第34話 一緒に寝ますよ

 夜、寝る準備を整えたエリクが自室で読書をしていると、コンコンとノックの音が鼓膜を叩く。


「どうぞ」

「失礼します」


 寝巻き姿のヒストリカが、お盆にほかほか湯気立つ二つのコップを乗せて入ってきた。


「読書ですか?」

「うん。途中まで読んで、放置していた小説を読もうと思ってね」

「何よりです。今日は書類を持ち込んでいないようですね」

「流石にね」


 苦笑するエリクの傍、ヒストリカがテーブルにコップを置く。


「これは……」

「ホットミルクです。睡眠中にも水分は失われるので補給しておいた方が良いのと、人の体の特性として体温が一度上がってその後下がるところで眠くなるので、就寝前に温かい飲み物を飲む事は眠りスムーズに入るのに効果的なんですよ」

「なるほど、そんな嬉しい効果が……」


 感心したように頷きつつ、エリクはコップを手に取る。


「なんだか、ホッとするな……」

「温かい飲み物には、リラックス作用もあるので」

「まったく、ヒストリカの知識の多さには恐れ入るよ」


 情緒の欠片もないヒストリカの返しだったが、エリクは何やら満足気だった。


「ふぁ……」


 ホットミルクを飲み終えたタイミングで、エリクは大きな欠伸を漏らした。


「ちゃんと眠気が来たようですね」

「うん……自然に来たのは、本当に久しぶりだよ」

「ホットミルクで副交感神経が刺激されたみたいですね。そろそろ寝ますか」

「明日も仕事があるしね、そうするとしようか」


 目を擦るエリクに、ヒストリカが「そういえば」と口を開く。


「部屋を分けたのはエリク様の睡眠時間帯が不規則になるから、という認識であっていますか?」

「そうだね。いつ寝れるかわかったもんじゃなくて、バタバタしちゃうだろうから分けたんだ」

「なるほど。では、規則正しく寝て起きる事が出来るのであれば、分ける必要は無いという事ですよね?」

「……うん、そうなるね」

「では、これからは一緒に寝ましょう」

「ぇっ……」


 眠気が吹き飛んだように目を見開くエリク。


「驚くところですか? 昨日一緒に寝たんですし、今更でしょう。そもそも夫婦なんですし、寝床を共にするのは当たり前の事かと」

「そ、そうだね。夫婦なんだから、なんらおかしい事はないよね……」


 そう言う割には消極的というか、何やら挙動不審なエリク。

 眉を顰めて、ヒストリカは尋ねる。


「……もしかして、私と一緒に寝るのは嫌……ですか?」

「あああああいや! 嫌とかそういうのは全然なくて!」


 わたわたと両手を振って慌てたようにエリクは言う。


「いや本当に情けない話で申し訳無いのだけれど……改めて一緒に、ってなると……ちょっと、気後れしてしまうというか……」

「なるほど」


 納得したように、ポンと手を打ってヒストリカは言う。


「ようするに、エリク様は女性慣れしていなくて、ベッドをご一緒するのが恥ずかしい、と……」

「うっ……はっきり言うね」

「申し訳ございません、直接的過ぎました」

「ああいや、良いよ。それこそ今更だし……そう言うヒストリカは動じていない辺り、色々慣れているみたいだね」

「私も全然ですよ。元婚約者とは手を繋いだ事くらいしかないですし」

「そうなんだ。慣れていないにしては、とても落ちついているね」

「感情の起伏が少ないだけです。人並みに緊張はしていますよ、たぶん」

「緊張しているようには見えないけどね……でも、そっか……」


 口元を微かに緩めて、エリクは言う。


「手を繋いだ事くらい、か……」

「……なぜ、ちょっと嬉しそうなのですか?」


 ヒストリカが訝しげな目を向けると。


「……なんでだろう……ヒストリカが抱擁したり、添い寝したりした初めての相手が僕なんだと思うと……何故か、嬉しい気持ちになった」

「…………」

「ヒストリカ?」

「……なんでもありません」


 ほんの僅かに動揺が滲んだ声で言った後、ヒストリカはこほんと咳払いする。


「とにかく、恥ずかしがってても仕方ないので一緒に寝ますよ。少しずつ、慣れていきましょう」

「う、うん。そうだね、ありがとう……」


 何はともあれ、今日も二人で寝る運びとなった。


 ヒストリカが部屋の明かりを落とした後、二人でベッドに潜り込む。


 ヒストリカは特に動揺もなく淡々と、一方のエリクはどこかぎこちない様子で、それぞれの枕に頭をつける。

 カーテンからの月明かりだけが、ぼんやりと部屋を照らしていた。


「あの」


 なんとも言えない空気が漂う中、ヒストリカが口を開く。


「ひとつ、提案があるのですが」

「提案?」


 ヒストリカにしては珍しく、少しばかり躊躇いがちに言葉を紡いだ。


「寝る前に少し、抱擁をしませんか」

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