336.5 手記⑦

 三陸海岸の海岸線を、真っ白な古代のハイエースが走る。


 天気は曇り。


 ……拓海たくみと俺の心みたいだった。


拓海たくみ、このまま海沿いでいいのか?」


「そうだ。疲れたのなら変わる」


「大丈夫だけどさ」


 古代の飛行機能のない車なんて久々に運転した。古代のトレンディドラマとかで、海沿いを走る風景には憧れていたし、気分は上々だ。


 だけど、仙台駅に乗り捨てた円盤はどうする気だろう。助手席の拓海たくみをチラっと見る。


 色素の薄い髪が風に舞って、チッ、絵になるじゃないか。


三島みしま、飲んでいいか」


「え、嫌だね」


 俺も飲みたい。夏の日のこんな空気の中ではさ。


 心なしか拓海たくみは楽し気に、夏空を見上げていた。


「こっち側も窓開けようかな。お、いい風」


 海風が、懐かしい夏を思い出させた。



 白い、真っ白い石の上を、丁寧に歩いた。


 静かな波の音――。


 仁花にかがいるとしたら、こんなところかもしれない。


 見上げると雲に覆われた白い空。


 時折雲間から太陽が降りて来る。


薄明光線はくめいこうせんか――」


 拓海たくみが煙草に火を点けた。


 塩の香りと、くすんだ煙が混じっていく……


「綺麗だな……」


 悲しい程に。


「あの光の向こうにさ、居そうじゃない?」


 言葉にした想いに、拓海たくみは応えなかった。


 全部が赦されるように、綺麗に揺れながら輝く海。



「結構さ、面白い形の岩が多いよね」


 光を浴びる岩たちが、歪な自分たちみたいだ。残された俺たちの姿――。


 けして雲の上には、届かない。


「面白くはない。……だが、次に来た時には面白い形に変わっているかもな」


 波が、岩に寄せては返している。


 動かない岩も、歴史の通過点でしかない。


「ねぇ、拓海たくみって、海が好きだから拓海たくみなの?」


 思いのほか驚いたように拓海たくみがこちらを見た。


「いや、別に、大海原を拓いていくように生きて欲しい、みたいな意味なのかな~とか思ってたけどさ」


 拓海たくみの髪が揺れて、表情が見えない。


 手の中で煙が消えて、残り香が雲に登っていった。


「嫌いじゃない」


「へぇ」


 薄明光線はくめいこうせんが遠くから広がって、透明な海が全部を洗うみたいだった。



 寒いくらいに涼しい青を見下ろしながら、暗い洞窟を進んだ。


三島みしま、足元に気をつけろ」


 確かに、洞窟の中はひんやりと湿っていて、ところどころ水たまりになっている。


「確かに、けど一応これでも俺、昔は特務機関の特殊部隊にもいたことあるしさぁ……わ!」


「だから言っただろうが」


 俺のインナーマッスルは最近の研究生活でだいぶ衰えていたらしい……


「ご、ごめん」


 ヒョロヒョロに見える拓海たくみは意外としっかりとした上腕で、いつ鍛えていたんだろうか……


 息や、時折話す拓海たくみの声が、ぼわんと反響している。


 わけのわからないまま連れて来られたこの洞窟はもしかして……


拓海たくみ、ここって龍泉洞だろ?」


「……そうだ」


 仁花にかがずっと行きたいと言っていた岩手にある洞窟。日本の青の洞窟だと四畳半の和室でハジメにいが作ったチャイナブルーを飲みながらはしゃいでいた。


 拓海たくみにも話したのかもしれない。もしかして、一緒に行きたいと言ったのかもしれない。



 静謐せいひつな洞窟を、ゆっくり、ゆっくりと下っていく。



「ただの息抜きだ」


「そっか」



 俺はそれ以上何も言わなかった。


 いつか、拓海たくみにチャイナブルーのことを話すかもしれないし、話さなくてもいいような気もした。




「本当に綺麗な場所だな」


 透明度の高い地底湖を覗き込んで、悲しみが込み上げる。


拓海たくみ、水深100メートルくらいかな」

「そうだ。分かるのか……あぁ、三島みしまのサングラスか」


 まるで手が届きそうな水の底。


 吸い込まれてしまいそうになって、腕を掴まれた。


「大丈夫だよ。裸眼と同じように見えるんだけど、位置情報も分かるからね」


 拓海たくみのオニキスみたいな瞳に湖の青が映る。



「また来たいな……」


「行けばいいだろ」


 駐車場で、拓海たくみはまた煙草に火をつけた。


 まだ残る蝉の声と土の上のアサガオ。


「なんでだよ、来ようよ、一緒に」


「……気が向いたらな」



 煙の匂いが、去る夏の空気と混じっていく。


 ……夏はきっと、また何度もやってくるのだから。

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