4駅10分の友達

沢田隆

第1話



 去年の正月はポーくんのくしゃみからはじまった。


 そりゃウサギだってくしゃみをする。別に珍しいことじゃない。


 でも短い間隔で繰り返していたから、ケージのほうに顔を向けて「大丈夫?」と訊くと、ポーくんは崩れた体勢を戻すために一度立ち上がり、前足を体の下に収めて香箱座りをしてから、昼間の陽射しの中で目を瞑った。



 翌日もくしゃみは続いていた。私はポーくんが風邪をひいたのではないかと心配になったのだが、もとよりウサギが人間と同様の風邪をひくのかどうか、私は知らなかった。


 そして三月に入るとくしゃみは止んだのだけど、左目から涙がポロポロと出てくるようになった。



 あふれ出てきた涙の粒を見つけると、私はポーくんの目の縁にティッシュで柔らかく触れて水分を吸い取っていたが、五月に入るころには量が増えてきて、鼻のあたりまで涙の通り道が出来てしまった。

 

 そうなるともう吸い取るどころではなく、濡れた毛を押さえるようにして拭ってあげなければいけなくなった。


 さらに涙に含まれる塩分のせいなのか、ところどころで固まって束になった頬の毛が、プツプツと呆気なく抜けてしまうようになった。



 そういう明らかにいままでとは違う状態を数ヶ月間も理解しておきながら、「大丈夫だろう」なんて楽観視していたのは、人間の悪い部分なのか、私の個人的な悪質なのか。


 ポーくんはもう八歳だから、老いによってこういう状態になってもしょうがないのだろうなんて結論は、私が私を納得させるだけの都合のよさでしかなかった。




 それから少し経ってポーくんの左目と鼻を直線で結んだ中間あたりの、白い毛で覆われた部分がポコッと膨らみはじめたと思ったら、みるみるうちに左右がまるで違う子であるかのように、顔の左半分だけがパンパンに腫れあがってしまった。


 そうなってからようやく私は慌ててキャリーバッグにポーくんを入れて、病院に連れて行った。それはスナッフルという感染症によるものだと教えられた。


 院長先生は腫れたポーくんの顔を見て、


「何か処置をするよりも、患部が自然に破裂するのを待った方がいい」


 と言った。



 その二日後の朝、仕事に出る前に一度涙を拭いてあげようとティッシュを一枚取ってケージに近付くと、ポーくんの左頬に何かドロドロとしたものがついていた。


 見た目はカスタードクリームのようだったが、でもチーズを何十倍にも濃くしたような刺激臭が鼻を突いた。そのタイミングで患部が破裂して、大量の膿があふれ出していた。


 拭っても拭ってもあふれてくる膿は、患部を指で軽く押すとさらに外に出てきた。すべて取り除くと、ポーくんの顔の腫れはキレイに引いていた。



 スナッフルという病気は、一度かかると根治が難しいと院長先生は言っていた。


 その言葉どおり翌月にもポーくんはまた同じ場所が同じ症状に見舞われて、同じように顔の左側だけをパンパンに腫らして、同じように破裂して膿が出た。


 膿が出てしまえば顔の大きさは元に戻るのだが、それまでに出た涙のせいで毛が抜け落ちて、淡い桃色の肌が露わになっている頬には、三、四ミリ程度の小さい穴のような傷が残っていた。その傷から覗いていたのは、おそらく鼻の中だった。


 そして、それはウサギという種族に備わっている力なのか、ポーくん自身が持っていた力なのか、破裂してしまった傷は二、三日すればキレイに塞がってしまった。さらに一週間経ったころには、抜け落ちた毛も生えて元通りになった。だから一ヶ月も経てば、いつものポーくんに戻っていた。









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