165# 奏
人は死後、何処にいくのか。
魂となって現世を彷徨うのか、天国や地獄といった死後の世界があるのか。
それとも、完全なる無なのか。
それは、実際に死んでみなければ分からない。
死後の世界はあった。
大人気ゲーム「ヴァイス・ストーリー」の世界。
彼女はそこで、主人公のアベルとして転生した。
そう思われたが、実際には違った。
死後、実体の無い魂となって、主人公アベルの肉体に憑依する。
その居候は、ずっと続く事は無い。
ヴァイス世界には、アンデッドやゴーストといった魔物が存在する。
しかしヴァイス世界の住人が、全て死後にそういった魔物に変異する訳ではない。
では、この世界における死とはなんなのか。
死後どうなるのか。
アンデッドやゴーストになれなかった魂は、俗に天国や地獄と呼ばれる世界——《冥界》に行く事となる。
そして魂は分解され、世界を巡り、再度新たな生命として誕生する。
それがこの世界で確立している摂理。
しかし、転生者——異世界の魂たる彼女は、この世界にとっては異物。
この世界の摂理に反する存在。
アベルの肉体から離れ、寄る辺を失った魂は本来であれば《冥界》へ行く所——しかしこの世界の異物である彼女は、この世界を巡る輪廻転生の理の外にある。
《冥界》からは弾き出され、浮遊霊に近い形でヴァイス世界を漂う。
そして行き着いた先は、奇しくも故郷である現実世界——日本、住んでいた埼玉の街並みに近い景色の場所。
帝国、近代的な中央都市から外れた、文明レベルが多少落ちる住宅地。
帝国軍の爆撃の被害を免れた、とある街の裏路地。
長い黒髪、ジャージ姿。
それは正しく、生前の姿。
死ぬ直前——夜、コンビニに行く為に外に出た時の格好。
その指先は、酷く存在感が希薄であり、今にも消えそうな程。
きっと自分は、もう直ぐ消える。
そんな確信を抱きながら、一人の異世界の魂は歩を進める。
『この世界にも、こんな場所あったんだ…うちの近所みたい』
ぼんやりと街並みを眺めながら、懐かしそうに呟く。
或いは、ここはヴァイス世界ではなく、元の現実世界なのだろうか。
そんな事を考えながら、裏路地に吸い寄せられる様に進んでいく。
死んだあの日、コンビニに行くのに近道を行こうと、裏路地に入ったのをぼんやりとだが覚えている。
その後の記憶は酷く曖昧。
でも何か思い出せそうな気がする、そんな感じがして、裏路地の奥に足を進めた。
ふと、腹部に熱い感覚がじんわりと滲む。
見ると、脇腹に深々とナイフが刺さっており、夥しい量の血が流れていた。
痛みは無い、現実味も無い。
ただただ熱い。
『あぁ、そうか…俺は——私は…』
思い出せないでいた記憶が、少しずつ蘇る。
夜、人気の無い裏路地に入った所を誰かに刺された。
一体誰に。
自分を刺した誰かは、何かを叫んでいた気がする。
“——ユズキィィ!!”
そうだ。
あの時、犯人は確かに自分の名前を叫んでいた。
荒々しく、恨みの籠った声で。
犯人は自分に恨みを持つ誰か? 一体誰が…そういえば、酷く聞き覚えのある声だった様な。
そこまで思考を巡らせた瞬間、背後より凄まじい暗黒の魔力波が響き渡った。
存在の薄れた身体がブレる程の衝撃と、ドスドスと鳴り響く地鳴の如き足音。
恐怖から萎縮した身体をどうにか動かし、振り返る。
そこには——首の無い暗黒の騎士が立っていた。
『ァ——ァアアアア…』
頭の無い、空洞の甲冑の奥より響く、地獄の亡者の如き呻き声。
目などある筈が無いのに、その意識は確かに自分を捉えている事が伺えた。
恐怖から動けないでいると、首無しの騎士は先端が刃の戦旗を振り上げる。
『…見ツ、ケたぞ——ユぅズキィィィぃィッ!!』
首無しの騎士より発せられる声は、正しく自分を刺した何者かの声と同じもの。
そして、聞いた瞬間理解する。
その声の主を。
何故、どうして——混乱。
その声の主は——
『オトナシ、主任…?』
オトナシ——それは生前、OL時代に関係を持ってしまった妻子持ちの上司。
自分との関係が公となった事で、離婚された上に親権まで取られ、会社も辞める事になったと風の噂で聞いた事があった。
その上司が自分を刺して殺した犯人。
そして——目の前にいる首無しの騎士…?
