それは些細な違和感から始まった
綾野祐介
第1話 それは些細な違和感から始まった
それはほんの少しの違和感だった。
「あれ?」
何がおかしいのか、どこに違和感を感じているのか、自分でもよくわからなかった。
朝はいつものように起きた。今日は月曜日だ。普通に授業があるから七時に目覚ましをセットしている。目覚ましが鳴って起きたら正確に七時だった。おかしなところは何もない。
身支度を整えて学校に向かう。僕は市内の進学校に通う高校2年生だ。夏休みも終わり学園祭や体育祭の準備に余念がない、ただのお祭り事が好きな、でも陽キャとも言えない中途半端な存在だった。
電車とバスを乗り継ぎ八時二十分には学校に着いた。いつもの教室、いつもの友達。変なところは何もない。今日の連絡事項など担任による短い朝礼がありすぐに授業が始まった。
五十分授業は少し長い。休みも十分ではトイレにも行けない。たまに九十分授業とかもあって、進学校の面目躍如というところだった。
僕の成績は中の中くらい。三十人のクラスで大体十二、三番目だった。得意な教科は歴史と数学。自分でも理系か文系か判断が付かなかった。
友人は多くはなかったが居ない訳でもなかった。僕のグループは多分クラスの中心の存在とは一線を画している、というか相手にされていないグループだった。しかし、ある意味存在を認められているグルーブでもあった。オタクはすでに市民権を得ていたからだが、実際にはそれほどオタクに染まっている訳でもなかった。いずれにしてもすべてが中途半端な集団だったのだ。
その中でも僕は中心人物ですらなかった。中途半端なグループの中の中途半端な存在だったのだ。
グループの中心は杉江統一と言った。飛び級で高校に入学してきたらしいから実年齢は一つか二つ年下になるはずだ。飛び級などと言う制度があったとは知らなかった。それもそのはず学校創立以来初めての事だったらしい。一年生の時はクラスが違ったので知り合いではなかったが入学当時かなり話題になっていた。
二年になって同じクラスになると程なく友達になった。友達になると案外普通の高校生だった。特に頭がいいとも感じなかったし、飛び級していることをひけらかすこともなかった。
普通にアニメや漫画やゲームの話をしたり、カラオケに行ってアニソンメドレーを歌ったりしていた。杉江の成績は確かにクラスで一番だったが、それを感じさせない普通さが好きだった。
「おはよう」
朝、普通に挨拶をした。
「おはよう」
普通に返事が返って来た。やはりおかしなところは何もなかった。違和感は気のせいだ、と一人納得していた。
放課後になって杉江や他の友達と少し話をしてから帰路についた。今日は特に一緒にどこかに立ち寄ったりしようという事にはならなかったので普通に帰った。今日はバイトもなかったし、特に今は欲しい本もなかったので本屋もスルーした。
家に戻ると母親は居なかった。母は夜の仕事をして僕を養ってくれている。苦労している母親を見ることは辛かったが、いつも笑顔でいてくれる母親に感謝していた。近くには親類は居ないらしく、母は本当に一人で僕を育ててくれていたのだ。
父親は僕が三歳の頃に事故で亡くなったと聞かされていた。「思い出してしまうから」という母は写真を一枚も家に置いていない。だから僕は父親の顔を知らないというか覚えていなかったので、僕にはある一つのこと以外、父親の記憶が全くなかった。
2LDKの賃貸アパートの一室を与えられていたので自室は僕の城だった。本棚には好きなラノベが並んでいた。友達からは「趣味が偏っている」と言われていたが、好きなものの系統はずっと変わらないので仕方なかった。
僕は朝からの違和感のことを考えていた。結局学校に居る間は思い至らなかった。勉強をするために机に向かう事もないのでベッドに腰掛けて部屋を見渡す。朝、起きた時に感じた違和感だとすれば当然部屋の中のはずだった。だがいくら見渡しても違和感の正体が判らない。例えば並んでいるラノベを一巻ずつずらして並び直されている、みたいな。
「さすがにそれはないか」
もしそうだとしても誰が何のために、ということが皆目見当もつかなかった。自分と母親以外に部屋に入れる者は居ないはずだったからだ。
急に電話が鳴った。SNS全盛の昨今、直接普通に電話してくるのは杉江くらいだ。
「どうした?」
「いや、なんか今日変だったろ?」
どうも気づかれていたようだ。年下だが妙に気の付く奴だった。そして、基本的にいい奴なのだ。
「判ったか。」
