第41話「エリオットの涙」

「ここだよ。俺の実家は」


 エリオットが指さしたところは……住宅街の一角にある、大きな一軒家だった。

 クリーム色の屋根で、レンガ造り。

 ところどころ塗装が剥げている、築年数が古い家だ。


 私が公爵令嬢のころに住んでいた屋敷よりは狭いけれど、平民の中でも裕福な育ちであることはわかる。


「一応毎年掃除はしてるんだけど……それでも夏しか来ないし、結構汚れるよな」


 エリオットが玄関から中に入って床を人差し指ですっとなぞる。

 そこには埃が少しついていて、エリオットは去年買ったというスリッパを差し出してくれた。


 エリオットの実家は……彼が掃除をしているからかもしれないけれど、全部シンプルな家具だった。

 木製の家具が多く、日焼けしているものも多い。


 ここが、エリオットが育った家。

 エリオットの過去の隙間に入れた気がして、とくんと胸が高鳴った。


「これだね、俺の母さんと父さんの写真。アイリスに見せたかったんだ」

「探してくれてありがとう。……わ! エリオットにそっくり!」


 見せて貰ったエリオットの両親の写真は、結婚式のものだった。

 ウエディングドレスを着たエリオットのお母様と、狼の尻尾をぴんと立たせているエリオットのお父様。


 二人ともカメラ目線で、お母様はブーケを持って微笑んでいる。

 お父様も、すごく幸せそうに目を細めていた。


 その二人の顔は……エリオットに激似だ。

 眉の形や、唇の口角の上がり方がお父様と似ている。


 反対に、目元はお母様似だ。

 優しく柔らかな印象を醸しているお母様の目は、エリオットとそっくりだった。


「二人とも、とても美人なのね」

「はは、ありがとう。村でも二人は人気者だったんだ。父さんは騎士だったし、母さんは裁縫が得意でよく子どもの服を直したりしてた」


 エリオットが楽しそうに話す。

 でも、瞳の奥はどこか寂しそうな色を滲ませていて。


 きっとそれは、お父様がお母様のことを大切にしていなかったと思っているからなのだろう。


「エリオット、お母様やお父様の部屋は掃除した?」

「……いや、全然、入れなくて。まだ心の整理が追いついてないんだと思う」

「それじゃあ……一緒に入らない? 何か見つかるかもしれないから」

「……」


 しばしの沈黙のあと、エリオットが私を見つめてくる。


「なら、手を繋いでくれないか」

「ええ。……えっ!? は!?」

「一人で親の部屋に入るのはまだ勇気がないんだ。だから、手を繋いで一緒に入ってほしい」


 エリオットが私に手を差し伸べる。

 不安なのはわかる。

 エリオットはきっと、二人に愛がないことの証拠のようなものがあると思っているのだろう。


 だけど、私は思わない。


 何故なら、大切な人を守る力を持つためにエリオットのお父様はエリオットを騎士団に入団させたのだし、何より結婚式の二人がとても幸せそうだったから。


 私の予想なら、きっとお母様とお父様の部屋に何かが隠されているはず。


 だけどいきなり手を繋ごうなんて普通言う!?

