北方山中膝栗毛

104# 火蓋

 夜の氷雪山脈。


 粉雪舞う極寒の地。


 見渡す限り純白の銀世界。


「あああぁー! こっちは相っ変わらず、さっむいのぉぉぉ!」


 吐く息も白く染まる中、黒衣を纏う白髪の初老——ライナスが叫ぶ。


 その隣には防寒着を着込んだカルロスが呆れ顔で佇んでいた。


「…まあ、それはそうでしょう」


 ライナスの格好は、屋敷でいつも着ているゆったりとした部屋着。


 その防寒性能は著しく低い。


「カルロス、ちょっとそのマフラー貸せ!」


「お断りします。全く、だから出発前に言ったのです。今の時期のステリア領・・・・は特に冷えると」


 場所は王国の北方、ステリア領。


 移動方法はライナスによる長距離転移。


 緊急時以外の長距離転移は、王国法で固く禁じられている。


 それ故に、此度の転移は内密に行われていた。


「…てかカルロスよぉ。いつまでそんな謙ってんだ、今位良いだろぉ? 俺様とお前の仲だ」


「駄目です。そこをなあなあにしては、下の者に示しがつきません」


「下だぁ? 相変わらずかってぇなぁオイ…ってな訳だ。おめぇ邪魔だってよ。今からでも帰りな」


 面倒そうに後ろへ振り返り、しっしと手を払うライナス。


 ライナスとカルロスの後ろには、もう一人居た。


 ライナスは後ろに佇むその男の足元に、ライトレス領へ送還する転移魔法陣を展開する。


 しかし呆気無く抵抗レジストされ、転移魔法は失敗に終わった。


「…勘弁して下さいよ、先代様。旦那様からの命令なんです」


 苦笑するのは兜を被らず、桜色の髪を晒す暗黒騎士。


 暗黒騎士次席、グレストロノーム=ヒューゼンバーン・ノア・クラスト——通称グレス。


 暗黒騎士筆頭のアルバに次ぐ、実力者。


「儂等のお目付け役のつもりかぁ? 出世したなぁ、おめぇも」


「つもりでは無く、普通にお目付け役です。後、先代様とカルロス様のではありませんね。正確には僕とカルロス様が、先代様のお目付け役です」


「あ!? おめぇもそっち側かよカルロス!?」


 とんだ裏切りだ! と被害者の如く騒ぐライナスに、カルロスは肩を竦める。


「当たり前でしょう。貴方は目を離したら、必ず問題を起こします」


「儂、信用無さ過ぎじゃね?」


 断言するカルロスに、ちょっとショックを受けるライナス。


「てか、何が悲しくて男三人で旅せにゃならんのか。あーあ、可愛い姉ちゃんでも居ればのう。おいグレス、おめぇ今からでも黒髪美人のユスリカちゃんと代わって来いよ」


「それは無理な相談です。それと…ユスリカに何かすれば、今度こそ若様に殺されますよ」


「あー、やっぱあいつらそういう感じ? なんだよ、ロー坊は儂と同じで黒髪好きかぁ。血は争えんのう」


 しみじみと言うライナスに、カルロスが眉を顰める。


「ローファス様は女性に対してとても紳士的ですよ。手当たり次第に手を出す貴方とは違って。間違ってもローファス様を貴方と同じなどと口にしないで下さい」


「ちょ、カルロスお前、儂に対して辛辣過ぎじゃね!?」


 そんなやり取りをしながら雪の中を歩き、三人はとある屋敷に辿り着く。


 氷雪山脈の中にぽつんと存在する白塗りの屋敷——というより、その姿形はまるで砦。


 石造りの防壁に囲まれ、巨大な門が聳え立つ。


「着いた着いた。ったく、こんな山奥に住みやがってあの木偶の坊」


 目的地に辿り着いたライナスは好戦的に口角を上げると、砦の如き屋敷に対して高密度の魔力波を浴びせた。


「ちょ——」


「…はぁ」


 突然のライナスの凶行に、グレスは絶句し、カルロスは色々と諦めた様に溜息を吐く。


 高密度の魔力波を浴びせるなど、明確な挑発行為。


 特にここはライトレス領ではない。


 下手をすれば、宣戦布告と取られかねない。


 暫しの静寂の末、重々しい門が上がった。


「ライナス——やはり貴様か。普通にノックも出来んのかおのれは…」


 上がった門の向こうで待ち構える様に立っていたのは、屈強な肉体を持つ初老の男。


 白髪混じりのプラチナブランドの髪を後ろで結い、顎には切り揃えられた髭を蓄えている。


 青緑の鋭い瞳が、三者を射抜く様に見ていた。


「久しいな、イヴァン。随分老けたなぁ。もうジジイじゃねぇかよ」


「貴様に言われたくないわ」


 ニヤつきながら言うライナスに、初老の男——イヴァンは呆れ気味に悪態をつく。


