陸 叫花鶏ときれいな客人
「……悪くないな」
「すごいよ、
そんなふたりのようすを見て、私の顔にも自然と笑みが浮かんだ。
やっぱり、この時間が一番好きだ。
だれかと一緒にとびっきりおいしいごはんを作ること。
作ったごはんを大切な人に食べてもらえること。
……そんな、当たり前とも思えるような幸せが嬉しい。
気づけば、窓からオレンジ色の
「日も暮れてきたし、そろそろ帰りましょうか。これは志鶴、あんたにあげるわ。
私は
それから店番をしていた楊おじさんに軽くあいさつをし、暗くならないうちにと家路を急いだ。
◆ ◇ ◆
一方、その頃。
日の光が届かないその場所は薄汚れ、常に湿っていて、とても人の住めるようなところではない。
時折遠くから感じる視線は、町の
世の影を形にしたような
一方はいかにも貴族然とした
もう一方はその背後を歩く細身な武人。
「本当にこんなところに『龍の落とし子』がいるのですか? どこもかしこも薄汚れた鼠ばかりだ」
武人の方がいい加減
この世の
「奴らは
文官は
それに、と相変わらず感情の読み取れない声音で続ける。
「都から程遠い山村となれば、落とし子に差別や偏見がある地域も少なくないはずだ。
核心を突いた
我々に手段を選んでいる
「まあどっちにしろ、見つかりゃそれでいいんですけどね。それよりも、さっき大量に買ってきた食材の件についてですけど……」
お互い数歩ずつ歩いたところで、前方に立ち
そこにいたのは、まだ
「きれいなおじさん、どっから来たの?」
身なりを見るに、この辺りの
「お、おじさん……」と武人の方は何か言いたげだったが、間髪を入れず横から手で制された。
代わりに前へ歩み出た文官が、声音を
「坊や、このあたりで
「ショクセン?」
聞き慣れない単語だったのか、少年は不思議そうに首を傾げた。
文官はそれを見て、落胆ともつかない溜め息を吐く。
「人間離れした、特殊な力を使う者のことだ。知らないのならもういい」
しかし二人がそのまま通り過ぎようとすると、少年のほうが何か思い当たったというようにずいと身を乗り出した。
「おれ、ショクセンは知らないけど、すっげえ力使うひとなら知ってるぜ!」
「ほう?」
「おれの姉ちゃん、いっつもは見せてくれないんだけど、ときどきふしぎなことするんだ。なにもないところからはなを咲かせたり、けがを治してくれたり。ちょっとこわかったけど、ほんとはすっげえかっこいいなって思ってる!」
そのとき、今まで少年の影に隠れていた少女が彼を
「ねえ、
「あ、そうだった。おじさん、絶対だれにも言うなよな!」
そこまで聞けば十分だった。
文官は満足げに笑みを浮かべると、少年に目線を合わせるようにしゃがみこむ。
「胸の内に留めておこう。だが、その代わりに、君のお姉さんに会わせてくれないか」
「べつにいいけど……今から?」
陽はすでに遠く離れた西の
「ああ。君の言う特別な力を、私も見てみたいと思ってな」
幸いなことに少年はそれ以上
全く無邪気さとは末恐ろしいものだ、と小さな背中を見つめながら思う。
路地裏を出て馬車に乗り込む際、それまで様子見に
「あんたってほんと悪趣味ですよね」
ふん、と。
文官は一変、奥底にどす黒いものを感じさせる無表情に戻って
「ならば私の悪趣味につき合っているお前もまた悪趣味だ」
◆ ◇ ◆
ふたり並んで水田に囲まれたあぜ道を通り、やがて
しかしそうして屋敷のそばまでやってきた私は、門の前に見慣れない人影があるのに気づいて思わず立ちどまった。
金属の
その近くには、時代劇でしか見たことがないような
初めて見る光景なのに、今日ばかりはなぜかいい予感がしなかった。
「……
となりの明蘭も同じことを考えているのか、心なしか声がこわばっているように感じる。
「念のため、裏口から入ろうか」
首だけを動かしてうなずいた私は、なるべく足音を立てないようにそっと屋敷の裏手へ回った。
「――ええ。ですから、うちにはそのような者は……
「では私は
「はっ、そういうわけでは……」
屋敷に入ると、明蘭のお父さんの困ったような声とやけに淡々とした低い声が聞こえてきた。
声のする奥の
お父さんの向かいに立っているのは、男の人だ。たぶん。
ぱっと見ただけでは女性と見違えるような後ろ姿だけど、背が高くて肩幅が広い。
黒曜石を溶かしこんだような
腰には
こんなにキラキラした人が、どうしてこの屋敷に……。
ふいに男の人がゆっくりと顔の向きを変え、その横顔が視界に飛びこんでくる。
芸術品めいた美貌に、私の口からはぽろっとため息がこぼれ落ちた。
「きれい……」
切れ長の瞳は
はけではいたような長いまつ毛が、新雪よりも澄んだ色白の肌にひそやかな影を生み出している。
遠くからのぞき見しているだけだというのに、私の
だってこんなイケメン……画面越しでしか見たことないし!
「お言葉ですが……食仙を見つけ出して、どうなさるおつもりですか」
「極秘事項だ。だがもし食仙とわかったならば、金は弾もう」
ふと聞こえてきた単語に、今度は別の意味で胸が大きく跳ねる。
食仙? この人、食仙を探してるの?
私は無意識に瞳だけを動かしてとなりを見る。
そこでは、玉の汗を浮かべた明蘭が顔を真っ青にして震えていた。
ああ、これはまずいな。
彼女にとってもっとも
私は彼女の親友として直感的に察知した。
中央から偉い貴族が直々にやってくる目的なんて、考えてみればひとつしかない。
新たな人材のスカウトだ。
やってきた美しい客人は、おおかた明蘭を
いざ宮廷に入れば、彼女のような料理人にはふたつの選択肢が与えられる。
後宮に入って宮女として働くか、皇帝直属の
そのいずれも、今とは比べものにならないほどいい生活ができることは間違いなしだ。
まず後宮に入ると
仙術が使えるとなれば、厨師のなかでもそれなりに高い地位につくことができるだろう。
しかしそれは自ら望んで宮廷へ入った場合に限る。
決して裕福ではないけれど、明蘭は自身の生活をそれなりに気に入っていた。
女社会で人に
残念なことに、この国で女性は人生のすべてを自分で決めることはできなかった。
明蘭のお父さんは
官吏という意味では門閥貴族も士大夫も変わらないが、その権力には絶対的な差がある。
つまり拒否権はないということ。
そして、私は明蘭のお父さんが口上手ではないことも知っている。
「し、しかしうちの娘は、他人より少し煮炊きができるばかりで……食仙とまでは……」
「ならばその料理の腕だけで皇帝陛下、ひいては
これでは明蘭の存在がバレるか、逆らった思一族の首が宙を舞うか。
いずれも時間の問題だ。
私は唇を引き結び、扉のすきまから目を離した。
それから、明蘭の耳もとで小さくささやく。
なるべく遠くの、見つかりにくいところへ逃げて。夜明けまでにはなんとかするから。
背後で明蘭がひゅっと息をのむ音がした。
「料理、作ればいいんですよね?」
迷っていたのはほんの一瞬。
棟のなかへ踏み入ってしまえば、雑念は
これでも料理の腕には自信がある。
だったらここはひとつ、親友のために一肌脱いでやろうじゃない。
自信を決意に変え、私ははっきりと言い切ってみせる。
「私、鳳璃って言います。あの、私でよければ」
あなたのために最高の美食をお作りしましょう、と。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます