第45話 やさしいキスをして 前編

 フィーラの家に戻ってきてすぐ、ドアの前から移動をするよりも前にメイシーがエメリアに対してどうするのか尋ねた。


 エメリアは深く深呼吸をした。

氷のように冷えた手を握りしめ、頭の血管まで破裂させそうに激しく撃つ心臓に何度も心の中で大丈夫、大丈夫と言い聞かせた。


「私…記憶を戻すことにしたよ」


 エメリアは震える手を隠しながらなるべく落ち着けて、声だけは震わせないように努めた。

メイシーはエメリアの答えに言いたいことはいくらでもあったが、決意を決めて震える女の子にそれを言えるほど不粋でもなかった。


「そ…あなたの決定を祝福するわ。行きましょ、女王の社に案内するわ」


 三人はキースを待たずに、フィーラの家を出発し、女王の社へと向かった。

女王の社は里の一番奥にあるようで、ときどき里のエルフたちからの視線を浴びながら奥へと進んだ。


 エメリアはその道中もずっと手を摩っていて、シャルルは彼女の肩に優しく手を置いて微笑んでいた。

メイシーはそんな二人の距離感が微妙に変わっていることをなんとなく察して奥歯を噛み締めた。


「…この通りを抜けると女王の社よ」


「そうか…あとはどうやって力をお借りするか…だね」


 シャルルの声を聞いてメイシーは奥歯をもっと強く噛み締めて、目の前の空間を睨みつけた。


「別に…いざとなれば盗み出せばいいわ」


そんなメイシーの言葉を聞いてエメリアは手をギュッと握りしめた。


「そんなことは…できない…よ」


メイシーはエメリアの言葉を無視して歩き続けた。


 女王の社は、エルフの里の中でも一際大きな木を基にしていた。

他の木とは違い美しい青い花が咲き誇っていた。


 衛兵らしき男が二人いたが、メイシーが目配せをすると頭を下げて一歩下がった。

シャルルとエメリアも衛兵に頭を下げてそそくさと通り抜けた。


「メイシーは有名人みたいだね」


「狭い里だもの。誰でも知り合いなんじゃないかしら」


 メイシーはそれ以上何も説明しなかった。

何も聞くな、と背中が口を聞いているようだった。


真ん中の木の根元から階段を登っていくと片側だけ開いている巨大な扉があった。


 その扉を潜り抜けると、ここが木の中とは思えない大理石を張り巡らされた美しい部屋だった。

大理石の部屋の真ん中に大きな玉座が設置されていた。

木製の玉座だったが、ペンで線を引いたような精巧な細工がしてあった。


 その玉座の真ん中に顔の両端からヴェールを垂らした美しい女性が座っていた。

そして、その傍にはなぜかキースが控えていた。


シャルルは見知った顔を見て驚き目を見開いた。


「…こんなところで美女と密会かい?」


「少し…話があってな」


キースが女王の方へ軽く目線を送ると、女王は何も言わずに頷いた。


「エメリア…話は聞いたのか?」


キースが呼びかけるとエメリアはついに震える手を止めた。

そして強くキースの目を見返した。


「そうか…お前は強いな…」


キースは優しくエメリアに微笑みかけた。


「で、あなたはここで何をしてるのかしら?」


「その前に…俺はガナールという革命軍のメンバーだ。今は正式に活動しているわけじゃねぇんだが…一応籍は置いてることになってるらしい」


キースは背中に背負った長い槍の持ち手を優しく撫でながら話を続けた。


「お前たちを…ガナールに推薦したいと考えている」


「ちょ、ちょっと待ってくれキース。君は説明が足りなすぎる…。革命軍って…一体何をしようとしてるんだ?」


シャルルが右手で頭を抱えながらキースを制止した。


「お前もこの国を周って見てきただろ。この国はもう限界点にいるんだ、だからグランテール上層部を入れ替えて建て直そうとしてる連中がいる、それがガナールだ」


「で…どうして僕らがそのガナールのメンバーに?」


「俺は元々ガナールのスカウト係を押し付けられてたんだ。そんで、お前らに素質があるって思ったから勧誘したんだ」


「随分と急な話なのはご理解いただける?それに…私たちに何の得があるのかしら?」


メイシーが肩を持ち上げてキースに嫌味を言った。


「エルフの里を見直させたいんだろ?ならお前にも得はある。ガナールが政権を取ればの話だけどな…。シャルルは戦争を止めたいんだろ。なら、入るべきだ、それがガナールの目標でもあるからな。エメリアには…理由はねぇな」


キースは最後にエメリアの顔を見ながら気まずそうに手をヒラヒラさせた。


「わ…私、理由とかはわからないですけど…たぶん…何の役にも立てないです…が、頑張りますけど…」


「腕っぷしじゃねぇんだよ。俺らが求めてるのは魂の強さってやつだからな」


「あら、由緒正しいエルフの里の空気を吸えばあなたみたいなのでも詩人になれるのね」


「受け売りだ。とにかく、乗るのか?乗らねぇのか?」


キースは話はそれまで、という感じで話を切り上げた。


「僕は…今からの結果次第だが、革命軍の翼の一片になることに拒む理由はないよ」


「私…でよければ頑張ります!」


二人が半ば勢いに乗せられ、半ば決心をしてキースの誘いに乗った。


 そこでずっと黙っていた女王が初めて口を開いた。

威厳のあるよく通る声だった。


「…これで契約成立だね」


 女王の声が大理石に反響しながらシャルルの鼓膜に届いた。

契約とは何のことだろう…とシャルルはキースの顔を見つめた。

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