158# 血筋
人と付き合うのは苦手だ。
子供というのは無邪気で、残忍だ。
学校、クラスという小さなコミュニティーの中で、特定の誰かを定めて皆で示し合わせる様に無視をする。
靴や鞄、教科書やノートを隠したりもする。
理由なんて特にない。
強いていうなら面白いから。
相手は誰でも良かった。
だからその特定の誰かは、定期的に移り変わる。
これはイジメではない、ただのそういうルールのゲーム。
自分の番が来たらひたすら耐える。
そして誰かに順番が移ったら、次は自分が無視する番になる。
集団で特定の誰かを仲間外れにし、それを仲間内で密かにほくそ笑む。
皆で協力して誰かを貶める。
それにより生じる一体感と、自分がその位置にいない安堵感。
酷く稚拙で、この上無く愚かな事——そんな事は皆、分かっている。
しかしそれには、何処か抗えない背徳感と甘美さがあった。
その下らないゲームは続き、中等部に上がった頃、転校生が来た。
女の子だった。
隣の席。
花飾りの髪留めが特徴的な、とても可愛い子だった。
話が合い、その日の内に打ち解けて友人になった。
校内や街を案内し、放課後には人気のカフェにも行った。
その子の家の前で別れ、今度招待するとまで言ってくれた。
これから宜しく、と笑い合った。
きっとこれから楽しい学校生活が始まる、そう信じて疑わなかった。
翌日、ゲームの順番が切り替わった。
選ばれたのは転校生だった。
当初、転校生は困惑していた。
自分にも話し掛けてきた。
でも、それに応える事は出来なかった。
無視をしなければならない、それがルールだから。
ルールを破ったら、次の標的にされてしまうから。
でも大丈夫、そう長く続く事はない。
精々一ヶ月、長くとも二ヶ月の我慢。
そうすれば、標的は他の誰かに切り替わる。
だから大丈夫、また友達に戻れるから。
しかし、もう彼女の顔を見る事は無かった。
少しして転校生は、学校に来なくなった。
また転校する事になったらしい。
転校する事が教師より伝えられた日、ゲームの標的は切り替わった。
そんな事はどうでも良かった。
その日の放課後、彼女に会いに行った。
「…私ね、前の学校でいじめにあって転校したの。でも、また…。ゲームとかルールとか、知らないし、どうでも良い。あなたの事、友達たと思ってたのに。あなたの事なんて嫌い、他の奴らより、もっと嫌い——もう来ないで」
泣きながらそう告げられ、扉を閉められた。
付き合いは数日、でも、私も彼女の事を友達だと思っていた——でも、ルールを破れなかった。
悪いのは私だ。
それからは、ゲームが楽しめなくなった。
それどころか、誰かを貶めて楽しんでいる他の皆の事が、酷く悍ましく見えた。
いや、つい最近まで、私もこの中にいたんだ。
どうして今まで気付かなかったのだろう。
無邪気なんて、邪である意識が無いだけではないか。
でもきっと、これには気付くべきでは無かった。
私はこの集団に馴染めなくなり、そしてある日、
子供らしく無邪気に——無意識な悪意により、集団による馴染め無い者の排除が始まった。
前の様に、標的が切り替わる事はない。
私はずっと標的であり続けた。
心身共に成長していくに連れ、“ゲーム”はエスカレートしていった。
家族には言えなかった。
心配を掛けたく無かったから、失望させたくなかったから。
学校を休むのも、家族に言って転校するのも賢い選択だったのだろうと、今になって思う。
彼女は正しく、間違っていたのは自分。
学部が高等部へ上がり、それでもこの“ゲーム”は終わらない。
服の上からだと見えないが、制服の下には青痣だらけ。
気付けば屋上の柵を乗り越え、ぼんやりと地上を眺める日が増えていた。
一歩踏み出せば、この地獄も終わる——でも、きっとそれはやってはいけない選択。
お母さんもお父さんも、きっと悲しむ…いや、悲しまないかも。
エリート思想の強い人達だ。
出来損ないの娘の死に、落胆はあっても悲しみがあるかは怪しいものだ。
でも、なんかそれもどうでも良くなってきた。
ああそうか——きっと、とっくの昔に限界を超えてたのだろう。
そして、今まで踏み出せなかった空への一歩を踏み出す。
私は今も昔も、そしてきっとこれからも——人と付き合うのは苦手だ。
*
空への一歩を踏み出し、この生き地獄が終わる筈だった。
しかし屋上から投げ出された身体が、落下する事はない。
誰かに首根っこを捕まれ、私は屋上から宙ぶらりんになっていた。
麻痺していた高所の恐怖が身体中を駆け巡り、今になって足が竦む。
「——ひっ」
校舎を駆け抜けたビル風が下から吹き抜け、スカートが舞い上がった。
上履きが片方地上へと落下し、肝が冷える。
そして急激に抗いようのない感覚に襲われ、生暖かい感覚が両足を伝い落ちる。
先にトイレに行っとくんだった、と顔を羞恥と後悔に染めながら、急いで舞い上がったスカートを下し、自身の首根っこを掴み支えている誰かに視線を向ける。
見慣れない衣装、黒衣の男だった。
上から下まで、装飾品すら暗黒色の黒ずくめ。
アイドルかと見紛う程の顔立ちと、それを台無しにする程の冷たく鋭い目。
男はゴミでも見るかの様な冷淡な目で、私を見ていた。
「自殺志願の失禁女——これが保護して欲しい血筋か…?」
『あー…うん、そう』
男の胸ポケットにあるタブレットより、何とも言えない返事が響く。
見慣れぬ黒衣——とてもではないが、学校には似つかわしくない。
コスプレ? 不審者?
