167# ごめんなさい

 国境山脈上空、飛空艇甲板。


 帝国出立後、ローファス達一行はライトレス領に向けて飛行していた。


 ローファスは王命により、自領での謹慎を言い渡されている。


 形式上ではあるものの、それには従わなければならない。


 甲板には二人——ローファスとアベルが並んで立っていた。


 アベル——より正確には、アベルの肉体に憑依したカナデである。


「何故そんな訳の分からん状態で安定している…」


「なんでだろう…慣れかな」


「そんな状態に慣れるな」


 呆れるローファスに、火の玉——アベルが返事を返す。


『僕は構わない。寧ろ、これまで通りでも全然…』


 ローファスは火の玉アベルを魔力の揺らぎ程度でしか認識出来ないが、意識さえしていれば微細な魔力の波からアベルの声を聞き取る事が出来る。


「その状態が今後も続くか分からんのだ。いつまた繋がりが切れるとも知れん。別の形で安定する方法を探る必要がある」


『それは…分かってる』


「まあ、大好きな相棒と離れたくないというのは良く分かったがな」


『な——』


 皮肉混じりに鼻を鳴らすローファスに、火の玉アベルはぼふっと蒸気を上げた。


 それに乗っかる様に、カナデは笑って言う。


「そうなんだよ、アベルってば俺が居ないと全然ダメでさぁ。全く手の掛かる子だよ本当に」


『むぅ…いやしかし、分離に関しては個人的にも賛成だ。こいつはローファスが隣に居ると、いつも僕の身体で心臓を高鳴らせて——』


「おっとアベルぅ!? 良くないなぁ、人の内情をベラベラと。そんなデリカシーが無い感じだからアステリアとの仲が進まないんだよ」


『アステリアは今関係ないだろ!?』


 うるさいなこいつら、とローファスは顔を顰める。


 いつもこんな一人芝居の様な事をしているのだろうかと眉を顰めながら、ローファスはぼんやりと言い争うアベルとカナデを見据える。


 そしてふと、ローファスは口を開いた。


「…カナデ。実は、貴様に会わせたい奴が居る」


「へ? 会わせたい? アベルじゃなくて、俺に??」


「ああ…俺の専属女中だ。貴様を助けた理由の一つでもある。名前が一部一致していたから、或いは親族やも…とな」


「名前が一致って…普通に偶然でしょ。異世界人だよ、俺。因みに、その女中さんの名前は?」


 まさかと笑いながらも、一応名前を尋ねるカナデ。


 ローファスは懐かしそうに目を細めながら、その女中の名を口にする。


「ユスリカ…いや、本名は——ユズキ リカ。貴様とよく似た、綺麗な黒髪を持つ女だ」


「…え」


 その名を聞いたカナデは、顔色を変える。


 口元を震わせ、額からは冷や汗が流れる。


「嘘——嘘、嘘嘘嘘…」


 壊れた人形の様に同じ言葉を繰り返しながら、カナデは恐る恐るローファスの手を取った。


 まるで何かに縋る様に。


「なんで…なんで、ローファスの口から“リカちゃん”の名前が出てくるの…?」


「…知っているようだな」


 やはりと目を細めるローファス。


 カナデは未だに信じられないといった様子ではあるが、静かに頷いた。



 ローファスの帰国から数日——


 中央都市のとある学校の屋上。


 少女は一人柵の向こう側に立ち、ぼんやりと地面を見下ろしていた。


 足を一歩踏み出せばこの世とはさよなら。


 しかしどういう訳か、足は縛られた様に動かない。


 まるで自死する事を許さない力が働いているかの様。


 落下の恐怖で無意識に踏み出す事を躊躇っているのか、それとも——


『…彼との契約の影響で行動に移せないのか。勝手な事をと思ったが、結果的にはグッジョブだったね。しかし何故再びここに? つい先日まであんなに元気そうだったじゃないか』


