第10話・死闘







「⋯⋯⋯!!⋯⋯⋯!!」





地獄だった。





軽い運動のつもりで足を運んだこの場所は、リーゼノール周辺の森の中に点在する、視界の開けた広い草原だ。


普段は様々な魔物の休息の場となっていて、季節に関係なく穏やかな風が吹いている。














⋯⋯⋯普段は。



「オラァ!!さっさと出て来いやクソがァッ!!」



苛ついた様子で男が叫ぶ。





無惨に地面に伏す無数の魔物の死体。



大声を上げた男は紫色の宝石の様な素材でできた鎧で全身を包み、片手で大人1人分はあろうかと言う程の巨大な剣を振り回している。




鼻にかかる風は血と肉、そして木々の焼け焦げた匂いが混じり合った異臭を含んでいて、嗅覚の鋭い俺には相当効いた。



俺は片手で鼻を覆いながら、遠くの叢に隠れこれらの元凶である奴らを睨んでいた。




「この森に居るんだろォ!?何で出てこないンだよ!!」


「あー!!うぜえー!!いっその事この森全部焼き払っちまうかぁ?」




紫色の鎧に身を包んだ奴ともう1人、森全部焼き払うとか頭おかしい事言っている奴。こいつも負けないくらいゴツイ装備を纏っているな⋯⋯。



白の道着のような服に、紅いマント⋯いや、羽織か。

一見、機動性はゼロ。防御性も薄い様に感じる⋯⋯。が、多分、強力な魔物の素材で出来ているんだろう。


ヤバそうなオーラを醸し出している。




⋯⋯考えてみれば、この世界にきて人間を見るのは初めてかもしれない。

出来れば意思疎通ができて、平和的に関われたらなとは思っていたが⋯⋯




「クソがァァァッ!!!」



和服装備の男が森中に響くような雄叫びを上げる。

その直後、片手を前方に向け掌から巨大な火柱を噴射する。正確には掌の前にできた赤い紋様から。



(⋯⋯あれがマホウジンってやつか?幼女からの情報であったがこういった形でお目にかかるとは⋯。)





辺り構わず炎で焼き払う様に魔法をぶちまける姿は、とても和やかに話し合いが出来る相手とは思えない。



⋯話し合って仲良く⋯⋯は、出来なさそうだな。

というか⋯アイツら俺より強そうじゃね?あんなネトゲ重課金者の装備みたいな格好してる奴⋯⋯





「⋯⋯⋯あん?」



「⋯⋯⋯⋯!!」





こっちを見ている?