混乱しながらも、私はポツリと言葉を発する。
「だ…誰ですか」
「…」
男は溜息を吐きつつ、私を屋上へと引き戻した。
*
三国会談があった日の翌朝、ローファスの病室には幾人もの面々が押し掛けていた。
フォル、カルデラ、リルカ、アンネゲルト、そしてレイモンド。
因みに、飛空艇で療養していたリルカ以外にはお目付役兼護衛として帝国兵が付いているものの、彼らはローファスの病室にまでは入らず、廊下で整列して待機している。
病室にて、フォルはベッドに腰掛け物思いに耽り、カルデラは何とも言えない顔でその側に控え、アンネゲルトは神妙な顔でソファに座っている。
そして病室の入り口付近では——リルカがレイモンドの胸倉を掴んでいた。
「ちょっとレイモンド! 私、ロー君に付いててあげてって言ったよね!? 体調悪いんだよ!? 安静にしてなきゃいけないのに、なんで放っといているの!?」
「…申し訳ない、リルカ嬢」
低身長ながら、長身のレイモンドを相手に見上げる形になろうとも感情的に掴み掛かるリルカ。
レイモンドはそれに、申し訳なさそうに謝罪する。
病室にローファスの姿は無い。
誰にも行き先を告げず、病院の監視カメラにも映る事なく姿を消していた。
「落ち着けよ。病上がりはお前も同じだろ、リルカ」
「ロー君の方がよっぽど状態悪いよ! ファーちゃんは心配じゃないの!?
リルカは元来、魔法や術式に対して非常に優れた感性を持っている。
故に、リルカにとっては当たり前に気付けたローファスの状態であったが、それは他の面々には分からない事。
「レイモンドだって、24時間ローファスに付きっきりで居られる訳じゃ無いわよ。いい加減手を離しなさい——リルカ・スカイフィールド」
アンネゲルトより諭す様に言われ、興奮気味だったリルカは「…ぁ」と我に返る。
「ごめん、レイモンド…」
手を離して素直に謝るリルカに、レイモンドは気にしないでくれと手をひらつかせた。
「いや…こちらこそ。私ももう少し気を付けておくべきだったよ。まさか彼が、一人で行方をくらませるとは…」
「…ロー君が一人でどっか行っちゃうのは今に始まった事じゃないし…それによく考えれば、幾らレイモンドでもロー君は止められないかも…」
ローファスの体調が本調子ではないのは周知の事。
しかしながら、帝国を相手に啖呵を切った翌日の行方不明であるにも関わらず、帝国の仕業であるとは誰一人として考えていない。
それはローファスをどうにか出来る程の者が帝国に居るとは、とてもでは無いが考えられないが故。
リルカが怒っていたのは、体調不良のローファスを一人にしていた事に対して。
他でも無い、裏での単独行動が大好きなローファスである。
一人にしておいて、じっとしていられる訳がない。
しかしそうしたローファスの性質をよく知る者は、奇しくもこの中ではリルカのみ。
学園生活では表立った事はせず、フォルやカルデラもローファスと直接接して来た時間はそれ程長くはない。
それと比べ、何だかんだで学園外でローファスとプライベートな付き合いが最も長いリルカは、不安に駆られる様に頭を抱える。
ローファスの体調が心配、当然それもある。
しかしローファスは、余程の事が無い限り決して無理をしない。
リルカの懸念はもっと別。
ローファスは——女誑しである。
ローファスの女性の好みを、リルカはローファス本人より聞き出した事があり、よく知っている。
それは、ローファスの側近である女中——ユスリカの様な女性。
スタイルが良く、何より重要なのは黒髪。
あそこまで純粋な黒髪は、王国では珍しい。
しかしながらここ帝国には、そういった純粋な黒髪が非常に多い。
「一刻も早くロー君を見つけないと、新しい女を作っちゃうじゃん…!」
鬼気迫る顔でそんな事を言うリルカ。
「真面目な顔で何言ってんだお前…」
リルカに対し、呆れ顔で突っ込むフォル。
他の面々も、口には出さないが、そんな事を気にしているのかと大して本気にはしていない。
