156# 迎え

 極寒の国境山脈に、王国王家の紋章——太陽紋が刻まれた黄金の鎧を身に纏った騎士三名の姿があった。


 他でも無い、王都より長距離転移を用いてステリア領へ跳躍した近衛騎士である。


 ローファスより伝書を受け取った王家は、中継役として近衛騎士を送った。


 本来ならば王家、或いは相応の地位を持つ要人や外交官を派遣する所ではあるが、相手はつい先日停戦協定を破って襲撃を仕掛けて来た帝国。


 仮に護衛を付けたとしても、直接赴くのは危険過ぎる。


 ローファスより帝国首都を制圧したと報告はあったものの、それにより自棄を起こした帝国軍に捕えられ、交渉材料として人質にされる可能性も0ではない。


 故に送り込まれたのは、王国最強の戦力である近衛騎士。


 近衛騎士は長距離転移にてステリア領を訪れ、そこで飛竜を借り受けて国境山脈へと入った。


 飛竜を騎竜として運用する慣わしは王国でも珍しく、通常の騎士であれば慣れない飛竜を乗り熟す事は非常に困難。


 しかし近衛騎士は王国騎士の中でも最上位の実力者の集団であり、あらゆる技能の習得が義務付けられている。


 その技能の中には、当然馬や飛竜への騎乗技術も含まれる。


 普段乗り慣れない飛竜であろうと、近衛騎士ならば問題無く乗り熟す事が出来る。


 近衛騎士ら三名に与えられた命令は、一刻も早く《黒魔導》ローファスと合流する事。


 その移動手段として高速飛行を可能とする飛竜が選ばれたのは、流れとして当然の事。



 一面銀世界の山脈の上空を、三騎の飛竜が風を切る。


 飛竜の手綱を握る黄金の騎士——三名の近衛騎士らが国境山脈に入って間も無く、まるで待ち構えていたかの様に巨大な飛行戦艦が姿を現した。


 光学迷彩による透明化を解除し、突如として出現した戦艦に、当然近衛騎士らは臨戦態勢に入る。


 しかしその直後、戦艦より拡声器の声が響いた。


『ようこそお越しくださいました王国の使者様方! 道中大変お疲れ様でございました! どうぞ甲板へお乗り付け下さい! 中央都市までお連れ致します!』


 それは予想外に低姿勢な帝国側の声明。


 近衛騎士困惑した様子で顔を見合わせ、中央の騎士——近衛騎士副団長であるゲイリーが代表して返答する。


「折角の申し出痛み要るが、そちらの手を煩わせる気はない。こちらはこちらで行かせて頂く。道中の牽引であればお任せする」


 王国側からして見れば、帝国は現状襲撃を仕掛けて来た事もあり、暫定的に敵国扱いである。


 一見して友好的であろうとも、懐に忍ばせた刃をいつ刺して来るか分かったものではない。


 これは当然の警戒であり、それ故の申し出の拒否。


 しかし帝国側は必死の声で食い下がる。


『そう言われず! 失礼ながらそちらの飛竜よりも我らが空母の方が速度は圧倒的に上! 使者様方には一刻も早く、中央都市へとお越し頂きたいのです!』


 それは悲鳴にも似た、縋り付くような叫び。


 そのあまりにも必死な様子に、近衛騎士の一人——若手の騎士リットは顔を顰める。


「…どうします?」


 リットの呟きにも似た問いに、ゲイリーは息を吐く。


「どうもこうもあるか。罠である可能性を思えば、受けられる訳が無い」


 それは歴戦の近衛騎士としての冷静な判断。


 近衛騎士は王国でも最高峰の騎士であり、王家の剣。


 単身で災害級の魔物とすら渡り合う一騎当千の実力者達。


 その上で、高い実力を過信しない慎重さと戦士としての判断力が無ければ、近衛騎士は務まらない。


 しかしそんな近衛騎士らに、国王アレクセイの声が響く。


 相手の指示に従ってやれという、王命。


 それは帝国側の切羽詰まった様子から、ローファスに随分としてやられている事を察したアレクセイの判断。


 また、仮に罠であったとしても、それを踏み潰せるだけの実力者を選別し、送り込んでいるという自信あっての事。


 アレクセイの命に従い、近衛騎士三騎は飛竜を駆り、戦艦の甲板に着地した。



 飛行戦艦の内部に案内された近衛騎士らは、丁重に持て成された。


 文化の違いから王国の様式とは異なるものの、近代的ながらに上品さを兼ね備えた一室に通され、まるで長旅を労うかの様に葡萄のワインと新鮮なフルーツの盛り合わせを出された。


