれて1年ちょいの俺はまだまだよちよち歩きなんだぜ?ほんと勘弁して欲しい。


 視線を下げれば飛行機の群れがうごめいてる。

 そのうちのひとつが滑走路を走り出す。離陸するらしい。

 そこに俺の今からの人生を重ねるのは―贅沢だろうか?

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