第12話「家出の支度」
「お前は何をしているんだ! アルヴィーン殿下に婚約破棄されたなどと!」
「本当に、どうやって育ったらそんな女になるのかしら。お前はもうこの家の子じゃないわ!」
「……申し訳ありません」
殿下も言っていたが、この話は早々に両親に伝わっていた。
ダイニングテーブルに殿下からの一通の手紙が置かれている。
そこに書いてあったのだろう。
「家から出て行きなさい。小遣いはやっていたでしょう。そのお金でどこへでも行きなさい。今すぐ出て行きなさい!」
ダンッ! とお母様がテーブルを叩く。
公爵家の妻としてその乱暴な言動はどうかと思ったけれど、この家を出て行けるのならと私は喜んで家を出る支度をした。
部屋で適当に荷物を詰めていく。
両親が急かしているため、とりあえず下着とクレンジングと洋服と……とカバンに詰めていくと、ドアをノックする音が聞こえた。
「アイリス様。ルルアです。お入りしてもよろしいですか?」
「ええ」
ガチャ……と控えめにドアを開く音が聞こえ、ルルアが悲しそうな面持ちでやってきた。
「殿下、本当にひどい男ですね。……でも、私もひどい女です」
「え? ルルアが? どうして?」
ルルアはぽたりと涙を絨毯に落とした。
ぽろぽろと零れていって、初めてルルアが泣いていることに私は狼狽えてしまう。
「ど、どうしたの? ルルア。ほら、これで拭いて」
私がポケットからハンカチを差し出すと、「ありがとうございます」と言って目尻に押してつけていた。
「私……っ、私、アイリス様に『運命の番』の話をしましたよね」
「ええ。したわね」
「そのときに、私、言ってしまったんです。アイリス様が『運命の番』に出会わないように両親が画策している。もし出会ってしまったら、殿下とは婚約破棄したくなるって」
「そうね。それがどうかしたの?」
「私、もしアイリス様が本当に殿下に恋をしていたら、すごくひどいことを言ってしまったような気がして……。だって、殿下は出会ってしまったんですよ。『運命の番』の人に」
「ああ……なるほど」
確かにあの頃、ルルアに殿下が愛を育もうとしてくれないのは私のせい、みたいなことを言っていた気がする。
ルルアが言いたいのはこういうことだろう。
私が『運命の番』と出会ったら婚約破棄しなければならないなら、殿下が『運命の番』と出会ったときも婚約破棄しなければならないことになる。
私が殿下に本当の恋をしていたのなら、それを示唆するような発言をしてしまったルルアはひどいことを言ってしまったんじゃないか、と思っていたのだ。
何故なら、本当に殿下が『運命の番』と出会ってしまったから。
私はルルアの黒髪をさらりと撫でた。
ルルアは十代前半の頃に私の屋敷に引き取られて、侍女としての教育を施され、今では二十代後半だ。
小さい頃とは違って、背丈も私と変わらなくなった。
泣いているルルアを宥めて、私は口を開く。
「ルルア。私、殿下のことなんてちっとも好きじゃないわ。婚約者なんてできたことがなかったから、舞い上がってただけよ。婚約破棄できて万々歳よ。むしろ『運命の番』が見つかって良かったとすら思っているわ。お幸せにってね」
「でも……」
「気にしなくていいのよ、ルルア」
「私……まだ、申し訳ないことがあって……」
「? 何かあるの?」
ルルアがごくんと唾を鳴らして、少し泣き止んでいたというのに再び瞳を潤ませてしまった。
「アイリス様のご両親に頼んだんです。アイリス様が外で暮らすのなら、私も連れて行ってくださいって。でも……お前は家の仕事をしろって、命令されてしまって……」
「あ……そう、よね」
ルルアがこの屋敷にもう十年以上いる。
仕事も全て覚えていて、侍女長並みに完璧にこなしているルルアは、屋敷にとって重要な人材なのだろう。
「心配しないで。こう見えても一人で生きていける術は身に着けているわ」
「そうなんですか……?」
ルルアは知らないと思うけれど、私は両親から貰っていたお小遣いを投資で増やしていたし、そのお金も婚約破棄が来るだろうと予想していた頃に下ろして革袋に詰め、既にカバンに入れている。
それに料理、洗濯、掃除全て前世でこなしてきた。
お金もいくら投資していたとはいえ半年くらいで底をついてしまうだろうから、あとは働き先と家さえ見つかれば問題なく暮らしていけるのだ。
……多分。外出は学園への登下校しかなかったから、最初はかなり手こずりそうだけれど……。
「でも、ルルアとこれから一切連絡を取らないのも嫌だから、少し手紙を送ってもいい? 月に何度か送るようにするわ」
「え……! ぜひ、ぜひ送ってください! 私、絶対お返事書きますから!」
さっきの号泣していた悲しい表情とは一変、ぱあっと笑顔になって私の手を握る。
ルルアと手紙を送り合う約束をして、私は両親に急かされ家を出た。
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