何故この世界に魔物として?
上司は死んだという事なのか?
様々な考えが脳裏を過ぎるが、結論が出るのを待たずして首無し騎士は戦旗の矛先を振り下ろした。
「——止まれ」
裏路地に、酷く冷たい声が響いた。
その直後、凄まじい速度で振り下ろされていた戦旗はぴたりと動きを止める。
首無しの騎士がその身より発する暗黒の瘴気を、より濃い暗黒の魔力波が塗り潰す。
夜かと見紛う程に暗闇に包まれた裏路地を、ぼんやりと輝く翡翠の瞳が月明かりの如く照らした。
「…誰が、勝手に動く事を許可した?」
この上無く冷酷で無慈悲な声。
首無しの騎士は動く事が出来ず、恐怖に苛まれる様にその身をガタガタと震わせる。
「平伏せ」
『——ぐ、オォぁ…!?』
絶対なる主人の命令の強制力に抗えず、首無しの騎士は叩き付けられる様に地に縫い付けられた。
地に伏す首無しの騎士を通り過ぎ、漆黒と翡翠の目が見下ろす。
そして、ぽかんとした顔でへたり込む黒髪の女を見据えた。
「アベルの片割れ…貴様、女だったのか」
『ロー、ファス…』
薄れゆく存在の最中、黒髪の女は力無く呟いた。
*
今にも消えそうな程に存在感の薄れた黒髪の女——アベルに憑いていた魂の片割れ。
その消え掛けた身体は、まるでゴースト打倒後の消失反応かの様。
放っておけば存在ごとこの世界から消える事を、ローファスは何と無く察した。
『なんで…ここに…?』
掠れた声で、それでも不思議そうに問うアベルの片割れ。
ローファスは静かに答える。
「相棒が消えただのどうのと、アベルの奴がえらく取り乱してな。余りにも騒ぐものだから、探すのに手を貸してやった」
『アベルが…はは、まあ驚くか。急だったもんね…でも、よく俺がここに居るって分かったね…』
「貴様の魔力は特徴的だったからな。探すのは容易い」
『俺の、魔力…? アベルのじゃなくて?』
「
アベルの片割れは、僅かに目を見開く。
『俺にも魔力、あったんだ…じゃあ、ちゃんと転生してれば、魔法も使えたのかな…アベルの身体じゃ、全然使えなかったから…』
「奴の身体は少々特殊——特異体質というやつだ。常人と比べて属性との親和性が高過ぎる。王国で主に使われている属性魔法は人間が扱い易い様にカスタムされ、体系化されたもの。単純に合わなかったのだろう。ままある事だ、オーガスの奴もそのタイプだしな」
『あー…精霊に近いってやつか。“ゲーム”でも、アベルは精霊特攻系の攻撃が弱点だったんだよ。やっぱ体質的に普通の人間じゃないのか…さすが主人、公…』
言いながら、アベルの片割れの存在感が薄まっていく。
指先からひび割れる様に、崩壊が始まっていた。
「消えるのか」
『…みたい、だね』
ローファスはその崩壊の様をじっと見据え、その隣に徐に腰掛けた。
朦朧とする意識の中、アベルの片割れは意外そうにローファスを見る。
『お尻、汚れるよ…』
「貴様の事をそれなりに探していたからな。歩き疲れたんだ」
『嘘…探すの容易いって、言ってたじゃん…』
「大まかな位置はな。貴様の存在が希薄過ぎて、細かな位置の特定に難儀した」
『そっか…ごめん。もしかして、看取ってくれるの?』
「好きに捉えろ」
ぶっきらぼうに返すローファスだが、その内にある温かみを僅かに感じ取ったアベルの片割れは、泣きそうになりながらもはにかむ。
『優しいなぁ…“ゲーム”でも、もっと色々話しとかしてれば、絶対人気出てたのに…』
「貴様…少しは相手が分かるように話す努力をしろ」
『あはは、ごめん…』
ローファスは溜息を吐く。
「…貴様の事はそれなりに認めてやっていたつもりではあるが、残念ながら救ってやるだけの明確な理由が無い。そもそも、確実な手段も思い浮かばんしな」
『…うん』
《影喰らい》の術式を元にした精霊化の魔法は、実体が無ければ扱えない。
実体の無いゴースト系の魔物は《影喰らい》の対象外である様に、霊体であるアベルの片割れも、その例に漏れない。
アベルの肉体に再び戻すというのも考えたが、今からアベルを呼びに行っても間に合わないだろう。
仮に間に合っても、繋がりが完全に断ち切れている以上、アベルの肉体に必ず戻れるという確証も無い。
