135# 《原作主人公》と《剣帝》
指揮官権限を持つスイレンは、戦場での兵の所在や動向の情報をリアルタイムで得る事が出来る。
王国からの襲撃者達の対応に当たった者達の反応が、次々と消えていくのを感じていた。
気の良い同僚達、上司、同郷の友、剣の師——
一人一人の死を噛み締めながら、スイレンは軍刀を振るう。
しかし実体を持たない蒼炎は、スイレンが繰り出す斬撃を受けようとものともしない。
煌々と燃え盛る大炎がスイレンを襲うが、それが届く事は無い。
時には躱され、剣圧で吹き飛ばされ、その全てが最低限の動作でいなされる。
故にアベルは、回避困難な質量での攻撃を仕掛けるが、その悉くをスイレンは難無く対処して見せた。
これだ、とアベルは思う。
この圧倒的な回避能力と、当たれば致命傷必至の鋭い剣技がスイレンを最強たらしめる。
物理攻撃を受け流す事が出来るアベルは兎も角、かつての仲間達ではスイレンの剣技を受け切る事が出来なかった。
こちら側の攻撃は当たらず、スイレンの剣技は一撃必殺——故に前回は勝ち目が無く、逃げる他無かった。
しかし今は周囲に気に掛けるべき仲間は居ない。
近くに仲間が居ては使えない範囲技や、威力制限無しの魔法——戦術の幅はかなり広い。
その上、スイレンの斬撃を受け流す炎の身体もある。
条件だけ見るならば圧倒的に有利——にも関わらず、どんな攻撃を仕掛けようともスイレンには当たらない。
それは純粋な力では無く、圧倒的な技量の差。
四天王《竜駆り》のヴァルムと戦闘した時と近い感覚。
人数、手数、力、速さ——あらゆる面で勝っているにも関わらず、技術一つで全てが覆される。
やはり強い、と歯噛みするアベル。
しかし、ここでふとスイレンが剣を止めた。
アベルも一時攻撃を止める。
『——? 何故、剣を下ろす?』
「…同僚が死んだ」
僅かに悲壮を漂わせながら、抑揚の無い口調で言うスイレン。
それにアベルは『そう、か…』としか答えられなかった。
敵とはいえ、人の死に居た堪れなくなったアベルは、形態を炎から人の状態に戻す。
スイレンを前に炎化の解除——正しくそれは、自殺行為。
《
炎の身体ではなく、肉の通った人の身体でスイレンと向き合いたいとアベルは思った。
「…スイレン、退いてくれないか。僕達は王国を守る為に動いているだけだ。帝国をどうこうしようとは思っていない。お互いに、これ以上被害は——」
アベルの言葉を遮る様に、スイレンはその身を——黒鉄に染めた。
『…先に逝った同僚を責める気は無いが、俺のノルマが増えた。お前一人に、時間を掛けている場合では無くなった』
スイレンは酷く冷たく、吐き捨てる様に言う。
直後、目にも止まらぬ斬撃がアベルを捉えた。
炎化を解いていたアベルは斬撃をもろに受け、胴から肩に掛けて深々と切り裂かれた。
鮮血が舞い、
『アベル! なんで炎化解いて——早くポーションを…!』
アベルは
「…君の同僚については、気の毒に思う。僕だって仲間を失うのは嫌だ。想像もしたくない…でも、だからこそ分からない——なんで、
『…』
スイレンは言葉を交わす暇すら惜しいとでもいうかの様に、無言で軍刀を振るう。
アベルは全身に炎を纏い、蒼炎の剣で斬撃を受け——受け切れずにその身に傷を負いながらも、言葉を続ける。
「
『…ガキが』
アベルの言葉に、スイレンは苛立ちを抑え切れなくなった様子で吐き捨てる。
『この世の何も理解していない小僧が、綺麗事ばかりを並べ立てるな。人の幸せは、他者の幸せを踏み躙った上にある——帝国では年端もいかぬ幼子ですら知っている理屈だ。やはり王国は、随分とぬるま湯に浸かっていたらしい』
