転生魔王様は静かに暮らしたいけど、そうもいかないようです
くまのこ
今度は静かに暮らしたい
「おはよう、お兄ちゃん!今日から、同じ学校だね!」
僕が通う中高一貫校の中等部の制服を着た、妹の
栗色のセミロングの髪に色白の肌、クルクルとよく動く大きな目が印象的な可愛らしい顔立ちだが、最近は少し大人びてきたようだ。
今どきは珍しい、少し古風なセーラー服が、よく似合っている。
今日は中等部の入学式で、寧々は両親と一緒に出席する予定なのだ。
「僕は今年度から高等部だから、校舎は離れちゃうけどね。分からないことや困ったことがあったら、いつでも相談するんだよ」
トーストを齧りながら僕が言うと、寧々は頷いて微笑んだ。正に、守りたい笑顔というやつだ。
「
寧々の分のハムエッグを皿に盛りつけながら、母が言った。
「分かってるよ。何が出てくるか楽しみだなぁ」
僕は無邪気な子供のように答えた。母が喜びそうな回答ではあるが、同時に本心でもある。
「私は、母さんの手作りハンバーグが食べたいな」
新聞を読みながらコーヒーを飲んでいた父が口を挟んだ。
「お父さんったら、子供たちのお祝いなのに、あなたが子供みたいよ」
「だって、君のハンバーグが世界一おいしいからさ」
父が臆面もなく言うと、もう、と言いながらも母は少し顔を赤らめた。
外では冗談も言わないカタブツと思われている父だが、家の中では面白おじさんなのだ。
残り数十年の人生も、こうして平穏に過ごせるだろう――この時まで、僕は何の疑いもなく、そう思っていた。
かつて、僕は一度死んだことがある。
魔界を統べていた先代魔王の父が仇敵に敗れて消滅し、息子の僕は跡を継いだ。
だが、権力を欲して敵に寝返った父の元側近たちに暗殺されたのだ。
魔王の息子であり、父と遜色ない能力を持っていた筈の僕でも、忠実な側近と思っていた者たちに不意打ちされては、ひとたまりもなかった。
身を挺して僕を庇った部下もろとも、魔法による攻撃の凄まじい熱と光に
気付いた時、僕は暖かなものに包まれ、誰かの腕に抱かれていた。
事態を理解するのに時間がかかったが、僕の魂は人間の赤ん坊の中に入っていたのだ。
いわゆる「転生」というやつである。
そういう事例は魔界でも耳にしたことはあるものの、自分が死ぬとは思っていなかった為に興味は無かった。
それにしても、ほぼ無限の寿命と強大な力を持つ魔界の王族から、脆弱で虫けらの如く短い生命しか持たぬ人間に転生して何の得があるというのか。
溜息をついていると、人間としての僕を生んだ者、つまり「母親」が頬ずりしてきた。
「春臣ちゃん、どうちたのかな~?ミルクも飲んで、オムツも替えたのに、ご機嫌斜めでちゅね~?」
「母親」に抱かれる柔らかな感触と優しい温もり、そして心地良い匂いに、僕は初めて味わう不思議な安心感を覚えた。
人間の母親というものが、これほど献身的に我が子の世話をすることも初めて知った。
魔界では力無き者は食われ、強い者しか生き残れない。
だが、人間の世界というものは、何と生ぬるい……いや優しく暖かなものなのか。
自我が目覚めた時は人間ごときに転生かと落胆したが、しばらく「母親」に面倒を見られているうちに、僕は「まぁいいか」という気分になってきた。
周囲の者たちの話や、テレビなどから、僕は自分が生まれたのが「地球」という惑星にある「日本」という国で、その中でも、まあまあ裕福な家庭だという情報を得た。
「父親」は誰もが名前を聞いたことのあるような企業に勤める、いわゆるエリートと言われる者らしい。「母親」は子育てに専念したいと専業主婦をしている。これは、今時は結構な贅沢だと、両親の知人が話しているのを聞いた。
「地球」の中でも、生まれる国や家庭が違えば、僕の辿る運命は全く異なっていた筈だ。
