間話3# 赤髪の少女

 彼女には幼少期より、比類無き剣の才があった。


 同年代に負けた事は無く、時には大人相手にも互角以上に立ち回った。


 初めて剣を握った時の事は覚えていない。


 物心付いた頃には、既に剣を振るっていた。


 何故自分が剣を振るっているのか、分からぬままに。


 彼女は然程、剣が好きでは無かった。


 彼女にとって剣を振るう事は、呼吸し食事し眠る、それと等しい程に当たり前の事であった。


 当たり前の事に、好きも嫌いも無い。


 ただ、剣で人に勝った時には父親から褒められた。


 幼い彼女にとって、剣の腕を磨く理由はそれで十分だった。


 十歳を超えた頃より、周囲の目が変わった。


 純粋な賞賛から、嫉妬の孕んだ視線を向けられる様になった。


 悪意ある言葉を投げ掛けられる事もあった。


 しかし、大して気にはならなかった。


 所詮は弱者の戯言、敗者の負け惜しみにしか聞こえなかった。


 悪意も、賞賛も、そのいずれも彼女の心を動かす程では無かった。


 ただし、ある言葉。


 流石は元剣聖殿の孫。


 よく掛けられるこの称賛の言葉だけは、どうにも気に入らなかった。


 自分が磨き上げてきた剣の腕前を、まるでその全てが元剣聖である祖父のお陰かの様に言われている気がして、酷く気に障った。


 かつての剣聖であり、その身をライトレス家に捧げる祖父。


 血縁上は祖父と孫であるが、彼女と祖父の間にそれ以上の繋がりは無かった。


 祖父は無休でライトレス家に仕える身であり、彼女は実の孫でありながら直接会った記憶は無く、その顔すらも遠目から見た事しか無かった。


 しかし、それでも幼少期の彼女は祖父に憧れていた。


 祖父はライトレス家の最強の剣士、周囲からそう言い聞かされて育ち、それは剣を握る彼女からすれば雲の上の人。


 だから彼女は、他の誰に何を言われようと剣を手放さなかった。


 剣の腕を磨けば、いつか祖父も見てくれる、そう信じて剣を振い続けた。


 だから目指した。


 祖父が長を務めると言う暗黒騎士を。


 父親、母親の反対も押し切って。


 彼女は類い稀なる剣の才を持ち、それを研磨する努力を怠らなかった。


 成人する頃には、熟練の騎士ですら歯が立たない程の実力を身に付けていた。


 暗黒騎士となるのも、そう時間は掛からなかった。


 そして、待ち望んだ祖父との邂逅。


 当時は暗黒騎士の筆頭として、最強の騎士として君臨していた祖父。


 そんな祖父との初めての会話は、何とも淡白なものだった。


「ああ、貴女がそうでしたか。剣の腕が優れていると聞いています。今後もライトレス家の為に励みなさい」


 祖父は、ただ一瞥してそう述べた。


 名前すら、呼ばれなかった。


 この時、彼女の中の何かが終わった気がした。


 今まで身近にあった剣が、嫌いになった。



 以降、彼女は狂った様に危険な任務に身を投じる様になる。


 死地に身を置き、己の剣を磨く様に。


 これまで剣の為に鍛え上げた肉体と技術を痛め付ける様に。


 それは自分に見向きもしなかった祖父を、いつか剣で負かして地に伏せさせる為に。


 その邂逅から間も無く、祖父は筆頭の座を降りる事となる。


 後任を暗黒騎士の次席だったアルバに譲り、祖父は別邸に移り住む事となった嫡男ローファスの専属執事となった。



 彼女は剣が嫌いだ。


 彼女は祖父が嫌いだ。


 彼女は、祖父が人生を懸けて尽くすライトレス家が少しだけ嫌いだ。


 赤髪の少女——名をカーラ。


 本名——カルデラ・イデア・コールドヴァーク。


 カルロスの孫にして、その実力の高さから自らの名を名乗る事を許された、暗黒騎士のネームドの一人である。



 数年後。


 暗黒騎士宿舎のカルデラの部屋に、嫌いな祖父が訪ねて来た。


 平民の少女の護衛と言う、何ともやり甲斐の無さそうな任務を携えて。


 期間は未定。


