第二章
『異形からの逃走』
いつの間にか、目の前に現れたその異形の存在を見て、俺の頭は真っ白になる。
生物と呼ぶにはあまりにも冒涜的なその存在は、不気味にこちらを見ている。
その姿は一見、蜘蛛と蟹を巨大化して無理やりくっつけたような、歪な姿かたちをしている。
鈍く光る硬い殻で覆われた縦長の胴体からは1m以上ほどもある蜘蛛に似た足が八本、頭には角とも触覚ともとれる突起物が生えており、口には何十本もの鋭い牙のようなものが見える。
そして何よりおぞましいのは、頭から胴体に至るまで隙間なく蠢き、瞬きをする不気味な赤い目玉だ。
目玉は見たところ、何十個も付いており、そのすべての目は太陽と少女を捉えていた。
その怪物は、俺と少女がいる黄金の大樹に向かって、脚を軋ませながらゆっくりと近づいてくる。
人知を超えた恐怖をまき散らすその怪物は、俺の中にあった僅かな勇気を、根こそぎ剝ぎとる。
「かっ……あっ」
声にならない声が漏れ出る。突如として俺は、息苦しさを感じると同時に、極寒の地にでもいるかのような寒気に襲われる。
上手く呼吸ができない。視界がぼやけたと思ったら、俺はいつの間にか地面に吐いていた。
目が回り、意識が混濁する。俺はここが現実なのか夢の中なのかもわからなくなる。
意識と無意識の狭間で、絶望という名の巨大な影が俺を飲み込もうとする。正気と狂気が混ざり合い、意識が彷徨いだした俺は、しゃがみこんだまま地面に倒れそうになる。
すると、俺の背中にそっと何かが触れる。
膝まづきながら、意識が遠のきかけた俺の背中に、暖かな温もりが伝わってくる。寒気が消え、全身に力が戻ってくる。
俺は振り向くと、少女が俺のすぐ後ろにいて、ぎゅっとしがみつくように俺の背中に腕を回していた。顔を上げた少女の無垢なる瞳が、俺の顔をじっと見つめる。
俺はすぐには言葉が出なかったが、
「ありがとな」
俺は少女の頭を撫でると、少女は眼を閉じる。
全身に血流が流れ出す。視界がクリアになった俺は再び前を見る。
怪物との距離はもう5メートルもない。眼前に迫る異形の存在。けれど、先ほどまで感じていた絶望と恐怖から来る体の震えは若干収まっていた。
俺と怪物との彼我の距離、そして怪物の緩慢な、様子を伺うような動きを見て、俺は咄嗟に行動に出る。
俺はしゃがんだ態勢のまま、両手を後ろに伸ばし、振り向き少女に言う。
「乗れ!」
少女は俺の意図を理解したのか、そのまま俺の背中にしがみつく。しっかり捕まっているのを確認した俺は、少女を背負い、立ち上がる。
「逃げるぞ!」
怪物に背を向け、背後にある黄金の大樹の反対側に回り込むように走る。
俺は後ろを軽く振り向き怪物を見るも、俺の咄嗟の動きに反応することなく、目だけがこちらの動きについてくる。
俺は広間を抜けると、来た時に通った木のトンネルに入る。
「しっかり捕まってろよ!」
少女の腕が俺の首に強く巻き付く。俺は少女を落とさないように気を付けつつも、全力でトンネルを走り抜け、鬱蒼とした森に入る。
何としても怪物との距離を稼ぐ。その一心で足を動かす。
走って走って走り続けた俺は、目の前に、公園から来た時と同じく、宙に浮かび、回転する漆黒の渦を見つける。
無事に戻れるかどうかはわからない。けれど今は、この渦を通って元の公園に戻る可能性に賭けるしかない。
俺はスピードを緩めることなく走り続け、渦に目掛けて頭から飛び込む。その瞬間、全身が攪拌され、意識と体がねじれる。
巡り巡る渦の中で、俺の背中から少女の腕が外れ、引き剝がされそうになる。
腕がちぎれるくらい手を伸ばし、俺に向かって伸ばした少女の手を掴み、そのまま引き寄せる。
決して離さぬように俺は少女を胸の中で抱きしめる。
気を失わないように歯を食いしばりつつ目を閉じ、もといた世界に戻れるようにと俺は祈った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます