第一章 邂逅
4月8日
20@@年4月8日(月)
校門の両脇に咲き誇る満開の桜を見上げると、
――きれい。いいな、今年の新入生。
今年は寒かったせいか、珍しく入学式まで桜がもった。間もなく始まる入学式を前に、何人もの新入生が桜の根元に立ち、記念撮影の順番を待っている。
玲璃は思わず足を止めて、そんな新入生の様子をほほえましく眺めやっていたが、はっとしたように腕時計に目を向けると、足早に校門をくぐった。
動きのある緩いウェーブのミディアムボブに、すらりとした長身。ぱっちりとした二重の目と形のいい眉が、理知的で意志の強そうな印象を与える。制服は着崩さず校則通りの着こなしだが、それでもなぜだか垢抜けて見えるのは、抜群のスタイルに起因しているのだろう。
彼女の名前は
と言っても、彼女自身は別に生徒会長になりたかったわけではない。だが、彼女の美麗な風貌や飾らない雰囲気が下級生(特に女子から)の絶大な人気を得てしまい、あれよあれよという間に推薦され、当選してしまったのだ。基本的に他人に求められれば素直に応えてしまう性分の彼女は、選ばれてしまったからには穴をあける訳にもいかないと、昨夜も睡眠時間を削って祝辞を考えたのだった。
玲璃はカバンから式辞の下書きを取り出すと、廊下を歩きながら最後の確認を始めた。ぶつぶつ呟きながら渡り廊下に出て、体育館のある棟の昇降口へ向かう。
と、風が急に強く吹き付けてきた。
くすんだ春の匂いとともに大量の砂埃が巻き上げられ、玲璃はたまらず顔をそむけて目を瞑った。校庭中に散り敷かれた桜の花びらも一斉に舞い上がり、膝上のスカートが風で煽られ、手にしていた下書きもちぎれそうな音を立てて捲れる。
花吹雪と砂埃が校庭をひと通り舐めつくし、風が優しさを取り戻すと、玲璃は砂埃だらけの顔を手のひらでこすりながら目を開けた。霞んだ視界に、校庭の片隅に立つ一本の桜が映りこむ。
校内でも古木の部類に入るだろう。どっしりと風格のある幹から、まるで墨をたっぷり含んだ筆で一気に描いたような枝が四方に伸びている。満開の花の下で穏やかな春風に揺れる小さな蕾たちからは、今にも鈴の音が響いてきそうだ。これだけ見事な花を咲かせているにもかかわらず、校内の最奥に位置するため、写真を撮る新入生の姿もあまり見かけない。
その木の根元に誰かが立っていることに、この時初めて玲璃は気づいた。
新入生だろうか、一人の男子生徒が桜の木の根元に立ち、頭上を覆う満開の桜をじっと見上げている。後ろ向きなので顔は見えないが、春風にさらさらとなびく長めの茶色い髪が印象的だ。背はそう高い方でもなくどちらかと言えばきゃしゃな感じで、まだかなり少年っぽい印象をうけた。
――もうすぐ入学式が始まるのに、こんなところで何をしているんだろう? 親と待ち合わせでもしているんだろうか。
なぜだかその少年から目を離せず、ぼうぜんと足を止めていた彼女の背後から、鋭い声が浴びせかけられたのはその時だった。
「会長、なにやってんですか! 集合の時間です!」
ハッとして振り向いた玲璃の目に、副生徒会長の岸田が口に手を当て、体育館の入り口から必死の形相で叫んでいる姿が飛び込んでくる。
「ごめん、今行く!」
あわててそう答えてから、彼女はちらりと横目で桜を見やり……その目を大きく見開いた。
少年の姿は、既になかった。
巻き上がる花吹雪の向こうに見えたのは、人気のない校庭と、満開の桜が美しく咲き誇る古木のみだった。
☆☆☆
式は滞りなく終わった。
生徒会役員は体育館の後片付けをしたあと、駅前の喫茶店でちょっとしたお疲れさん会を行っていた。
「それでは皆さん、お疲れさまでした!」
生徒会役員は五名。生徒会長である魁然玲璃を筆頭に、副生徒会長の岸田隆平、書記の柴田広通ら三人が三年生で、残る二人は陸川七海、滝川雅昭という書記の二年生である。岸田の音頭で乾杯すると、大柄な柴田は一気にアイスコーヒーを飲み干した。
「いやあ、暑かった! のどが渇いて、もう……」
少々オヤジくさい柴田の発言に、向かい側に座っていた陸川は苦笑した。
「柴田先輩、真冬でも暑がってますからね」
「まあな。俺は基本的に半袖人間だから」
「しっかし魁然の式辞、よかったよな〜」
岸田のその言葉に、玲璃はアイスティを飲みながら恥ずかしそうに笑った。
「そうか? 一夜漬けだぞ。覚えられないから短いしな」
「いや、なにより短いのがいい。式辞は簡潔がなによりだからな。遅刻寸前だったのは黙っとく」
「言ってる」
一同がどっと笑った。玲璃も笑ったが、斜め前に座る滝川をちらりと横目で見やった。
彼は笑っていなかった。眼鏡の奥から冷ややかに一同を見やりながら、静かにホットコーヒーをすすっている。
入学式準備のために三月初旬からこのメンバーで幾度か集まっているが、その集まりの中で、玲璃はこの滝川という男が笑ったところを見たことがない。仕事はまじめにきちんとやるし何が問題と言うこともないのだが、なぜだか玲璃は気になっていた。
趣味の音楽の話題で盛り上がっている岸田と陸川を横目に、柴田は玲璃に合図のように視線を送ると、小声でこんなことを聞いてきた。
「ところで、本当ですか? 今年の一年に一族の末端の者が入ってくるっていうのは」
柴田も玲璃と同じ三年生だが、なぜか彼は玲璃に向かって敬語で話した。
「本当だ。寺崎と言ったかな。おまえと同じランクの者だそうだ」
柴田はへー、とでも言いたげに腕を組んで頷く。
「まあ、確かに俺だけじゃ総代の警護は心許ないですからね……じゃ、そいつもゆくゆくは生徒会に?」
柴田は玲璃のことを「総代」という耳慣れない呼称で呼んだ。玲璃も当たり前のように頷き返す。
「多分そうなると思う。私は放課後、ここで過ごすことが多くなるから」
「でも知らなかったです。寺崎なんて名前の一族、しかも同年代のやつがいたなんて」
「私も今回初めて知った。珍しく、母親ではなくて父親の方が直系らしい。早産のおかげで母親は奇跡的に存命なんだが、父親の方をあの事件で亡くしてしまって、今は母親と二人暮らしなんだそうだ」
「あの事件?」
「例の……十六年前の、マンション倒壊事件だ」
柴田は驚いたように目を見開いた。
「そうなんですか……あの事件で」
滝川はコーヒーを飲みながら、二人の会話にじっと耳を傾けているようだ。
玲璃はそんな滝川の様子にそこはかとない不信感を抱きつつ、そっと意識を尖らせるのだった。
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