126# 再会

「この中に、アザミという名の者は?」


 ローファスの問いに、帝国兵らは沈黙する。


 夜と共に突如として現れた、黒ずくめの男。


 帝国軍が脅威と定める“特級戦力”が一人、ローファス・レイ・ライトレス。


 その顔は、帝国兵の中でも周知されている。


 “特級”が二人並ぶ——それは帝国兵にとって、最悪にも近い状況。


 しかし、とオダマキは頭を回転させる。


 “特級”が一人、レイモンドは既に防戦一方になる程の満身創痍。


 戦力としては、そこまで脅威では無い。


 問題なのは、突如として現れた“特級”ローファスであるが、こちらにはオダマキを含め、帝国軍主戦力たる上級兵が十名。


 上級兵の中でも特に戦闘面に優れた者で揃えている。


 例え“特級”であろうと、充分に押し切れる戦力である。


 何より、ローファスは魔人化をしていない人間状態——人外の戦闘に付いていけるだけの力は無い。


 魔人化ハイエンド——人から魔物への変身には、僅かばかりの隙が生じる。


 その隙を突きさえすれば、一方的に畳み掛ける事も充分可能。


 とはいえ、もう一人の“特級”の乱入というのは想定外の事態。


 帝国兵らは、ローファスに襲い掛かる事はせず、指揮官たるオダマキの指示を待っていた。


 オダマキは努めて落ち着いた様子で口を開く。


『…王国貴族、ローファス・レイ・ライトレスだな。入国許可の無い国内侵入は侵略行為と看做す。降伏するのであれば命は——』


 言いながら、オダマキの視界は傾いていく。


 上半身と下半身は鋭利な断面の元切り裂かれ、両断されていた。


 オダマキは瞬きなどしていない。


 機人化デストラクションにより人のそれを遥かに上回る程に引き上げられた動体視力により、一瞬たりとてローファスから目を逸らさなかった。


 にも関わらず、次の瞬間には何の抵抗も出来ぬままに胴体が両断されており——唯一視認出来たのは、暗黒の大鎌を片腕で振るった後のローファスの姿。


 その時の鎌を持つローファスの右腕——それは人のものでは無い暗黒そのもの。


 まさか、姿形が変わっていないだけで、既に魔人化ハイエンドしていたというのか。


 オダマキの思考は、分断された上半身が地面に落ちた事で一時中断される。


 同時、その場に居た帝国兵らの異形の身体も、オダマキと同様に両断された上半身が一斉に地に落ちた。


 地を這う帝国兵らを見下しながら、ローファスは冷酷に言う。


「まさか、この俺に二度同じ問い掛けをさせる気か? 甚だ不快だ——死に値する」


 拙い、とオダマキは肉体の再生を急ぐ。


 帝国兵は、肉体の再生核がある限り基本的にどの様な傷を負おうとも再生し、死ぬ事は無い。


 しかし再生には優先順位があり、部位が欠損し尚且つその部位が残ってる場合は、一から再生させるのでは無く、繋ぎ合わせる・・・・・・事が優先的に行われる。


 それは一から作り出すよりも、繋ぎ合わせる事の方がエネルギー消費が少ない為。


 しかしこの繋ぎ合わせは、多少の時間を要する。


 死ぬ事がないとはいえ、“特級”を前にそれは大きな隙となる。


 ——と、ここで少し遅れて切り裂かれた三度笠の一部がふわりと地面に落ちた。


 頭部の一部を失いながらも、着流しの如く変質した異装を振り乱し、機人ヒガンはローファスの元へ一直線に駆ける。


 帝国兵の中で唯一、ローファスの鎌の一撃を凌いでいたヒガンは、凄まじい剣速の居合いを放つ。


 半分魔人化したローファスの目ですら追えぬ剣速の居合——しかし、その刃は魔法障壁に食い込む形で止められていた。


 渾身の居合が防がれ、しかしヒガンは異形の牙を剥き出しにしながら嗤う。


『我が秘剣を止める者が、日に二人も…今日はなんと善き日か!』


 狂気の笑みを浮かべながら、ヒガンは連続で居合を放った。


 瞬き程の刹那に、五度の斬撃。


 その剣速は音速を裕に超えており、正しく神速の剣と呼べるもの。


 しかしそれらは悉く魔法障壁に阻まれ、ローファスの元へは届かない。


『善い、善いぞ! これも防ぎおるか!』


「…速いな。だが肝心の速度も、当たらねば意味は無い」


『まっこと然り…! 闇の訪れライトレス、“死神”の末裔よ、貴殿こそ我が全て・・・・を振るうに相応しい存在——…ぬぅ?』


