10.魔物の見る夢

 とっさに飛び出して令嬢を庇った闇の魔物の身体を剣が貫き、令嬢の手にしていた祝福の花までも剣先が散らしていた。


 ハラリ、ハラリと花弁が舞い落ちる。

 令嬢の一心に願った『皆の幸福』が、最後の『祝福の花希望』が崩れ落ちていく。


 ずるりと剣が引き抜かれると、闇の魔物の黒い血が溢れ出し、令嬢に降りかかる。

 闇の魔物の血が滲み、真っ白だった令嬢の衣装が真っ黒く染まっていく。

 大量の血飛沫で周囲が黒く染まる中、闇の魔物はその場に倒れた。


「ナ、ナイト! ……どうして、どうしてこんなこと!?」


 思い出の花で昔の彼に戻ったはずだと、心優しかった頃の気持ちを取り戻したはずだと、令嬢はそう思っていた――だが、そうではなかった。

 信じられない思いで令嬢が仰ぎ見れば、心優しかった王子の面影の残る顔で、王は恐ろしい形相をし、忌々しげに睨みつけていたのだ。


「――邪悪な魔物と魔女め……私にかけた呪いを解け! 私はまやかしなどに惑わされんぞ。私達の美しい姿を返せ! この醜悪な化物どもが!!」


 怒りを露わにする王は剣を振り上げると、令嬢を何度も斬りつけ、力任せに胸を突き刺した。


「!!?」


 令嬢は思い違いをしていた――それが、彼の本性だったのだ。

 享楽や愉悦の味を占めてしまったなら、貧相で凡庸な昔になど戻る気は毛頭なかった。

 絶対的な力を手に入れてしまえば、その力でもって他者から奪い取れば良いと考える。

 己をかえりみることも、誰かをおもんばかることも、何かをいつくしむこともない。

 それでまかり通ってしまう、それが支配者となった人のさがだった。


 胸を突かれた令嬢は口から血を吐き、全身から血を流し、黒く染まった地を赤くしながら倒れる。

 その様子を見ていた人々が嬉々とした声を上げ、王を称賛する。


「醜い化物が死んだぞ!」

「陛下が退治してくださった!」

「国王陛下、万歳! 万歳!」


 令嬢には、人らしくなっていた人々の姿が、また醜い化物の姿へと変わっていくように見えた。

 人のおぞましく醜い本性そのままに、真っ黒で邪悪な化物へと……。


 令嬢の彷徨う視線の先、崩れ落ちた祝福の花が、最後の愛の花が枯れていくのが映る。


(……愛していた……貴方を心の底から愛していたのに……)


 令嬢の脳裏を『心優しかった王子との思い出』、走馬灯が過ぎる。


(……独りぼっちだったわたしを見つけて、優しくしてくれた人。わたしを必要として、居場所をくれた人……わたしに出来ることなら何でもしようと思っていた。貴方の望みなら叶えてあげたいと思っていた……)


 令嬢の歪む視界に、再び醜悪で巨大な化物へと変貌していく王の影が映る。


(……いつか、他の誰かと結ばれるとしても、貴方が幸福になるのならそれで良かったの……貴方の幸せのためなら、わたしは命も惜しくはなかった。死ぬことすら厭わなかったのに……)


 枯れ果てて塵芥となってゆく花を、令嬢はただ見つめることしかできない。


(……貴方を愛したわたしは死んだ……貴方が殺した……愛はもう、枯れ果ててしまった……)


 膨れ上がった醜悪な化物に戻った王は、同じく醜悪な化物に戻った王女の元へと向かう。


「王女よ、もう大丈夫だ。先ほどの醜い姿は、魔物や魔女が見せたまやかしにすぎない。本当の私達はこんなにも美しいのだから」

「まぁ、なんてことでしょう。陛下のおかげで、本当の美しいわたくしの姿に戻りましたわ……やはり、醜い魔物は邪悪で汚らわしいわ! 絶対、根絶やしにしてやりましょう!」

