猫不足の王子様にご指名されました

白峰暁

第一章 私、猫になります

第1話 ミーシャ、いい名前だな

人の生というのは、諦めと妥協によって成り立っているものである。

ミーシャ・アルストロイア――ここベルリッツ国の平民の娘として生まれた今生でも、日本で生まれた前世でも、その考えは常に頭の片隅にあった。



前世――日本では平和な世に生まれ、学校に通って友人と机を並べる日々を送った。それだけ考えれば十分に恵まれた生だったといえるだろう。

恵まれていないところをあえて挙げるとすれば――金銭的な面だ。

幼少期に喉から手が出る程欲しかったゲームやおもちゃは、終ぞ買ってもらえる事は無かった。家には余計な趣味に出せるようなお金は無かったからだ。

私が我侭を言おうとする度に、親は怒るというよりも辛そうな顔をして。

私はそんな顔だけは見たくなくて。

かくして、私は漢字や計算式を覚えるより前に、”我慢”を覚えたのだった。

制服は買えてもコートは買えず、欲しい本は図書館で読む。

そんな生活だったが、それなりに充実して生きていたと思う。初めから過度な希望は抱かないようにしてきたからかもしれない。

高校ではアルバイトを始められるようになって、家にお金を入れられるようになった。

大学に通いたいと思っていたから、高校のうちに可能な限りお金を貯めようと考えていた。

親に感謝されて、私もアルバイトで働くのが楽しくなって。

週に何度もアルバイトを入れ、家から遠い場所にある仕事場でも自転車で向かっていた。

確かあの日は雪が降っていて、疲労からスリップしてしまい――、

日本でのそこから先の記憶は途切れている。

恐らく、転んで頭を打ったか、交通事故に遭ったのだろう。

出来れば前者であればいい。バイト先の人間だけでなく、車の運転手にも迷惑を掛けてしまうのは忍びないから。

――そして、前者であろうと後者であろうと、親に悲しみを負わせてしまった事は確定している。

自分が異世界のベルリッツという国で再び生を受け、前世ほどの年齢まで長じて記憶が蘇って、まず考えた事はそこだった。

――今生では家族を悲しませないようにしよう。

自分を大事にして無茶をせず、街を飛び出そうなどと考えず、親を最後まで看取れるように平穏に生きよう。

自分はベルリッツの貧しい農家の一人娘として生まれた。日本とは教育のシステムが異なる事や家業を手伝わないといけない事など色々と大変な事はあったが、それでも自分の目標の為には何とか耐えられた。

そして、今日。

私は私の目標を失った。

私の家は潰れて――家族もその下敷きになってしまったのだから。



「おかあさん……、おとうさん……」



――瓦礫と化した家にふらついた足で進もうとして、私は強い風に煽られる。

竜巻。

――ではない。

この吹き付ける空気は、獣が作り出す風だ。

私の村の上空には、竜の群れが飛んでいた。太陽の出ている真昼なのに、羽根が日差しを覆って暗い夜の中にいるみたいだ。

いつか図書館で見たファンタジー小説の挿絵では、羽根や尻尾の先までぴんと張った凛とした佇まいに美しさを感じたものだ。だが、こうしている今ではそんなプラスの感情は沸き起こらない。

あの竜は私達の村を滅ぼしに来たのだ。

災厄というのは――そういうものだ。



ベルリッツに生まれて、私は何度も国造りの話と、災厄の話を聞かされた。

ベルリッツは恵まれた国だ。天候は温暖で作物も豊かに取れ、攻め込まれにくい土地にある事から他国との戦争もそうそう起きない。だが、引き換えに、ベルリッツ王国には不規則に"災厄"が訪れる。

ベルリッツの神話曰く、もともと神も人も獣も同じ存在であった。神が災厄を起こしている土地で現在の王家が反乱を起こし、武力で神から独立した。それが国の始まりである。現在は人が国を収めているが、国の土台となっている災厄のエネルギーは全て鎮圧しきれず、王家が代替わりしながら少しずつ収束させるように取り計らっている。