⋯⋯いや偶然だろう。距離は100m程は離れているし、俺は叢に隠れている。

まず人間の視力では目視は無理だろう。


視力を含めた五感が優れている俺はこの距離でも相手の細部まで認識できているが。



「おい、お前。あの茂みを焼き払え。」


「フンッ、俺に命令するな。」



紫装備に言われた男は不服そうに物を言いながら、同じくこちらを向き、何か動作をしだした。



掌を上へ突き上げ、何か唱え始める和装備の方の男。


直後、掌の上に赤い魔法陣が形成され始める。それも1つでは無く複数枚の魔法陣が天に向けて連なる形で。






何か不味そうな雰囲気なので、俺はゆっくり後退する。


魔法を出そうとしてる男の周囲がドラゴンボ〇ルよろしく赤く発光し、足元から炎の様な魔力の塊を噴き出す。




「☾炎槍フランメ・ランツェ☽⋯⋯!!」








世界が、爆せた。




ここから先、俺が覚えていたのは爆風で身体が浮き上がった事。そして、意識を失うまでに見た光景全てがスローに見えたことだけだった。





















「⋯⋯⋯ッ!?」




意識が戻った瞬間、反射的に身体を起こす。

その直後、身体が崩れて頭を地面に打ち付ける。見ると、両前脚は使い物になるか怪しいレベルまで酷く損傷していた。



前脚だけでは無い。

はっきりと確認は出来ないが、背中には大きな切り傷。そして右後脚がイカれている感覚があった。




⋯⋯いや、感覚があった訳では無い。

正確には『感覚が無いという感覚があった』といった感じだ。



幸いだったのは大量にアドレナリンが分泌された事による痛みの軽減。この1点だった。




「⋯⋯☾ハイルング治療回復☽」




徐々に傷が塞がってゆく。

背中の傷と後脚は時間が掛かりそうだが、修復不能という訳では無さそうだな。


つくづく、魔法というものは便利だ。





喧しい耳鳴りを堪えながら、唯一動く頭を上げ正面を確認する。




「お、スゲー。あれ食らってまだ生きてんだな。」



ゾッとする、この感覚を初めて覚えた。

先程までかなりの距離離れていた筈の2人組の内、俺にダメージを負わせた和服装備の男が上から覗き込むようにこちらを見ていた。


発言からして、意図的に俺に攻撃した事が伺える。



「⋯⋯あん?」



男は塞がってゆく傷を見て眉をひそめた。

何やらブツブツ言っている様子だったが俺は別の事で頭が埋まっていた。




(今の一瞬でどうやってあの距離を縮めた!?⋯確かに気を失ってはいたが⋯⋯)




「⋯まぁいいか、魔法が使える魔物も珍しくはねェ。」




男は身体の傷が塞がってゆくのを不思議に思ったのだろう。

今の発言はこの状況に納得し、次の行動に出る合図だと俺は判断、男が何かしらの動きをみせる前に、俺はバックステップで距離を取った。




──ズザザッ!!




右後脚が血飛沫を上げながら地面に着地。

グラついた身体を支える為に前脚を無理矢理動かし、体勢を保とうと動く。


無意識に下がる頭、それに伴う視界の下方への移動。




その瞬間、紅白の袴と草履が視界に入った。

理解が及ぶより圧倒的に早く、それが俺の顔面目掛けて迫る。刹那、鈍い痛みが鼻先を貫いた。




「ガハッ⋯!!」



吐血、鼻血、頭部からの出血。

顔中血まみれだった。俺はますます動揺した。



確かに後方へと飛び跳ねて距離を取った筈。

バックステップの最中は追撃を警戒して瞬き一つせずに奴を見ていた。


間違いなく体勢が崩れてから視界から見えなくなるまでは男は微動だにしていなかった。



しかし、俺が見たのは紛れも無くあの男の脚防具部分。




(アイツの運動能力は俺の動体視力を遥かに上回っている⋯!)



魔法陣の発現はなく、呪文を唱えている様子も無かった。

俺の眼で捉え切れない程の速度で肉薄、攻撃したとしか今の状況からして考えられない。


最も、魔法だの特殊能力だとしたら絶望的なシチュエーションとしてこの上無しだ。


魔法に関して無知な俺では到底太刀打ち出来ないし、特殊能力みたいな物だったとしたら、それこそチート級だ。



だが、もし身体能力なら⋯!!



「☾クラフト・へーベン能力上昇☽!!」



足元が白く発光し、薄く魔法陣が形成される。

これは幼女からの手紙で学習した魔法だ。修行再開の後、幼女の手紙から学習したものだ。


あの手紙、定期的に内容が更新している様で、魔法を含めたあらゆる情報が俺に提供されてる。


最も、実際に内容が変化する様子は見たことはないが⋯


この状況、与えられた物はなんでも最大限利用してやるさ。





この魔法の内容としては自分の中の魔力と引き換えに身体能力を向上させる、というもの。


これで、少しはあいつの動きに着いていけるだろう。

この魔法の持続時間はおよそ10分間、その間に撤退を試みる。






男は多少驚いた様な表情を見せたが、直ぐに気色の悪い笑みを浮かべて此方を睨んだ。




「ククッ⋯成程、少しお利口さんな魔物の様だな。」




⋯恐らく、このまま逃げようとしても不可能。

ある程度消耗させてから⋯⋯




と、

ここまで考えてから 俺はある異変に気が付いた。


紫装備の男が見当たらないのだ。先程まで和服装備の後ろに居たはずの男が。




(一体、何処へ行った⋯⋯このタイミングで消えた理由は何だ⋯?)