 無論、それに手を付けようとする者などこの場には居ないが。


 通された船室にはシャワー室もあり、ボタン一つで浴槽に湯を溜める事も出来るという。


 三人分のふかふかのベッドも完備。


 近衛騎士らは、正しく至れり尽くせりな環境を提供されていた。


「副団長! このソファめちゃくちゃ柔らかいです…! なんの素材で出来てるんだコレ…」


「はしゃぐな」


 ソファに座り、そのあまりの弾力に戦慄するリットに、もう一人の近衛騎士が叱責する。


 副団長たるゲイリーは何も答えず、帝国側より渡された書面に目を通していた。


 書面を見るゲイリーの右目が、魔力により淡い輝きを放っていた。


 現在ゲイリーの右目と右耳は、特殊な術式により王都は王宮——王座の間に設置された鏡面に繋がっている。


 つまりゲイリーが見聞きした情報は、その全てがノータイムでアレクセイの元へ届けられているという事。


 王座の間では国王アレクセイを筆頭に、文官武官達が鏡面を介してゲイリーの見聞きする光景を見ている。


 書面には膨大な文量でもって、此度の帝国、王国間の諍い・・について記載されていた。


 内容は謝罪から始まり、ステリア襲撃は軍の一部が暴走したテロ行為である事や、被害に対する賠償、引いては帝国中央都市の現状など。


 もっとも書面の大半はこの三日間中央都市にてローファスが起こした暴挙の羅列と、即刻この暴挙を止めさせて欲しいという抗議文——というよりは懇願文だろうか。


「…どうやら《黒魔導》は、随分と勝手をしているらしい」


 ローファスが行ったとされる暴挙を見ながら、そのあんまりな内容にゲイリーは眉を顰める。

 

