#02 連れ子たちとの生活
自宅一階のベランダで朝日を浴びながら背筋を伸ばす。
アウトドアチェアに腰かけると、週刊誌に目を通した。
その誌面を飾るのは『某有名アイドルのホテル密会!?』だの『俳優夫婦のW不倫疑惑!?』だの、主にスキャンダルに関する記事が多い。
いつか私もここに載るんだろうか。
どうにも他人事のようには思えない。
もしも自分の秘密が公になったら。
そう考えただけでも身の毛がよだつ。
少し温くなったコーヒーを啜りつつ至福の時を噛みしめる。多忙な俳優業から距離を置き、穏やかに過ごせるこの瞬間は、かけがえのないものだった。
ちなみに独身で、結婚歴はない。
表向きはそういうことになっている。
「来たか」
階段を下りる足音に鼓膜がふるえる。
予感がした。幸せが崩れ去る予感だ。
災厄はいつもより二十分ほど早く訪れた。
青空を見上げて「はぁ」と嘆息をもらす。
「おはぁ~……」
「ん〜……」
掃き出し窓の隙間から、寝ぼけ交じりの甘い声が聞こえてきた。同居人たちが起床したのだ。
「パパー、朝ごはんできたよー」
『パパ』──不快な響きをしたその単語は、秋山家においてその家主である私のことを指し示す代名詞の一つだった。べつに父親でもないのに“パパ”と呼称されるのは良い気がしない。変な誤解を招きそうだ。
「ねぇ、聞いてるー? 早く席ついてってば。ごはんが冷めちゃうよ」
めんどくさいので無視する。
「ん」
背後から少女の声がした。振り向くとそこにいたのは、ペンギンの着ぐるみパジャマを着た
大抵の男はその魅惑の双丘に目を奪われるところだが、生憎と私は自分と二十近く歳の離れた少女に欲情するほど可哀想な男ではない。
「ん」
相も変わらず無口な少女はこちらをじっと見つめている。クールで切れ長な目は麗しく、相手の心の奥底まで覗きこむような深い瞳の色は、見る者の意識を吸いこんでしまいそうだ。
「私は、もう少しここでゆっくりするよ」
「ん」
「飯ならお前らで先に食べてろ」
「ん」
冬花は退かない。
自分が望む返答を得られるまで、
この場を離れるつもりはないようだ。
「とにかくそういうことだ」
「んー……」
だからあっちに行ってろという意味を込めて「しっしっ」と手で追い払う。が、冬花はしつこく居座りつづけた。迷惑そうに目を細めてみてもお構いなし。動きを見せたのは数分後のこと。
「ん!」
痛だだだだだだっ!
冬花は私の手首を掴んだ。
次の瞬間、強烈な痛みに襲われる。
十五歳の少女のものとは思えない握力。
手首が、千切れ飛びそうになる。
「わ、わかった。降参する」
すぐに音を上げた。冬花に力で勝てないことは重々承知していたので、捕食されるナマケモノのように身を委ねることにした。右手首を握られたまま連行されていく……。
「おはよっす〜」
リビングのソファでくつろぐ少女、
ひとえに星座占いをチェックするためだ。
テレビから女性アナウンサーの声が聞こえてくる。
『そして今日最も運勢の悪い人は……ごめんなさい! 牡羊座のあなたです! 恋のライバルが出現する予感。それでも焦らず、平常心で行動しましょう。そんな牡羊座の人は──』
占いの結果に春乃が唇を尖らせる。
「……あー、これはきっと日本政府のプロパガンダっすよ。占いの結果によって国民の行動を制限、統制してるんす。もうダメかもしれないっすねぇ……。このテレビ局は信用できないっす。ローカル局に変えなきゃ。このままじゃ洗脳されちゃうっすよ……」
テレビの音声を小耳に挟んだだけの私には、本日の占いの顛末は分からなかった。が、リアクションから察するに春乃にとっては最悪の結果だったようだ。
「なんか最近ツイてないっすね〜、しょぼ〜ん。恋のライバルが出現かぁ〜……」
春乃がぶつぶつと不満を垂らしている。よほど占いの結果に不満があるらしい。ご機嫌斜めな彼女は生足をローテーブルの上にのせると、薄紅色のペディキュアを爪に塗りはじめる。慣れているのか手際が良い。