⋯⋯いや、今は目の前のコイツに集中しよう。

もう片方の男の実力がどうであれ、居ないなら都合が良い。1体1ならまだマシな戦闘になるだろう。


そもそも考え事をしながら相手が出来る程、ぬるくは無さそうだ。







⋯⋯目的は勝利では無い。撤退が最優先。



自分に言い聞かせながら、俺はゆっくりと構えた。

ある程度回復し、動かせるようになった片脚を地面に着いて片脚の鉤爪を立て、低い声で唸る。


多分、相手からしたら威嚇にすらなっていないんだろうが。




だが、好都合な事に男も軽い構えを取った。

奴からしたらコレが遊びでもいい、速攻で殺りに来られるよりは。



(クククッ!!さっきのが自分の能力を向上させる系統の魔法だということはわかっている。)




男は最初からこの魔物を殺すつもりは無かった。

今回のクエストの詳細には『危害を加えて来て、やむを得ない場合は討伐を許可する』と記載してあった。


本来このクエストは魔物の生態観察が目的で、戦闘が目的では無い。


ただ、男はこの銀灰竜を討伐した事にして自らのペットとするのを目的としてクエストを受注した。



名のある魔物の討伐はギルドランクアップに直結する。

ランクが上がれば名家の一員としての名声が得られ、尚且つ裏では魔物を道具として飼える。


一石二鳥という訳である。




(魔法は使えるが、頭は使えねぇ様だな⋯⋯10に1を足そうが大差無いんだよ馬鹿が!!)



男の頭の中は既に勝利という高貴な考えでは無く、遠くないであろう未来の妄想で埋まっていた。




ジリジリと距離を詰める銀灰竜。

不敵な笑みを浮かべる男。



(ちぇ、少し前に生存本能がナントカ〜って考えてたのが恥ずかしくなってくるぜ全く。)



地面を踏みしめ、飛び掛る準備をする。


相手の構えは変わらず。

だが、その様からは想像出来ないほどの圧が放たれ、それが全身を突き刺す様な感覚に、俺は襲われていた。



隙だらけに見えるが脳内シュミレーションでどうしても一撃与えられるビジョンが湧かない。






⋯⋯いや、やめよう。考えるのは。


今はこの瞬間の事だけを考え、生きる為に抗おう⋯





誇りとか、威厳とかはどうでもいい。

命賭した抗い。




暫くの静寂、世界の音が全て消え去ったと錯覚する程の静けさ。



木の葉が落ち、空を舞い、地に触れたその瞬間。

人間と竜、向かい合う2人の足元が爆せた。





戦いが、始まった──⋯







NOW LOADING⋯





「⋯ハァ」


湖畔にため息、一つ。


俺は例の馬鹿コンビと二手に別れて行動していた。

理由はもちろん、世話が面倒臭いから。


魔法の扱いに関して釘を刺したし、まぁ大丈夫だろう。



大丈夫じゃなかった場合は⋯もう知らん。

俺の知ったことじゃない。追求されても無視しよう。



問題は2人の親だな、しつこく責任追及してくるだろう。

返答を間違えたら⋯⋯いや、間違えなくても『俺がついている上やらかした』という事実がある限り、刺客を送ってくるかもしれん。


やらかした現場にいる。

ギルドは金で黙らせておくとして、俺に関しては、息子の失態の目撃者という事で、刺客登場の確率は高いな。


あ〜今からでも戻っておくか⋯?




「⋯⋯フッ!」



──ピシャッ!!⋯⋯ッ!⋯⋯ッ!⋯⋯⋯⋯ッ!





よし、この水切りで偶数回跳ねたら現状維持、奇数回だったら戻ろう。

出来れば戻りたくは無いが。ぶっちゃけ刺客の返り討ちは楽だしな。




⋯⋯さて。

勢いがかなり落ちてきたな。あの様子だとあと⋯⋯10回程いくかどうかか?



56⋯⋯





57⋯⋯






58⋯⋯







59⋯⋯








60⋯!!



さぁどうなる⋯!?



「61⋯⋯62⋯⋯⋯6s」

──ッ⋯⋯ドォオオォオォォァアンンッッ!!