 年齢不相応に引き締まった肉体を持つライナスだが、イヴァンの肉体はそれ以上。


 着込んだ防寒着の上からでも分かる程に筋肉質であり、背の高さも相まりヒグマを連想させる。


 イヴァン・イデア・ステリア。


 ステリア辺境伯家の先代当主にして、現当主アドラーの実父、剣聖エリックの祖父に当たる人物。


 半世紀前の帝国との戦争時には、国境最前線で王国を守り続けた傑物。


 そんなイヴァンを前に、カルロスは頭を下げた。


「ご無沙汰しております——兄上・・


「カルロス…全くだ、郷土愛の乏しい弟よ」


 片や兄と呼ばれ、片や弟と呼び返す。


 交わされた言葉は少しだけ他人行儀。


 イヴァンはカルロスから視線を切り、桜髪の騎士——グレスに目を向けた。


「暗黒騎士か——貴様、強いな。ネームドか?」


「は。グレスと申します。以後お見知り置きを」


「暗黒騎士のグレス…ああ、《血霧》の異名を持つ騎士か。噂には聞いている。確か暗黒騎士の二番手だったか」


 目を細めるイヴァンに、グレスは愛想笑いをする。


「まあ良い…入れ。火酒でも用意しよう。貴様等ライトレスには、言いたい事が山程あるからな」


 三人は中へ招かれ、巨大な門はとざされる。


 山に吹く風は荒れ、吹雪となり始めていた。



 防壁に囲まれた、雪降る空を眺めながらライナスは湯に浸かった。


「あ〝ー、染みるのぉー」


 イヴァン邸の中庭に造られた露天風呂を堪能しながら、ライナスは火酒を煽った。


「かつて帝国から《暗き死神》と恐れられた武人が…とんだ老耄になったものだ」


 老いを隠しもせず、寧ろジジ臭さを全力で出すライナスに、イヴァンは何ともいえない顔で呟く。


「歳を取ったのはお互い様でしょう」


「…確かにそうだな。貴様が一番老けたぞ、カルロス。何だその白髪は、燃える様に紅かった髪は何処へいったのだ。そんなに苦労していたならライトレスなぞ捨てて帰ってくれば良かったものを」


 鍛え上げられた肉体を、肩まで湯に浸ける老人達。


 兄弟同士の久しい会話に、ライナスが割って入る。


「おいイヴァン、人の部下を引き抜こうとするな」


「うちからカルロスを引き抜いていったのは貴様だろうが。敵地に突っ込むから腕利きの戦士を貸せというからカルロスを行かせたというのに、戦後そのまま部下として連れ帰るやつがあるか」


「あーあー、五十年も前の事を今になって…みみっちいのう」


「弟を引き抜いておいてみみっちいだと!? カルロス! 貴様なんでこんなのに着いて行ったのだ!?」


 白髪混じりのプラチナブランドの髪を逆立て、怒り心頭といった様子のイヴァン。


 カルロスは改めてライナスをまじまじと見据え、首を傾げる。


「…いや本当、なんで付いて行ったんでしょう」


「マジで遠慮ねぇなおめぇは。てか、下のもんへの示しはどうした」


 頰を酒気で赤く染めながら、ライナスは顔を顰める。


 因みに、グレスは入浴に誘われたがこれを拒否し、完全武装のまま脱衣所で待機している。


 そして脱衣所には、白い甲冑を纏う二名の騎士——ステリア家の固有戦力である白凰騎士がグレスに相対する様に控えていた。


 一部の上級貴族は、王国軍とは別に固有の戦力を持つ事が王家より許されている。


 ライトレス家が暗黒騎士という王国軍に属さない独立した戦力を持つ様に、ステリア家も白凰騎士を保有している。


 それは謂わば、王家公認の私兵。


 漆黒の甲冑に身を包むグレスとは対照的に、純白の甲冑に身を包む白凰騎士。


 この二人は微動だにせず仁王立ちしており、兜の隙間から鋭い視線をグレスに向けていた。


 武装解除をしないグレスに対し、警戒心を隠しもしない。


 別に何もしねーよ、と内心嘯きつつも、その手はいつでも剣の柄に届く位置をキープしている。


 ここはステリア領——他領のど真ん中であり、ステリア家は敵とまではいえないが、手放しに味方といえる相手でもない。


 特に現在のステリア家、ライトレス家の当主同士は旧知の間柄であり、もっというなら犬猿の仲である。


 もしもライナスがステリア領で粗相をする様ならカルロスと協力して力尽くで制圧して連れ帰れ、万が一ステリア側が武力制圧に乗り出して来たなら、これを制圧して帰還しろ——そして最悪、カルロスがステリア側に付いたなら、これも制圧して連れ帰れ。


