第33話 怪奇レポート007.本を開くたびずれる栞 捌
睡さんが不思議がっていた通り、たしかに私は倒れなかった。
倒れ“は”しなかった。
けれど、金縛りにあったように――実際にあったことがないから想像でしかないけれど――手も足も、まぶたでさえも動かすことはできなかった。
身動きが取れない私たちは、いとも簡単に屋敷の外へつまみ出されてしまった。
屋敷の外は雑草だらけで荒れ放題。
夢から現実に戻されてしまったようだ。
周囲に結城ちゃんはいないから、きっとまだあの図書館の中にいるはず……。
「小津骨さん、どうしましょう……」
「確証はないんだけど、この夢の図書館が怪異じゃないかと思うの」
「そりゃそうっスよ! これが怪異じゃなきゃ何が怪異なんスか!」
食って掛かる真藤くんを、そうじゃなくて、と小津骨さんが止める。
「司書? 管理人? って名乗ってた二人がいたでしょう。あの二人はあくまでこの図書館の一部であって、この怪異の本体はこの図書館の建物そのものじゃないかと思うの」
「え? そんなことあるんですか??」
「幽霊船みたいに人間と建造物が一体になった怪異もあるでしょう? それに近いものじゃないかしら」
そういうことか!
っていうことは……――。
「退治しなきゃいけないのはこの建物そのものってことですか?」
このサイズじゃ瀬田さんからもらった聖水じゃ足りないよ……!
「灯油を使えば燃えるっスかねぇ」
真藤くんってば、この前髪の毛の塊を燃やそうとしてひどい目に遭ったはずなのに懲りてないし。
でも、それくらいのことをしないと退治できる気がしないし……。
その時、風に乗った甘い香りがふわりと私を包んだ。
まただ。
あの夢と同じ匂い。
「この匂い、どこから来るんでしょうね」
「匂い? なんのこと?」
「わかんないっス」
「え?」
こんなに強い匂いなのにみんなは気付かないの!?
「香塚さん、その匂いがする方へ案内してちょうだい!」
「そんなこと言われても……。私は犬じゃないからわかんないですよぉ」
小津骨さんの急な無茶ぶりに困惑しながら、とりあえず草むらを掻き分けて歩く。
数歩進んでは匂いを確認し、遠ざかっているようなら進む方向を変え、本当に進んでいるのかわからないくらいのペースで私たちは進んだ。
瀬田さんのメガネ、怪異を視るはずの道具なのに怪異の臭いまでわかるなんてすごいなぁ。
「こーづかさん、早くしないと陽が沈むっス!」
「わかってるって!」
これでも必死なんだよ!
風向きのせいでよくわかんなくなっちゃう中、頑張って近付いてきてるんだから!
文句を言いながら先に進んでいた私は、いつの間にか建物の裏手に辿り着いていた。
次はどちらに進もうか、と左右に首を振った時、右奥の方からひときわ強い香りが風に乗ってやってきた。
「こっち!」
今までにないくらい濃い匂いだから、きっとすぐ近くに匂いの発生源があるに違いない。
私がその方角を指し示すと、待ってましたとばかりに真藤くんが走り出した。
「わぁぁぁっ」
進むこと二十メートルほどだろうか。
真藤くんの姿が急に消えた。
それと同時に、ざぶんと何かが水に落ちる音がする。
「怜太っ!?」
小津骨さんが真藤くんの消えた辺りに駆け寄り、私もそれに続く。
そこにあったのは大きな池だった。
建物や庭と同じように手入れをされていないせいで池の水面はさまざまな水草や藻で覆われ、真藤くんが落ちた所にだけぽっかりと穴が開いたように濁った水が見えている。
自力で池から這い上がった真藤くんは怯えた目をしていた。
「腐ったスムージーの味がするっス……」
池の水を飲んだらしい。
ってかそれスムージーに失礼だぞ?
「香塚さん、ここで合ってるの?」
「はい。たぶんもうちょっと奥の……あっ!」
背伸びをして池を見渡した私の目に、池の水面に浮かぶ一輪の花が飛び込んできた。
ヒマワリより大きい、直径三十センチメートルはありそうな巨大な花だ。
「あれです! あの花だと思います! あれは……蓮の花?」
蓮……――。
そうだ!
「睡さん! あの人の名前、フヨウって言ってました!」
「芙蓉? 蓮の別名でしょう。睡ってあの男の子よね」
「何かありそうっスね」
「そうね。怜太、ちょっとその花摘んできてちょうだい」
小津骨さんに無茶ぶりされて、真藤の顔がスッと青ざめる。
「む、ムリっス!!」
真藤くんはぶんぶんと首を横に振る。
「いいですよ、私行きます!」
「香塚さんはダメよ! 怜太はもうずぶ濡れだから構わないでしょうけど、あなたの服は……」
「いいんです! なんか今日、大したことできてないですし」
走ったり投げたりはからっきしだけど、水泳の授業だけは得意だったんだから!
助走をつけて池に飛び込む。
思ったより水しぶきが上がっちゃったけど、真藤くんにかからなかったかな?
なんて人のことを心配する余裕があったのは最初だけで、私はすぐに異変に気付いた。
水が、すごく重い。
服を着たままだからとか、そういうことを抜きにして体に纏わり付いてくる感覚がある。
まるで誰かに掴まれているような……。
「香塚さん、気を付けて!」
水の塊を蹴るように進んでいる私を心配して小津骨さんが声を掛けてくれる。
それに応える余裕はないけど、蓮の花まであと少し。
もう少し進めば手が届く。
「そこで何をしている!」
睡さんの声だった。
申し訳ないんだけど、今は構ってる場合じゃないんだよなぁ。
水はだんだん重くなってくる上に、岸の方へ引っ張られてるような気がするし……。
クロールで前に進めないなら、多少は池の水を飲む覚悟でこれしかないよね!
両手に力を込めて、同時に大きく腕を回す!
重い水を掻いた手は水中から出ると急激に軽くなり、勢いを増して少し先の水面を捕える。
そのまま力を込め続けると体が浮き上がる感覚があり、大きく前に進んだ。
「バ、バタフライっス……」
「すごく綺麗なバタフライね……」
ひと掻きひと掻き確実に、蓮の花に近付いていく。
そして、右手がついに蓮の花を掴んだ。
それと同時に、背中に鋭い衝撃が走った。
お腹が灼けるように熱くなる。
まずい。
何が起きたかよくわからないけど、すごくまずい気がする。
「こーづかさんっ!!」
真藤くんの慌てた声が聞こえて、こっちに近付いてきているのを水の動きから感じる。
そっちを振り向く余裕はなくて、だんだん視界が暗くなってきた。
とにかく、掴んだ花だけは離しちゃいけない。
私の頭の中にあったのは、ただそれだけだった。
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