57# 強襲

 海洋竜はブレスの連射を終え、ローファスの影の中に戻った。


 それはつまり、飛空艇より半径10km圏内の魔力を帯びた野鳥を殺し尽くした事を意味する。


 ローファスはふと、最高速度で移動する飛空艇を眺める。


「…時に、何故不可視化の結界を使用していない?」


「あれ、便利だけど燃費がすこぶる悪いんだよ。ずっと使いっぱなしだと燃料の魔石をあっという間に使い切っちゃうし。あと、高速で飛んでる時は結界そのものが剥がれちゃうから使えないよ」


「不可視化した状態で飛ぶのは無理か。であれば、天空都市に見つからずに近付くのは厳しいか」


「あれ? 使役されてる野鳥は駆除したんじゃ…」


 悩まし気なローファスに、リルカは首を傾げる。


「野鳥は思いの外数が多く、それも広範囲に放たれている。魔力探知の範囲に入った野鳥を片っ端から殺していけば、それは結局居場所を知らせている様なものだ」


 使い魔が死ねば、基本的に術者はそれを察知する。


 仮に野鳥に捕捉される前に殺したとして、それを繰り返せば野鳥が死んだ位置から飛空艇の辿った軌跡が術者に筒抜けになる。


 それは捕捉されているのと同じ事。


 天空都市に気付かれずに接近するには、そこらかしこにいる野鳥に見つからず移動する必要がある。


「リルカ。そう言えば貴様、不可視化と魔力遮断の魔法を使っていたな。ギランの屋敷で」


「うん、使えるけど…」


「あれは確か、結界ではなく術式を纏うタイプの魔法ではなかったか?」


「ロー君の前で一回しか使って無いよね? そんな事まで分かるの…?」


 ローファスの異常とも言える観察眼と術式の理解力にリルカは顔を引き攣らせる。


「あの魔法、飛空艇全体に掛ける事は可能か?」


「いっ!? 全体って…出来なくは無いけど…いや、やっぱ無理。普通に魔力が足りない」


 リルカは少し考えるが、直ぐに無理無理、と首を横に振る。


「魔力があれば出来る、と言う事だな」


「…ロー君さぁ。少しは自分の感覚がバグってる自覚を持とうよ。私の魔力量は並。涼しい顔で上級魔法を連発できるロー君とは違うの」


 呆れ顔で諭す様に言うリルカ。


 ローファスはそれを無視してリルカの背後に回ると、ぐいっと服をたくし上げてリルカの背中を露出させた。


「うぇっ!? ちょ、いやいやいや! 何してんのロー君!? こんな所で突然!?」


 突然のローファスの狼藉に、リルカは前側が露出しない様に胸元を押さえつつ、抗議の声を上げる。


 ローファスは面倒そうに右手の指輪の仕込刃を出して親指を切り、リルカの背中に血で方陣を描いていく。


「ん…ちょ、もぞもぞ何してんの…くすぐったいってば」


「動くな。俺の魔力を貴様に渡す準備をしているだけだ」


 ローファスの言葉に、リルカは顔を上げ、パチクリとローファスを見る。


「魔力譲渡…? ロー君、そんな事まで出来るの?」


「動くなと言ったろう。やり方自体は古くからある。別に珍しいものでもない。ただ俺と貴様では属性も違うからな。少し手間が掛かる」


「…そう言うの、先に言ってよ」


 ムスッと半目でローファスを睨むリルカ。


 魔力譲渡は古くから知られている手法ではあるが、より簡易的に魔力補給が可能なマナポーションがある為、使用者が極端に少ないマイナーな技術である。


 又、譲渡者と被譲渡者の属性が違う場合、そのまま魔力を流すと被譲渡者の体内で異なる属性魔力が混ざり合い、一時的に属性魔法の発動が困難になる場合がある。


 それ故に専用の方陣を用い、属性魔力を無属性の魔力に変換して被譲渡者の体内に流し込む必要がある。


 又、これには非常に繊細な魔力操作能力が必要であり、少しでも供給量を間違えると——


「あばばばば!? ちょ、ロー君多い! 魔力入れ過ぎ! 死ぬから! 身体破裂するから!」


 被譲渡者の身体に過度な負担が掛かり、最悪死に至る場合もある。


 故に、魔力譲渡の行使には優れた魔力操作が必須の技能である。


 ローファスは少し驚いた様に目を丸くし、魔力供給量を抑える。


「む、すまん」


「殺されるかと思ったよ、もぉ」


 魔力譲渡を受けながら項垂れるリルカを見たローファスは、ふと脳裏にある言葉がフラッシュバックする様に響く。


 ——ちょ、入れ過ぎ! 私の事殺す気、ローファス!?


 それは、聞き覚えのある様な気がする女の声。


 昔、魔力譲渡で誰かと似た様なやり取りをしたような。


 ローファスは記憶を遡るが、当然そんな記憶は無い。


 ふと改めてリルカの背中を眺め、ローファスは一人溜息を吐く。


「思っていたより、魔力総量が少ないな…」


 ぼそりと呟く様なローファスの独り言だったが、それは確かにリルカの耳に届いた。


「…聞こえてるよ? なに、何か問題ある?」


「別に」


 キッと睨むリルカの視線を受け、面倒そうに顔を背けるローファス。


 そんな折、甲板の扉が勢い良く開かれた。


「オイオイ大丈夫か、スゲェ音が中にまで響いて…」


 甲板に現れたのはホークだった。


 海洋竜の暗黒ブレスによる衝撃を受け、連射が収まったタイミングを見計らって甲板まで様子を見に来たホークは、直後服を上げて色白の背中を露出させるリルカと、その背後に回り直接肌に触れるローファスの姿が目に入る。


