第16話 アズリアの思い
結局、そこまで話した段階でアズリアが戻ってきたので、続きはまた持ち越しとなった。
まぁ、俺の変化の正体について、イスカ姉様が納得した時点で、もう話の殆どは終わっている。
俺の、アルマ・クレセンドが抱え込んできた渇望。
それを真っ正面から受けたイスカには、その先に続く俺の望みも殆ど伝わっているだろう。
それは姉弟の絆と言うべきか、それとも似たもの同士故通ずるものがあるのか。
「坊ちゃま、イスカ様とはどのようなお話をされたんですか」
「ん……まあ、色々と。姉様の仕事の話とかかな」
アズリアからの質問に、そう当たり障り無く返す。
イスカ姉様はアズリアと交代で部屋から出て行った。用事を済ますと言っていたが、アズリアに気を遣ったというのもあるだろう。
しかし、イスカ姉様との一件、アズリアに対してはどう振る舞うべきか……俺は答えを出せずにいた。
アズリアには普段からたくさん迷惑をかけている。
彼女が俺の専属になってから、面倒な俺の対応を殆ど一人で担ってきてくれた。その恩も、負い目もある。
これ以上余計な心労を掛けたくはない。
アズリアにはアズリアの人生があるんだ。いくら使用人だからといって、それを忘れちゃいけない。
前世について、イスカ姉様は知識がある分勝手に言いふらしたりはしないだろうし、アズリアにも暫くは黙っておくか、もしくはこのまま墓まで持っていくかの方がいいかもしれない。
「坊ちゃま?」
「ん?」
「ずっとこちらを見つめられていたので、何かあったかと……」
「えっ! あ、あぁ~……ごめん。別に深い意味は無くて」
「坊ちゃまが気になるのなら、浅い理由でもお聞かせいただきたいのですが」
「えっ! ええと……」
なんだか今日は凄くグイグイ来る……いや、いつもだろうか。
何にせよ、本当に考えていたことをそのまま口にできる筈も無い。
とはいえ、「意味無くアズリアに見とれていた」みたいな歯の浮くような台詞も明らかに背伸びしている感じがして変だし……俺はただまごついて、口を閉ざすしかなかった。
「坊ちゃま」
「う……ごめ――」
「坊ちゃまは、今の暮らしに満足されていますか?」
「……え?」
更に追求が飛んでくると思って、
しかし彼女は、そんな俺の思惑に反し、俺が避けたかった話題に自ら踏み込んできた。
「坊ちゃまが中庭で倒れられていたなんて、この家に……いえ、貴方に仕えて初めてでした。旦那様や他の皆さんは、ただイスカ様に会おうとしていただけだと納得されていましたが……私にはそれだけには思えません」
「それは……」
「坊ちゃまは、外の世界へ憧れを向けられているのではないですか? だから外の世界で生きるイスカ様に会いたいと思われたのではないですか?」
……当たっている。
おそらく頭の中で何度も整理したのだろう。こちらに伺うようでありながら、まるで証拠を突き付けるように、その語り口ははっきりとしていた。
彼女なりに、ここ最近の俺を見てきて察する部分があったのだろう。
そして彼女は、俺が外への憧れを抱くことが、アズリアの否定に繋がると理解している。
俺のこれまでの人生は彼女によって支えられてきた。彼女無しではここまで生きられたかどうかさえ怪しい。
アズリアは常に俺を見張り、容体が悪化すれば急いで医者を呼びつけ、自分のこと以上に俺を気に掛けてくれていた。
献身という言葉がこれほど似合う話も無い。正しく全身全霊を懸けて俺に尽くしてくれていた彼女の行為を、他ならぬ俺が否定してしまうのは……どうしたって胸が痛む。
(だからこそ、彼女には黙っていようと……いや、そんなのこちらの勝手な都合か)
俺がどう願おうと、時間が止まるわけじゃない。
アズリアにもアズリアの考えが、人生がある。
今も自ら考え、勇気を持って踏み出してきた。
(なら俺も、彼女に応えなくちゃな)
どうにも行き当たりばったりばかりな毎日だが、もうそういうものだと諦めよう。それに博打紛いの出たとこ勝負が嫌いなわけじゃない。
全てを話して、それでアズリアから否定されたり、罵詈雑言でも飛んできたら……まぁ、確実にショックは受けるだろう。
でも、間違ったって彼女を責めたりするつもりはない。
「アズリア、これからする話は、どうかお前の胸の内だけに留めておいてくれないか」
「坊ちゃま、それは……」
「クレセンド家のメイドとしてではなく、俺の……その、友人として聞いて欲しい」
友人、でいいよな?
