第32話 エリクの価値観
「ヒーデル王国は、男尊女卑の風潮が強い国です。特に貴族の世界では、顕著に見られます」
昨日今日で感じていた疑問を、ヒストリカはエリクに投げかける。
「ですが、エリク様からそのような気配を全く感じません……なぜでしょうか?」
ずっと、疑問に思っていた。
出会ってから今までエリクは、ヒストリカの言動に対し腹を立てたり、鬱陶しがったりする気配が皆無だった。
普通の男性貴族……例えばハリーなら、少なくとも十回は怒号を響かせているだろうに。
という意図を含んだヒストリカの問いかけに、エリクは困ったような顔をした。
「考えたこともなかったな……」
そう言ってから、顎に手を添えて考え込む。
しばらく経ってから、エリクは言葉を口にした。
「色々理由がありそうだけど、一番は……姉、かな」
「お姉様、ですか?」
「うん、僕の二つ上なんだけどね」
エリクは続ける。
「確かに子供の頃は両親から、男の方が優れているという教育されて育った。男の方が力が強い、頭も良い、だから女よりも偉い、みたいな。周りもそんな感じの考えを持ってる人が多かったから、僕もなんとなくそういうものなのかな、って思っていた」
記憶を掘り起こすようにエリクは語る。
「とはいえ、僕は生まれつきそこまで身体が強くなくてね。それに比べて、姉は強かった。かけっこはいつも僕より速かったし、喧嘩も一度も勝てたことがない。唯一勝ててたのは……勉強くらいかな」
どこか自嘲めいた声色でエリクは言う。
「それもあって、そもそも男の方が女よりも優れてるとか、実感を持てなかったんだよね。だって、僕より強いんだもの。そんな中、僕の価値観が変わった決定的な出来事があった……」
懐かしむように目を細めてエリクは続ける。
「何歳くらいだったかな。まだ十歳にもなってない頃だったと思うけど、姉と山に冒険に行って、道に迷ってしまったことがあってね。彷徨っているうちに、どんどん山の奥深くまで進んでいってしまって、もっと場所がわからなくなって……ちょうど冬の季節だから、帰れなかったら本格的にまずいかもしれない、って状況だった」
エリクが語る話に、ヒストリカは耳を傾ける。
「そんな時、ふと僕は、切り株の断面を見れば方向がわかる事を思い出したんだ。それで、家のある方向がわかった。あの時は、姉は僕を凄く褒めてくれたなー。お前は天才だって。そこまでは良かったんだけど……」
エリクが苦笑する。
「これまた情けない事に、僕が力尽きちゃって。もう一歩も歩けない……ってなった時に、姉が僕をおんぶして下山してくれたんだ。陽が完全に落ちる前に見覚えのある道に出て、それで助かった」
昔の思い出話のはずなのに、ヒストリカは思わず小さな息をついた。
「その時、思ったんだ。男の方が偉いとか、女の方が偉いとか、そういう考えはくだらない……というか、意味のない事で、ただそれぞれが得意な事を協力しあっていく事が大事なんじゃ、みたいな……ちょっと言葉がまとまらなくて申し訳ないけど」
「いえ……」
ヒストリカは頭を振って、エリクの話の感想を一言に纏める。
「素敵な、お話でした」
ヒストリカが言うと、エリクは再び苦笑を浮かべる。
「まあ、理由はそれだけじゃないとは思うけどね。僕自身の元々の性格もあるだろうし、単に自分に自信がないだけ、というのもある」
「話を聞いた限りでは、エリク様は生まれつき、競争には向かない性質のように見えますね」
「社交界の連中からすると、男として情けなく無いのかって怒られそうだけど、実際そうだと思うよ」
あっけらかんに言ってから、エリクは話を纏める。
「兎にも角にも、僕の考え方の根底には姉からの影響があって、男女どっちが凄いとか全く拘りがないと思っているのは、確かってところ……って、こんな感じの回答でいいのかな?」
「はい、充分です。ありがとうございました」
深々と、ヒストリカは頭を下げた後。
「とても素敵な考え方をお持ちだなと、思いました」
本心から溢れでた言葉を、口にした。
この国の男尊女卑の風潮にはヒストリカ自身、疑念を抱いていた。
子供の頃から男性優位の空気に晒されていたから、最初そういうものだとヒストリカも思っていた。
しかし貴族学校で、誰よりも努力をしトップの成績を取り続けていたのに、女というだけで周りから妬まれ敵意の視線を向けられた事にヒストリカは内心で理不尽を抱いていた。
成績の結果と男女は切り分けて考えるべきでは?
どうして努力をしている自分が、女というだけで敵意を向けられないといけないの?
ハリーに関してだってそうだ。
明らかにその行動は婚約者として、一貴族としておかしいですよねと指摘すると、ハリーは決まって「女のくせに」だの「男の俺に黙った従え」だの、男女を根拠に反発してきた。
だけどエリクは、そんな事をしない。
男女関係なく対等に接してくれる。
自分が良かれと思ってやった事をちゃんと評価してくれて、「ありがとう」を口にしてくれる。
そんな彼の姿勢に、惹かれている自分に気づく。
いつの間にか、胸の辺りがぽかぽかと温かくなっていた。
(なんでしょう、この気持ちは……)
自分の感情に疎いヒストリカは、この気持ちを言語化できない。
でも、悪くない気持ちだという事は、なんとなくわかるのであった。
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