 ホークは驚き反射的に手で目を覆った。


「ちょ、ローファスさん! こんな所でどんなプレイっすかそれ。リルカもだ。そう言うのは寝室に誘ってだな…」


「ち、違うよっ!? いや、本当に違うから! ロー君もほら、説明してよ!」


 呆れ半分に言うホークに、慌てふためくリルカ。


 こいつら脳内はどれだけピンク色なんだ、とローファスは溜息を吐く。


「ホーク、これより飛空艇を不可視化させる。だがエンジンの騒音までは消せん。多少速度を落としても良いからエンジン音を出来るだけ落とせ」


「不可視化って、でも隠蔽結界は…」


 ホークは眉を顰め、チラリとリルカを見る。


 《緋の風》の面々は、リルカが不可視化や魔力遮断等、多種多様の魔法を使える事を知らない。


 視線を向けられたリルカが「あー…」とどう説明したものか頭を巡らせていると、ローファスが口を開いた。


「俺の魔法に決まっているだろう。しかし少し手間でな。リルカの手を借りている」


「あー。これ、儀式的なやつっすか。魔法使い複数人でやるって言う。そういや、リルカも魔力持ちだったな…いや、俺ぁてっきり…」


 ローファスの言葉に、一人納得した様子のホーク。


 ローファスは目を細める。


「分かったならさっさとエンジン音を落とせ」


「静音飛行…となると、最高速度の大体七割位までにスピード落ちますけど?」


「十分だ。やれ」


「うっす、了解っす」


 ホークはビシッと不恰好な敬礼をして船内に引っ込んだ。



 甲板にて改めて二人きりになり、ローファスから注がれる魔力に多少のむず痒さとほのかな温かみを感じながら、リルカはもじもじとローファスを見る。


「あー…なんか、ありがと。皆には高度な魔法を使えるの話してないから、助かったよ」


「礼を言われる程の事ではない。ホークが納得しそうな言葉を選んだだけだ」


「ふーん、言うねー。空気が読める男はモテるよー? 良かったね、相手が私で。普通の女の子だったら惚れてたよ?」


 悪戯っぽく笑うリルカを、ローファスは鼻で笑った。


「その余裕がいつまで続くか見ものだな」


「うん?」


「もう魔力は充分だろう。さっさと不可視化と魔力遮断を飛空艇に施せ」


「う、うん。おっけー」


 リルカはローファスの言い回しに違和感を覚えつつも、飛空艇に不可視化と魔力遮断の魔法を発動させる。


 不可視の膜が飛空艇を包み込み、瞬く間に周囲から視認出来なくなった。


 魔力が減った先から、ローファスより湯水の如く魔力が補充される。


 リルカの魔力総量では発動出来ない規模の魔法も、ローファスからとめどなく魔力を補給され、かなり強引にではあるが発動する事が可能である。


 しかしながら、当然本来であれば行使出来ない規模の魔法。


 魔力的な補助を受けたとしても、術者であるリルカに掛かる負担は思いの外大きい。


