6# 戦支度

 海魔ストラーフは、四魔獣の中でも別段強い方ではない。


 魔王の眷属である四魔獣は、いずれも巨大である事が特徴として挙げられる。


 その中でも最も大きいのが海魔ストラーフだ。


 だが、それは強さに直結しなかった。


 物語では王国軍の援軍で来た戦艦と共闘し、勝利を収めている。


 主人公達は凶暴化し、大量発生した海の魔物の侵攻を抑え、その間に戦艦の砲撃を海魔ストラーフに当て続けて勝利を収めた。


 つまり、海魔ストラーフは、砲撃で殺せるという事。


 島程の大きさでも、所詮は軟体生物という事だ。


 だが今、ここに王国の戦艦は無い。


 我がライトレス家ならば戦艦くらい用意出来るだろうが、父上にどう説明してもご納得頂けるとは思えない。


 物語の、将来俺が殺される夢の説明をするか?


 平民が国王に昇り詰めると?


 無いな、医者を呼ばれて終わりだ。


 それに戦艦を動かすと言う事は、軍を動かすという事。


 幾ら俺が侯爵家嫡男でも、出来る事と出来ない事がある。


 だが、ここは港町。


 金もある。


 やりようは幾らでもあると言うものだ。



「クリントン。今、カルロスが貴様の悪行の全ての証拠を押さえたそうだ」


「——なッ!?」


 驚愕した様子で狼狽えるクリントン。


 まあ、カルロスが席を外して30分も経っていない。


 そんなに早く証拠が押さえられるとは思わなかったのだろう。


 残念だったな、うちのカルロスは優秀なのだよ。


「そ、それは何かの間違いでは…」


 俺からじりじりと退きつつ、扉の向こうをチラチラと見ている。


 あからさまだな、まさか逃げられるとでも思っているのか?


「ああ、隣の部屋に控えていた方々なら処理させて頂きましたよ」


 なんでもないかの様に言うカルロス。


「ば、馬鹿な…」


 膝から崩れ落ち、項垂れるクリントン。


 なんだ、伏兵を仕掛けていたのか。


 カルロスめ、仕事が早いじゃないか。


 しかし伏兵ね。


 その程度で俺やカルロスをどうにか出来ると思っていたのか?


 全く、舐められたものだ。


「おやおや、父上への報告事項がまた増えてしまったな。勝手な重税に、民への略奪、誘拐。そして、ライトレス家嫡男である俺に対する…これは、殺人未遂か? 他にも突けば色々と出てきそうだな」


 項垂れるクリントンを見下しながら、俺は事実を刺す様に突き付ける。


 クリントンはガクブルと身体を震わせるのみで、顔を上げる事すら出来ずにいる。


「これだけあると、貴様個人の罰だけでは済まないだろう。貴様の親も、まさか息子がこんな不祥事を起すとは思わなかったろうな」


 暗に、実家のセルペンテ子爵家にも責任追求する可能性を示すと、クリントンは顔を恐怖に歪めながら俺の足に縋り付こうとしてくる。


「そ、それだけは、それだけはご勘弁を…!」


「退がれ無礼者!」


「あぐっ!?」


 が、それすらカルロスに押さえつけられた。


 クリントンは上から押さえつけられながらも、うわごとの様に「慈悲を、慈悲を」と繰り返している。


 こいつは本当に貴族なのか?


