92# 王家の受難

 王宮、国王の執務室。


 テーブルには書類が山の如く積み上げられている。


 内容は主に、先の王都襲撃により生じた被害報告や行方不明者の名簿、復興費の算出、教会からの人手不足による人材派遣要請等々。


 とはいえ、これらは既に多くの文官、そして宰相の目を通した後の最終確認の段階であり、目を通して王の証印を押していくだけで良い。


 尤も、量が量である為、確認と押し印だけでもかなりの重労働ではあるのだが、この際そんな事はどうでも良い。


 王国現国王——アレクセイ・ロワ・シンテリオは、国王に就任して以来、最大の悩みを抱えていた。


 王国第一王女であり、愛娘のアステリア。


 何でも、婚約者のレイモンドを差し置いて平民に恋をしてしまったらしい。


 何だそれは、ふざけるな、何処の馬の骨だ、今すぐ目の前に連れて来い手ずから処刑してやる——と、一人の父親として思わなくもない。


 そしてそれは、国王の立場としても同様だ。


 身分差の恋が映えるのは物語や演劇だけであり、現実では看過出来ない障害が数多く立ち塞がる。


 そしてその障害は、当人達が乗り越えれば終わりという軽いものでは無い。


 今回であれば、王家、貴族、引いては国民を巻き込んだ大騒動となる。


 そして話を聞くに、既にレイモンドとは話をしており、婚約破棄を提案されたという。


 勝手に話を進めるな、と国王アレクセイは頭を抱える。


 王国の王位は、男女に関わらず一子が継承する。


 正確には、一子が男であればそのまま継承し、女であればその婿が国王となる習わしである。


 つまり、アステリアの婚約者だったレイモンドは、次代の国王になる筈であった。


 それ故に、第一王女の婚約者は数ある上級貴族から、王国を背負うに足る人物を厳選し、選定する。


 国王アレクセイの目から見ても、レイモンド以上の適任は居なかった。


 だというのに——


「…ッ」


 国王アレクセイは、苛立ちから机を叩き付ける。


 レイモンドは、あろう事か王都に召喚獣を放ち、看過できない被害を齎した。


 聖女曰く、伝承の《闇の神》に操られての事らしいが、これによりレイモンドの次期王の資格は失われたといって良い。


 ライトレス家、ガレオン家を始めとする複数の上級貴族が、レイモンドの減刑を訴える嘆願書を提出して来た。


 此度の騒動を終息に導いたのは他でも無い《黒魔導》ローファス・レイ・ライトレスである。


 そんなライトレス家からの嘆願書ともなれば、どうあっても無碍には出来ない。


 かなり大規模な情報操作の末に、あれはレイモンドではなく魔王が復活した事による騒動という事で、どうにか無罪にする方向で落ち着いた。


 が、魔人化したレイモンドの魔力波は、王都中に降り注いでいた。


 姿が変容していたとはいえ、近衛騎士の中にはそれがレイモンドであると気付く者も少なく無かった。


 無論、その上での情報操作であり、箝口令。


 王国としての正式な見解は魔王の襲撃であっても、真相——あの騒動はレイモンドが引き起こしたものであると認識している者は多く居る。


 それは謂わば、レイモンドの汚点であり、悪評。


 乗っ取られていたとしても、それにより引き起こされた被害が大き過ぎた。


 そして問題なのは、アステリアが例の婚約破棄の話を伝えて来たのが、此度の騒動後であるという事。


 これが非常にややこしい。


 騒動さえ無ければ、アステリアを王位継承から外して、王位継承第二位、第二王女でありアステリアの妹であるアリアに、レイモンドとの婚約を薦めるだけで良かった。


 しかし現状、レイモンドは既に、次期国王候補としてはかなり厳しい立場にある。


 にも関わらず、このデリケートなタイミングで、アステリアが今回の騒動は自分に落ち度があると訴え出てきた。


 国王アレクセイからすれば巫山戯るな、である。


 大規模情報操作の甲斐あり、漸くレイモンドの無罪に漕ぎ着けたというのに、このタイミングで実は王家に落ち度がありましたは非常にまずい。