 これがグレスが、ルーデンスより受けた勅命。


 無茶言うなよ、とグレスは思う。


 要するに面倒事が起きたら兎に角武力制圧してライナスとカルロスを連れ帰って来い、という事なのだが、相手は“死神”と称された生粋の武人であり、カルロスは元《剣聖》、そしてステリア側にも現役の《紅蓮の剣聖》がいる。


 しかもノーマークだったが、ステリア家先代——イヴァン。


 これも見た感じ、控えめにいって化け物である。


 制圧とは簡単に言ってくれるが、ここまでの相手となると命懸け——如何に暗黒騎士次席のグレスでも、流石に犠牲者を出さずに収める自信が無い。


 貧乏くじを引いたな、とグレスは肩を落とす。


「まあ、この類の任務は筆頭には向かないか…アレは下手をせずとも殺してしまう」


 あの人手加減下手だからなー、と上の空でぼやきつつも、グレスは周囲に気を張り続ける。


 そんな隙がある様で無いグレスの物腰に、白凰騎士達はより警戒を高めていた。


 そんな脱衣所の殺伐とした空気を感じ取ったカルロスは、「ふむ…」と切り揃えられた口髭をなぞる。


「あちらは随分とピリついている様で」


「…全く、他所の騎士を威圧するとは情けない。教育がなっていないのではないか?」


 イヴァンは溜息混じりにある人物に目を向ける。


 この温泉には、ライナス、カルロス、イヴァンの他にもう一人居た。


 紅蓮の長い赤髪を後ろで結い、鍛え上げられた肉体を濁り湯に浸けているのは、現剣聖であり、白凰騎士の筆頭——エリック・イデア・ステリア。


 実の祖父——イヴァンより呆れの孕んだ指摘を受けたエリックは、肩を竦める。


「面目無い限りで。うちの白凰騎士は、ライトレスの暗黒騎士を随分と意識していましてね。敵意という程でもありませんが…どうも、二年前のギラン邸での騒動で、ライトレス家に良い様にされた事が忘れられない様で」