石の勢いが完全に消滅した様に見えたその時、背後から巨大な爆発音、やや遅れて熱風が吹き荒れた。


⋯まぁ、アイツだろう。



⋯うむ、それは、わかる。



一旦落ち着こう、俺。

そう自分に念を押して、ゆっくりと振り返る。



「⋯⋯⋯⋯⋯。」



立ち上がる黒煙、鼻を刺す焦げた匂い、突然の爆発に慌てて逃げる魔物たちの気配。



アイツら⋯マジ殺っちまおうかな。

なんかもう⋯色々どうでも良くなった気がする。


え?俺さっき注意したよな?しなかったけ?


それとも何か、記憶力が皆無なのか?アイツら。




湧き出てくる怒りを抑え、それはもう深い溜め息。

とりあえず、向かおう。⋯⋯とりあえず。


これ以上何かされては、本気で斬ってしまいそうなので、なるべく楽しい事を考えながら。



「楽しい事、楽しい事⋯⋯」



⋯そうだ、銀灰竜だ。

今日の目的はそもそもアイツじゃねえか。あんなアホ2人組なんかどうでもいいんだよ。


よ〜し、銀灰竜〜待ってろ〜?今俺が行く⋯⋯ぞ⋯?



ピタリ。

1歩、歩み始めようとしていた足が止まる。急いでいる筈だが、それを一瞬忘れる程の事が起こった。



俺は魔法の扱いはそこそこ出来る、と自負している。

魔力の感知は常にしているが、それで確認するまでもなく魔法の種類はある程度分かる。


さっきのアレは上位の炎系魔法だな⋯恐らく炎槍。

爆発の仕方と範囲で判断したが、合っているだろう。



問題はその後、微弱だが感知した魔力。

これは⋯自己能力を操作する魔法、クラフト系統の類いだ。

魔力量だけはあるアイツらが態々これを使うとは思えない。


まさか、使ったのは⋯




左目を瞑り、右目に魔力を集中させる。

コレに名前はない。なんせ俺が編み出したものだからな。


魔力の波動を目から飛ばす。

波動は『何か』に衝突。跳ね返った波動は俺の目に集約し、魔力で可視化、『何か』の形を割り出す。


可視化した地形や生物の情報を魔力で掌の上に発現させれば、模型を見るように周囲を上から見れる。地図無しでも迷わず、索敵も可能って代物だ。


流石に色までの再現は無理だったが、状況を探る、という目的なら十分すぎる性能だな。



これを使い、先程の魔力の根源を探る。

掌に映し出させるのは地形の一部のみ、一度に全体を見ようとすると、維持に多くの魔力を消費してしまうからだ。


見たい所がある方向に指を置き、そこから引く様に滑らせれば、今見ている場所から移動する。


我ながら中々便利な魔法だ、と思う。




「ふむ、開けたな。これは⋯草原か?」




再び早足で歩き始めながら、映し出されたものを確認する。

指を動かし、魔力を感知した方へと移動していく。




そして、『ソレ』は現れた。

魔力の模型を拡大し、確認する。

以前、資料で見た姿。


やや骨格がハッキリしているだろうか、身体全体を見ても前より気持ち大きくなっている。


何より角が前より伸びている。

間違いなく成長していた。



ぼんやりとしか映し出されないが、どうやら出血をしているらしい。それもかなり広範囲の出血だ。


しかし、構えている。

重心を落とし、迎え撃とうとしている。



力では人間側の方が明らかに強いのにも関わらず。





この仔竜は格上を相手に戦う意志をみせている!




やはり、見立ては間違っていなかった。

コイツは特別だ。


恐らく、今のオレは笑みを浮かべているだろう。

自分ではわからんが、笑っている。





⋯さて、横取りされてはいかんな。

急ぐか。あれが銀灰竜なのは間違いない。さっきの炎槍はコイツに向けて放ったものだろう。


アイツら⋯俺が行った時に銀灰竜が死んでたら殺す。




掌の銀灰竜を握り潰すようにして魔力を閉じる。

直後、地面が爆発し、彼の姿が消える。


爆進、この言葉が似合うであろう走り姿。

瞳には眩いまでの光を灯していた。



彼が走り去ったその背後には巨大な壁が完成していた。



そう、実に小山1つを飲み込まんとする程の巨大な水の壁が──⋯






NOW LOADING⋯






──ズドンッ!!