「綺麗事の何が悪い! 誰も傷付かない、みんなが幸せな世界が築けるなら、それが良いに決まっている!」
『叶いもしない幻想を、さも実現可能な未来の様に語るなよ小僧!』
激昂したスイレンが、アベルの蒼炎の剣を切り飛ばす。
そして軍刀の刃を、アベルの首筋に沿わせた。
『せめてもの情けだ。そのまま、夢物語を抱いて死ね』
そのまま首を飛ばさんと刃を振り抜こうとした所で、アベルがその刀身を掴む。
手に刃が食い込み、血を流しながらも離さない。
その力は凄まじく、刃は
刀身を握り締めるアベルの手の甲が、燃ゆる炎の中で紋章が浮き上がる。
それは火神を象徴する、蒼炎の紋章。
未だ得ていなかった——火神の加護の証。
「…夢物語、そう口にするという事は、君も心の何処かでは夢に見た事なんじゃないのか」
刀身にアベルの炎が移り、スイレンは即座に軍刀を手放して距離を取る。
間も無く軍刀は、アベルの炎により焼き尽くされた。
『…戯言を』
「戯言結構。僕はこの夢物語を、
アベルの身体が炎へと変わり、その先——人外のものへと変化する。
「
それは原作五部——復活を遂げた《闇の神》との戦闘で至ったアベルの
アベルの
*
『ルール違反じゃん』
黄の宝玉が言った。
赤の宝玉が答える。
『それを可能にするだけの余力は残していた。下らない“導”などで力を使い果たした
『…あっそ』
黄と赤の宝玉の間で、ややピリついた空気が流れる。
ふと、黄の宝玉が尋ねる。
『…所で、
『俺が知るか。アイツの事だ、どうせ墓に引き篭もっているんだろう』
赤の宝玉は、にべもなく吐き捨てた。
そこはローファスが発動した番外魔法《
二つの宝玉は短い会話を終え、それぞれが姿を消した。
*
神の加護を得た存在は、限界を超えた力を発揮する。
それは事実であるが、本質ではない。
神の加護とは、与えられた瞬間から莫大な力を手にする事が出来る様な都合の良いものではない。
加護とは即ち、成長限界の引き上げ。
どんな生物にも成長があり、そして同時に限界もある。
その限界は、生物である以上決して超える事の出来ない天井であり、努力で覆る様なものではない。
その限界点を引き上げるのが、神の加護である。
故に加護を得た後、文字通り限界を超えた修練を続けた先にこそ、人智を超越した力がある。
しかし原作において、アベル達は《第二の魔王》率いる四天王と戦うべく、六神の加護を得た事で新たなる技や魔法を習得した——弛まぬ修練という工程を省略して。
それは加護による成長限界の引き上げと同時に行われた、ある種裏技的な手法——ルーツの解放。
ルーツとは根源——即ち、血筋。
聖竜国の姫巫女タチアナ・アヴァロカンドは、頭部に稲妻の如き一対の角を待つ。
人らしからぬ特徴ではあるが、タチアナは生物学上は紛う事無き人間。
それは“先祖返り”と呼ばれるものであり、最高位の竜王の系譜であるタチアナに発現した祖先の特徴。
そしてアベルも精霊の系譜に連なる者であり、“先祖返り”として魔力、特に火属性に対して人間ではあり得ない程の親和性を持つ。
故にアベルは、呪文や術式を理解せずとも、感覚的に火炎魔法を扱う事が出来る。
そして加護によるルーツの解放——アベルの場合は、血の内に眠る精霊の力を呼び起こす事で、更に人間離れした魔法の行使が可能となった。
その一つが《
肉体を特定の属性に変異させる力は、精霊の固有技能。
そしてその先の力を手にする為には、アベル自身が修練を積み上げ、心身共に成長するしか道は無い。
*
