第96話 恐怖


「ほら、あそこの教室だぞ、」


裕翔が顎で指すそうにした教室を見る


「ありがとう」


声を絞り出し裕翔に感謝を伝える

確かにそこに唯さんがいるような気がする

だけど、俺の足は存在を主張するように痛みを増した、怪我をしていないはずの左足は異様なほど震えている


「大丈夫?」


麻衣さんが俺の方を見るようにして声をかけてくれた


「…」


声が出せない

風邪をひいているわけじゃない

喉を痛めているわけでもない

声を出せない理由はただ一つ

自分の弱さだけだった


「はい、行こうね、お姉さん」


さっきまで人の声で溢れていたはずの廊下が急に音がなくなったように思えた

実際は変わらない

だけどその音だけは何故か聞こえた

聞こえたような気がしただけなのかもしれない


「行かなきゃ」


今まで震えていたはずの左足の震えが止まった

強さとか、勇気とか、俺にはないけど

今行かないとだめな気がしたから


「これお願いします」


人が多い廊下で松葉杖二本は使えない

片方を芽依さんに預けた


「ちょっと、」


芽依さんは焦っている俺を止めようと声をかけようとしてくれたけどその声より先に俺は唯さんの方へ向かっていた




人が多い

バランスを崩さないように、

なんとか人と人との間を探して向かう

俺が一歩進んでも唯さん達は五歩進んでしまう

どんどん距離は離されていた


「あれ?純平どしたの?」


不意に後ろから声をかけられた

優愛が少しポカンとした顔をして聞いてきた


「唯さん、追ってて」


疲れのせいで肩で呼吸をしながら話す


「オッケー任せて」


優愛はそう言うと肩を貸してくれた


「ありがと、」


「ほら、急ぐよ」


人があまりいないところに来た

優愛はここまでで良いよねと言わんばかりに肩から手を外した


「ありがとう」


俺が言うと優愛は小さく手を振りながら耳元で


「頑張って」


と言ってその場をあとにした


「待って」


やっと追いついたので声をかける

あまり大きい声は出せず聞こえるか聞こえないかぎりぎりだった


「ん?誰?」


ちゃんと聞こえていたらしく男の人がこちらを向いた


「何してるんですか、」


「あ〜あしらけた、誰?お前」


その男がつまらなさそうに唯さんから手を離した

唯さんは無理やり引っ張られていたのだろう手首が真っ赤になっていた


「だから、お前誰なの?」


男が再び聞いてきた

俺は唯さんの何なのだろう、

聞かれてみるとわからない

唯さんは俺のことをどう思ってくれているのだろうか、


「もういいや、」


男はそれを言うとどこかへ行ってしまった

今まで考えないようにしていた恐怖と疲れが一気に来てしまいその場でバランスを崩し倒れた


「っ!」


唯さんの方が疲れていると思うのに唯さんがビックリした顔で駆け寄ってくる


「純平くん、」


その声を聞いた瞬間一気に感情のダムが決壊した


「唯さん、」


ずっと怖かった

あの男がじゃなく

唯さんがどこかへ行ってしまうのではないかと


「ありがとう」


唯さんはそう言うと俺の頭を撫でてくれた


「こちらこそありがとうございます」


俺はそう言って流れを身に任せた




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る