カルデラだけは若様なら或いは、と気掛かりな様子でやや眉間に皺を寄せていたが、それでも何かを口に出す事は無い。
「ファーちゃん! まさかロー君が女誑しって事知らないの!?」
「…確かにライトレス領でそんな話聞いた事あるけど、あれはただの噂だろ。ローファスが女を沢山侍らせてたって事実は無いらしいし」
「甘い! 甘いよファーちゃん! そんな悠長な態度でいたら、ロー君他所でどんどん女作っちゃうよ! 良いの!?」
「いや、そりゃ良くはないけど。考え過ぎだって」
溜息混じりに言うフォルに、リルカはスッと目を細める。
「ファーちゃん、もしかして知らないの?」
「…何をだよ」
「ロー君の
リルカの言葉に、アンネゲルトを含めたその場の女性陣の間でピリついた空気が流れる。
フォルは目を鋭く細め、カルデラとアンネゲルトは表情にこそ出さないものの、静かに耳を傾けている。
私は席を外した方が良いかな、なんて考えるレイモンドを置いてきぼりに話は進む。
「…それ、今いる話か?」
「私が言いたいのは、ライバルがこれからも増えるかもよって話。ロー君、見た目も良いし強いし、あれで結構優しいでしょ? 放っておいたらどんどん増えるよ」
「お前が心配なのは、ローファスの体調じゃなくてライバルが増える事なのか?」
「どっちも心配に決まってるじゃん! 何その感じ。婚約者の余裕ってやつ?」
ヒートアップし、睨み合うリルカとフォル。
レイモンドは気配を消し、そそくさと扉に向かった。
「出て行かなくて良いわよ、レイモンド」
このローファス不在の修羅場から密かに離脱しようとしたレイモンドを、アンネゲルトが止めた。
レイモンドは扉の取手に手を掛けたままピタリと動きを止める。
アンネゲルトは溜息混じりにリルカを見た。
「呆れたわね、こんな時に何を喧嘩しているの。そんな事をしている暇があるなら、ローファスを探しに出た方がまだ生産的じゃないかしら」
説教でもする様なアンネゲルトの言葉に、リルカはバツが悪そうにしつつも唇を尖らせる。
「それは、そうかもだけど…アンネゲルトさんは気にならないの? ロー君、学園でも女誑しって噂になってたらしいじゃん」
「別に気にならないわね。貴女、彼と付き合いが長い感じ出している割に、ローファスの事何も知らないのね」
「…え、何?」
額に青筋を立てるリルカに、フォルが制止の声を上げる。
「ローファスが心配で気が立ってるのはみんな同じだろ。いちいち喧嘩腰になるなよ」
「喧嘩なんかしないよ。聞くだけ。ねえアンネゲルトさん、誰が誰を理解してないって?」
リルカより鋭い視線を受け、アンネゲルトは淡々と答える。
「貴女、帝国でローファスが女を作る心配をしているんでしょう? あり得ないわよそんな事」
「…なんでそう言い切れるの?」
ふとアンネゲルトは、フォル、リルカ、そしてレイモンドに視線を流していく。
「ファラティアナ、リルカ、そしてレイモンド…私はまあ、まだ保留中だけれど。奇しくもこの場にいるのは、ローファスと親密な仲にある面子ね。そんな私達には共通点がある訳だけれど、それが何か分かる?」
「そのローファスの恋人論争に私を加えるのは止めてくれないか、切実に」
レイモンドの真顔の突っ込みを流し、リルカは顎に手を当てて思案する。
そして思い立った様に顔を上げた。
「…
「なに訳の分からない事を言っているの」
怪訝な顔で突っ込むアンネゲルト。
この場に二周目の記憶を持つのはリルカのみであり、当然リルカが言っている意味を理解出来る者は居ない。
ある種これはリルカなりの鎌掛けでもあったが、誰もそれらしい反応を見せない。
共通点…、とフォルはぼんやりとその場の面々に目をやり、ふと思いたった様に顔を上げる。
「…魔力?」
「へぇ、察しが良いじゃない」
アンネゲルトは満足げに頷く。
「魔力。より正確には、魔力を元にした強さね」
アンネゲルトは続ける。
「ローファスはね、貴族としての責務にとても忠実よ。貴族としての責務とは、自領の統治と繁栄、そして——より優れた後継を残す事」
後継——アンネゲルトのその言葉に、その場の女性陣は戦慄した様に目を見開く。
「ローファスは女誑しだ何だと言われてはいるけれどね、あれで女性関係にはとても慎重でしっかりしているわよ。彼は大貴族と言われるライトレスと言うのもあって、学園ではかなりの数の令嬢から言い寄られていたけれど、その全てを上手く躱していたわ」
アンネゲルトは、フォルとリルカをじっと見据える。
どれだけ令嬢に言い寄られても歯牙にも掛けなかったローファス。
フォルとリルカは、そんなローファスが選んだ相手。
「貴女達は、私の目から見ても魔法面において非常に優れている。彼を選び、彼に選ばれた貴女達がね。それだけでも良く分かるじゃない——ローファスが相手を選ぶ基準は、優れた魔法使いである事。貴族として、将来的により優れた魔法使いを後継として残す為に」
それはある種、平民からすれば馴染みの無い貴族的思想。
魔法国家である王国において、貴族はより強力な魔力、そして魔法を紡ぎながら勢力を伸ばしてきた。
魔力的に優れた者同士の交配、人間同士の間で行われる品種改良。
それが王国の歴史であり、そうして魔力に優れた者を残し続けてきたからこそ、貴族社会という封建制度が未だ成り立っている。
王国ではより強力な魔法使いが尊ばれ、それが政略結婚に利用される。
その思想は貴族としては一般的で当たり前の考え方であるが、恋愛小説「暗黒貴族と船乗りの少女」をこよなく愛するカルデラにとっては合理性に寄り過ぎたもので、思わず眉を顰める。
恋愛とは、もっと自由で、理屈は無く、そこには互いを想い合う温かな気持ちがある。
それこそが男女が結ばれる上で最も重要なものであり、血筋や魔力に寄り過ぎた考え方は情緒的ではなく、少々冷たく感じられる。
フォルやリルカも、どちらかといえばカルデラに近い感性を持っている筈なのだが——今、この二人にはそんな貴族特有の思想など耳に入っていなかった。
「あ、後継って…子供の事だよな…そ、そっかぁ。ローファスはそんな先の事まで考えて…」
「ろろろ、ロー君との子…!? いやいやいや、早い、早いよまだそんなの!」
フォルは茹蛸の如く顔を真っ赤にして小さくなり、リルカも同様に赤面しながら狼狽える。
何だそのガキみたいな反応は、とやや呆れながら、アンネゲルトは口を開く。
「…帝国人って魔力持ちは極端に少ないし、そもそも帝国には魔法文化自体が無いから魔力を持っていても魔法を扱えないの。つまりローファスの相手としては不適格。ローファスは貴族として、そんな相手を選ばない」
見た目の好みは別にしてね、とアンネゲルトは締め括る。
アンネゲルトが口にした根拠に、リルカは口を噤んだ。
学園でローファスが令嬢達に言い寄られていた事も、それを相手にしていなかった事もリルカからすれば初めて聞く話。
確かにローファスは、成人する以前より自領の一部地域の経営に積極的に携わる程に貴族として強い責任感を持っており、アンネゲルトの言う理屈も筋が通っている様に感じられる。
しかしリルカは、話を聞いていて一つ引っかかりを覚え、未だ頬を染める朱の抜け切らない顔で首を傾げた。
「ん…? ロー君は令嬢の誘いを断ってたんだよね? なら、なんで女誑しなんて噂が学園で流れてたの?」
「さあね。大方、嫉妬深い令嬢が流した悪評とかそんな所でしょう」
言いながらアンネゲルトはソファから立ち上がり、話は終わったとばかりにレイモンドが立つ扉へ向かう。
「あれ、何処に行くの?」
「ローファスが戻らないなら、雁首揃えてここに居ても仕方ないでしょう」
「そりゃ、そうかもだけど…」
「じゃあまた近いうちにね。ご機嫌よう」
令嬢らしく優雅に別れの言葉を口にしつつ、アンネゲルトは病室を後にする。
レイモンドもその後に続いた。
残されたフォルとリルカは顔を見合わせる。
「…私達もロー君探しに行く?」
「それもそうだな…」
リルカの案に同意し、フォルはベッドから腰を上げた。
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