山羊を思わせる二本の捻れた角、燃え盛る火炎の鬣——その姿は、正しく炎の魔人。
それはアベルの
原作においてアベルが到達した最高地点。
アベルが纏っていた蒼炎は魔人と化した事でその色を闇色に変える。
闇色の炎——その名は獄炎。
『
スイレンは目を細めると、アベルに向けて軍刀を振るい、斬撃を飛ばす。
アベルはそれを躱す素振りすら見せず、その斬撃を受け——胴体が切断される。
しかしその胴体が切り離される事は無く、炎が溶接する様に繋ぎ合わせた。
炎化して躱した——訳ではない。
間違い無く実体を捉えて切り裂いた——にも関わらず、傷は即座に炎により修復された。
スイレンは眉を顰めつつ、更に斬撃を飛ばす。
しかし結果は同様。
アベルは無数の斬撃をその身に浴びながら、スイレンに向けて駆け出した。
規定外の膂力の向上、それにより速度も引き上げられた。
その速度は、スイレンの全速力を容易く上回る。
音速を遥かに超えた速度の拳が振るわれる——しかし、スイレンには当たらない。
アベルが速度で上回ったにも関わらず、最低限の動きで躱される。
そして軍刀による反撃を浴びせられた。
しかし結果は同じ——その傷は溢れ出した炎と共に修復される。
そしてそれ所か、アベルの身体に直に触れた軍刀に獄炎が燃え移った。
獄炎は刃を燃やし尽くし、瞬く間に燃え広がる。
スイレンは軍刀を手放し、新たな軍刀を自身の血で生み出した。
『実体のある炎…? 物理法則無視…何でもありだな、魔法とは』
アベルの肉体は実体こそあるが炎そのもの。
傷を負っても、肉体は炎と共に修復される。
実体の無い《
『流石に“特級”指定されるだけはあるデタラメさ…だが——』
スイレンはアベルの右腕を一刀の元に斬った。
炎と共にその傷が修復される——瞬間、スイレンは繋がりきっていないその腕を蹴り飛ばす。
繋がりを断たれて転がった右腕に、スイレンが投擲した軍刀が突き刺ささり、地面に縫い付けられた。
切断されたアベルの右腕は——修復されない。
『…!』
アベルは目を剥いて驚く。
明確に傷を負った訳では無い為痛みこそ無いが、スイレンを前に隻腕となってしまった。
実質的な不死身の肉体——アベルにとっては明確な経験の不足。
不死身の肉体との戦い方は、不死身の
実体ある炎という規格外ではあるが、傷を高速で修復するという点では
定石として、肉体の一部が切り離された場合——その部位が消失していない限り、基本的には一からの再生よりも
その方がエネルギー効率が良いから。
それをスイレンは数度の切り結んだ感覚から推測して実践し、アベルは切断された事でその事実を初めて知った。
しかしアベルは、即座に腕の再生を試みる。
切断面より炎が溢れ、腕の形を成して行く——再生自体は問題無く出来る。
しかし、その時間を与えるスイレンではない。
再生の間も無く、次の瞬間には首、胴体、四肢がバラバラに斬り裂かれ、その全てが即座に生成された軍刀で地面に縫い付けられる。
瞬く間に首だけとなったアベルの前に、スイレンが立った。
『
理不尽ともいえる力を前にしても、即座に対策して見せるスイレンに、アベルは怖気すら覚える。
これが帝国最強の軍人——
しかし、このまま負ける訳にはいかない。
ここで自分が敗北すれば、アンネゲルトの身が危険に晒される。
ここは死んでも、死守しなければならない。
アベルは
『スイレン…君は強い。僕では相手にならない位、恐ろしく強い。でも、僕も退けない。ここで負けて、君をこの先に通す訳にはいかないんだ。だから——少し
