【R15】英雄の落胤と捨駒王女の生存闘争

桜月 縫

第1話 破滅

 世界は狂気に満ちている。

 古くから存在する人間の国は亜人種の誕生と共に崩壊した。

 それぞれの種族が王を立て、やがて人間の大国は40以上もの国に割れた。


 全ての国を再び統一し偉大なる玉座を夢見る者。

 自らの種以外の全てを滅ぼし尽くさんと目論む者。

 海を欲し、平原を欲し、近隣の国に争いを挑む者。

 小さき群れを率いて、戦乱の世に新たな王を名乗る者。


 王が生まれ、国が立ち、滅んでいく――そして、500年以上の時が流れても世界は、人間は、亜人は、争いを止めることはなかった。


 世界は大きく12の国とその属国、風前の灯のように今にも消えてしまいそうないくつかの小国に別れた。


 そんな大国のひとつ。

 人間の王を讃え、人間の英雄が守り、人間だけが暮らす人国クエスガルマの西の辺境。

 隣国である森国セルティアとの国境付近に位置する開拓村で見習い兵士として暮らすレイドは生を受けてから17年、戦争とは無縁の暮らしを営んでいた。


 村を守る唯一の兵士である叔父に武術を習い、訓練の無い日には森へ入り狩りをした。


 獲物を持って母親と二人で小さなボロ屋に帰れば、水浴びをしている間に母が獲物を捌いて鍋にしてくれた。


 レイドには父が居ない。

 正確には、父がどこの誰かは分かってはいる。

 昔……軍を率い、国境の偵察に訪れていたその男はレイドの母が暮らすこの村へと立ち寄り、一晩の宿とした。


 村長の娘で、村の女の中で一番美しかった母は村人たちから貴族の世話役として宛てがわれ、孕んだ。


 貴族の子を孕んだ娘に手を出そうとする度胸のある男は辺境の田舎村には存在しなかった。

 いつ貴族が再び現れるかわからないからだ。


 娘は村長の家から捨てられるように、村の空き家で独り暮らすことになった。

 村人たちは表面上は普通に接してくれるが、深入りはしない。

 明確に腫物として扱われながら、娘は日がな一日、家の中で裁縫をして静かに暮らした。


 そしてたった独りで子供を産み、たった一人でその子供を育てた。


 誰にも愛されずに、愛など知らずに孕まされた息子を、愛が何かも分からぬまま、精いっぱいに娘なりの思いついた愛を囁き、愛の籠った食事を作り、愛を込めて息子の成長を見守った。


 ――そんな母が、死んでいた。


 いつものように森に入り、兎を二羽、鶏を一羽仕留めて村に戻ったレイドは鼻にこびり付く濃密な錆臭さと吐き気を催すような生臭さに顔を顰めた。


 嫌な感覚を覚え、慎重に身を隠しながら村へと近寄ると、音がしない。


 普段ならば村の誰かしらが昨日も一昨日も聞いたような話を、さも新鮮な話題かのように愉快そうに話している声が聞こえてくるものだというのに。


 レイドの予感は確信に変わり、静かに、物音を立てないように自宅へと戻り、裏口から家の中に入った。


 母は腹を裂かれ、腸を床に溢しながら倒れていた。

 喉に突き刺さっている短剣からは僅かながらだが、血が滴っている。


「ぎっ……」


 物陰から何かが飛び出して来る気配を察知して、レイドは片腕を伸ばし、それを捕えた。


「がっ……ぐっ……せっ……」


 レイドの右手に強く握り締められたそれがじたばたと手足を暴れさせ、必死にレイドの腕を殴り、叩き、爪を立てて皮膚を裂こうと試みる。


「黙れ。誰の許可を得て人の家に入ってきてんだ」

「ぎゃうっ――」


 レイドの腕には血管が隆起し、力の籠った指がそれの首に容赦なくめり込み、気道をきつく締め付ける。


 それは静かな断末魔を残して手折れ、糸くずを払うかのように放り出された。


「ああ……母さん。なんてひどい恰好だ。あんなにいつも身だしなみには気を付けていた綺麗な母さんが、こんなのってあんまりじゃないか。俺のせいで貰い手も見つからなくて。仕方がないから俺が大人になっても貰い手がいなかったら俺が結婚してやるって言ったじゃないか。母さんは相手になんてしていなかったけれど、俺はそうなっても母さんを支えていくつもりだったんだ。母さんは綺麗だし、優しいし、俺なんかの為に人生を無駄にしていい人なんかじゃなかったんだ。それだっていうのに――こんな終わり方なんてあんまりだろう」