これは『適切な音』ではなかった。

そう、人間が殴らた時に発せられる音では、決して。



「グォァ─ッ!!」



雄叫びと共に吹き飛んだのは和服装備の男。

勢いそのまま林に突っ込む。


この時、リーゼ・ノール方面で発生していた巨大な水壁には銀灰竜は気がついていなかった。


満身創痍、文字どおりの極限状態だった。

身体の感覚が消えかけ、痛みより激しい倦怠感の方が彼を襲っていた。



「おー、今のはすげぇ一撃だったなぁ?」


「〜〜ッ!!」



ギリギリと音を立てて歯軋りをした。

先程の打撃は見事に相手の腹に直撃し、手応えも最高だった。


しかし、立っている。

ダメージは無く、軽口を叩く余裕まで見せられている。


苛立ち⋯は、最初からあった。

今、銀灰竜を突き動かしている物は心の中の高揚感だった。


今まで、全力で人を殴った事はなかった。

それは前世でも。


こちらに来て、シャルフ・ガムナマールとの一戦の時ですら本気では無かった。余裕があった。



心の何処かでは満たされていなかったのかも知れない。



しかし、今、こうして全力をぶつけても壊れない相手を前にしている。


竜は楽しんでいた。

牙を剥き出しにし、その様子はおおよそ中身が人間といえる生物ではなかった。



再び構えを取る銀灰竜。

次に仕掛けたのは人間側だった。



即攻。

瞬間移動でもしたのかと思うレベルの速度で肉薄。その勢いを拳に乗せ、真っ正面からのボディーブロー。

満身創痍の竜が避けれる筈もなく、鈍い音と共に上空へと吹き飛ぶ。


激しい吐血、そして歯軋り。


苛立ちからの歯軋りでは無い。

悔しさからのものである。


あと少し、あと少しなのだ。



あと少しで⋯⋯





(捉えラれル!!!)



跳躍、追撃、先程と同等レベルの速度での接近!!


距離約2m!!ここだ!!ここしかない!!




全細胞が彼に訴えた。

そして、腕。正確には腕としての原型を留めていない筋肉に全力を込める。


相手の狙いは顔面。

繰り出されたパンチを躱わす。僅かに掠った頬に切り傷が生まれ、出血。


しかし、止まらない。

合わせるように銀灰竜が繰り出した打撃。




相手の速度を最大限活かしたクロスカウンター。

一瞬、その速度に拳が押されたが『ガァッ』と竜が吼えたかと思えば、次の瞬間には和服装備の男は地面に叩きつけられ、彼を爆心地として巨大なクレーターが形成されていた。



数秒後、こちらも着地。

使用した腕を見れば、言葉で表現できる『グロい』を超えた状態になっていた。


骨は見えてるわ、血は流れてるわ、筋肉も皮膚が焼けて剥き出しになってるわ⋯とにかく酷い有様だった。



和服装備の男は動かない。

傍から見れば逃げるのは今だろう、と思うだろうがそれは出来ない。何故なら、結界が張られているから。


先程、見当たらなかった紫装備の男。

彼を発見したのは戦闘開始の直後だった。


出だしで遅れを取り、姿を見失った刹那の間に脳天を撃ち抜かれたような、強烈なアッパーを食らった。


その際、頭はもちろん上方向に向く。その時、目に入ったのがあの紫装備の男だった。


自身の足元に結界を張り、あたかも空中で浮いている様に見えた。ここまでは、まだ『逃げよう』と考えていた銀灰竜だったが、それは叶わぬ事となった。


この草原一体に結界が張られている。

その事に気がついたのだ。



しかし、銀灰竜は大して動じはしなかった。

途中から変わっていたのだ、自分の中の心が



『逃げたい』から




『負けたくない』に




そして『勝ちたい』、と。





銀灰竜は構えを取った。

和服装備の男は立ち上がり、こちらを睨んだ。


鼻血を出している。

効いたのだ。格上かに思えた相手に自身の攻撃が。



今の銀灰竜にとって、その事実一つで十分だった。




(あいつは人間だ。傷を負い、血を流し、死ぬ。)



相手は化け物なんかじゃない。

勝てる相手だ。攻撃し続ければ。


⋯⋯しかし、参ったな。

この身体⋯もう動かないぞ⋯



是非回復したいが、それを許す相手じゃない事は分かってる。

今の俺は、アイツにとって『遊び相手』から『傷を付けられた相手』として殺意の対象となっている。



「⋯⋯⋯。」



⋯フッ、やばいな。

この状況に恐怖すらしてない。いよいよ俺も魔物の一員か?