 二年前にローファスが《豪商》ギランを襲撃した際、ステリア家当主のアドラーは白凰騎士を引き連れて場の鎮圧に乗り出した。


 しかし、ライトレス家当主ルーデンスと、暗黒騎士二名が現れ、逆に制圧される形となった。


 その一件から、白凰騎士はライトレス家——引いては暗黒騎士に対して良い感情を抱いていない。


 元を正せば、エリックがこの場に居るのも、白凰騎士より連絡を受けたからである。


 先代様の元にライトレス家が攻めて来た——と。


 どういう事だと急ぎ駆けつけてみれば、仲良く酒を飲みながら湯に浸かっているではないか。


 しかもライトレス家といっても、相手は先代当主のライナスと、元剣聖でありエリックの大叔父に当たるカルロスだ。


 今でこそ現当主同士が犬猿の仲だが、先代の当主だった両者は、半世紀前の帝国との戦争で肩を並べて戦った盟友。


 極端にライトレス家とステリア家の関係が悪化したのは、現当主の代になってからである。


 因みにエリックは、ここに来てイヴァンと目が合うや否や、貴様も来いと半強制的に甲冑を脱がされ、気付けば一緒に湯を堪能させられている。


「まあ正直、当時の白凰騎士には“緩み”があったので、良い薬になったと個人的には思っています。カルロス様が頭を下げられる必要はありません」


 一人申し訳無さそうに頭を下げだしたカルロスに、エリックはフォローを入れ手で制す。


「そうだ。そのギランの件に関しても、貴様等ライトレスには色々と言いたい事があるぞライナス」


 火酒を呷り、据わった目でライナスを睨むイヴァン。


 ライナスはニヤリと笑う。


「ギランだぁ…? ああ、ライトレスうちに喧嘩売ってきたっつう阿呆商人か。報告書見たぜ、ロー坊にこっ酷くやられたんだってなぁ。ありゃ笑ったわ」


「笑い事では無いわ。あの一件でうちがどれだけの損害を受けたと…」


「脱出不可能とか謳われてた監獄塔を吹っ飛ばされたんだってなぁ」


「随分と愉しそうだな貴様。あれの復興にどれだけの費用が掛かったと…くそ、こんなのの家に嫁いで、我が愛娘は息災なのだろうな」


「あ、カレンちゃん? 心配すんな、ルーデンスの奴とは仲良くやってる…あ、そういやちょい前に泣いてたっけ?」


「あぁ!? カレンを泣かしただとぉ!?」


 イヴァンが怒気を発し、感情に呼応する様に光の魔力がその身より溢れる。


 後ろ髪を結っていた紐が弾け飛び、プラチナブランドの長い髪が天へ向けて逆立った。


「カレンを泣かせるとはどういう了見だ!? 貴様の倅の浮気か! まさか暴力なぞとは言うまいな!?」


 怒り心頭といった様子のイヴァンに、ライナスとカルロスは大して慌てた様子も無く、冷めた反応を返す。


「…何で泣いてたんだっけ?」


「ローファス様がお怪我をされた件で…」


「あぁ、魔の海域のやつね」


 ローファスの怪我、それを聞いたイヴァンは高まった魔力を鎮めた。


「む…ローファスの怪我、か。左腕を失ったと聞いたが、何故治療しておらん?」


 眉を顰めるイヴァンに、カルロスが答える。


「“呪い”を受け、再生出来ないそうで。今は義手を使用されております」


「義手か、また珍しいものを。二年前の一件では会えんかったからな。成長した姿を見てみたいものだが…」


 しみじみと呟きながら肩を落とすイヴァン。


「んだぁ? おめぇ、ロー坊とは赤子の時以来会ってねぇだろ。愛着とかあんの?」


「あるわ! 戸籍上はさて置き、血縁上、ローファスは歴とした儂の孫だぞ!」


 心外だとばかりに怒鳴るイヴァン。


 イヴァンとローファスは、血縁上は祖父と孫の関係に当たる。


 そしてルーデンスの妻にしてローファスの母、カレン・イデア・ライトレスの父は、イヴァン・イデア・ステリア——しかしこれは公にされていない事実。


 この血縁関係は、ローファスは疎か母のカレンすら知らない。


 カレンはイヴァンの庶子であり隠し子——魔力持ちの平民として育ち、成人前に母親が病死し、それに際しステリア家の親戚筋に当たる伯爵家に養子として引き取られた。


 ステリア家現当主のアドラーとカレンは、異母兄妹に当たる。


 この事実を知る人間は、極小数。


 エリックもこの事実を知ったのはつい最近であり、今でもローファスと血縁上は従兄弟関係である事に実感が湧かない。


 因みに、この話が初耳だったグレスは「は、マジで!?」と目を見開いて驚いている。


「あ、一応これ機密情報な。儂的には別にどうでも良いんだが、これバレると貴族派閥の勢力図的にかなりの面倒事になるらしいんだわ。知らんけど。だからもし漏れたらおめぇらの首飛ばすからよろぴこ」