 祖父カルロスはそれを、カルデラに対して土下座して頼み込んだ。


 当主であるルーデンスからの許可は既に出ており、後は彼女が受けるか否かであった。


 かつて尊敬し、今では嫌いな祖父からの土下座。


 それにカルデラは、無性な苛立ちと嫌悪感を覚え、その場では感情のままに怒鳴り、罵って祖父を叩き出した。


 今の今まで、何の連絡もしなかった癖に。


 嫡男ローファスに侍り、孫である筈の自分には見向きもしなかった癖に。


 苛立ちのあまりに、カルデラは懇願するカルロスを一蹴した。


 任務の拒否、それは危険な任務の多い暗黒騎士に於いては珍しくも無い事であった。


 当主からの勅命でも無い限りは、その任務を受けるか否かの裁量は暗黒騎士個人に与えられている。


 故に、この任務の拒絶も問題になる事は無い。


 ただ、断ったとは言え、気にはなった。


 これまで実の孫であるカルデラに見向きもしなかったカルロスが、土下座までして頼んできた任務。


 それも、平民の魔力持ちである少女が未開の海域の開拓を行う為、その身を守って欲しい、と言う本当に訳の分からないもの。


 貴女ならば信頼して任せられる。


 そんなカルロスの言葉に絆された訳では無かったが、カルデラは一度は断ったものの、後にこの件を独自に調べた。


 そして、行き着いたのはとある恋愛小説。


 祖父の名で販売され、ノンフィクションと銘打たれたそれを発見したカルデラは、嫌悪の目を向けた。


 あの老害は、いい歳して何て少女趣味なものを書いているのか。


 女に生まれながら、これまで少女らしさとは無縁の生活を送って来たカルデラからして、それは蔑みにも近い感情だった。


 表紙の端にライトレス家の紋章が印字されている為、当家公認の本である事は確かだが、貴族家が恋愛小説などを出してどうするつもりなのか。


 苛立ちつつも、カルデラはその小説に目を通した。


 ノンフィクション等と謳ってはいるが、どうせ嫡男ローファスを過度に美化し、平民受けを狙ったイメージ戦略だろう——そう高を括りながら。


 そして読み終えたカルデラは——



 いつしか船乗りの少女の恋を応援する、一人の熱狂的なファンになっていた。



「おじいちゃん。この前の件、やっぱ受ける」


 その旨を直接伝えに行ったのは、読み終えた直後の事。


 そして何気に、初めて祖父の事を“おじいちゃん”と呼んだ。


「え、ぁ……えぇ?」


 その時の祖父の、小鳥が豆鉄砲でも食らった時の様な、それでいて困惑した様な愉快な顔を、きっとカルデラは忘れない。


 意趣返しをした様な気になり、カルデラは少しだけ胸がスッとした。


 しかし今はそれ以上に、ファラティアナに会いたかった。


 文章越しにでは無く、生の彼女に。


 そして願わくば、この恋の成就する瞬間を見てみたい。


 続編の読者としてではなく、登場人物の一人として。


 それはきっと、最高の特等席であろう。


 カルデラは思う。


 是非とも聖地巡礼がしたい、と。


 しかしこの場合の聖地とは何処か?


 漁村ローグベルトか? 魔の海域か? 二人が寄り添った無人島の洞穴か? 或いは、ファラティアナが告白した丘だろうか?


 きっとそれは、どれもが不正解。


 いずれも巡礼すべき地として相応しいとは思うが、聖地と呼ぶには大仰だ。


 何故なら、二人の恋はまだ実っていない。


 今はまだ蕾の、その恋が成就した時、その場所こそが真の聖地と言えるだろう。


 だから今は未だ、聖地は無い。



 カルデラは確信した。


 きっとこれまで鍛え上げて来た剣は、この時の為にあったのだと。


 カルデラは心に、そして自らの剣に誓う。


 まだ結ばれていないのならば、その恋の成就は私がさせる。


 聖地が無いなら、私が創る。


 これから二人が結ばれる——聖地を。

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