他に上手い言葉が見つからなかったというのもあるけれど、使用人という立場を取り除いたら、きっとこれが一番正しい言葉の筈だ。
アズリアからどう見えているかは分からないけれど。
「……! はいっ!」
アズリアは少し呆けたような顔を見せたが、すぐに姿勢を正し、俺の方へと向き直した。
「ついこの間の話だ。あの図書室で倒れたとき、覚えてるか?」
「もちろんです」
「あの時……前世の記憶を思い出したんだ」
「前世の記憶……?」
つい先ほど、イスカ姉様に話した内容を、アズリアにも伝える。
受け入れてもらえるとは限らない。
けれど、俺はずっと、何かあれば彼女に頼ってきたんだ。
決して叶わないと思っていた外への渇望を除き、胸の内を彼女には明かしてきた。それこそ、家族以上に。
そんな体に染み付いた当たり前が、不思議と語る口を軽くしてくれた。
収めるべきところに収まったというべきか。
俺は……自分が思うよりずっと、アズリアに依存していたらしい。
◇
「…………」
話すべきことを全て語り終えた後、部屋の中には重たい沈黙が流れた。
全て聞き終えたアズリアはリアクションなく黙ってしまって……ただただ気まずい。
やはり、伝えるべきではなかっただろうか。もっとやり方があったのではないかと不安になる。
「まあ、その、なんだ。もしもこれで、アズリアが俺から離れたくなったなら、遠慮なく言ってほしい。イスカ姉様を通して上手いこと——」
「坊ちゃまにとって、私はその程度の存在ですか?」
「へ?」
「側にいたくないと、私がそう言えば簡単に手放してしまえる程度の存在なのですか?」
アズリアが勢いよく顔を上げ、そのまままるで押し倒すみたいに……俺に覆い被さる勢いで迫ってくる。
「私の気持ちは変わりません。たとえ坊ちゃまに前世の記憶が蘇ったとしても、貴方が貴方である以上、支えるのが我が身命だと自負しております」
「あ、アズリア……?」
「もしかしたら、坊ちゃまにとって私は、この部屋に閉じ込めてきた敵のようなものかもしれません。ですが、私は常に坊ちゃまの幸せを願っています。貴方のためなら、なんだって行う所存です」
彼女は力強く、有無を言わさぬ態度で俺に迫ってくる。
息継ぎの暇さえ与えない、早口で高圧的で、まるで脅しつけるような……完全に立場が逆転している。
「今までの私は、坊ちゃまが少しでも安らかに、少しでも長く生きながらえてくださるようにと思い、奉仕して参りました。ですが、もしも坊ちゃまが苦難の道と理解した上で進む道を決められたのであれば……私の進むべき道も同じです」
まるで騎士が姫に剣を捧げるみたいな、そんな誓いの言葉を、アズリアは馬鹿真面目な眼差しを向けつつ口にした。
真剣に、瞳をギラつかせながら。
おそらく、「傍を離れない」という第一目的をとにかく果たそうと、力尽くで押し切ろうとして気負っているんだろう。そういう真っ直ぐなのは嫌いじゃない。
いや、そもそもアズリアには最初から感謝と好感しかないのだけど……ここまで情熱的なのは、逆に彼女らしくなくて笑ってしまいそうだ。
「てっきり俺の方が拒絶されると思ったんだけど」
前世の記憶……アルマとは別人の記憶が蘇るなんて、普通相手が別人になったように感じないか?
イスカもそうだったけれど、俺がズレているんだろうか?
「坊ちゃまは坊ちゃまですから。いくら過去を思い出そうとも、ここにいる貴方は、私が長年仕え、そしてこれからもお側にいたいと思う唯一のお方です」
我ながらよく慕われたものだ。何もしていない筈なんだけどな。
正直、一緒に居すぎて、彼女が俺に入れ込む理由も分からない……聞いたら答えてくれるんだろうか。
(……いや、それはまた今度でいいか。どうやら俺と彼女の関係は、ここでお終いってわけじゃないらしい)
「ありがとう、アズリア。迷惑を掛けるが、これからも支えてくれるか?」
「当然です、坊ちゃま――いえ、アルマ様。我が命を賭けて、貴方にお仕えさせていただきます」
彼女はホッと安堵し、年相応な笑顔を浮かべた。
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