 スマートフォンから当たり前の様に響く男の——テセウスの声。


 少女はそれに反応を示さず、じっと地面を眺めるのみ。


 黒衣の人——ローファスは居なくなった。


 ネットの情報で知ったが、どうやら隣国である王国シンテリオの貴族だったらしい。


 《暗き死神》の孫だとか何とか。


 歴史も地理も苦手な少女からすれば、有名人の親族だったんだ、程度の認識。


 何やら自分と居た所を盗撮されたと思われる動画がネットで拡散されており、ローファスは帝国内において、一躍時の人である。


 しかし当のローファスはもう居ない。


 病室で別れてから、もう戻って来る事はなかった。


 王国への帰国が急に決まったのだとテセウスが言っていた。


 クラスメイトも教師も、“ゲーム”という悪しき風習に関わっていた人達は名前と顔写真などの個人情報がネットにばら撒かれ、割と大変な事になっている様だった。


 その情報もテセウスから。


 どうせ今は休校中で、会う事もないから実感は無いが。


 ともあれ、そんな情報を聞いても溜飲が下がったりはしない。


 全てがどうでも良かった。


『これはまさか…ポーションの効力切れ? 王国の魔法薬ポーションか…凄まじい抗うつ作用だ。ふむ、興味深い。サンプルに一本欲しい位だ』


 研究が必要だな、とテセウスは一人ぶつぶつと喋る。


 ふと、少女のスマートフォンに通知が届く。


 送り主は『ハナちゃん』。


 内容は『また話したい』という旨のメッセージ。


 それを見た少女は口元が少しだけ緩むが、直ぐに顔を曇らせる。


 ウノハナは魔紋病の完治後、未だに退院出来ておらず、あれから顔を合わせてもいない。


 なんでも不治の病の唯一の完治者として、病院で様々な検査を受けているという。


 現在の少女は気付ポーションによる抗うつ作用が抜け、その精神状態は身投げする程に不安定だった頃に戻っている。


 ウノハナともどんな顔で会えば良いのか、なんと返信すれば良いのかも分からない。


 これでも駄目かとテセウスは溜息を吐き、密かに少女の位置情報を帝国政府へ発信する。


『思うに、今の君にはカウンセリングが必要だ』


 テセウスの言葉に、少女は眉を顰める。


「…で、うつ病診断でもされて引き篭もりルート?」


『鬱というか、症状を見るに双極性障害だろうね。引き篭もる事が君の人生に必要なのであればそうしても構わないが』


「もうさ、どうでもいいんだよね。ゲームだって進め方失敗したらリセットするでしょ。それと同じ。もう話し掛けないでよ」


『ふむ…私もも、心が弱った君に寄り添うのに適任ではない。しかしこの様な形で彼女・・の身内を失うのは私としても心苦しい。何より君は、少しだけ彼女・・に似ているからね』


「誰のこと言ってるの…まさか、あなたの彼女とか?」


『いや、創造主だよ…顔立ちも声質も全然違う。でもなんだろうね…本当に少しだけ似ているんだ…何というか、雰囲気がね。だから君には、笑っていて欲しいんだよ』


「知らないし…勝手過ぎない?」


『勝手結構、自由にやって良いという許しは創造主から得ている。そして、話していて一つ分かった事がある。君は、現実に絶望している』


「はぁ?」


 眉を顰める少女。


 テセウスは続ける。


『学校での薄っぺらい人間関係、“ゲーム”といういじめを正当化した低俗な遊び、それを咎めない環境。家ではエリート思考の両親による無言の圧力。誰にも相談出来ず、抑圧され、ストレスを受け続けて生きてきた——君は、帝国社会が産んだ悲劇の一つだろう。君よりも不幸な人間はこの世に山ほど居る。でも不幸な彼らは自死を選ばない。生きる希望があるから。しかし君には何もない。親が用意したレールの上を、ストレスを抱えながら歩み続ける事しか許されていない』


「知った風な口…」


『知っているとも。そんな社会を作り上げたのは君達人間で、私はそんな愚かな種族君達を間近で見てきたのだから。利権と保身を手放せない、自然界に放り出されれば何も出来ずに死ぬ弱者だと理解しているから。本当はみんな分かっているんだ、自分達は分不相応に、身の丈に合わない幸せを求めている。要するに一度上に立つと、下に落ちるのが恐いんだよ。手に入れた幸せを失うのが恐い、地位や財を失うのが恐い、安全を失うのが恐い。手に入れたものを失う恐怖は、死の恐怖にも勝る——それが君達人間だ』


