第4話 新見奏太
大学の夏休みを明日に控え、兄の新見研二が専攻していたのと同じ知能機械学を学ぶ新見奏太は、ワクワクしながら大型のワゴン車を|ヒューマン(H》・
奏太は現在二十一歳で大学三年生だが、兄に勝るとも劣らぬ優秀な頭脳を評価され、兄の研究所に入ることを職員一同から所望されている。
ただ、慎重な兄とは違って好奇心が旺盛すぎる奏太は、考えるよりも先に行動に走るため失敗も多い。兄からは落ち着いてやれと小言を言われてばかりだ。
先ほどその兄の研二から、アンドロイドを一週間ばかり家で預かることになったから、搬入を手伝ってくれと電話があり、H・T・Lまでやって来た。
網膜認証システムを通り、研究室に辿りついた奏太が見たのものは、下着一枚だけを身につけて、大きな実験用のテーブルに寝かされたアンドロイドだった。
「うわ~っ。本物の皮膚みたいだな。パンツの中はどうなってるんだ?」
「奏太、お前そっちの気があるのか?」
「バカ言うなよ! 俺だって研究者の卵なんだから、どこまで精密に作ってあるのか知りたいのが当たり前じゃん。あっ、でもこれ、ボディーだけは定形品で変化しなかったんだっけ」
「その個体は特別仕様だ。身体も平均サイズなら対応できる。でも、残念ながら、そこはまだ形になってない。お前の全裸をスキャンして、アンディーに入れてやれば、そっくりそのまま形成するぞ」
「勘弁して! 顔でさえもコピーされるのは嫌なのに、あそこまでコピーされたら、他所へなんかやれないじゃないか」
「恥ずかしがるサイズじゃないだろう?」
「兄さんって、裏表激しすぎ! スポンサーの妹の前でそういう下ネタをかましたら、一発で嫌われるんじゃないか? 試してみれば?」
反撃するかと思いきや、兄は真面目にそうだな~と考えている。
確か莉緒と言う名前だったと思うが、なにせ大学は同じでも、学部も違えば自分の研究も忙しいので、まだ会ったことがない。
まぁ、兄と彼女は十四歳も年が離れているし、親友兼スポンサーの妹に手を出すのは、何かあったときにダメージが大きすぎるから、慕われても困るだろうなと、兄に対して同情心が湧いた。
「ところで、アンディーって何? このアンドロイドの商品名?」
「いや、違う。アンディーは、莉緒ちゃんがつけたんだ。仕事の度に他人になるから、せめて親しみやすい名前でよんでやってくれってさ。天才だけど女の子なんだなって思ったよ」
「へぇ~っ。かわいいとこあるじゃん。でも、なんでアンドロ…アンディーを家に連れて行くんだ? 家の中にカメラを設置して、兄さんのデータを取ればいいんじゃないのか」
「全身まで変化させるようにしたせいか、この機種だけ少し調子が悪い。データ入力の際に、実際にはない性格が入り込んでしまうから改良が必要なんだ。僕の傍にアンディーを置いて、直接アンディーのアイ・カメラと内臓された頭脳を使って僕の行動パターンや性格を分析させた方が、バグが少ないんだ」
「ふ~ん。そういうこと。俺が電気系統見てやるよ。その前に兄貴の顔がどうコピーされるか見てみたいんだけど、それだけ今からやれる?」
「ああ。まだ接続機材の電源をオフにしていないから、やってみよう」
研二が横たわったアンディーの左腕を上げて脇を押すと、上腕の皮膚が割れ、中からコントロールボックスが出てきた。通常はリモコンで操作するのだが、このアンディーは調子が悪いので直接入力をする方がいいと研二が説明をしながら、アンディーの上体を起こして座らせる。
「僕の名前は新見研二。今から僕の顔と声をコピーしてくれ」
コマンドを出すと、研二はアンディ―の前で眼鏡を取って暫く静止した。
アンディーの瞳が動く。内臓されたカメラで顔のパーツの比率を計算しているのが、傍らに置かれたモニターに数字として表され、立体的な三次元構成画が、等間隔に並んだ線で描かれていく。肉眼では気が付かないほどの細く小さな笑い皺の跡までがラインと数字で表されていた。
「もういいか? 横を向こうか?」
「そうしてください。二十秒ほどでスキャンできますので、次は後ろ、また二十秒したら反対側の横を向いて一回りしてください」
「分かった。声はばっちりだ」
すっげーと叫びたいのを、雑音が入ってはいけないので、奏太はすんでのところで我慢した。研二が一回りしてからしばらく経つと、アンディーの顔の皮膚がうごめいて、頬があがり、目の形が代わり、どんどんと研二の顔が形作られていく。前髪まで伸びて横に流れるマッシュヘアーになる。奏太は息をするのも忘れて、その様子に魅入った。
「奏太。どう思う? 僕は普段自分の顔をあんまり見ないから比べようがない。客観的に見てどんなもんだ?」
「そっくり! 瓜二つだよ。これはすごい! 他のアンドロイドは、被写体の日常をビデオカメラで撮影したものから、被写体の顔を形成するんだろ? 要人の影武者なんかに使用できそうだな」
「まぁ、行く行くは他の用途を見い出すとして、まずはこのアンディーのバグの原因を調べなくっちゃならない。他のアンドロイドに同じバグが起こらないとも限らないからな」
「外部入力する際に使った元のデータと、アンディーに入力後、誤変換されたデータの数値を比べれば、おおよその見当はつくけれど、兄さんたちみたいなエリートが調べたんだから、俺の出る幕は無いな」
「いや、ロボット工学でお前はずば抜けた評価をもらっている。既成概念で検討する僕たちとは、違う観点からエラーを発見できるかもしれない。一度調べてみてくれ」
研二がモニターとアンディーの接続を外そうとしたときに、スマホが振動した。
「電話だ。ちょっと待っていてくれ」
兄が隣の控室へと移るのを見送ってから、奏太はアンディーに向き直った。
「アンディー。俺の顔も複写できるか?」
兄の顔をこれだけ見事に再現するのを目の当たりにしては、旺盛な好奇心が黙ってはいない。研究以外に興味を持たない研二が、自分の顔に無頓着なように、奏太もさして自分の風貌に興味があるわけではない。でも今は、客観的に自分がどんな顔をしているのか見てみたくなった。
繊細に整った兄の知性的な顔とは違い、奏太は彫が深くて野性味が強い男らしい風貌だと言われる。インテリ顔からどんな風に皮膚が動いて変化するのかを、つぶさに見られると思うとワクワクする。
はやる心のまま、奏太は使用上の注意を読むことも無くコマンドを出した。
アンディーの内蔵カメラを使って直接データを読み取らせる場合、アンディー自身のハードにデータが書き込まれるため、前のものを完全に消去をしてからでないと、次のコマンドを出してはいけないことを奏太は知らずにいた。
そして、原因不明の不具合を抱えるアンディーの視線が動いたとき、奏太は過ちを犯したことを知った。それもとんでもないことが起きた後で。
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