いや、それは元からだな。ハハッ。




──ザリィッ⋯




男は地面を強く踏みしめた。

抉れた大地の上からこちらを見下すように覗く竜を睨む。

銀灰竜の思った通り、男の中の感情は殺意へと更新されていた。




「ぶち殺す⋯」



一言呟き、踏み込む。

竜は止めどなく出血する身体で構えを取っている。


最後の攻防が始まる。







飛び出したのは人間!!



肉薄、そして今度は蹴りを顔面目掛けて放つ。


しかし、それは首を傾げるだけの動作で躱される。


これは計算の内。本命は蹴りを放った脚ではなく、後からくる脚の⋯



「オラァッッ!!」



膝蹴り。

わざと速度を落として蹴りを放ち、『避けさせた』。

避ける瞬間、意識は攻撃してくる脚に集中する。蹴りを放った方の脚に隠れ、ギリギリまで認識出来なかった場所、そして意識外からの攻撃。




直撃





した瞬間の刹那、竜が動く。

鼻先に膝が触れる。その瞬間に身体を浮かせ、後へと跳ねる。


その結果、膝蹴りによって生まれた力は、竜の身体をその場で一回転させただけだった。


正面から来た力に対して、抵抗しようとするのでは無く『受ける』。膝蹴りの速度と、ほぼ同じ速度で体を反らせたのだ。



結果、威力は激減。直撃以外の衝撃は殆ど消滅した。


男は勢いを止められず結界に顔面から激突。

先程より鼻血が激しくなったのに加え、額からは一筋血が垂れていた。







『タキサイキア現象』







そう、呼ばれる現象が存在する。

生命の危機など、緊急事態において稀に発現する、見ている事象が止まって見える程、スローになるものである。


迫る危機に対して、私たちの脳が普段、無意識にかけている『枷』を一時的に解除し、処理能力を急激に上昇させ、危機に対応させる。



既にボロボロの身体。

『この膝蹴りは不味い』と彼の脳は判断したのだ。そして身体を動かせる範囲で、最も損傷を少なくする為に敢えて受けた。



そしてたった今、銀灰竜はそれをこの土壇場でやってのけたのである。


スローに見えるのはごく一瞬。

普通の人間なら、驚いている内に現象が解けて被弾。


そもそも『スローに見える』だけであって、その間身体を高速で動かせる訳では無い。頭で反応ができても、身体が追い付かないのだ。


ただ、これは普通の人間での場合の話。



彼はその刹那の停止時間に反応から判断を行い、そして動作まで繋げ、そして無事に危機を回避した。


これは彼という人間の本来のセンスだ。


突発的な出来事に動じない人間の精神と、あらゆる事象に即座に判断できる反射神経、そしてそれについていける魔物の肉体。



もう一度言おう、彼はこの土壇場でやってのけたのだ。


彼の『我儘』がこの瞬間、活きたのだ。






先手を取ったのは銀灰竜!!





竜は全身の力抜けていくのを感じていた。

それでも尚、振り返り、構えを取る。


対する男は立ってはいるが自分で食らったダメージでフラついていた。 当然だろう。壁に向かって全力で走って頭からぶつかった様なものなのだから。



作戦ではない。

銀灰竜は『回避した』だけ。その後に男が勝手に激突して、勝手にダメージを負った。


これは偶然か、それとも銀灰竜の幸運、もしくは男の悪運か。



文字通り、良くも悪くもこれが銀灰竜に取って最後にして最大のチャンスだった。



今一度、お互いに睨み合い。

地面を踏み込む。










──静寂。





それはあまりにも長い静寂だった。



そして、


その時は遂に訪ずれた。






────⋯⋯ッ「そこまでだ」

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