 レイドはただ、母の亡骸を見つめ、滂沱の涙を流した。


 それからどの程度の時間が経ったか。


 数秒か、数分か。


 レイドは子供の頃から大人しく、誰の言うことも素直に聞く子供だった。

 自分の生まれについては物心が着いた頃には理解していた。

 小さく、辺鄙な村には新鮮な出来事などはなく、レイドという異物の存在は村人たちの会話のネタにはちょうど良かった。


 貴族の落胤。

 淫売の息子。


 自分が誰にも望まれずに生まれてきたことを理解して、それでも自分を捨てることのない母の愛情に苦しみ、せめて母が自分を殺さないのであれば、自分で自分を殺すしかないのだとレイドは考えた。


 自分の母を不幸にした父親への呪いも。

 母を蔑む村人への怨みも。

 全て、母の為に噛み殺し、飲み干し、胸の内に無理矢理抑え込んで生きてきた。


 親族では唯一、母の兄であり、レイドの叔父だけは母や息子であるレイドを気に掛けて良くしてくれた。


 戦場帰りの負傷兵。

 片腕を矢に射貫かれ、鉄の毒に蝕まれてその腕を斬り落とした叔父は、村へと戻ってからは村唯一の兵士として務めた。


 開拓村に兵士の仕事なんてほとんどない。

 実質、国からの僅かばかりの給金を貰うための建て前上の仕事である。


 それでも叔父は日々真面目に村を見廻り、村の外からの来訪者があれば必ず姿を現し、厄介な獣が現れれば剣や槍を持って戦った。


 そんな叔父がレイドを気に掛け、生きる術を教えてくれたからこそ、心など無くともレイドは生きてこられた。


「母さん、ごめん。体の力が抜けちゃって……動けなかった。これ、刺さったままじゃ痛いよね」


 何もかも失くしたレイドの内から沸々と湧き上がった何かが、レイドの意識を辛うじてつなぎ止めた。


 レイドが母の首から短剣を引き抜くと、刃にせき止められていたのであろう血がどろりと耳障りな音を微かに立てて溢れ出る。


「顔に傷はないけれど……体の方こっちはもうダメだね」


 引き抜いたまま手に取った短剣で母の首を腸と血で汚れた体から切り離す。


「ちょっと待っててね母さん。いま、代わりを用意するから」


 そのまま、先ほど無意識に投げ飛ばした女の元へと向かい、獣の耳を頭から生やした亜人の娘の首を斬り落として床に転がす。


 娘の体を母の布団の上に横たわらせ、母の首を代わりに繋げるように並べて、瞼を撫でるようにそっと降ろす。


「少し貧層な体になってしまったけれど、若返ったと思って許してよ」


 レイドは本当に申し訳なさそうに、薄ら寒い微笑みを浮かべて、最後にもう一度だけ、母の頬に手を添えて体を起こした。


「叔父さんが居てなんでこんなことが起こってるんだ」


 床に転がっている娘の首をつま先で転がしてよく見てみれば、恐らくは犬、もしくは狼の亜人種。

 先ほど首を切り落とすときに邪魔をしてくれた首輪は奴隷の証か。


 物盗りに押し入ったが、レイドが帰ってきたのに気が付き、身を潜めていた?


「うーん」


 この家は村で一番貧しい家といっても過言ではない。

 食うに困らないだけの獲物をレイドが取ってきてはいるが、それだけだ。

 金もなければ、売れるような物もない。


 思案しながら物音を立てぬようにレイドはそっと窓へと近づき、外の様子を探る。


 僅かに開けたままだった木窓の隙間から窺えば、隣の家の扉が空き、住んでいた爺さんの死体を引き摺る亜人奴隷の娘。


 先ほどレイドが殺したのと同じようなボロの衣服に埃っぽい煤けたような汚れた姿をしている。


 また、別の家の扉が開き、知っている顔の死体が運び出されていく。


 次に開いた扉から出てきたのは、レイドの二つ年上の娘の死体。

 皆と同じように腹と首を裂かれ、ぼたぼたと腹の中身を溢しながら血で泥になった村の土の上を引き摺られていく。


 村中で煙たがられていたレイドに人目も憚らずに「好きだ」と伝え、どうせ不幸になるのだと拒んでいたレイドをどうにかものにしてやろうと意地になり、ついには「抱いて」などと顔を赤らめながら言うようになってきた、不憫で、憎めず、上品さはないが、愛嬌のある娘だった。


 そんな女までが、赤と黒の汚泥に塗れ、悪臭を放ちながら汚物のように運ばれていく。


「そうか、みんな死んだのか――」

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