『神話世界』

「事の始まりを告げる前に。一つお主に尋ねよう。太陽、お主は、昨夜のような存在を見たことがあるか?」


 ノーデンスの質問に、俺は首を振る。


「あるわけねえだろ。あいつらみたいな」


 思いだしただけでも臓腑が抉られるような恐怖を感じる。


「あるわけない……正しくその通りだ。何故なら、あれらはお主の生きる現実世界に属する存在ではないからだ」


「どういう意味だよ」


「目を閉じるのだ、太陽」


 俺は言われた通り目を閉じる。すると風が一瞬、俺の体を通り過ぎる。


「目を開き、そして見よ」


 目を開けた時、俺は空に浮かんでいた。隣には、ノーデンスが並んで浮かんでいた。


「お主の意識だけを引っ張ってきた。儂の見た光景を実際に見てもらう方が話は早い」


 天まで届く塔が林立する。白亜の大理石で建てられた壮麗なる神殿。人々が暮らす巨大な石畳の街や、それを囲むようにどこまでも広がる緑溢れる野山。


 既視感を覚えた俺は思いだす。それはまさしく夢の中で見た世界そのものであることに。


「お主たち人間が暮らすこの現実世界と隣り合う、もう一つの世界が存在する。その世界の名は、神話世界。そこは、お主のいる現実世界では喪われた存在の楽園にして、神と人と獣が共に暮らす世界である」


 目の前に写りだされるその光景に圧倒され、俺は目がくぎ付けになりながら呟く。


「神話世界……」


「そこは神話に謳われし、ありとあらゆる神獣、そして神々が存在している」


 大空を舞うは翼を持つ馬、炎を吐く竜、雲を食らう巨鳥。

 大地を駆ける古の虎、群れなす巨獣。

 大海の中心には天まで届く巨大な樹が生えていた。 


 そして輝く神々が空を越え、山脈に囲まれた都市に聳え立つ壮麗なる神殿に集う。

 

 ファンタジー映画を超える世界が、俺の目に映っていた。


「かつて神話世界は、お主の暮らす現実世界とは隣り合って存在していた。ある者は迷い込み、ある者は夢を通って、この神話世界を訪れ、そのまま暮らした者もいれば、得たものを現実世界に持ち帰り物語として現した者もいる」


「まじかよ……」


「そして、その逆もある。古の時代、神話世界から紛れ込んだ怪物が、現実世界を荒らしたこともあった。そんな時、我々は人間の下に訪れ、資格のある人間に助力した」


 俺はノーデンスの説明に、聞き入っていた。


『なんとまあ、とんでもない世界じゃのう!』


 ヒル子も感嘆する。


「ただ、時代が経ていくにつれ、現実世界と神話世界の繋がりは薄れていった。現実世界は人間の進歩により発展していき、神の存在を必要としなくなった人々は、神話世界のことを忘れていった。神話世界に住む我々は、悠久なる時の中で現実世界とは離れ、我々の世界に移り住んだ人間を見守ることにした。」


 美しい世界に見入っていた矢先、暗雲が空を覆い始める。


「しかし、神話世界にいつしか邪なる存在が現れた」


 ノーデンスの声が低くなる。


 天蓋が割れ、漆黒の闇が広がると共に、大地が黒く汚染されていき、空間を割る歪みが生じ、何かが漏れていき、それは悍ましい姿かたちとなっていく。


「突如現れたその存在は、我らにとって全くの未知なる存在だった。我ら神話世界に存在するどの獣、人、神とも、根本的に違っていた。我らとは似ても似つかぬ異形の姿。心を狂気の淵に陥れる瘴気を放ち、神話世界を汚すそれらを我々はこう呼んだ……邪神、と」


 昨夜、俺が戦った怪物と似た悍ましい存在が、大地を、街を、世界を壊していく。

 夢で見た光景が、再び眼前に繰り返される。


「邪神は突如現れると、その恐るべき力を持って、次々と神話世界を侵略していった」


 邪神とそれに付き従う異形の怪物を前に、黄金の柱が現れ、神々が戦い始める。


「神話世界の神々は協力し、邪神と戦った。だが……」


 輝く神々が、天を仰ぎ見た瞬間、空より飛来した邪神に呑み込まれる。

 体が異形に変身し、そのまま爆発四散する神。

 海を滑空する神は、海より出でる触手に捕らえられ、海中に引き擦り込まれる。


「邪神の力は凄まじく、神々は、一柱、また一柱と邪神に滅ぼされていった。町には異形の怪物が跋扈し、汚濁に吞み込まれていった。もはや我らの世界もこれまで。人々が、そして神々すら希望を失ったときだった……」


 黒き闇に覆われた世界の天上から、一筋の光が射す。


「希望が、天より舞い降りた」

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