第四章 2


「桐人君…!桐人君、しっかりして!」


大量の血を流して既に動かなくなった桐人の手を掴んで、必死に呼びかける千里。


何度も何度も、涙を流しながら。


「そんな事をしても無駄よ…。


どのみち彼は助からないわ。」


そんな彼女に、茜は刀を鞘に納めながら冷たく言い放つ。


「そんな…。」


「はぁ…泣いても現実は変わらないわよ…?」


「分かってます…。


でも…私…どうしたら良いか分からなくて…自分が情けない。」


なんと言われても泣くのをやめず、自分を責め始める彼女を見て、茜は思う。


分からない。


何故そんなにも他人の為に泣けるのだろう?


私が知る人間は、本来どうしようも無く自己中で、ただ必死に自分を守る事しかしない生き物ばかりだった筈なのに。


そう思ってきたからこそ、自分もそう生きようとしてきた筈なのに。


彼らは違う。


今まで見たどの人間とも。


本来他人を利用しても、だからと言ってわざわざ律儀に他人に利用されてやる必要なんか無いのに。


自分が犠牲になる必要なんて無いのに。


意味が分からない。


「…あの。」


茜が思考を続けていると、突然絞り出した様な小さな声が聞こえた。


おそらく千里の声。


まだぐずり声ではあるものの、一応は落ち着いたらしい。


これから彼女が何を言おうとしてるかなんて、心を読まなくても分かる事だ。


彼女は彼を救いたい。


彼が自分にそうした様に。


人を助ける為の力が自分に無い事なんて二人とも分かっている筈なのに。


「私に…力をください。」


予想通りだった。


こんな蚊も殺せないであろう女が大した度胸だ。


何がそんなに彼女を動かすのか?


悲しみや孤独?


そんな物が無ければ、人は誰かに利用される必要も無いのに。


「桐人君を救う力を…。」


まぁ良い。


私が彼らに干渉する必要なんて無い。


彼らが二人してここで死んだ所で、私には全く関係の無い話しだ。


この場所が無事で、私が生きているのならそれで良い。


「あなたに試練を与える。


それを乗り越えたなら、あなたが望む力をあげるわ。」


「私、やります…。」


そう、私には関係無い話し。


「夢幻。」


桐人にしたのと同じ様に、茜は千里に指を向け、そう呟く。


その呟きを聞くと、千里の視界は深い闇に包まれた。


辺りを見回しながら、千里は思う。


ここはどこなのだろうか?


何も見えない。


怖い。


たった一人でこんな場所に居続けたら、不安と恐怖でおかしくなりそうだ。


桐人君はどうなったんだろうか?


あのままでは死んでしまう。


そんなの絶対に嫌。


だから凄く怖いけど勇気を出して試練を受けたのに。


慌てて、辺りに手を伸ばす。


が、その手に触れる物は何も無く、ただ虚空を撫でるだけ。


桐人君が死んで、私もこのまま死んでしまうのだろうか。


もし桐人君が死んでしまったら。


そんなの考えられる筈が無かった。


そう思えるほどに、いつも傍に居てくれた存在なのだから。


もしそうなるなら、どちらにしろ私も…


「死を選ぶって?怖い怖い。」


声が聞こえる。


深い闇の中のどこから発せられた物なのかは分からないけど。


「それは彼の為じゃない。


彼ならあなたまで後を追う事を望まないと思うけれど?」


そんな事は分かってる。


桐人君はそう言う人だ。


これまでずっと見てきのだからよく分かってる。


でもだからこそ耐えられない。


その現実を、素直に受け止めたくないのだ。


「あなた、本当は死にたくないんでしょ?


自分から命を絶つのが怖い。」


確かに怖い。


でも…。


「あなたは彼とよく似ているのね…。


彼も死にたくない癖にあなたを守ろうと必死だった。


結局あなたは死にたいんじゃなくて、いつまでも二人で生きたいだけ。


そうでしょ?」


全くその通りだ。


あの楽しかった何気無い日々が終わってしまうのなら、死んだ方がマシとさえ思った。


でも出来るなら死にたくない。


二人でこれからも何気無い日々を重ねたい。


「なら、あなたはどうするの?