ここ「日本」は問題が全く無いとは言えないものの、概ね平和で、少なくとも魔界のように殺伐としていない。
たった数十年ほどの人生だが、僕は与えられた環境を最大限に生かして、のんびりと過ごすことにした。
そして、僕は平和な人生を十数年生きてきた。
転生した際に手に入れた肉体は、僕の魂と相性が良いらしく、自分本来の力を行使できるのが分かった。
しかし、前世で僕が魔王として生きていた世界と、今いる世界とでは決定的な違いがある。
かつて僕がいた世界において「魔法」や「特殊能力」というのは、大気中に漂う「魔素」と呼ばれるエネルギーの元を、呪文の詠唱といった「手続き」を経て、熱や冷気などの様々な形に変換するというものだった。
いちいち呪文の詠唱などという「手続き」を踏まなければならないのは、魔力の弱い人間くらいで、僕のような力を持つ者であれば、心に思い浮かべただけで、あらゆる事象を引き起こすことが可能だ。
ところが、今いる世界は「魔素」が非常に希薄な状態にある。
つまり、僕であっても、魔界にいた頃のように力を振るうのは困難なのだ。
もっとも、この日本で平穏無事な一生を送るだけなら、魔法など使う必要もないし、今の僕にとってはどうでもよかった。
人間として平穏に生きる為、僕は、それなりに気を遣っていた。
力を持たない分、人間は集団で生活し互いに助け合うことで生物としての弱点を補っている。
それには、円滑なコミュニケーションを行うスキルが必要だ。
僕は周囲の者たちや、テレビやネットなどを通して学習し、人間関係をソツなくこなす程度のコミュニケーションスキルを獲得した。
魔王の息子として生きていた頃には、いちいち他人の気持ちを推し量るなど思いもよらなかったことだが、目の前の人間をどうやって動かしてやるかを戦略として考えるなら、それなりの楽しさもある。
その甲斐あって、十年ほど生きた頃、僕は周囲の者たちから「穏やかな常識人」「優等生」といった評価を受けるようになっていた。
また、その間に「妹」の寧々が生まれた。
寧々は、同じ年頃の少女たちと並べても飛びぬけて目立つ可愛さであるだけでなく、優しく気立ての良い、血縁でなければ僕が娶りたいと思うくらいの出来た妹だ。
もちろん、この国の、この時代では許されないことだし、僕にも、そんなつもりは更々ない。
だが、純真な妹がロクでもない男に引っかからないよう守ってやらねばとは思っている。
優しい両親と可愛い妹に囲まれて過ごす生活は快適なもので、人間の一生も悪くないと言える。
少なくとも、僕にとって今の「家族」は大切な存在だ。
出かける仕度を終えた僕たち一家は、家を出て学校へ向かった。
校門をくぐり、寧々の入学式に出席する家族たちと別れた僕は、高等部の校舎にある教室に入った。
クラス替えはあっても、学年まるごと中等部からの持ち上がりの為、僅かだが高等部からの編入生がいるのを除けば、同級生は全員顔見知りと言って差し支えない。
教室の自分の席に着き、ホームルームが始まるまでの間、僕はスマートフォンで新作ゲームの情報をチェックしていた。
僕はアニメやゲーム、漫画などの、魔界には存在しなかった文化に魅了され、世間でいう「オタク」となっている。
魔法といった便利なものが存在しない世界で、このような娯楽を手間暇かけて作ってくれる者たちがいるのは、ありがたいものだと思う。
もちろん、僕は、それを表に出すことはせず、こっそりと楽しんでいる。
一応、安定した将来の為にも「真面目な優等生」というイメージを崩さないよう気を配っているのだ。
「天方くん……ですよね」
突然、頭上から降ってきた声に、僕は慌ててスマホの画面をスワイプした。
話しかけてきたのは、見慣れない顏の男子生徒……つまり、高等部からの編入生だ。
――たしか、昨日の自己紹介で「
