陸 叫花鶏ときれいな客人


「……悪くないな」

「すごいよ、鳳璃ほうり! 本当にあまりもので立派な料理を作るなんて……!」


 明蘭めいらんは感動で目をうるませながら、うーんとほっぺたを押さえている。

 志鶴しかくは相変わらずそっけないけど、まんざらでもなさそうだ。

 そんなふたりのようすを見て、私の顔にも自然と笑みが浮かんだ。


 やっぱり、この時間が一番好きだ。

 だれかと一緒にとびっきりおいしいごはんを作ること。

 作ったごはんを大切な人に食べてもらえること。

 ……そんな、当たり前とも思えるような幸せが嬉しい。


 気づけば、窓からオレンジ色の斜陽しゃようせまり来るように差しこんでいる。


「日も暮れてきたし、そろそろ帰りましょうか。これは志鶴、あんたにあげるわ。やんおじさんにも食べさせてあげてね!」


 私は叫花鶏きょうかどりをくるんだ包みをひとつ志鶴の手に持たせ、残りを竹籠のなかに入れた。

 それから店番をしていた楊おじさんに軽くあいさつをし、暗くならないうちにと家路を急いだ。


 ◆ ◇ ◆


 一方、その頃。


 寥落ひょうらくとした路地裏。

 日の光が届かないその場所は薄汚れ、常に湿っていて、とても人の住めるようなところではない。

 時折遠くから感じる視線は、町の喧騒けんそうに恐れをなした臆病おくびょうねずみどもだろう。


 世の影を形にしたような溝鼠どぶねずみ棲家すみかを、二人の男が闊歩かっぽしていた。

 一方はいかにも貴族然としたたたずまいの文官ぶんかん

 もう一方はその背後を歩く細身な武人。


「本当にこんなところに『龍の落とし子』がいるのですか? どこもかしこも薄汚れた鼠ばかりだ」


 武人の方がいい加減辟易へきえきしたといった様子で言った。

 この世の怠惰たいだをかき集めたような表情に反し、雰囲気には研ぎ澄まされたつるぎのような危うさがある。


「奴らは俗気ぞくけを嫌う。人里から離れた場所に隠れ住んでいるのだ」


 文官は飄々ひょうひょうと涼しい顔で答える。

 微塵みじんも動揺を感じさせない冷ややかな言葉は、玉唇ぎょくしんから発されたこともあって作り物めいた不気味さがあった。

 それに、と相変わらず感情の読み取れない声音で続ける。


「都から程遠い山村となれば、落とし子に差別や偏見がある地域も少なくないはずだ。あぶり出すのは難しくはないだろう」


 核心を突いたうわさが、そろそろ民の口のにも上ってきた。

 我々に手段を選んでいるいとまはないのだ、と。


「まあどっちにしろ、見つかりゃそれでいいんですけどね。それよりも、さっき大量に買ってきた食材の件についてですけど……」


 お互い数歩ずつ歩いたところで、前方に立ちふさがる小さな影に気づき、二人は足を止めた。

 そこにいたのは、まだ年端としはも行かぬ少年だった。


「きれいなおじさん、どっから来たの?」


 身なりを見るに、この辺りのさとに住む庶民の子だろう。

 「お、おじさん……」と武人の方は何か言いたげだったが、間髪を入れず横から手で制された。

 代わりに前へ歩み出た文官が、声音を幾分いくぶんか和らげて話しかける。


「坊や、このあたりで食仙しょくせんを見なかったか」

「ショクセン?」


 聞き慣れない単語だったのか、少年は不思議そうに首を傾げた。

 文官はそれを見て、落胆ともつかない溜め息を吐く。


「人間離れした、特殊な力を使う者のことだ。知らないのならもういい」


 しかし二人がそのまま通り過ぎようとすると、少年のほうが何か思い当たったというようにずいと身を乗り出した。


「おれ、ショクセンは知らないけど、すっげえ力使うひとなら知ってるぜ!」

「ほう?」

「おれの姉ちゃん、いっつもは見せてくれないんだけど、ときどきふしぎなことするんだ。なにもないところからはなを咲かせたり、けがを治してくれたり。ちょっとこわかったけど、ほんとはすっげえかっこいいなって思ってる!」