 それはまるで、ジャグリングをしながら綱渡りでもするかの様な、過剰とも言える程の度を越した集中力を要する。


「あ…ちょっと待って。やばい。これ、維持するのかなりきつ…」


「魔力が尽きる心配はしなくて良い。貴様はただ、魔法の維持に専念しろ」


「いや、だからね? その魔法の維持が」


「この速度ならば、天空都市に夜には着くだろう。それまで絶対に魔法を解くな」


「夜!? この不可視化と魔力遮断を、夜まで!? 無理無理無理無理、ムリだって。今にも解けそうなのに、集中続かないって」


 弱音を吐くリルカの頬を、ローファスは空いている左義手でぐにっとつねり上げる。


「いだだだ!?」


「聞くに堪えんな。これはイズの治療に必要な事、そうだろう?」


「う、うー…」


 放されて赤く腫らした頬を涙目で抑えながら、リルカはぐうの音も出ずに唸る。


 そんなリルカに、ローファスは軽く溜息を吐く。


「…魔力譲渡をしている最中は、謂わば俺と貴様の魔力のパスが繋がっている状態だ。多少だが、貴様が発動している魔法に干渉する事が出来る。魔法維持の肩代わりも出来るだろう。三十分交代だ、良いな?」


 ローファスの提案に、沈んでいたリルカの表情がパァっと晴れる。


「ありがとロー君。マジで大好き、愛してる」


「思ったより余裕そうだな。一時間にするか」


「いや! 三十分、三十分で!」


 その時のリルカは、割と本気で焦った顔をしていた。


 *


 時刻は夕暮れ時。


 不可視化による静音飛行を続け、飛空艇は魔力を帯びた野鳥に捕捉される事無く、目的地付近まで来ていた。


 聖竜国北部の山岳地帯。


 天を貫く程に巨大な霊峰が聳える。


 天に薄く張られた雲の膜、その更に上空。


 霊峰の頂上に、巨大な暗雲が浮遊していた。


 不自然な暗雲——それは天空都市が纏う雷雲である。


 その姿を、甲板から目視出来る程の距離まで、飛空艇は接近していた。


「霊峰の頂上、かぁ…聖竜国には半年前に来たけど、こんな所までは見てなかったなぁ…」


 巨大雲を見て目を細めるリルカに、ローファスは首を横に振る。


「屋敷でも言ったが、天空都市は飛空艇から逃げる様に移動していた。仮にここを見ていたとしても、その時には別の場所に移動されていただろう」


「あぁ、そうだったね。じゃあ移動してないって事は…奴さんはこちらの所在を把握出来ていない、と。作戦が上手くハマったね」


 ニヤリと笑うリルカ。


 現在、飛空艇の不可視化の魔法を行使しているのは、実質的にはローファスである。


 ローファスはリルカを介し、魔力譲渡の為に繋げた魔力のパスから、魔力補充と魔法制御の両方を行っていた。


 不可視化、魔力遮断の魔法で飛空艇全体を覆うのは、元より魔力総量の少ないリルカにはやはり厳しかったらしく、当初こそ交代で魔法制御を行っていたが、中盤でダウンし、終盤はローファスが一人で魔法を発動させていた。