難度が高いと言われる高等部への編入試験を突破してきたのだから、彼も、それなりに優秀なのだろう。
「月待くん……だっけ?」
「覚えていてくれたんですね。高等部からの編入だけど、これからよろしくお願いします。女子たちが、天方くんは結構な有名人って言ってたから、どんな人かと思って」
そう言って、男子生徒――亮哉は人懐こそうな微笑みを浮かべた。
やや童顔で、同級生の女子たちには「可愛い」とキャーキャー言われそうな……妹の寧々が好きな、何とかいうアイドルグループのメンバーに、こんな感じの奴がいた気がする。
「こちらこそ、よろしく」
僕も、研究の末に編み出した、好感度の上がる笑顔で答えた。
――それにしても。
目の前に立つ亮哉に、僕は奇妙な
以前、どこかで会ったのかとも考えたが、前世はもちろん現世でも覚えがない。
とはいえ、
「天方くんは、成績もトップクラスですが、スポーツも得意だそうですね。運動部系の部活に参加する予定はありますか?」
「いや、空いている時間は勉強したいから、部活動への参加は考えていないんだ」
亮哉に問われ、僕は言った。
まぁ、勉強したいというのは嘘だったが。
僕にとって、学業は授業を受けるだけで十分であり、空いている時間はゲームをしたり録画したアニメを消化したりと、好きなことに使いたいのだ。
当たり障りのない話をしているうち、教室に担任教師が来て、ホームルームが始まった。
その日の授業が全て終了し、帰り仕度を始めた僕に、亮哉が再び話しかけてきた。
「話したいことがあるんですが、少し付き合ってもらえますか」
亮哉の、朝に声をかけてきた時とは異なる、どこか思いつめた様子に、僕は何かただならぬものを感じた。
やはり、こいつは僕と何か因縁があるのだろうか?
僕自身、現世では他人に恨まれるようなことをした覚えはない。しかし、知らないうちに何かやらかしていたのだろうか。
あるいは、まさかとは思うが、いわゆるボーイズラブ的な展開だったりするのだろうか。フィクションの世界では割とメジャーなジャンルかもしれないが、僕自身に、そういうシュミはない。
いずれにせよ、普通の人間相手であれば、どんな状況になったところで言いくるめる自信はある。
「ああ、構わないよ。ただ、今日は早めに帰るよう母に言われているから、手短に頼む」
僕は、そう答えると、亮哉の後についていった。
やがて校舎の裏まで来ると、亮哉は僕の方へと向き直った。
ここは、学校の敷地と外部を分断する高い塀と、校舎の壁に囲まれていて、目的が何であれ人目を避けるにはうってつけの場所だ。告白だろうと決闘だろうと。
「それで、話って?」
僕は、脳内で様々な状況をシミュレーションしながら、亮哉に問いかけた。
と、亮哉が突然、うやうやしく
「お久しぶりでございます、陛下」
想定外の事態に、僕の思考は二秒ほど停止した。
「な、何を言っているんだ?」
僕は、咄嗟に、とぼけてみせた。
僕を「陛下」などと呼ぶのは、僕が魔王の生まれ変わりと知っている者としか考えられない。
「このような姿では、判別できなくても無理はありませんね……吾輩は、かつて陛下の部下だったヴァルラムでございます。いえ、それは今でも変わりません」
ヴァルラム……僕が前世で暗殺された際、ただ一人僕を庇おうとして共に魔法で
その名を知っているということは、亮哉がヴァルラムの転生した姿である証左と言える。
僕が亮哉に感じた既視感(デジャヴ)も、気の所為ではなかったらしい。
「陛下のことは、その隠しきれないオーラで、一目見た時に分かりました。その日から、吾輩は、この学校に入る為に様々な努力をして参りました。まさか、同じ世界の同じ時代に転生されていたとは、運命ですね!」
ここでどうするべきなのか、僕は迷っていた。