首だけとなったアベルの頭が、闇色の炎——獄炎と化して溶ける様に周囲に広がる。
獄炎は地面を駆け抜け、恐ろしい速度で部屋を満たしていく。
スイレンは舌打ち混じりに飛び退き、迫る獄炎を斬り払うが、闇の炎が刀身に移り、凄まじい速度で軍刀を焼き尽くした。
スイレンは咄嗟に手放すが、間に合わずに獄炎が指先に燃え移る。
獄炎は指先から腕へと瞬く間に広がっていく。
獄炎は——対象を燃やし尽くすまで決して消える事が無く、勢いが衰える事も無い炎。
スイレンはその危険性を即座に理解し、もう片方の手に軍刀を生成して闇色に燃え上がる腕を肩から切り落とした。
片腕を捨て、そして即座に再生しながら、スイレンは広がり続ける獄炎から逃がれるべく部屋の外に退避する。
『身の丈に合わぬ力を得ただけの、夢見がちなガキかと思えば…化け物め』
吐き捨てるスイレンの前には、獄炎の海の中に立つ魔人の姿があった。
その体躯は獄炎を纏って肥大化し、人の形からかけ離れている。
その姿はまるで、ダンジョンを守る
『ここハ、通さナイ…退いテくれ』
獄炎の魔人——アベルの言葉は、最早人が発する言語かも怪しいもの。
その言葉は、半分精霊語になりかけていた。
アベルの様子を見る限り、この形態はかなり無理をしてのもの。
それ程長く続けられるとは考え難いが、魔人化が解けるのを悠長に待っている訳にもいかない。
『……』
スイレンは暫し目を瞑り、殉職した同僚達の姿を思い浮かべる。
命を賭して戦い、そして散っていった同僚。
皆、各々の思想を持っていた。
決して一枚岩では無く、国に忠義を尽くす者ばかりという訳でもなかった。
しかしそれでも、皆帝国軍人として命を燃やした。
ならば自身も、帝国空軍副官として責務を果たさねばならない。
例え、皆が灯し続けた大火に、自身の命を焚べる事になろうとも。
『…これは私怨ではない、か』
スイレンは、かつての上司の言葉を思い起こす。
当時は軽く捉えていたが、今となっては少し理解出来る気がする。
自分は今、道半ばにして散っていった多くの同胞達の全てを背負ってこの場に立っている。
『成る程、確かに。これは正しく——国怨だ』
スイレンは懐より注射器を取り出すと、意を決した様に自らの首筋に打ち込む。
人外と化した状態からの、更なる変異。
それは黄泉への片道切符。
その注射器は——翡翠の魔力を帯びていた。
スイレンの
目深に被った黒の軍帽、黒の軍服、黒鉄の肌——姿形、シルエットに大きな変化は無い。
変わったのは、質。
黒鉄の肌は白く変化し、全身が鱗の様に逆立つ。
赤く無機質に輝いていた瞳の色は、翡翠に変わった。
スイレンの二度目の変化——それは、
アベルも
アベルがその変化に戸惑いを見せた束の間——翡翠の斬撃が、アベルの胴を斬り裂いた。
目にも止まらぬ斬撃——それは、この戦いにてスイレンが初めて見せた、居合抜き。
速過ぎて躱せず、気付けば斬られていた。
実体ある炎の身体——斬り裂かれた傷より、鮮血が吹き出した。
『——は…?』
流れ落ちる血。
膝を突くアベル。
溢れ出した血と共に魔力が散り散りとなり、部屋を満たしていた獄炎が霧散する。
同時に、アベルの魔人化は解け、人の姿へと戻った。
アベルは、その反動でまともに身体を動かせない。
スイレンは膝を突くアベルの元へゆっくりと歩み寄り、翡翠の目で見下ろす。
『“炎化の対策、取らない訳が無いだろう”——テセウスからの伝言だ』
翡翠の刃が、無慈悲に振り下ろされた。
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