あなたに出来る事は泣くだけ?


ヤケになって後を追うだけ?」


私が出来る事…。


それがあったら、こんな怖い試練なんて受けなかった。


「彼を助けたいんでしょ…?


あなたの望みは何?」


今更何を言うのだろうか?


そんなの桐人君の生還だ。


すぐにでも激痛から彼を解放してあげたい。


「分かっているのかしら…?


仮にもし、あなたが今彼を助ける事が出来たとしてもいずれはどちらも死ぬのよ…?


その度にお互いにお互いを生き返らせ合う事を繰り返すの…?


同時に死ぬまでずっと?


そんな事に何の意味があるのかしら…。」


確かに、出来るならそうしたい。


出来るだけ長く傍に居たい。


居て欲しい。


「理解出来ないわ。


彼が死んでもあなたは自分が死ぬまで生き続ければ良いじゃない。


あなたがどう思っていようと、彼は所詮他人でしかないのだから。


失って悲しむのなんて最初だけ。


新しくてそれより良い物が目の前に現れれば、古くて使い物にならない道具なんてすぐにいらなくなって捨てられる。


人間もそう、私だってそう。


それより優れた代わりなんて世界中の何処にでも、いくらでも居る。


人生で自分の命以外に無くてはならない物なんて無いわ。」


そんな事無い!


桐人君の代わりなんて居ない!


居なかったら今の自分は無かったって自信を持って言える!


「なるほど…ね。


ならあなたはどうするのかしら?


それ程大切な彼を助ける為に。」


「祈ります。


彼が助かる事を。


ずっと一緒に居たいから。


あなたの言う通り、いつかはどちらかが先に死んでしまうんだって事も分かってる。


でも…わがままかもしれないけど。


もう少しだけ時間が欲しいから。」


「ふぅ…あなたの言いたい事は分かったわ。


でも、あなたが祈ったからと言って何になるの?


それで本当に眼を覚ますとでも?」


そう、結局私には何も出来ない。


行き着く結論はどれだけ考えたってそうにしかならないのだ。


でも、認めたくなかった。


所詮自分はあんなに親しくしていても桐人君とは他人でしかないのだと。


だから同じ痛みで苦しむ事も、悲しむ事も出来ないのだと。


「そんな事、あなたは試練を受ける前から分かっていた筈よ…。


自分には何も出来ないって。」


「でも。」


何も出来ないけれど、激痛に苦しんでるかれと同じ様に苦しめなくても。


「痛みは分からなくても、桐人君が悲しいなら私も悲しい。」


「だから何…?


悲しんだって何にもならないというのは今嫌になる程思い知った筈よ?」


「だから、確かに他人だけど、私達は確かに繋がってる。」


「繋がっている?そんな事で?」


「繋がってるから…私にも出来る事があるんだって信じなきゃ…桐人君を救えない!」


「ふぅ…なら好きにすれば良いわ。」


彼女が乱暴にそう吐き捨てると、暗闇は一瞬で晴れて、辺りは再びさっきまで居た神社の風景に戻った。


大量の血を流して横たわる桐人君もそのまま。


「全て遅かった。


もう彼は息もしてないわ。」


言われて歩み寄り、手を掴む。


するとその手は驚く程に冷たく、微動だにしない。


確かに手で触れる感触はあるのに。


「もう手遅れ。


彼は死んだわ。」


そう言われた途端、もう出し切ったと思っていた涙が再びこぼれ落ちた。


「それが、あなたが作った結末よ。


あなたが何もしなかった結果。」


悲しい、悔しい。


彼は死ぬまでどんなに苦しんだのだろうか?