 勇気がないエリオットの気持ちも汲める。


 そう、一緒に部屋に入るために手を繋ぐだけだから。

 それだけだから。


「……っ」


 私がエリオットの手に片手を乗せると、ぎゅっと握られた。

 温かい。心地よくて、安心してしまう。

 骨ばった指は私より太くて、掌は剣を握っているからか固い。


「父さんはいつも騎士団のほうに泊まりきりで、こっちには全然来なかった。だからベッドくらいしかないよ」


 確かにお父様の部屋は殺風景という言葉がしっくりくるようで、ベッドとベッドサイドテーブルしかなかった。


 そのテーブルにも物は何も置かれていなくて、他の家具も一切ない。

 隅にお父様が使っていたらしき剣が置かれているだけだ。


 エリオットから手を解いて床や壁を叩いてみたけれど、特に仕掛け扉のようなものもない。

 収穫はなさそうだ。


「お母様の部屋に行ってみてもいい?」

「ああ」


 すると、再び手を握られる。

 私の手から、高鳴る鼓動が伝わっているんじゃないかと変な妄想をしてしまう。


 ドキドキしながらお母様の部屋のドアを開けてもらうと……今度は生活感たっぷりの空間が現れた。

 ベッドに小さな棚とローテーブル、裁縫をしていたからかマネキンも置かれている。


 古びた布もあちらこちらに散らばっていて、ページが開いたままの本もテーブルに置かれていた。

 まるで昨日までそこにエリオットのお母様がいたような空間だ。


「母さんは整理整頓が苦手だったんだよ。でも、裁縫の才能は村で一番だった」

「村の子どもたちに洋服を作るなんて、すごいことよ。子どもの服を作るのは難しいもの」

「ありがとう。きっと母さんも天界で喜んでるよ」


 エリオットの手にぎゅっと力がこもる。

 数年ぶり、もしかしたら十数年ぶりくらいにお母様の部屋に行ったのかもしれない。

 瞳もゆらゆらと揺れている。


「……少し、棚の中とか見てもいい?」

「ああ。アイリスの言うように何かあるのなら、俺も知っておきたい」

「ありがとう」


 エリオットから手を離して、お母様の部屋に何か二人の手がかりはないかと私は探す。

 ベッドの引き出し、ローテーブルの下、小さな棚の中……。


 どれも裁縫道具や服の作り方などの本ばかりで、特に二人に何かがあった形跡は見つからない。


 探すこと、十数分。

 エリオットが、「アイリス」と私を呼び止めた。



「無理に探さなくていい。俺はもう両親のことは気にしてないから、アイリスも気にとめなくていいんだよ」


 ……嘘だ。

 なら、お母様の部屋に入るときもお父様の部屋に入るときも、手を繋ぎたいだなんて言わない。


 私に過去を話したときに悲しそうな、寂しそうな顔なんてしない。


「きっと何かがあるはずよ。私は諦めないわ。まだ探してないところだってあるもの」

「でも、」

「いいの、私の自己満足だから。エリオットは気にしないで」


 そうしてまたお母様の部屋で何かないか探す。

 布や本をどかしてみたけれど、お父様との写真や何かを貰った形跡もない。


 だんだん焦りが芽生えてきて、リビングを探してみようかなと思ったとき。


「……ん?」


 小さな棚に、ふと違和感があった。

 十数分前に探しても裁縫関連の本ばかりで特になにもないと思っていたけれど……なんだかおかしい。


 この棚は随分奥行きがある。

 なのに、そこまで大きくない本だけで奥行きが満たされているのだ。


「もしかして……」


 私は小さな棚をよっこいしょ、とひっくり返した。

 棚の裏面にあったのは……桃色の、菓子が描かれた長方形の缶。


 この棚は両面あるものらしく、私たちから見ると本だけしか見えないようになっていた。

 わざわざ壁側の棚に何か入れておくだろうか。


 そう思い、私が埃を払って缶を開けると……。


「手紙!?」

「えっ!?」


 エリオットが声を上げて私のところへやってくる。


「ヴィク・イルベルクって……エリオットのお父様?」

「そうだ。ヴィクは俺の父さん……」


 そこにはヴィク……エリオットのお父様がお母様に宛てた手紙が大量に入っていた。

 どの封筒にもヴィク・イルベルクと書かれている。


「な、中身が気になる……」

「一緒に開けよう。二人が秘密にしたかったなら申し訳ないけれど……ごめんなさい」


 私も心の中でエリオットのお母様、お父様ごめんなさいと祈って、封筒を開けた。

 開けた形跡があるもので、封蝋はすぐに剥がれた。


 中にはエリオットのお父様の繊細な文字がたっぷり綴られていて、それを一文一文読み取っていく。


『親愛なるメリア。体調はどうだ? 仕事でそちらに行けていなくてすまない。エリオットは元気か? 昨日、仕事で薬師に会った。お前の病に効く薬を作って貰うように頼んだ。もう少しだけ、耐えてくれないだろうか』


『親愛なるメリア。熱が下がったと聞いて安心した。今日は宮廷魔術師の中でも治癒魔法を得意としている者に、お前の病を治せないか頼んだ。返事は貰えるはずだ。少しの辛抱だから、待っていてくれ。エリオットは元気か? また三人で旅行に行きたい』


『親愛なるメリア。病院に行ったそうだな。結果はどうだった? 良くなっていたか? 俺たちの家の傍にある森が、急に魔素が濃くなったから魔物を討伐した。これで安心だからな。そういえば森で、エリオットとお前と三人で遊んだな。あのときはエリオットもまだ小さくて……』


 それは、お父様が家にいない間、毎日行われている手紙のやりとりだった。

 どの手紙を読んでも、エリオットのお父様はお母様の体調を心配していた。


 エリオットとも会いたいと書いてあって、昔に三人で旅行に行った話や、エリオットが小さい頃の話もたくさん綴られていた。


「……っ」


 隣で鼻をすする音が聞こえた。

 ぽつりと、エリオットが持っている手紙に小さな染みができる。


 見上げると……エリオットは、一筋の涙を流していた。


「そうか……父さんは、母さんをちゃんと愛しておられたんだな……」


 エリオットが小さい頃からずっと引っかかっていた両親の小さな罅が、今修復されたのだろう。

 私はポケットからハンカチを出して、エリオットの涙痕を拭いた。


「エリオットは、綺麗に泣くのね」

「……あまり見ないでくれ。女性に見られるのは恥ずかしい」


 エリオットが顔を背ける。

 しばらく私たちは二人で手紙を読んだり、お母様が作った洋服を眺めたりしていた。

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