 親指で首を掻っ切る動作をして見せ、実に軽いノリで脱衣所の三名に脅しを掛けるライナス。


 グレスは死んだ目で息を吐き、二名の白凰騎士はビクッと肩を震わせた。


 イヴァンはじろりとライナスを見る。


「あまりうちのを脅してくれるな。心配せずとも信の置ける者しかここには居らん。そこの《血霧》の事はよく知らんがな」


「うちの暗黒騎士も心配いらねぇ。機密情報は、手足を切り落されようが殺されようが吐かねぇからよ」


 ガハハと笑うライナスに、いや手足を切り落とされるのも殺されるのも御免だけどなー、と遠い目をするグレス。


 そんな重要な情報なら聞きたくなかった、知りたくなかった。


 何でそんな重大な情報をこんな酒の席で雑談感覚で話しちゃってんの、とグレスは半目で湯船に浸かる老人達を見遣る。


「それで、ローファスが受けた“呪い”とは何だ。魔の海域——例の《船喰い》討伐と関係があるのか? …まさか、《磯の魔女》か?」


 真剣な目で問うイヴァンに、ライナスは首を横に振り否定する。


「いや、それとは別件だ」


 カルロスが眉を顰める。


「《磯の魔女》…? 何の話です?」


「あ? カルロス、おめぇ知らねぇんだっけか。あの海域にゃ《磯の魔女》っつうヤベェ奴の縄張りでな。《船喰い》はそれのペットなんだわ」


「《船喰い》——あの巨大なクラーケンがペット…? では、あの鯨は…」


「さてなぁ? だが伝承じゃ、昔あの海域で“マトラ”っつう鯨の神獣が祀られてたらしい…それなんじゃね?」


「鯨の神獣…!? ではローファス様の“呪い”は神獣の…」


「いら知らねぇよ? その伝承自体かなり昔のものらしいしな」


 思い出す様に言うライナスに、カルロスは目を細める。


「…随分と詳しいですな。ライナス様が民間伝承に精通しているとは初耳です。誰から聞いたので?」


「あぁ、そりゃあれだ。昔あの辺の海域を縄張りにしてた海賊とやり合ってた時があってな。そん時意気投合した女海賊に聞いたんだわ——ベッドの上で」


 エロジジイという言葉が似合う気色の悪い笑みを浮かべるライナスに、カルロスは溜息を吐く。


「ローグベルトの海賊…というと40年程前ですか。奥方様と婚姻を結ばれた頃ではないですか」


 呆れるカルロスに、ライナスは舌を出して笑う。


「ああ、何故かバレた。んで殺されかけた。いやぁ、一途で嫉妬深い良い女だった」


「最低の浮気野郎ですな。ルーデンス様は一途な奥方様に似られた様で良かったです」


 ハハハ、と笑いながらグラスを乾杯して酒を呷るライナスとカルロス。


 それにイヴァンが怪訝な顔で近寄る。


「おい、鯨とは何の話だ。ローファスの怪我と関係があるのか?」


「ああ、それはな——」


 得意げに説明を始めるライナス。


 それに補足する形でローファスの勇姿を熱く語るカルロス。


 楽しげに語り合う老人達を尻目に、一人温泉を堪能するエリック。



 そんな光景を脱衣所から眺めるグレスは思う。


 同窓会かよ、と。


 昨日、ライナスは突然ステリア領に行くと駄々を捏ね出した。


 ルーデンスは当然それを止めたが、一人でも行く、転移して行くと聞かないものだから、お目付け役としてカルロスとグレスが付けられた。


 余程の要件があるのかと思えば、蓋を開ければただの飲み会。


 先の時代の老人達が昔話に花を咲かせているだけ。


 気を張っていたのが馬鹿みたいだな、と少しだけ肩の力を抜くグレス。


 そんな折、ふとイヴァンが、今になって首を傾げた。


「時にライナス、手紙にあった話とはなんだ。酒を飲む口実か?」


 昨日、イヴァンの元にライナスから魔法により手紙が届いた。


“明日の夜行く、話がある”


 その二文だけが書かれた簡素な手紙。


 これまで、ライナスがこんな手紙を寄越した事は無かった。


 イヴァン自身、何事があったのかと身構えていたが、招き入れて見ればライナスは愉しげに酒を呷るばかり。


 まあどうせ隠居の身、暇は持て余している。


 長距離転移は違法だが、偶にこうして旧友と酒を酌み交わすのも悪くは無いだろう。


 そう思っていたイヴァンだが、問われたライナスは笑みを消した。


 そして夜空に浮かぶオーロラを眺め、静かに口を開く。


「…あぁ、それな。実は最近、あんまりにも暇だったんで、ご先祖さんの墓参りに行ったんだわ。んで、そん時初代さんから啓示を受けてな」


「は…?」


 先祖からの啓示、そんな荒唐無稽な事をさも当たり前の様に話すライナスに、イヴァンは眉を顰めた。


 ライナスは続ける。


「本当はローファスに伝えろって言われたんだが、あいつぁ王都の学園だしな。念話しようにも、どういう訳か着拒されてるしよぉ…」


 ライナスは拗ねた様に唇を尖らせ、そして北に聳える山脈に視線を移した。


「あの山の向こう、帝国あんじゃん?」


「あ、あぁ」


 何を当たり前の事を、ついにボケたかと心配そうにライナスを見るイヴァン、そしてカルロス。


 ライナスは気にした様子も無く、言葉を続けた。


「その帝国がよぉ、王国を攻めてくるんだとさ」


 ライナスは振り返り、北の山脈を背に口角を釣り上げた。


「——今晩」


 直後、北の山脈の向こう側から轟音が鳴り響いた。

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