そうこうしている間にも、アベルの片割れの身体の崩壊は進む。
既に手足が完全に失われ、辛うじて上半身が残されている状態。
アベルの片割を助けるには、そういった変えようの無い理不尽を跳ね除けるだけの労力を要する。
そうまでして助けたいと思える程の関係でも無い。
有用な魔法具の情報は全て聞いている。
未来の情報について随分と詳しい様だが、この後に及んでそれが役立つとも思えない。
戦力としても使えない。
口を開けば訳の分からぬ事を口走る。
脳内お花畑のアベル・カロットとはそれなりに良好な関係を築けている様だが、それで役に立つかは別問題。
思い返せば、《第二の魔王》による王都襲撃の折、アベルの片割れから渡された魔法具がレイモンドを助け出す鍵となった。
それを恩義に結び付ける事も出来なくはないが、かなり苦しい。
そもそもあれはローファス自身の機転によるものであり、仮に恩があったとしても遠方の帝国のダンジョンに転移させられた件で帳消しである。
「…」
考えれば考える程、アベルの片割れを助けるだけの意義も、そのメリットもありはしない。
ぼんやりと消えゆくアベルの片割れを眺めていたローファスだったが、ふと先程の事を思い出す。
アベルの片割れの姿を確認した直後、命令していないにも関わらず突如として突撃して行った使い魔——デュラハン。
その後の制止の命令には従った為、使役の術式自体に問題が生じた訳ではない。
極々稀にある記憶の蘇りによる感情の発露、意識の表面化。
エルフ王バールデルにも以前、似た現象を引き起こした事があった。
そしてデュラハンはアベルの片割れを見てこう呼んでいた——“ユズキ”と。
いつだったか、ローファスはその名を聞いた事があった。
「…先程、この首無しが言っていた“ユズキ”というのは、貴様の名か?」
『ん…あぁ……そう、だね…生きてた時の、名前かな…“
「ユズキ、カナデ…」
反芻する様に呟くローファス。
違和感はあった。
ユズキ カナデ——彼女の顔を見た時から、どういう訳か、放っては置けない感覚と強烈な既視感を覚えていた。
親しい誰かと重ねていた。
今、その誰かがはっきりと分かった。
アベルの片割れ、ユズキ カナデは——彼女は何処かユスリカに似ている。
純粋な黒髪、顔立ち、雰囲気——その全てに、ユスリカと重なるものがある。
久しく会っていない事もあり、彼女に似た顔に親しみを覚えてしまったのか、絆されたのか。
しかし“ユズキ”という名——これは以前ユスリカに聞いた本名、“ユズキ リカ”と一致する。
顔立ちが似ていて、名前も一致する。
これは果たして、単なる偶然なのか。
そういえばユスリカは、生まれ故郷が分からないと言っていた。
物心つく前の記憶は無く、大怪我を負っている状態で発見され、教会で保護されたと。
当時は
この大陸には多くの国、数多の人種あれど、言語は共通。
生まれてから一切人と関わらない環境で育ったか、辺境の山奥などの隔離された部落に住まう山の民でも無い限り、言語が分からないなど本来であればあり得ない事。
ローファスの中で、得体の知れない何かが組み上がっていく。
しかし答えは出ない。
確かめようにも、ここにはユスリカは居らず、当のユズキ カナデも助ける目処も立たぬままに消滅し掛かっている。
「…」
『…何…どうし、たの…』
ユズキ カナデを見据え、ローファスは思案する。
この女は助ける手立ても無く、仮に助けられたとてメリットは無い。
しかし、多くの謎を抱えており、それを差し引いたとしてもユスリカに似ている。
ユスリカに似ている——たったそれだけの理由で、助ける理由になり得るだろうか。
その結論を出すのに、時間は掛からなかった。
考えるまでもなく、答えは決まっている。
ローファスは指先に神力を宿し、本来ならば触れられる筈も無い霊体であるユズキ カナデの頰に触れる。
「…助けてやる」
力強く温かな言葉が、静かな路地裏に響いた。
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