 中央都市は制圧済み、事後処理は任せる。


 ローファスより伝書にて伝えられていたのはその二点のみ。


 “任せる”とあった事から、余計な事をせずにいるかと思えば、とんでもない。


 この三日間、ローファスは想定以上にやらかしている。


 国際問題スレスレ——否、普通にアウトである。


 停戦協定を破られたからといって、武力制圧した上にここまでの暴挙をやったとなると、下手をせずとも相当な問題。


 いや、それ以上に問題なのは聖竜国が介入しているという事。


 それは即ち、ローファスが行っている暴挙を聖竜国も認識しているという事。


 書面を見る限り、帝国は先のステリア襲撃は飽く迄も一部暴徒によるテロ行為であると主張している。


 ローファスの暴挙——帝国側が大袈裟に騒ぎ立てて被害者面しているだけなら良いが、もしも全てが事実であった場合、国際的に不利に立たされるのは王国側。


 どういうつもりだ《黒魔導》——ゲイリーは苛立った様子で目を細め、直ぐに雑念を散らす様にかぶりを振る。


 それを考えるのは自分では無い。


 近衛騎士副団長たる自身は、飽く迄も王都に座す陛下に情報を届ける為の中継役に過ぎないのだから。


 もっともゲイリーには聞こえないが、この情報が届いている王宮、王座の間では恐らくこの上ない動揺が広がっている事だろう。


 帝国からの書面を見る限り、《黒魔導》ローファスはここ三日間で——数多くの帝国の要人を亡き者にしているのだから。



 王宮、王座の間。


 そこでは近衛騎士副団長ゲイリーの視界が映し出される鏡面を、国王陛下アレクセイを筆頭に武官文官らが注視していた。


 帝国からの書面——懇願文には、この三日間で起きた出来事が事細かに記載されていた。


 帝国軍部の将官、大臣、上場企業の役員など、名だたる者の謎の不審死。


 並びに、SNSなる情報共有ツールによる民意煽動的な情報発信。


 これらが、ローファスの手で行われたという嫌疑が掛けられている。


 大多数の暗殺に、民意煽動。


 これだけでも、この三日間でローファスがどれだけ滅茶苦茶やっているかが分かるというもの。


 それを見た文官達は悲鳴を上げ、それとは対照的に武官達は歓喜の声を上げた。


「く、《黒魔導》は一体なんという事を…! これは問題ですぞ陛下!」


「流石は《黒魔導》殿! 襲撃に対する即時報復だけに止まらず、身の程知らずの帝国に天誅を下されるとは!」


 悲鳴と歓喜の声が入り乱れ、それに王国元帥のガナードが「控えろ!」と怒声を飛ばす。


 随分と姦しい王座の間、そんな中で国王アレクセイは静かに鏡面に映る書面を眺めていた。


 アレクセイが注視しているのはローファスの暴挙——ではない。


「…ふむ。聖竜国の介入、か」


 帝国中央都市の制圧をしているのは、厳密にはローファスではなく聖竜国。


 聖竜国は王国、帝国双方の同盟国である。


 特に帝国とは、技術、資源、物資のやり取りが盛んであり、こと経済面においては王国以上に深い関係を持っている。


 帝国と王国が戦争を始めた場合、その仲裁に入って来たとしてもなんら不思議ではない。


 ただし——


「…早いな」


 帝国軍によるステリア襲撃から始まった此度の戦争。


 ローファスとその勢力の働きにより、その翌日には戦争は終結した。


 聖竜国の介入があったのは、その直後。


 帝国には当然、聖竜国の大使館もあり、大使の常駐もあるだろう。


 故にローファスが帝国に報復を仕掛けた際、それは当然、何らかの手段で本国に連絡が行く事になる。


 聖竜国の竜種を用いた移動は、恐ろしく速い。


 その速度は、王国ステリアが用いる飛竜などとは比べ物にならない程。


 とはいえ、それを加味した上でも早い——早過ぎる。


 帝国と聖竜国の距離から考えても、この早さはあり得ない。


 それこそ、帝国によるステリア襲撃計画を事前に察知していたのではと勘繰ってしまう程である。


 そして介入して来ているのが、政治的権限を持たない姫巫女であるというのもおかしな話。


 姫巫女はその血筋から政治的価値こそ高いが、権限自体は何代も前に手放している。


 何故、そんな姫巫女が戦争介入の矢面に立っているのか。


 聖竜国の意図は不明。


 よもや姫巫女の独断などという事は流石にないだろうが。


 いや、あの・・姫巫女ならばあり得なくはないか——と、姫巫女を幼少期から知るアレクセイは肩を竦める。


 そしてアレクセイが気になるのはもう一点——帝国の書面の内容には、レイモンドの名前が入っていた。


 何故、行方不明の筈のレイモンドが帝国に居るのか。


 或いは、やはりレイモンドの失踪にはローファスが関与していたという事なのか。


 書面には、レイモンドはローファスの暴挙を止めようとしており、帝国寄りの立場を取っているとの記載がある。


 レイモンドに対する感謝の言葉まで書かれている始末。


「…これは——《黒魔導》め、謀っておるな」


 ローファスの横暴に、それを諌めるレイモンド。


 これは正しく飴と鞭の構図。


 父が外交官、そして過去に帝国で過ごしていたという事実もあり、帝国側からしてレイモンドは全く知らない顔でも無い。


 これは恐らく——いや、間違い無く失脚したレイモンドの名声を高める為にローファスが組み上げた策略である。


 先の王都襲撃の一件でレイモンドに疑惑が向けられていたのは事実——故にレイモンドには、ほとぼりが冷めるまで身を潜めさせていた。


 行方不明を装ったのは、レイモンドの死の可能性を仄めかす事で、疑惑を向けていた貴族達の不満を抑える為。


 事実として一部貴族達の間では、レイモンドの死の噂が広まっていた。


 そして帝国の襲撃というここぞというタイミングで活躍させ、帝国と王国両国を取り持つ立役者として存在感を出す。


 王国側からすれば、英雄黒魔導と共に、ステリア襲撃などという非道を行った帝国を誅した英雄の一人であり、帝国側からすれば《黒魔導》ローファスという悪虐非道な男から帝国を庇う外交官の息子。


 ローファスは帝国からのヘイトを一身に受けつつも王国民からすれば変わらず英雄であり、レイモンドは王国と帝国両国から頼られる存在となる。


 ヘイト管理が完璧だ、とアレクセイは感心する。


 帝国の要人の不審死も、当然ローファスが行っているもの——恐らくこれは、ステリア襲撃の計画に関わった者を選んで罰している。


 帝国に対して襲撃に対する報復と見せしめをしつつ、反王国の意思を持つ者らを秘密裏に一掃。


 余りにも鮮やかな手口である。


 しかもこれを行ったのは王国ではなく、ローファス個人。


 先のステリア襲撃を、一部暴徒によるテロ行為として国際的責任から逃れしようとしている帝国に対してはこの上無いカウンターパンチといえるだろう。


 帝国側からの抗議に対しても、ローファスに対して実態のない謹慎を命ずる等して表面上の厳罰を与えれば最低限の体裁は保てる。


 しかし帝国の襲撃すらレイモンドの名声回復の為に利用するとは、ローファスの手腕は恐るべきもの。


 ライトレス家からは正式に断られてしまったが、ローファスが次期国王となった暁には、王国は更なる飛躍を遂げるだろう。


 やはり惜しいな、とアレクセイは思う。


 次期国王は無理だとしても、王族を側室として嫁がせるなりして最低でも身内には取り込みたい。


 ふとアレクセイは思い出す。


 そういえばローファスと親密な関係を築く者の中に、王家の血を引くものが一人居る。


 血縁上は彼女・・も間違い無く王家の一人。


 仮にではあるが、彼女が将来的にローファスの妻となるのであれば、色々と工作はいるが、ライトレス家の爵位を引き上げ、第六——否、第五・・の公爵家とする事も出来なくはない。


「ふむ…悪くないな」


 頭を高速で巡らせながらぼそりと呟くアレクセイ。


 そんな呟きを聞き取った王国元帥ガナードが、困惑した様子でアレクセイを見る。


「へ、陛下…悪くないとは…?」


 ガナードの問いに、アレクセイは取り繕うように咳払いをする。


「む? あ…いや、先ずは《黒魔導》に話を聞かねばならんだろう。帝国が何をどれだけ主張しようと、それが事実である確証はない。皆、そう騒ぎ立てるな」


 そもそも書面に羅列されたローファスが行ったという暴挙とやらは、飽く迄も被害者面をした帝国側の主張。


 アレクセイの言葉に、ざわめいていた武官、文官らは口を閉ざした。

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