愛と光と、幸福を君に。

九良川文蔵

この出会いは運命だと思った。



 ボロ雑巾が落ちているのかと思った。

 汚い、少し離れていたって臭う、蝿に群がられたそれを、僕は本当にボロ雑巾と勘違いした。

 それが突然声を上げて泣き出したから驚いたし、どうやら怪我をして痛がっているらしいから心配にもなる。

「大丈夫?」

 声をかける。

 奇異なそれに声をかける僕を奇異な目でちらりと見て、通行人は去っていく。僕が放っておけばこれはきっと死んでしまうだろう。

 顔を上げたそれはガリガリに痩せて、衣類であろう布もずたずた、髪も不自然にちぎれてところどころ短く、おまけに至るところに痣があって痛々しかった。

「痛い……あのね、口の横のところと、おでこと、あと……腕が痛い」

 僕に必死な様子で痛みを訴えるその声はか細いが大人のもので、開いた口から覗く歯はいくつか欠けていた。

「どうしてそんなになったの」

「アルマジロが欲しくて……」

「うん?」

「白くてちっちゃいの。でね、甘くて、強くなれるから、欲しいって言ったんだけど、僕がお金払えなかったから、怒らせちゃった」

「ああ……」

 確か、ニュース番組で昨今取り上げられる違法薬物の俗称が『アルマジロ』だったか。もともとは隠語として使われていたが、警察組織がメディアに名称を公開したことがきっかけで広く知られるようになった。

 つまりこのボロ雑巾のような人物はその中毒者で……金を払えないのに売人に絡んだから、報復措置として暴行を受けたのか。

「大変だったねえ」

「うん……腕が痛い……」

「見せてごらん。折れてないといいね」

「うん」

 差し出されたミイラのような腕に触れる。青痣を通り越していっそこと黒々としているが、骨に異常はないようだ。

 骨は大丈夫そうだと伝えると、そうなのねとよく分からない返事をして彼は自らの周辺をまさぐり始めた。

「あれえ……? 鞄とかも持ってかれちゃった、のかな……なんもないや……」

「酷いことするね。お名前は?」

「んー。トシキ!」

「──……」

「あ、ポッケに免許だけあった……えへ、これ、僕でえす」

 差し出された運転免許は顔写真の部分を中心に半分以上が焼き切れて、おまけに血痕だか泥だか分からない汚れでおおよその情報は読み取れない。半分しかないのだから、身分証としても使えないだろう。

 でも、しかし。

 名前だけ。

 今の彼には面影もへったくれもないけれど。

「鴨川……鴨川トシキ?」

 涙が出た。ちぎれて汚れた免許証の、唯一まともに読み取れる彼の名前がにじんだ。

 免許証ごと彼の手を握る。

「僕っ……い、伊狩! 覚えてる? 伊狩敬太だよ!」

 ああ、ああ。

 運命だ。八年──八年待った。彼ともう一度会えるのを。

 にじんだ目の前で彼は笑った。落ちくぼんだ目とがたがたの歯に面影はない。でも。

「いーちゃん」

 そう呼んでくれた声には、まだ懐かしい温かみがあった。

 覚えていなくていい。薬物で頭が駄目になっていても構わない。また会えただけで、僕は泣けてくるほど嬉しい。

 八年前。十五歳の春。

 あの日からずっと僕は、トシキくんが大好きだった。


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