 だから、とテセウスは更に続けた。


『今の君に必要なのは、生きる為の希望だ。だが、君は世界現実に絶望している。故に“君の世界”の中にあるものは、君の希望になり得ない。だから決めた——そんな君の世界現実を破壊する。今の君に必要なのは、希望非日常だ』


「希望…非、日常…?」


『ああ。これから君には、忙しい日々が訪れるだろう。死を考える余裕など無い程のね。だが安心すると良い。決して君を悪いようにはしない。たとえ何年掛かろうとも、君を——“生きていて良かった”と笑わせて見せる』


 その直後、屋上——少女の周囲に無数の人影が降り立った。


 皆一様に、顔をフルフェイスのメットで覆った帝国兵。


 悲鳴を上げそうになった少女を、帝国兵の一人が背後から抑え込み、轡を噛ませた。


「んー!?」


 暴れる少女は、瞬く間にベルトに巻かれて拘束される。


 そんな少女の前に、他の帝国兵を押し退ける様にして一人の帝国兵が立った。


 他の面々と同様にフルフェイスのメットで顔は隠されているが、メットの上には軍服に不釣り合いなテンガロンハットが申し訳程度に乗せられている。


「おいおい、乱暴に扱ってんじゃねぇよ。だからテメエらモテねえんだぜ。なあ、あんたもそう思うよなぁ、嬢ちゃんよう」


 言いながらテンガロンの帝国兵は、懐より取り出したメーターを少女に近づける。


 メーターの針は赤ラインまで振り切れ、『dark暗黒』と表示された。


「バカみてぇな魔力反応…間違いねぇな。おいお前、左手の甲に月のタトゥあるか?

三日月っぽいやつ」


 テンガロンの帝国兵に問われ、少女を背後から拘束する帝国兵が答える。


「は。確認できます」


「オッケー。んじゃま、無事確保って事で」


 テンガロンの帝国兵は、ずいっと少女に顔を近づける。


「脅かして悪かったな、嬢ちゃん。ちと、あんたの影の中に居る奴・・・・・・・に用事があんだよ。ガキに頼るようで大人として情けねぇ限りだが、あんたは帝国の希望になるかも知れねぇ」


 いつの間にか空に浮いていた空母より光の帯が伸び、少女や帝国兵らを包み込む。


 そして空母に吸い込まれる様に、少女達はゆっくりと浮上していく。


「動画見たぜ。お前さんにも事情があるんだろうが…まあアレだ。生きてりゃ良い事の一つや二つあるもんだ。折角拾った命だろう。一回死んだと思って、前向きに生きな」


 テンガロンを目深に被り直しながらそんな事を口走る帝国兵。


 それに何かを返す事も出来ぬまま、少女は光と共に空母に吸い込まれた。



 今後少女は、帝国政府とローファス個人の連絡兼橋渡し役としてそれなりに忙しい日々を送る事となる。


 いつの間にか影に潜まされていたローファスの使い魔——暗黒のエルフ兵による《魔紋病》の治療に奔走したり、時には王国との交渉の場に呼ばれたり。


 文字通り、再び身投げする事を考える暇すら無い日々。


 帝国政府より与えられる公務に追われながら、偶に友人のウノハナと遊んだり愚痴を言ったりする日々。


 そして帝国の名も無き少女は、いつしか議員となり、そして政府のトップ——初の女性大統領になるのは、これよりずっと先の話。


 “あの時死ななくて良かった”と心の底から思えるのは、もう少しだけ先の話。



 王国王都、魔法学園。


 学園長室。


 学園の最上階にあり、ガラス張りの窓からは学園の全貌が一望出来る。


 学園長アインベルは、淹れたての紅茶を啜りながら、窓よりその風景を楽しむ。


 大量の魔物による王都襲撃から一ヶ月と少し。


 学園は全面的に休校していたが、現在は一部の講義のみ再開している。


 とはいえ、以前ほどの賑わいは無い。


 そこにアインベルは物足りなさを覚える。


 純粋に活動する生徒の数が少ないからというのもあるが、それ以上に——


「…つまらんのう」


 現在の学園には、アベルが居ない。


 かつてヴァイス世界で起きた動乱、その渦中に居た彼は、今は帝国へ行っている。


 《第二の魔王》であったレイモンド、四天王の面々、そしてアベル、リルカ、ファラティアナ——


 此度の《物語》の中心に居る者達は、軒並み王国から出払っている。


 事情はある程度把握している。


 帝国の襲撃が早まった。


 その決着を付ける為に、彼らは王国が動くよりも前に先んじて動いたのだ。


「儂も行きたかったのう…」


 ローファスに頼み込めば保護者枠で行けたのではなかろうかと、アインベルは思わなくもない。


 六神の使徒として、その身を危険に投じる行為は推奨されたものではない。


 だがしかし、現状事情を知る唯一の大人として、アベル達のサポート位はしたいものだ。


 断じて蚊帳の外過ぎてつまらないとかそんな事は考えていない。


 派手な魔法をぶっ放して最前線で暴れたいとか、全然思っていない。


 順当に事が運ぶとするなら、“帝国との紛争”の後は“聖竜国での邪竜復活”。


 断じて若者達に混じってヒャッハーしたいとかは思っていないが、しかし次は保護者枠として連れて行ってもらおうとアインベルは密かに決意する。


 今回は立場上出遅れてしまったが、次はきっと、と。


 と、ここで扉がノックされた。


 本日、来客の予定は無し。


「…開いておるよ」


 アインベルは眉を顰めつつ、中に入る様促す。


 入室して来たその顔を見たアインベルは、ほのかに顔を綻ばせた。


「おお、これはこれは。珍しいお客さんじゃ。忙しいじゃろうに、よう来たのう——聖女フランよ」


「——失礼します」


 来訪者は、教会の象徴たる聖女フラン。


 白を基調とした修道服、そのスカート部分をちょこんと持ち上げ、フランは優雅にお辞儀して見せた。


 アインベルは笑って手をひらつかせる。


「様になったのう。しかし今日はどうしたんじゃ? 護衛も連れず、不用心じゃのう」


 聖女という立場上、基本的に一人で出歩く事は出来ない。


 外出の際には、付き添いや護衛が必ず着くもの。


 しかし口では言いつつも、アインベルも本気で心配している訳ではない。


 聖女フランが護衛を巻いて一人で行動するのは、今に始まった事ではない。


 聖女の単独行動好きは、一部では割と有名な話である。


「不用心なのはどちらですか。学園長殿」


「ぬ?」


 何処か抑揚の無いフランの物言いに、アインベルは眉を顰める。


 フランはアインベルと見合ったまま、そのまま静かに扉の鍵を閉めた。


 アインベルは飲みかけの紅茶を机に置く。


「…どうしたのじゃ。まさか、何かあったのか? 他では聞かれたくない話でも——」


「現在、ここ王都に六神は一柱も居られません。その多くが帝国へ赴かれておられます」


 アインベルの言葉を遮ったフランは、更に言葉を続ける。


「もう一度言います。不用心ではありませんか——使徒である貴方が、六神の手から離れ、こんな所に一人で、護衛も連れず」


「フラン…?」


 まさか、とアインベルは目を見開く。


「それは《神託》か? それともまさか、お主も使徒——」


 フランはその問いに答えず、スクロールを取り出して展開する。


 浮き上がる無数の魔法陣。


「使徒は一人も欠けてはならない——聞いている筈です。なのに護衛も連れず…自分ならばどうとでも出来るとお考えですか。少々、《闇の神・・・》を舐め過ぎでは?」


「フラン、お主…」


「残念ながら、どう足掻こうと貴方の死は避けられない。そしてそれにより——六神が勝利する未来は完全に絶たれます」


 ごめんなさい——そう、フランが謝罪の言葉を告げると同時、学園長室は光に包まれる。


 光の中、フランは少しだけ寂しそうに目を瞑っていた。

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