傷一つない、綺麗な脚だった。
短いスカートから伸びる白の太ももがまぶしい。ほどよく締まっているのが健康的で、がっしり掴んでも、ぬるりと手から逃げるような滑らかさがある。
目のやり場に困るのでストッキングを履くか、スカート丈を長くしてもらいたいのだが、春乃にはその点譲れないものがあった。
春乃は、以前通っていた中学校の制服に改良を施し、現在それを普段着としている。制服改造の際、まず最初に手を加えたのはスカートだという。
理由は不明だが、スカート丈にこだわり──というか執念じみたものがあるらしく長いものは好まなかった。以前、その理由を尋ねたことがあった。春乃の返答は『長いものには巻かれろ、って言うじゃないっすか? ハル的には、ちょっとそういうの嫌なんすよね~』と意味不明なものだった。
このポリシーは他の部分にも反映されているようで、髪の長さは肩にかからない程度のナチュラルボブだ。染めた金髪にはピンクのメッシュが入っており、いかにも遊んでそうな雰囲気がある。
「んんー!」
「ごくろーさま、冬花ちゃん」
私の身柄をダイニングまで連行した冬花に労いの言葉を投げかける少女は、今まさに出来たての朝食を、テーブルの上に並べているところだった。
「ルールはちゃんと守ってよね、パパ?」
身長150センチ未満の小柄な体躯。ミルクティー色のハーフツインと、悪意のかけらもなさそうな幼顔が特徴的なそいつの名は
「誰が守るかあんなもの」
夏美は、家事担当兼この家の実質的な支配者であり、秋山家の家訓『家族のおきて』を作った張本人だった。
──────────────────
【 家族のおきて 】
① 秋山慎司、日高夏美、空井冬花、望月春乃。以上の4名はそれぞれを“血の繋がった家族”として認識し、実の家族と同様に接しなければならない。(※これは厳守事項である)
② 食事は必ず家族みんなで食べなければならない。(※ただし、何かやむを得ない事情があった場合にはこれを免除する)
③ 前述した4名の他に、何人もこの家に上げてはならない。(※これは厳守事項である)
④ 秋山慎司は、他3名の親類縁者との接触を避けなければならない。向こうから何らかのアプローチがあった場合、これを断らなければならない。(※これは厳守事項である)
⑤ 交際・結婚を禁じる。相手の性別は問わない。(※これは厳守事項である)
⑥新たなおきてを制定、また、既存の事項を廃止することができる。その場合は、前述した4名すべての同意(提案した自身も含める)を得なければならない。
──────────────────
上記の、カルト宗教を彷彿させるようなトンデモ戒律が記されている紙は、額縁に入れて現在もリビングの壁に飾られてある。
家族として接しろだの、恋愛禁止だの、個人の自由を廃するような文言が書き連ねてあるのにも関わらず、これに異を唱えたのはなんと私一人だけ──どうやら他の二人(春乃,冬花)も一枚噛んでいるようだった。
「ルールを破ったらどうなるか。分かってるよね?」
「罰則なんてなかったはずだが」
「……パパに質問です。お目々と腎臓、絶対にどちらかを手放さないといけないってなったらどっちを諦めますか?」
「お前の言う家族は、マフィア的な意味の
「あはは、冗談だよ冗談」
なんにせよ自分はこんな馬鹿げたルールを守る気などない。こんなのはしょせん
▽▼
今朝、秋山家の食卓に並べられたのは、白ごはん、シャケの塩焼き、筑前煮、わかめの味噌汁の計四種。ダイニングにただよう焼けた魚の匂いと、白みその甘い香りが食欲を刺激する。
さっきまでご機嫌斜めだった春乃も、その香ばしい餌を前につばを飲み込み、『待て』と指示された忠犬のようになっていた。
「ううっ、早く食べないと冷めちゃうっすよ?」
春乃が物欲しそうな目を夏美に向け、「みんなが席に着いてからね」と制される。そんな二人を横目に苦笑しつつ私はいつもの席に座る。
なんだ?