 歓喜する様により深く居合の構えを取るヒガンだったが、全身全霊——文字通り限界を超えた一閃を放とうとするも、発動しない。


 雷の神獣すらも斬り捨てた秘剣“雷切り”——自身が雷そのものと化す形態に、どういう訳か変化出来ない。


「…余興は終わりか?」


 声が響く。


 死の足跡に等しい、何処か退屈そうな声が。


「まあ、褒めてやる。貴様は・・・そこそこやる方だった」


 振り上げられる大鎌。


 振り下ろさんとしたその時、ローファスの背後より友の声が響く。


「ローファス…!」


 それは危険を知らせる為の警告の声。


 ローファスがヒガンの居合を受けている内に、両断されていた帝国兵らは再生を終え、臨戦態勢に移っていた。


 ヒガンに続く形で、一斉にローファスに襲い掛かる。


 数多の軍刀、戦車の機人の剛腕、鰐の機人の大顎——それは本来ならば、断じて一人に向けられる事のない物量の攻撃。


『死ね——《暗き死神》の末裔!』


 無数の軍刀を機蔓ブランチで構えたオダマキが叫ぶ。


 如何にローファスの魔法障壁が堅固であろうとも、人外——魔人に等しい力を持つ者十名の一斉攻撃は受けきれない。


 レイモンドはそう考え、声を上げた。


 しかし——機人十名の凶刃を目前にして尚、ローファスは退屈そうであった。


 ローファスの身より、高密度の魔力波が発せられた。


 魔力は、魔力を持たない者にとって有害であり、それを直に浴びる事となる魔力波は正しく魔力を持たない帝国人からすれば脅威。


 しかし帝国兵は皆、魔法使いとの戦闘を想定されており、当然魔力波に対する訓練を受けている。


 並大抵の魔力波であれば、帝国兵——特に上級兵の中でも精鋭の彼らならば容易く耐えたであろう。


 それが並大抵の魔力波であったならば。


 ローファスの常識外れの魔力波は、間近にいた者全ての意識を容易く刈り取った。


 攻撃を当てる事すら出来ず、帝国兵らは次々と倒れ伏せる。


 それを見たレイモンドは絶句する。


 ローファスは魔法も使わず、人外と化した帝国兵らを魔力波のみで制圧してしまった。


 ローファスが発した魔力波は、強力な魔力耐性を持つレイモンドですら怖気を覚える程に異質。


 ローファスはこれ程までに強かったのかと、レイモンドは戦慄する。


 共に学園に通っていながら、自分はローファスの力の片鱗すら感じ取れていなかったのかと。


 倒れ伏せる帝国兵ら九名・・を見下ろし、ローファスは鼻を鳴らす。


「一人逃したな…刀使いか。逃げ足も早いらしい」


 魔力波を受ける寸前、持ち前の素早さで身を引いて逃げに徹したかとローファスは息を吐く。


「ローファス…」


 友の背に、声を掛けるレイモンド。


 久しく見る友の姿に感傷的になりそうになるのを堪え、レイモンドは毅然とする。


「ひと月振りか…少し痩せたか?」


「…君の助けが無ければ危なかった。ありがとう」


 頭を下げ、レイモンドは続ける。


「知り合いの少女が攫われたんだ、帝国兵に。直ぐにでも助けに行かなければならない。でも…何処に連れ去られたのか、場所が分からない」


「…」


 ローファスは無言で、レイモンドに近付いて行く。


 レイモンドはローファスに縋る様な目で、更に言葉を続けた。


「もう私の魔力は残り少ない…帝国軍を相手に出来るだけの余力が無いんだ。これでは彼女を、アマネを救えない…ローファス頼む、どうか——」


 レイモンドが言い終わる前に、ローファスはその胸倉を力任せに掴み、引き寄せた。


「ろ、ローファ——」


「黙れ」


 動揺するレイモンドを、ローファスは黙らせる。


「なんだ、その腑抜け面は。まるで弱者の面構えだ。俺はそんな男を友に持った覚えは無い」


「…私は、君ほど強くはないよ」


「どうやらそうらしいな。次会ったら一発殴ろうと決めていたのだが、その気も失せた。腑抜けた貴様など、殴る価値も無い」


 ローファスはそう吐き捨てると、突き飛ばす様にして胸倉を離す。


「ローファス、どうか…」


「くどい。この俺が、弱者の戯言などに耳を傾けると思うのか? たった今命を救われておきながら、その上で尚も助けを求めるか。甚だ図々しい。面の皮の厚さだけは一人前だな」