災厄とは一つの形態に限らない。

異常気象や、伝染病や、攻撃性を有する獣の発生――人間にとって不利益をもたらすものがランダムに現れるのだという。

――完全に災厄を取り除けるのは未来の話になる。我々が生きている間は恐らく不可能だろう。

――ただし、災厄に逢う人間の数は全体で見ればごく僅かである。我々のような一般家庭にそんな運は無いと思いたい。

父親はそう言って食卓で笑っていたものだ。日本で言うところの、地震や台風といった災害と同じようなものか――とその場では納得した。

どうしてこの地帯に災厄が降り注いだのか。それは本当に偶然で――運が無かったのだと受け入れるよりない。

私は街へ買い物に出ていたから、今のところ外傷は無い状態だ。そこはせめてもの救いといえるかもしれない。

が――、守るべき家族は、家を壊されて下敷きになってしまった。



――逃げよう。

なりふり構わず走って逃げて、災厄も届かない場所へ。

私は息を吸い込んで走り出した。

走って、走って、走って――。

いつも農作業の手伝いをしているから前世よりも体力が着いたのだと自負していたけれど、流石に走り続けていると息が切れる。そして、空を覆う竜たちは私の足に軽々と追いついて、私を付け狙っているようだ。

空を旋回していた一匹の竜がぴたりと動きを止め、こちらに頭を向けた。水晶のような瞳が私を映し出している。

――駄目だ。

私はそう悟った。

自然界の動物に取って、目と目が合うのは威嚇の合図であるらしい。その知識が今実感を伴って私の身体に染み渡っていく。

その大きい羽根で地面に叩きつけられるのか、鉤爪で引っかかれるのか、牙で噛み千切られるのか。



どうせ死から逃れられないなら――、大人しくしていた方が、いいのかな?

少しでも痛くない方が……いいのかな。

痛くないなら……、まだ、受け入れられるかもしれない。前世の死を迎えた時の記憶が無いから、死に至る痛みに向き合える程の勇気は私には無かった。

人の生は、諦めと妥協によって成り立っている。死を迎える瞬間というのはその最たるものかもしれない。


――ざん。


「――、……?」

私は目を瞑って竜からの攻撃に身を任せようとした。

が、私を覆う熱は、身体を蝕んで傷つける事は無かった。

私はそろそろと目を開ける。そして、状況を知る事となった。

私は見知らぬ何者かに庇われていたのだ。



防具を付けた男の人が私の頭を抱き込んで庇い、竜の鉤爪の攻撃から守ってくれていた。

普通の防具なら街の武器屋で見たことがあるけれど……、こんなものは見た事がない。

男が付けた防具からは協会の灯火のような淡い光が漏れ、竜からの攻撃を光が受け止めているようだった。

金色の光。

その光を見てある記憶が思い出される。

この男の防具は一般的な防具ではない。



――以前、親が話しているのを聞いた事がある。

この世界では一定の確率で魔力の才を持ったものが生まれ、魔法が技術として確立されている。魔法を習得するための本も一般の書店で売られているし、魔力を帯びた商品を売り出している店も沢山ある。自分達も簡単なものだが魔法を利用して日々を過ごしているし、我々の娘たるミーシャにも魔力は備わっている。

だが、平民では容易に習得出来ない魔法がある。

対災魔法――国造りの災厄を祓う為の、神代の魔法を扱う才。それは王家に連なる者のみに宿るのだという。魔法の種類は数あれど、金の光を帯びるものはこの世にはその魔法だけなのだという――



目の前の男は、私から手を離すと身体を翻し、さっと腰に帯びた剣を取った。銀色の剣の刀身も淡い光を帯びており、男が深呼吸をして斬りつけると、竜は苦悶のうめき声を上げて羽ばたいて私達から距離を取った。