 下民にも勝る無様さだな。


 そんな愚か者に、俺は救いの手を差し伸べてやる。


「クリントンよ、貴様にチャンスをやろう」


 人とはどん底に落とされると、判断力が鈍るものだ。


 それこそ垂らされた糸を無警戒に掴む地獄の亡者の様に。


 クリントンはゆっくりと顔を上げる。


「ちゃ、チャンス…?」


「そうだ、チャンスだ。何せ貴様は貴族、下民とは違う高貴な血筋だ。多少下民から搾取しただけで裁かれるなど、おかしいとは思わんか」


 絶望に満ちていたクリントンの顔に、一筋の光が差す。


「…ええ、ええ、仰る通りでございます。平民など、搾取されて当然の存在。私は、貴族なのですから!」


 息を吹き返した様に立ち上がるクリントン。


 カルロスは怪訝な目で見てくるが、俺はそれを手で制す。


 今は黙っておけ。


「だが、王国法は絶対だ。このままでは貴様は牢獄行きだろう。俺もこれだけの証拠が揃って見て見ぬ振りは出来ん。だから…チャンスをくれてやる」


「お、おお、なんと慈悲深い…して、私は一体何をすれば?」


「貴様が先程話していたローグベルトの魔物被害…それを解決するのだ」


「は…? しかしそれは住民共の苦し紛れの嘘…」


「嘘かどうかは問題じゃないんだよクリントン。重要なのは、ローグベルトから救援要請があり、それに応えたと言う体裁だ」


「体裁、ですか」


 俺の言葉に、クリントンは顎に手を当て考える。


「魔物が存在しようがしまいが、クリントン・フォウ・セルペンテが海の魔物を討伐したと、この俺が父上に報告すれば、それが現実となる」


 そう、事実は重要じゃない。


 全ては俺の言葉一つだ。


「つまり俺の言葉一つで、貴様は民を虐げた罪人にも、ローグベルトを救った英雄にも成り得ると言う事だ」


「…!」


 クリントンは天啓を得た様に目を見開いた。


「だが、俺の言葉にも裏付けが必要だ。貴様にも動いてもらうぞ」


「裏付け…私は何をすれば…?」


「魔物討伐の実績を偽装するとなると、俺の言葉だけでは流石に弱い。だから、貴様には戦力を動かした、と言う事実を残してもらう」


 俺は羊皮紙にさらさらとメモを書き、クリントンへ放り投げる。


 クリントンは慌てたようにそのメモを拾い上げた。


「そのメモに記した戦力を今日中に準備しろ」


 メモには人員、大量の火薬、大砲、武器、船、etc…海魔ストラーフを討伐するのに必要な物品を書き記した。


 クリントンはメモに目を通すと、その顔を引き攣らせる。


「ろ、ローファス様…兵士の方は傭兵を掻き集めればなんとかなりますが、武器や大砲、果ては船とまでなると今日中と言う訳には…」


 狼狽えるクリントン。


 しかし、この兵力は最低限必須。


 架空の魔物ではなく、海魔ストラーフを討伐せねばならないからな。


 妥協は一切許さない。


「駄目だ。今日中に必ず用意しろ。明日出立するからな」


「魔物などいないのです。この戦力はいくらなんでも過剰では…?」


「その位の戦力を動かさねば説得力に欠ける。それに、明日以降となると父上の介入が入るやも知れん。そうなると流石に庇えんぞ」


「う、うーむ…」


 悩むように唸るクリントン。


 こいつ、まさか自分に選択肢があるとでも思っているのか?


「そうか。嫌なら良いぞ。父上には貴様の事を嘘偽り無く報告するとしよう。次に会う時は法廷かもな」


「なっ!? お、お待ちを!」


「ならば急げ。貴様が培ってきた人脈と溜め込んだ金を全て注ぎ込んででも準備しろ。ライトレス領の民から随分と搾り取ったのだろう? 出来ないとは言わせんぞ」


「い、急ぎ準備致します…!」


 凄んで見せると、クリントンは震えながら部屋から出て行った。


 外からはクリントンが部下に指示を出す声や、ばたついた足音が聞こえてくる。


 この屋敷は賑やかだな、随分と切羽詰まっているらしい。


「逃亡を謀る恐れは?」


 ふと、カルロスが目を細めてそんな事を聞いてきた。


「クリントンがか? 無いな。奴は今どん底には居ない。垂らされた救済の糸を手繰るのに夢中だ」


 まあ、確かに逃げる可能性は0ではない。


 対策は立てておくか。


「——招魔ラーク


 俺は手の上に使い魔を召喚する。


 手の平に乗る程の大きさの、黒い毛玉だ。


 真紅の単眼がぱちくりと瞬きしながら、命令を待つ様に俺を見ている。


「クリントン・フォウ・セルペンテを監視しろ」


 使い魔は俺の言葉を聞くと、手の平の上で跳び上がり、そのまま霧となって姿を消した。


 クリントンの元へ向かったのだろう。


 これで何か異変があれば連絡が来る筈だ。



 さてさて、その日の夜。


 クリントンの屋敷で豪勢な食事でもてなされた。


 今晩泊まる部屋も用意してくれている。


 その辺の宿屋よりは質の良い部屋に泊まれるだろう。


 住民から不正に搾り取っていただけあって、本都の高級レストランにも引けを取らない食事だ。


 港町だと言うのに、魚料理が少ないのはやはり魔物被害の影響か。


 クリントンからは、晩餐の席で報告を受けた。


 俺の要求したものは全て準備出来たとの事だ。


 カルロスによると、地下の金がごっそり無くなっていたそうだ。


 金にものを言わせたか。


「よくやった、クリントン。これで明日には、貴様はローグベルトを救った英雄だ」


「いえいえ、身を削った甲斐があるというものです」


 クリントンは若干げっそりしていた。


「大砲や火薬の納品、よく間に合ったものだな」


 火薬は兎も角、大砲や砲弾は港町の商人から数を調達するのは難しいと思うが。


 と言うより、国内の兵器の売買は王国法で禁止されているからな。


 まあ、だからこそ人脈を使えと言ったのだがな。


 住民を拉致していたと言う事は、人身売買に手を出していた可能性が高い。


 そう言った闇市等にも精通しているだろうからな。


「半数はうちで常備していたものを掻き集めました。残りはあまり大きな声では言えませんが、裏のルートで…」


「ふん、しっかり準備出来たのだ。細かい事を突っ込んだりはせんさ」


 クリントンは深々と頭を下げる。


 今回はそれのお陰で戦力を揃えられた訳だし、今は追求しないさ。


 しかし我がライトレス領に後ろ暗い害虫が巣食っているのは理解した。


 事が全て済んだら潰すとしよう。


「それと、これをお納め下さい」


 クリントンが合図すると、扉が開いてガラガラと荷台が入ってきた。


 使用人が荷台に掛けられた黒布を取り払う。


 そこには大量の金貨が積まれていた。


「…なんだこれは?」


「ローファス様には今回、お慈悲を頂きましたので。無論、この程度でお返し出来るとは考えておりません。今後も私に出来る事があれば、何なりとご命令下さい」


 クリントンは顔に張り付いた様な笑みを浮かべる。


 なるほど、口止め料か。


 今回奴は、俺に弱みを握られた形になった訳だからな。


 かなりの額だな、どうせ後ろ暗い金だろうに。


「ふん、まあ貰っておこう。良い心掛けだ」


 適当に喜びそうな言葉を掛けてやると、クリントンはほっとしたような笑みを浮かべる。


 そうして笑っていられるのも今のうちだ。



 どうせ明日、クリントンは海魔ストラーフとの戦いで死ぬ予定なんだからな。

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