大きな象が

今朝見た夢はヤな汗かいた


 散らかった部屋の床に布団を敷いて寝ていると、夢見心地に何かの音が聞こえた気がした。意識を持ちあげて耳をすましてみると、どうやら気のせいというわけでも、夢の中というわけでも無いようだ。

 興味をそそられて、私にしては珍しく勢い良く布団から起き出し、ダイニングに居た父に声をかけた。

「父さん、これ何の音?」

 トランペットとか、ああいったたぐいの楽器をとりあえず思いっきり吹いてみたような音、と言えば伝わるかどうかは分からないが、とりあえずそういう音が遠くから何かの信号のように響いている。父はただ、窓の外を眺めながら呟いた。

「さぁ、なんだろな」

 音の出所はハッキリしているようで、家からは長い坂を下って登って、歩いて四十分ほどの所にある公園から聞こえていると言う事を、家族が口々に言った。その公園は県内でもちょっと有名なくらい規模が大きいのでそこで何かイベントでもしてるんだろうかと私は思ったが、緊迫した様子を見るとそういうわけでもないらしい。

「何だろう……。なんか象の鳴き声にも似てるよね」

 自分でそう口にしてみて、一つのニュースを思い出した。

 つい最近、海の向こうから商業目的で三頭の巨大な象が連れてこられたと言うのだ。しかしあまりの大きさのため管理が行き届かず、街ひとつ、その巨大な象に踏み荒らされたと言う、日本国内でも結構大きな事件だった。一度は捕まえたものの、どうしてもその象の管理に手こずり、鬼ごっこを繰り返していると聞いた。

 父も同じことを考えたらしく、私の言葉に反応して拳を手のひらに打った。

「象だっ!」

 同じように状況を察した兄と母と、一緒になって急いで避難する準備を始める。

「帰ってきたとき大変じゃないように、ある程度部屋は片付けときなさい」母が言った。

 象が踏み荒らせば、どうしたって散らかるんじゃないだろうかとも考えたが、なるほど自分でまず片付けておけば、だいたいどこら辺にあるかもわかるし、最初から散らかしておくよりはましかもしれないと思った。

 となりの部屋の兄が私に、急げよと言って、早々と片づけを済ましてダイニングに向かう。私は慌てつつも片づけをしながら財布と、いつも持ち歩いているメモ帳と筆記用具をかばんにまとめた。

 最近片づけに慣れてきたと自負していたのに、慌てたためか若干手間を取ったが、なんとか終わらせると家族のそろうダイニングに入った。なぜか母は、キッチンで弁当を作っている。

「音が近づいてきた」

 私は呟いた。

 家の正面に付いた窓から、静かな道路を眺める。車が一台も走っていないのは、この前の災害で渋滞のため逃げ遅れ踏みつぶされた人が居る、と言うニュースを皆が知っているためかと何となく考える。それにしたって人が逃げる影すらない。みんな家で息を飲んでいるのだろうか。

「来た」

 誰かが言った。

 足音もなく、窓の向こうに象の太い足がぬっと覗く。足だけで窓を覆い尽くさんばかりの大きさだった。

 足元しか見えないが、マンションの四階くらいの高さはあるだろうか。象はそこで立ち止まっていた。こんな大きな象が三匹も、どうやって海を渡ったのだろう。

 私たちは、象が何もしないまま過ぎ去る事を祈りながら、心持ち身をかがめそっと様子をうかがう。母はまだ弁当を詰めていた。

 そのとき家が持ち上がり、大きく揺れ始めた。象が鼻で持ち上げ左右に揺らしてるのであろう。私たちは床に這いつくばった。

 悪あがきで、象がそっと家を下ろしてくれる事を祈ったが、家はポイと手放された。(いや、<鼻>放されると言うべきなのだろうか)私たちの家はその勢いのまま、家の裏手にある小さいアパートの上に落ちた。

「あちゃー……」

「……しょうがないわよ。こうなっちゃぁ」

 私と母は家の窓から足元の様子を見ていう。家はどこも崩れなかったためか、あんがい楽天的だ。

 アパートの方は天井が崩れて、中が見えていた。家の人と目が合うと、大丈夫だよと、手を振ってくれた。

 私は言葉も無く、何度も謝った。

 巨大な象はそれからも鼻をぶんぶん振りながら何かしら壊しつつ道路を進んで行った。外を見れば、象の通り道は一目でわかる事だろう。

 とりあえず一難去ったと息をついていると、突然に玄関の扉が開いた。

「大丈夫!?」

 アパートに乗り上げて、しかも斜め上を向いている家の玄関にどうやってたどり着いたのかは分からないが、そこには向こう隣りの市に住んでいる友人の姿があった。高速道路を使えば車で十五分ほどとはいえ、わざわざこんな所まで来てくれたのだろうか。

「おばちゃんなんでお弁当作ってるの?」

 流石しっかりしている友人は、母の行動に対してきっちりツッコンだ。

「ちょうどこっちに来たってニュースで言うから、心配で…!とりあえず、このままここに居たら危ないから、一緒に避難所に行こう!」

 母の弁明も、私たちの疑問も聞かずに自分の事を説明すると、友人は素晴らしい手際の良さで、さっと避難所の場所を確認し、私達を連れ出した。

 私たちは促されるまま彼女のお父さんが運転する車に乗せてもらった。「いまなら車も少ないし、象の第一波も終わった。つぎが来る前に」と、そう言って、瓦礫の合間を縫い、夕陽の差すなか、私たちを乗せた車は避難所に向かった。

 ところで、出る前に一度部屋をのぞいてみたら、片づけた甲斐あってか、それとも物が少ないためか、そう酷い事にはなっておらず私はほっとしたのだった。

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