「そうしよう。この世界は最も美しい私達が統べるのだ。魔物や動物、草木に至るまで醜いものは徹底的に排除し、私達が認める美しいものだけの世界にしようではないか。ははははは」

「まぁ、なんて素晴らしいお考えかしら。素敵な世界に生まれ変わりますわね。ふふふふふ」


 二人の笑い合う声が、令嬢には遠く聞こえた。

 赤黒い血の海の中、微かに黒い塊が蠢いたことに令嬢は気づく。


 ……ズリ…………ズリ……ズリ……


 闇の魔物は生きているのが不思議なくらいの致命傷を負った状態で、必死に令嬢の元へと一房の花を運ぶ。

 それは、傷を癒す治癒の花だ。けれど、二人の致命傷を癒すだけの効力はもうないだろう。


(……あぁ、ナイト……どうして、どうしてナイトはそうまでしてわたしを救おうとしてくれるの……わたしにその花を使ってしまったら、ナイトは助からないと分かっているでしょう……)


 身動きもできず言葉すらも発せない令嬢の傷口に、闇の魔物はそっと花をよせ、消え入りそうな擦れた声で囁く。



「……ずっと、夢見てた……リリスの幸せが、夢なんだ……」



 令嬢の幸福こそが、何よりも叶えたい闇の魔物の夢なのだと、そう想いを告げられて令嬢は胸が詰まる。


(……どうして、どうしてナイトは見返もないのに、自分を犠牲にしてでもわたしの幸福を願ってくれるの……)


 治癒の花の効力で傷口はゆっくりとふさがっていく。だが、それと同時に闇の魔物は弱っていく。

 そんな闇の魔物の姿を見れば、治っていくはずの令嬢の胸はさらに痛みを増し、苦しくなるばかりだった。


(……昔救われた恩だと言うなら、これ以上ない程に返してもらった……だから、もうやめて……わたしはナイトに生きていて欲しいの……)


 いくら令嬢が闇の魔物にこそ生きていて欲しいと願っても、その思いは届かない。

 令嬢は指先一つ動かすことも、声を発することもできないのだから、やめさせることなどできはしない。


 そうしていると、弱々しく震える闇の魔物に王女が目敏く気づき、甲高い声を上げる。


「まぁ、魔物がまだ動いていますわ! 目障りな汚物を早く始末してくださいまし!」

「まだ生きていたか、しぶとい化物め。衛兵、動かなくなるまで滅多刺しにしてしまえ!」


 王の命令を受け、鋭利な武器を持った衛兵達が令嬢達の方へと歩みよってくる。


 大きな傷口がふさがり、令嬢が息を吹き返せば、治癒の花は枯れ果ててしまう。

 治癒を見届けた闇の魔物はとうとう力尽き、意識を失って動かなくなった。

 令嬢はようやく動かせるようになった震える手を、闇の魔物へと伸ばす。


 衛兵達が動き出した令嬢に気づき、嗜虐的な笑みを浮かべ舌なめずりする。


「おお、まだ魔女も生きているようだぞ。さすが化物、いたぶりがいがありそうだ」

「くくくく、ならば急所を外して、じっくりゆっくりと滅多刺しにしてやろう」


(……わたしはどうなってもいい……でも、ナイトだけは殺さないで……ナイトには生きていて欲しい……)


 令嬢はなんとか動くようになった身体で、闇の魔物を庇うように覆いかぶさる。


(……ナイトはわたしの祝福を愛だと言ってくれた……なら、わたしはこの上ない愛をナイトに……)


 闇の魔物を抱きしめ、令嬢は音にならない声で祈った。



『――最愛の祝福を愛してる――』



 刹那、時の止まったような静寂が訪れ――




 ――……ォォォォオオオオオ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛――




 ――大地が、大気が、自然が、世界が共鳴する。

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