こんなに傷だらけになって、激痛に襲われて。


それなのに私は結局そんな桐人君を見てただ泣いてるだけ。


そしてそれは、桐人君が感じる激痛のせいじゃない。


何も出来ない自分が情けないからなのだ。


所詮私は彼の為に泣く事さえも出来ないのだろうか?


「そうよ。


あなたの涙は所詮あなたの為の物でしかない。


どんなに違うと言っても結局そう。


それが人間なのだから。


だからあなたはこれからも自分の為に生き延びれば良い。」


違う。


そんなの違う。


「何が違うの…?


あなたは何も出来ない。


泣く事しか出来てないじゃない。」


違う違う違う違う!


握っていた桐人君の手を離し、両手で胸の辺りに手を置く。


「何をする気…?」


それは前にテレビで見た心臓マッサージ。


出来るだけ強い力で、何度か繰り返し続ける。


勿論反応は全く無い。


息を吹き返す気配も無い。


「そんな事をしたって無駄よ。


彼は死んだの。」


「桐人君は死んでない!」


自分でも驚くほどの声で、泣きながら私は叫んでいた。


絶対に認めない。


認めたくない!


「往生際が悪いわよ…。


もう手遅れだと言ってるじゃない。」


「私がここで諦めたら…桐人君は絶対に息を吹き返さない!」


「無駄よ…。


もう諦めなさい。」


「諦めない、絶対に…そんなの認めない!」


私にだって出来る事がある。


何もしないなんて出来ない。


疲れで手の動きが鈍り、痛みすら感じ始めるが、こんな痛みさっき桐人君が感じた物に比べればどんなに楽な事か。


「ふぅ…諦めない…ね。


本当に、あなたも彼も一度言い出すと何を言っても聞かないのね。


あなたは…彼が助からないと分かっていても諦めない。


出来る事を探して、助ける為なら腕が痛くなるのにも耐えて。


あなたが言う大切な人を救う力というのは、多少強引にでも相手が助かると信じ抜く心なのね。」


その言葉も、彼女には既に届いてはいなかった。


もう、彼女の決意は揺るがない。


私が放っておけば、彼女はずっと彼を救いたい一心でそうし続けているだろう。


そんな千里を見て小さくため息を吐く。


こうして私が彼女に力を与える事は、そんな彼女に向けるせめてもの情けだと言う事になるのだろうか?


どちらにしろ、彼女は私の問いに答えを示した。


試練を乗り越えたのだ。


「え…。」


千里の視界が、突然光に包まれ、思わず目を閉じる。


「あなたは試練を乗り越えた。」


その言葉が聞こえた途端に、辺りはまた暗闇に戻る。


何が起こったのだろうか。


桐人君は?助かったのだろうか?


「答えが知りたいなら目を開きなさい…。」


声が聞こえる。


言われて私が目を開くと、


「おぉ!千里っちが目を覚ました!」


「木葉…ちゃん?」


「いや~良かった良かった。


千里っちも試練を乗り越えたんだね。」


言われてハッとする。


「そうだ…桐人君は!?」


「…あぁ…キリキリなら…。」


言い辛そうに、視線だけをそちらに向けて言葉を探している様子の木葉ちゃん。


その視線の先には、変わらず血まみれで横たわる桐人君の姿がある。


「あなたは試練を乗り越えた。


あなたに大切な人を救う力をあげる。」


「大切な人を救う力…?」


「早くキリキリを起こしてあげなよ♪


今の千里っちなら出来る筈だよ?」


「で…でもどうやって?」


「はぁ…あなたは一体何の為に試練を受けたの…?


それでどんな答えを見付けたの?」


そうか。


私はその言葉に頷きも返さずに、両手を組んで祈った。


お願い、生き返って。


信じようと決めたじゃないか。


例え無理だと分かっていても、最後まで信じるって。


もう何も出来なくなんかない。


私には、彼を救いたいと願う力がある。


すると、見る見る内に桐人君の体に無数にあった傷が無くなり、さっきまで息もしていなかった桐人君が荒い呼吸を始める。


想いが、届いたのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る