 そのとき、今まで少年の影に隠れていた少女が彼をひじで軽く小突いた。


「ねえ、楚文そぶん……そのことはないしょだって」

「あ、そうだった。おじさん、絶対だれにも言うなよな!」


 そこまで聞けば十分だった。

 文官は満足げに笑みを浮かべると、少年に目線を合わせるようにしゃがみこむ。


「胸の内に留めておこう。だが、その代わりに、君のお姉さんに会わせてくれないか」

「べつにいいけど……今から?」


 陽はすでに遠く離れた西の彼方かなたへ沈みかけている。


「ああ。君の言う特別な力を、私も見てみたいと思ってな」


 幸いなことに少年はそれ以上詮索せんさくすることはなく、案内役を引き受けてくれた。

 全く無邪気さとは末恐ろしいものだ、と小さな背中を見つめながら思う。


 路地裏を出て馬車に乗り込む際、それまで様子見にてっしていた武人が耳もとでこんなことをぼやいた。


「あんたってほんと悪趣味ですよね」


 ふん、と。

 文官は一変、奥底にどす黒いものを感じさせる無表情に戻ってわらった。


「ならば私の悪趣味につき合っているお前もまた悪趣味だ」


 ◆ ◇ ◆


 ふたり並んで水田に囲まれたあぜ道を通り、やがてさとまでたどり着く。

 しかしそうして屋敷のそばまでやってきた私は、門の前に見慣れない人影があるのに気づいて思わず立ちどまった。


 金属のよろいを身につけ、帯刀した四人の大柄な男の人。

 その近くには、時代劇でしか見たことがないような豪奢ごうしゃな馬車がある。

 初めて見る光景なのに、今日ばかりはなぜかいい予感がしなかった。


「……武官ぶかんだね」


 となりの明蘭も同じことを考えているのか、心なしか声がこわばっているように感じる。


「念のため、裏口から入ろうか」


 首だけを動かしてうなずいた私は、なるべく足音を立てないようにそっと屋敷の裏手へ回った。


「――ええ。ですから、うちにはそのような者は……愚息ぐそくごとでしょう」

「では私はたぶらかされたということか」

「はっ、そういうわけでは……」


 屋敷に入ると、明蘭のお父さんの困ったような声とやけに淡々とした低い声が聞こえてきた。

 声のする奥のとうへ近づき、私は扉のすきまから目を凝らしてなかのようすをうかがう。


 お父さんの向かいに立っているのは、男の人だ。たぶん。

 ぱっと見ただけでは女性と見違えるような後ろ姿だけど、背が高くて肩幅が広い。


 黒曜石を溶かしこんだような柳髪りゅうはつをかんざしでまとめ、黒いきぬの衣に金糸きんし刺繍ししゅうがほどこされた服を着ている。

 腰には意匠いしょうの凝った銀の香り袋なんかを下げていて、いかにも身分の高い貴族のような身なりだ。


 こんなにキラキラした人が、どうしてこの屋敷に……。


 ふいに男の人がゆっくりと顔の向きを変え、その横顔が視界に飛びこんでくる。

 芸術品めいた美貌に、私の口からはぽろっとため息がこぼれ落ちた。


「きれい……」


 切れ長の瞳は怜悧れいりな光をたたえていて、すっと切り立った顔の輪郭りんかくはまるで氷漬けにされた骨董品こっとうひんのよう。

 はけではいたような長いまつ毛が、新雪よりも澄んだ色白の肌にひそやかな影を生み出している。

 遠くからのぞき見しているだけだというのに、私の鼓動こどうはすこしだけ早くなる。


 だってこんなイケメン……画面越しでしか見たことないし!


「お言葉ですが……食仙を見つけ出して、どうなさるおつもりですか」

「極秘事項だ。だがもし食仙とわかったならば、金は弾もう」


 ふと聞こえてきた単語に、今度は別の意味で胸が大きく跳ねる。

 食仙? この人、食仙を探してるの?


 私は無意識に瞳だけを動かしてとなりを見る。

 そこでは、玉の汗を浮かべた明蘭が顔を真っ青にして震えていた。


 ああ、これはまずいな。

 彼女にとってもっとも未来が今、目の前で進みつつある。

 私は彼女の親友として直感的に察知した。


 中央から偉い貴族が直々にやってくる目的なんて、考えてみればひとつしかない。

 新たな人材のスカウトだ。

 やってきた美しい客人は、おおかた明蘭を宮廷きゅうていに入れるためにつかわされた官吏かんりなのだろう。


 いざ宮廷に入れば、彼女のような料理人にはふたつの選択肢が与えられる。

 後宮に入って宮女として働くか、皇帝直属の厨師ちゅうしとして召し抱えられるか。

 そのいずれも、今とは比べものにならないほどいい生活ができることは間違いなしだ。


 まず後宮に入ると莫大ばくだいな礼金が支払われ、地位が上がればそれにつれて給金もうなぎのぼり。

 仙術が使えるとなれば、厨師のなかでもそれなりに高い地位につくことができるだろう。

 しかしそれは自ら望んで宮廷へ入った場合に限る。


 決して裕福ではないけれど、明蘭は自身の生活をそれなりに気に入っていた。

 女社会で人にびたり、神官として神に美食を捧げることは、どちらも彼女が本当にしたいことではない。

 残念なことに、この国で女性は人生のすべてを自分で決めることはできなかった。


 明蘭のお父さんは士大夫したいふだ。

 世襲せしゅうによって地位を獲得する門閥もんばつ貴族とは違い、平民から新たに支配者階級に成り上がった者。

 官吏という意味では門閥貴族も士大夫も変わらないが、その権力には絶対的な差がある。


 つまり拒否権はないということ。

 そして、私は明蘭のお父さんが口上手ではないことも知っている。


「し、しかしうちの娘は、他人より少し煮炊きができるばかりで……食仙とまでは……」

「ならばその料理の腕だけで皇帝陛下、ひいては青龍せいりゅう様に貢献こうけんすればいい」


 これでは明蘭の存在がバレるか、逆らった思一族の首が宙を舞うか。

 いずれも時間の問題だ。


 私は唇を引き結び、扉のすきまから目を離した。

 それから、明蘭の耳もとで小さくささやく。

 なるべく遠くの、見つかりにくいところへ逃げて。夜明けまでにはなんとかするから。


 背後で明蘭がひゅっと息をのむ音がした。


「料理、作ればいいんですよね?」


 迷っていたのはほんの一瞬。

 棟のなかへ踏み入ってしまえば、雑念はきりのように消え去った。


 これでも料理の腕には自信がある。

 だったらここはひとつ、親友のために一肌脱いでやろうじゃない。

 自信を決意に変え、私ははっきりと言い切ってみせる。


「私、鳳璃って言います。あの、私でよければ」


 あなたのために最高の美食をお作りしましょう、と。

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