斬られた竜の鳴き声に呼応したのか、竜の群れはすっと方向を変え、人の住まない森の方へと真っ直ぐに飛んでいった。



男は竜の飛んでいった方角を見つめながら、ぽつりと話す。

「先程間近にいたときに、行く先を辿れるように目印を付けた。奴らは災厄の湧き出でた場所に向かっている筈だ。そこを叩く。……これ以降は犠牲者は出ない筈だ」

「…………」

「本当は犠牲者を全く出さないようにしたかったのだが……。すまない。皆を守るのが自分の責務なのに……。……ああ、君に埃が付いてしまったな。今、綺麗にする……」

「あ……。そんな……」



助けてもらったのに申し訳ない、わざわざそんな事をしてもらう必要はない、と男に言いたかった。だが身体がうまく言う事を聞いてくれなかった。死の危険が迫っていた事と、その直後に美しいものを見た事で、気が動転しているのだ。

そうだ。私を庇ってくれた男は、美しかった。

竜が去った事で空に現れた太陽が、目の前の男の金色の髪をまばゆく照らしている。金の髪に映えるように設えたかのような深い緑の瞳がこちらを見つめていた。

真に綺麗な人と出会ったとき、案外緊張しないものなのだなとぼんやり思った。博物館のショーケースの向こう側の宝石と対峙しているようで、こちらからは相手を見る事が出来ても、相手がこちらを見つめているという現実感が無いのだ。



目の前の男は、私の髪から埃を払いながら私の顔をじっと見つめている。宝石のように綺麗な瞳が、こちらを見て……、

……?



……、何だろう。

目の前の男は……、私を……訝しんでいる?

その美しさにうっとり見惚れてしまったけれど、よくよく見たら男の表情は普通のものではないような気がする。この目は何かをしげしげと見たり、見分するような目だ。前世の記憶があるとはいえ、今の私は本当に災厄に巻き込まれただけの一般人だから、そんな風に見られるような覚えはないのだけれど……。



どう反応したものか悩んでいるうちに、目の前の男が口を開いた。

「……失礼する。君の名前を聞かせてもらってもいいだろうか?」

「な、名前……ですか?ミーシャ・アルストロイアと申します」

「ミーシャ……、ミーシャというのか?」

「はい」

「ほんとうに……ミーシャというんだな?」

「は、はい」

「そうか……それはいい名前だな……」

「殿下!」



しみじみと噛み締めている風の男のもとに、武装した男達が現れた。その中でも立派な装いをした者が金髪の男に傅いて口を開く。

「ここ一帯の災厄は一旦後退させる事が出来ました。……一度王宮へ戻って立て直しますか?」

「――いや、必要無い。こちらも災厄の巣を見つける手筈は整った。今なら竜たちも負傷している筈だ。一気に突こう」

「……しかし、殿下の魔力はそう連続で使う事は……」

「大丈夫だ」



殿下と呼ばれた男はそう呟き、掌から淡い光を出した。その光は炎のように燃え上がって周囲を照らし、周りの男たちは驚愕の目で見つめている。



「殿下の魔力がより強大になられた……!?」

「ここまで魔力が急激に成長するのは、初めて見る現象です……」

「……ああ。俺もここまでの現象は、初めてだ。……とりあえず、今の俺は調子がいいようだ。この機に乗じて討ち果たしに行く事にしよう」



そう言うと、殿下と呼ばれた男は他の男達を連れて村の出口の方面へと向かおうとした。が、何か心残りがあったのか、一旦立ち止まって私の方へとくるりと振り返り、口を開く。



「ミーシャ・アルストロイア殿……」

「――は、はい!」

「災厄で今までの暮らしを失ってしまった事、深く詑びたい。だが、何とか希望を持って生きて欲しい。国家も出来る限りの支援をするし、それに……。――いや。これはまだ、言うべき事ではないな……」

「……?」

「我々は災厄の討伐に向かう。諸々負担のかかる事も多いと思うが、願わくば――息災でいてくれ」



そう言って、男は一礼し、村の出口まで他の男を引き連れて行った。

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