 そもそも今回の情報操作もかなり無理矢理に行っており、他貴族から上がる疑問の声に対して王威で割と強引に握り潰している様な状況である。


 王族と貴族は、権力と権威の絶妙なバランスで成り立っている。


 一度それが崩壊すれば、王威は地に落ち、王国は内乱と権力抗争の火の海に飲まれる事となる。


 故に王家は、弱みを見せてはならない。


 そうアステリアには教えてきた筈なのだが、どうやら教育不足であったらしい。


 仮に落ち度があったとしても、この状況で馬鹿正直に名乗り出るのは悪手以外の何物でもない。


 飲み込んで墓場まで持って行け。


 清廉潔白なのは良いが、それだけで利権と欲がひしめく権力社会は生きられない。


 王族が弱みを見せるという事は、国が揺らぐという事。


 王族は行動一つに、文字通り一国の運命が懸かっている。


 その事を正しく認識していないのか、と国王アレクセイは肩を落とす。


「甘やかし過ぎたか…いや、しかしそこまで軽率な子では無かった筈だが…」


 或いは、アステリアにとってその平民は、王家と釣り合う程の存在だとでも言うのか。


 そのアベルとかいう平民は、聖女曰く、どうも六神の意を受ける者らしい。


 此度の騒動時にも鎮圧の為に動いてくれていたとの事なので、国王アレクセイは一目見てやろうと表彰式に呼び出した。


 国王アレクセイから見たアベルの第一印象は、正義感の強そうな優男。


 民衆受けは良さそうだが、権力社会を渡り歩くのはかなり厳しそう、というのが国王アレクセイの見立て。


 尤も、平民であるが故に、そういったものとは無縁の世界で生きて来たのだろうから、それも当然の事。


 しかしながら、やはりレイモンドと比べると…というのが国王アレクセイの本音である。


 いずれにせよ、こうなってしまった以上は、アステリアの王位継承権は剥奪も視野に入れる他無い——但し内々に。


 現状、アステリアに公的な落ち度は無い——あってはならない。


 何やら学園でアステリアが平民に言い寄る姿が多くの生徒に目撃されているらしいが、所詮はその程度。


 王族に対する多少の疑惑には繋がるかも知れないが、致命的という程では無い。


 そんな事よりも今は、次代の国王についてだ。


 レイモンド以外に国王候補は、居るには居る。


 しかし、飽く迄も形式上のものであり、その資質も実力もレイモンドと比べれば数段劣る——それこそ、比べるのも烏滸がましい程に。


 レイモンドに比肩し得る適任者など——と悩む国王アレクセイの脳裏に、ふと天啓の如く一人の男が思い浮かんだ。


「いや…一人、居たな」


 レイモンドに比肩する者。


 此度の騒動の鎮圧に貢献した王都の英雄であり、王国建国より続く由緒正しい血筋。


 聞く所によると、既に領の経営にも携わっており、奴隷売買に手を染めていた自領の役人を処断した事もあるとか。


 若輩ながらにその経営手腕には目を見張るものがあり、悪政で貧困化した地域は経済的回復を見せ、領民からの強い支持があるという。


 商人との付き合いも上手く、人脈も幅広い。


 六神教の聖女とも親交があり、それは即ち教会勢力と円滑な関係が築ける事に繋がる。


 六神教と密接な関係にあるこの王国において、それは非常に有益な事。


 基本的に次期国王の候補は身内——公爵家から選定されるが、この際そんな恒例はどうとでもなる。


「《黒魔導》…英雄殿か。かのライトレス家ならば、他家の反発も無いだろう」


 レイモンド以外で、彼以上の適任者は、恐らく居ない。


 何やら女癖が悪いという噂もあるが、この際その程度の事はどうでも良い。


「英雄色を好むとも言うしな」


 一先ず、ローファスと第二王女アリアと引き合わせる所から始めるとしよう。


 国王アレクセイは、ローファスを次期国王候補にするべく、行動を開始する。



 後日、王家よりライトレス家に王印入りの書状が送られた。


 内容は無論、嫡男ローファスと第二王女アリアとの縁談の打診。


 これにライトレス家は、直ぐに返書を返した。


 それは、縁談に対する現当主ルーデンスからの回答。