裏切者たちから僕を守ろうとしてくれた忠実な部下に再会できたのは、正直嬉しい。
だが、僕は、この世界では普通の人間として平穏に生きていくつもりなのだ。
思い違いとか、夢でも見たのだろうということにして、有耶無耶にできないか……必死に、この状況をどうするか考えていると、亮哉が言った。
「陛下のお力を以てすれば、この世界を征服するなど容易いものでしょう。さ、何なりと、ご命令を」
「はぁ?!」
思わず声を上げた僕を、亮哉は不思議そうに見上げた。
「魔王といえば、世界を統べるのが相場でしょう。もしかして、未だ記憶や力が覚醒されていないのですか?」
「あの、さっきから君は一方的に話してるけど、僕は一言も肯定するようなことは言っていない筈だよ。魔王とか転生とか、小説でもあるまいし、夢でも見たんじゃないかな?」
話が、どんどん面倒な方向に走り出しそうな気配を感じた僕は、何とか亮哉の勘違いであることにしようとした。
不意に、亮哉の顔から表情が消えた。彼は、素早く立ち上がると、数歩後ずさった。
「やはり、記憶や能力が覚醒されていないのですね」
言って、亮哉は右手を頭上に掲げた。その手に、大気中の「魔素」が急速に集まる気配を、僕は感じた。
亮哉の右手に小さな火球が出現したかと思うと、それは見る見るうちに、三メートルほどの大きさに膨れ上がる。
「魔素」の薄い世界で、これほどの火球を練ることができるのを見れば、やはり亮哉はヴァルラムの生まれ変わりなのだと、僕も認めざるを得なかった。
「少し荒療治ですが、ご容赦いただきたい。陛下なら、この程度の火球を防ぐなど造作もない筈」
そういえば、ヴァルラムは忠実な奴だったが、かなりの頑固者でもあったな――前世でのことを思う僕に向かって、亮哉が、その手にあった火球を
唸りを上げながら迫りくる火球に向かい、僕は右手をかざして不可視の障壁を展開した。
障壁に激突した火球が、瞬時に勢いを失って消滅する。
「流石は我が陛下、思った通りですね」
亮哉は、嬉しそうな顔で何度も頷いている。
「危ないなぁ!火事になったらどうするんだ。それに、僕は世界征服なんかするつもりは無いぞ」
僕が言うと、亮哉は、見るも哀れな程に愕然とした表情を見せた。
「な、なぜです」
「考えてもみてくれ。仮に、世界征服したら、地球上の全ての人間の面倒を見るしかないんだぞ。法整備や政治経済の管理、貨幣の制定、それに人間は簡単に死ぬから医療も充実させなければならないし、やることが多過ぎる。ゲームしたりアニメを見る暇さえなくなるなんて、冗談じゃない」
「しかし、それでは……我々の存在は……」
納得いかないという様子で、亮哉は口の中で何か呟いている。
これまで持っていた価値観を覆されるのが大変なことであるのは、僕も分かっていた。
「今の僕たちは、ただの人間だ。それに、ここは魔界じゃない。待てば明日がやってくる、優しい世界なんだ。せっかく平和な世界に生まれたんだから、君だって、もっと他の楽しみを見つけてもいいんだよ」
「…………他の、楽しみ……ですか」
「裏切者たちから僕を守ろうとしてくれた君には感謝している。大切な部下だからこそ、今度は君にも楽しい人生を過ごして欲しいんだ」
亮哉は、小さく溜息をついた。
「それが陛下の望まれることであるなら、吾輩も、そうしたく思います」
「その『陛下』というのもやめようか。今の僕たちはクラスメートなんだから、名前で呼んでほしい。僕もそうする」
「……御意にございます」
「だから、そういうのもナシで」
思わず笑ってしまった僕に釣られたのか、亮哉も微笑んだ。
どうやら、面倒な事態は回避できたようだと、僕は安堵した。
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