 ローファスの罵りに、レイモンドは目を伏せ、言い返そうともしない。


 その弱々しい態度が、よりローファスを苛立たせた。


「ローファス…私に出来る事なら何でもする。だから彼女を」


「…これ以上俺を失望させるなよレイモンド。そもそも、何故そうもそいつに固執する。その女は貴様のなんだ」


 ローファスの問いに、レイモンドは真っ直ぐな目で見返す。


「大切な人だ。多分…惚れている」


 レイモンドのあまりにも予想外な言葉に、ローファスは目を剥いて驚く。


「は……た、たいせっ——ほれ…!?」


 ローファスは暫し呆気に取られるも、その目を怒りに染めて肩を震わせた。


「…な、ならば尚更だろうが貴様! 何を他者に委ねている愚か者! 世界の王になるのだろう!? なら好いた女一人位、手ずから救ってみせろ!」


 ローファスは懐の影より一本のスクロールを取り出すと、レイモンドの胸に殴り付ける様に渡す。


「…っ——こ、これは…?」


「貴様の復帰を望む者の声だ。腑抜けた貴様には過ぎたものだがな」


 レイモンドはおずおずとスクロールを開き、その内容に目を通す。


 それは魔法契約書コントラクト——ローファスがとある大貴族より預かっていたもの。


 契約書にサインされた大貴族の名を見たレイモンドは、目を細める。


「レイナード…彼に会ったんだね」


 少しだけ懐かしそうに、契約書に書かれた文を一語一句噛み締める様に読む。



 其の一、ベルナード・グシア・ギムレットは、レイモンド・ロワ・ノーデンス・ガレオン及びローファス・レイ・ライトレスに対して、今後友好的であり協力的である。


 其の二、ベルナード・グシア・ギムレットは、レイモンド・ロワ・ノーデンス・ガレオンが王位に就く事に関して、如何なる支援、協力を惜しまない。


 其の三、この契約は、レイモンド・ロワ・ノーデンス・ガレオンが理想に準じる限り、持続し続ける事とする。



 “王位”、そして“理想に準じる限り”——それは今のレイモンドには深く、痛い程に突き刺さる言葉。


 レイモンドが知る中でも、ギムレット伯爵ほど慎重で堅実、そして現実的な人間は居ない。


 そんなギムレット伯爵が、まさかこんな契約書を書くとは、とレイモンドは驚きを隠せない。


 そして文面から見るに、どうもローファスの事をいたく気に入った様である。


「そうか…彼ほどの人物がここまでしてくれるのか。どうやら私も、まだまだ捨てたものではないらしい」


 レイモンドはちらりとローファスを見遣る。


「ベルナード——彼とチェスはしたかい?」


あんなもの・・・・・はチェスとは言わん」


 冷たく言い切るローファスに、レイモンドは苦笑する。


「ベルナードの独自ルール…君もされたのか。あれは彼なりの挨拶の様なものだ。二度目以降は通常のルールでしてくれるよ」


 言いながらレイモンドは、その魔法契約書コントラクトの署名欄に、己の魔力をインクにサインした。


 そして先程の弱々しさは消え、決意を胸に力強い眼差しでローファスを見る。


「アマネを…彼女を助け出す。力を貸してくれ——我が友ローファス


「…ほう」


 レイモンドの言葉に、ローファスは口角を上げる。


 弱者の縋りから、強者の要求への変化。


 それは、いつもの見慣れたレイモンドの姿。


 ローファスは満足げに笑い——握り締めた拳を振り抜いた。


 放たれた拳はレイモンドの頰にめり込み、勢い良く回転しながら地面を転がる。


 レイモンドはよろよろと上体を起こすと、赤く腫れた頰を抑えながらビックリした顔で言う。


「……痛いよ…ローファス」


「この“夜”の中では、貴様では魔力が上手く扱えんだろう。故に加減してやった。感謝しろ」


 ゴミを見る様な目で見下しながら言うローファスに、レイモンドはやや涙目になりながらぷるぷると震える。


「加減…? いやこれ…ちょっと洒落にならない位痛い…」


 レイモンドの頰は真っ赤に腫れ上がり、口内を切ったのかだらだらと血を流していた。


「贅沢者が。頭が消し飛んでいないだけマシだろうが」


「…頭が無くなったら、流石に死ぬよ」


 友人から面と向かって殴られたのは何気に初めての事であり、地味にショックを受けるレイモンド。


 因みに《闇の神》に操られ、《第二の魔王》と化していた時の戦闘はカウントしていない。


 そんなレイモンドにローファスはポーションを投げ寄越し、背を向ける。


「力を貸せと言う話だったな。それに対する返答は“No”だ」


「え、えぇ…」


 この流れで断るとかある? と困惑するレイモンド。


 ローファスは背を向けたまま答える。


「まさかこの俺が、貴様の為だけに遥々帝国まで来たと思っているのか? 勘違いをするな、貴様を助けてやったのは道中のついでだ。俺には俺で別件がある」


「別件…?」


「助けが欲しいならこれから来る連中を頼れ。俺はもう行く」


 ローファスの影が広がり、巨大な暗黒のグリフォン——デスピアが姿を現す。


 そのついでとばかりに、広がった影が倒れ伏せる帝国兵ら九名を飲み込んだ。 


「これから来る連中…? そう言えばさっきアンネの声が…まさか、オーガスやヴァルムも来ているのか?」


 驚いた様に目を見開くレイモンド。


 ローファスはその問いには答えず、デスピアの背に飛び乗る。


 そして暗黒に染まった右腕——その部分的な魔人化ハイエンドを解く。


「…魔力が扱えねば不便だろう。“夜”は解除しておいてやる」


 その言葉を最後に、ローファスはデスピアを羽ばたかせ空へと飛翔する。


 デスピアの速度は凄まじく、その巨大な姿は瞬く間に小さくなっていった。


 間も無く“夜”は明け、レイモンドの元に飛空艇が現れる。

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