 内容としては、ローファスは既に当主継承の儀を終えており、学園卒業と共に正式にライトレス家の当主となる事が決定している。


 これは王国建国時より続くライトレス家の伝統であり、ライトレスの名を強者が受け継ぐという、初代が定めた習わしに沿ったものである。


 この恒例を犯した場合、ライトレス領、引いては王国に如何なる災いが降り注ぐか想定出来ない為、非常に光栄な事ではあるが、此度の縁談は——云々。


 長々と書かれてはいるが、要約すると“丁重にお断りします”というものであった。


 王家に対してここまでキッパリと真っ向から断りを入れられる貴族家は、公爵家を除けば恐らくライトレス家位のものであろう。


 国王アレクセイは頭を抱えた。



 魔法学園。


 王都の復興に際して現在休校中の為、校舎は無人である為、通常時の賑やかさは無い。


 そんな最中、学園長室にて、学園長アインベルと第一王女アステリアが向かい合っていた。


 椅子に腰掛け、淹れたてのコーヒーを優雅に啜るアインベル。


 それに対して、アステリアは出されたコーヒーに手を付けようともせず、険しい顔でアインベルを見ていた。


「…レイモンドが、行方不明になったと聞きました」


 アステリアの言葉に、アインベルはコーヒーを啜る。


「らしいのう」


 何でも無いかの様に答えたアインベルに、アステリアは意を決した様に口を開く。


「先の、王都襲撃…あれは、レイモンドの召喚獣によるものでした。それと、関係があるのですか…」


「…」


「魔王の復活——そう、発表されています。教会も、同様の見解を…叔父様は、何かご存知なのではありませんか?」


「さて、のう…」


「叔父様!」


 はぐらかす様に目を逸らすアインベルに、アステリアは声を荒げた。


 アインベルは肩を竦める。


「アステリア、お主のお父上——国王陛下は何か言っていたかの?」


「いえ…何もお答え、頂けませんでした…」


「であるなら、儂から言える事は何も無い。あまりベラベラと話すと、儂がお主のお父上に怒られてしまう」


「それは…でも…」


 尚も納得出来ない様子のアステリア。


 国家規模での、明らかな情報操作。


 行方不明になったというレイモンドの安否も分からない。


 自分に出来る事など何も無いと分かっていても、アステリアは居ても立っても居られなかった。


 そんなアステリアの様子に、アインベルは軽く息を吐く。


「…心配せんでも、レイモンド君は無事じゃよ」


「…!」


「先の襲撃も、レイモンド君の意思とは関係無い。アステリア、お主に落ち度があった訳でも無い。あまり思い悩まぬ事じゃ」


「それは、どういう…」


 困惑するアステリア。


 アインベルは「少し喋り過ぎたかのう…」と頰を掻きつつ、肩を竦める。


「レイモンド君の件は、避けられぬ運命じゃった。しかし、少なく無い犠牲はあったが、それでも今回・・は…より良い未来に向かっておる——と、思いたいが…」


「…今回・・、とは?」


 アインベルの呟きに、アステリアが怪訝な顔で身を乗り出す。


「アベルとの、ある筈の無い記憶を夢見る時があるんです。その夢では、巨大な魔物と戦ったり、レイモンドが国を滅ぼそうとしたりしていて…」


 アステリアは、ぽつりぽつりと思い出す様に口にする。


 アインベルは僅かに目を見開き、成る程、と頷く。


「そうか…記憶の混在——何も不思議な事では無い。皆、前回の事を綺麗さっぱり忘れた訳では無いからのう。心の何処かでは覚えておる。ふとしたきっかけで、記憶の一部や感情が蘇る事もあるじゃろう。例えば——友人や想い人との再会、とかのう」


前回・・…? 叔父様は、一体何を知っているのですか」


 意味が分からずわなわなと震えるアステリアに、アインベルは「所で…」とニヤリと笑う。


「この世界が二周目だと言ったら、君は信じるか——アステリアよ」


 アインベルの頭上に白の宝玉が現れ、学園長室を照らす。


 アステリアは呆然とそれを見上げる事しか出来なかった。

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