隣から、むしゃむしゃと咀嚼音のようなものが聞こえてきた。
「……ぱくぱく……」
左隣を見ると、いただきますの一言も無しに冬花が食事をはじめていた。よほどお腹が空いていたらしい。料理を口に運ぶ仕草は一見しただけだと、本人の端麗な容姿のおかげで上品に思えるのだが、注視してみると箸の持ち方がおかしかった。
そのうえ食べるスピードが異常に早い。
目にも留まらぬ速さで口に吸い込まれていく。
冬花のその暴食っぷりには見慣れたものだが、この光景を目の当たりにするたびに、もう少しよく噛んで食べたほうがいいんじゃないか? と、老婆心ながらつい忠告したくなってしまう。お節介焼きの夏美は当初これに異を唱えたが、何度注意してもまったく改善の余地が見られないので、もう諦めている。冬花の個性として受け入れたようだ。
「じゃあ、私たちも食べよっか?」
私の正面に座って、夏美が手を合わせた。すると、待ってましたといわんばかりに春乃が自らの胸に手を当てた。それから目を閉じて、何かを呟きはじめる。
……毎度のことながら気が滅入るな。
我が家のミステリアスギャルは、神様との交信──食前のお祈りをしているところだった。これもすっかり見慣れたものだ。
「神に感謝っす」
「ごちそーさまでした!」
「んー」
食事を済ませると、私はすぐに席を立った。汚れた食器を台所へ運ぶ途中、夏美の横を通り過ぎるとき、ついでに料理の感想をこぼす。
「ご飯はもう少し固めに炊いてくれ。あと、味噌汁の味が濃かった。無添加減塩の味噌を使えと忠告したはずだぞ」
「あー、はいはい。お粗末様でしたー」
私の感想を、夏美はサラっと軽く受け流す。
続いて春乃と冬花も料理の感想を述べはじめた。
「味の濃さは、人生の濃さっすよ〜。だから、このお味噌汁はハル的にポイント高いっす! イッツソーヤミィー!」
食レポの内容が曖昧すぎないか? 冬花にいたってはやはり「ん!」としか口にしない。親指を立てて満足そうにしているが感想にすらなっていなかった。
▽▼
午前九時。天気は良好。絶好の外出日和だ。
俳優業で忙しい私にとって休日は貴重で、今日は三週間ぶりのオフだった。のんびり骨を休めるのもいいが、せっかくの好天なので外出することにした。
トレンチコートに身を包み、マスクとサングラスで変装すると、三人の行先も告げずにこっそり外に出た。
気配を消して玄関を抜ける。玄関の扉を静かに閉めると、急ぎ足でその場から離れる。よし、成功だ。内心でガッツポーズを取っていると、
「どこへ行こうというのかね?」
少女の明るい声がかかった。
最悪だ。見つかってしまった。
振り返るとやはり三人がいた。なんて目ざとい奴らだ。さっき自分に声をかけたのは夏美のようで、これから私がどこへ向かうか詮索してきた。付き添われても厄介なので適当に返事をする。
「ちょっと近所のコンビニに──」
「渋谷にね、新しくショッピングモールできたんだってさー。それでね、その中に出店してるフルーツパーラーのお店が今気になってて……」
はにかみながら夏美が言った。
ショッピングモールに行きたいらしい。
だからなんだよという話だが。
今日はどうしても一人で過ごしたい気分だったので、私は自分を除いた三人で出掛けるように提案。対して春乃と冬花が異議を唱える。
「みんなで行くっすよ! オジサンも一緒にっす!」
「ん!」
三人は示し合わせたように笑顔の集中砲火を浴びせた。男のハートを撃ち抜く天使の笑み。エンジェルビーム。いたいけな彼女たちの頼みを断れる人間がいたとしたら、そいつはきっと悪魔に違いない。
私は深くため息をつき、空を見上げた。
雲一つない快晴の青空が広がっている。
「遠慮する」
私は悪魔なのかもしれない。
「実力行使しかないみたいだね?」
物騒な四文字を口にする小天使が不敵な笑みを浮かべた。
私は知っている。こんな意思表示をしたところで無意味なことを。そもそも自分に選択肢などないということを。そう、すべては決定事項なのだ。
「そうっすね。わからせてやるといいっすよ」
「冬花ちゃん!」「ふゆっち!」
「ん」
二人の呼びかけに冬花がうなずく。
「おい、やめろ」
その目に闘志の炎を宿らせて、のっしのっしと──この時ばかりは彼女の周りに陽炎が立ち昇っているように見えた──冬花が迫ってくる。
「横暴だ!」
その場からの逃走を図ろうとしたが、コンマ一秒も経たずに冬花に左腕を掴まれてしまう。どうやらここまでのようだ。やれやれと両手を上げて降参の意志を示す。
「行けばいいんだろ、行けば」
まったく勘弁してくれよ。
お前ら三人の存在がマスコミに気づかれでもしたら、私の立場は危うくなるんだぞ……。
天を仰ぎながら、心の中で愚痴をこぼす。
それにしても……。
こんな日常が訪れるとは思ってもみなかった。
まさか、三人の元妻の連れ子たちとこうして一緒に暮らすことになるとはな。 どうしてこんな事態に陥ってしまったのか。
事の始まりは一週間前のことだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。