「…なんかごめんね。結局ロー君に頼り切りになっちゃって」


「まあ、こうなるだろうとは思っていた。不可視化が暗黒魔法で再現出来れば良いのだがな」


 魔力遮断は兎も角、不可視化の魔法の系統は風属性。


 暗黒属性の魔力を持つローファスでは再現出来ない。


 故に、飽く迄も魔法を発動する術者はリルカであり、ローファスはそれを補助している形になる。


「ここまで近付けば最早逃げる事は出来んだろう。魔法を解き、最高速度で——」


 乗り込むぞ、ローファスがそう口にしようとした所で、ふと妙な胸騒ぎを感じた。


 “…上だ”


 ローファスの脳裏に、そんな言葉が囁かれた気がした。


「ッ——暗黒壁ダーククリフ


 それは反射的な魔法の発動。


 謎の囁きに対して疑問を抱くよりも先に、本能が身体を突き動かした。


 暗黒の壁が、まるで繭の如く飛空艇全体を包み込んだ。


 直後、暗黒壁ダーククリフに衝撃が走り、暗黒の繭全体がひび割れた。


 暗黒壁ダーククリフの一部が貫かれ、暗く尖った巨大な何かが露見する。


 貫いてきたそれは、飛空艇を暗黒壁ダーククリフごと鷲掴もうとする、恐ろしく巨大な猛禽類の鉤爪だった。


「まさか…デス、ピア…!?」


「驚いている場合か! さっさと魔法を解かんか馬鹿者!」


 顔を真っ青にしたリルカが呟き、ローファスが叱責する。


 ローファスが肩代わりしているとは言え、リルカは現在進行形で不可視化と魔力遮断の魔法を行使している最中である。


 魔力もローファスに依存している為、リルカが魔法を解く前にローファスが背中から手を離して魔力のパスを断つと、身の丈に合わない魔法の行使によりリルカは即座に魔力枯渇に陥る事になる。


 それ故のローファスの叱咤。


「ごめん! 魔法は解いたからもう大丈夫!」


 不可視化と魔力遮断の魔法が解かれ、飛空艇がその姿を表した。


「——」


 ローファスはひび割れている暗黒壁ダーククリフで形作られた黒い繭に、後述詠唱——魔法発動後に呪文詠唱をして魔法の耐久値を底上げする。


 とは言え、既に一部が貫かれている状態。


 巨大な鉤爪の握力も然る事ながら、この状態から完全に防ぐのは不可能。


 即座に握り潰される所、僅かな時間を稼ぐのが精々。


 しかし、その時間稼ぎが功を制す。


「シギル兄ぃ!」


『わぁーてる! 振り落とされんなよ!』


 甲板からのリルカの呼び掛けに、運転室に居るシギルの声が、スピーカーから響いた。


 飛空艇イフリートはエンジンから紅の火を噴かし、瞬間的に加速する。


 急加速した飛空艇はその場から抜け出し、直後暗黒壁ダーククリフの繭は握り潰された。


 暗黒の繭から抜け出した事で、飛空艇は常軌を逸する程に巨大なそれ・・と対峙する形となる。


 空を覆い隠す程に巨大な両翼を広げ、猛禽類の翡翠の双眸がローファスの姿を捉えた。


 上半身に鷲、下半身に獅子の姿を持つ異形の魔物——グリフォン。


 目測、通常個体の十倍以上の大きさはあろうかと言う巨体。


 四魔獣の一角、戮翼デスピア。


 デスピアは、獲物を逃した事に苛立った様子で、甲高い咆哮を山々に響かせた。

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