「判るさ。でも言いたくないのかな、って思って。」
「いや、言いたくないんじゃなくて、自分でもよく判らないから言えなかったんだよ」
「自分でもよく判らない?」
疑問に思うのも仕方ない。自分でもわからないことが他人にわかるはずもない。だから相談できなかった。それでも違和感は消えないのだ。
「朝起きたら、なんか違和感があるんだけど、何の違和感なのかが判らないんだ。」
「違和感か。それは中々難しい問題だね。自分でも判らない違和感を説明できるはずがないよな。」
「そうなんだ。だから学校でも何も言えなかったんだよ」
「判った、じゃあ今日、泊まりに行っていいか?」
「今からか?」
まだ遅い時間ではないので電車は十分動いている。杉江の家からは二駅ほどなので一時間もかからず来られるはずだ。
「いいげど」
僕の家には夜に誰も居ないことを杉江は知っていた。但し、家にまで来たことは今まで一度もなかった。
「じゃあ、お泊りセットを持って行くよ、痛くしちゃいやだよ」
「バカか。ふざけてないで早く来いよ、待っているから」
こうして杉江統一は僕の部屋に泊まることになった。明日は火曜日だから普通に起きて学校にいかなければならない。彼の分の朝ごはんも用意しないと。僕は少しだけ高揚しながら彼が来るのを待った。
インスタントだが少し高目の珈琲と確かクラブハリエのバウムクーヘンを母親が貰って来たものがあったはずだ。ミルクは入れないんだったかな。杉江はブラックだったよな。あれ、なんで僕はこんなにウキウキしながら杉江を迎える準備をしているのだっけ?僕にはそんな趣味はなかったはずだ。なかったはずだ。確かになかったはず。昨日まではなかった。というか今まで生きて来て感じたことはなかった。僕は男だ。中二病を発症してはいるが普通の男子高校生だ。恋愛対象は女子だ。好きな子、というか気になっている子も居る。ああ、少し頭が混乱してきた。杉江と話して彼に整理してもらおう。そういうことが彼は得意だった。物事の本質を見極める目がある。僕はいつもそう思っていた。一目置いていたのだ。
ピンポーン。
インターホンが鳴る。
「どうぞ、開いているよ」
相手を確認もせずに僕はインターン越しではなく外に聞こえるように言った。
ガチャ。
ドアノブを回す音。ついでドアが内側に開いた。そこには杉江ではない、何かが立っていた。
「誰だ?」
杉江だと思っていたが別人だ。いや、人ですらないのかも知れない。人の形をした何かだ。眼はギョロっとしていて瞼が無い。鼻は潰れており、口は人間のそれより横に広がっていた。中には細かい歯が異常な数並んでいた。体格は大男のようだ。180Cmはありそうだ。
「ふんぐるい むぐるうなふ くとぅるう るるいえ うがふなぐる ふたぐん」
それが本当にそう言っていたのかは判らなかったが、くぐもった声でそのようなことを口にしたことは確かだった。意味は全く判らないし、何語なのかも判断できない。
人型のソレはすぐに消えてしまった。そこに杉江がやってきた。
「なんだ、出迎えてくれたのか」
「いや、今誰かが来ていたんだ。会わなかったか?」
タイミングとしては絶対に出会っているはずだった。あの巨体だ、杉江が気付かないはずがない。
「まあいいや、入れよ」
とりあえず杉江を招き入れて鍵を掛けた。念のため二重ロックを両方ともだ。
「それで、一体今日はどうしたんだ?」
僕は今朝からの話を包み隠さず話した。と言っても特段何かがあった訳でもないのでほとんど話すこともなかったのだ。たださっきの魚男(そう呼ぶことにした)のことは別にして。
「それは人間だったのか?」
「僕にも判らないよ、見たことない異常な顔だった。それに変なことを言っていたな」
「変な事?」
僕は杉江に覚えているとおりさっきの魚男の発音した言葉を伝えた。すると突然杉江の顔色が変わった。
「何?どうした?何か知っているのか?」
何を聞いても応えはなかった。ただ似つかわしくない難しい顔で黙り込んでいる。
「何だよ、知っているなら教えてくれよ」
すると神妙な顔をして杉江は話し出した。
「判った。でもこれから話す事はとても信じられることではないと思うんだ。それでも聞く気があるかい?」
「脅すなよ。とりあえず話してくれ」
杉江の話は荒唐無稽なものだった。地球は人類よりも遥か昔に旧支配者と呼ばれる存在が支配していたこと。旧神と呼ばれる存在との間に戦争が起こり旧神側が勝利したこと。その際、旧支配者たちはそれぞれ様々な場所や次元に封印されたこと。そして、その封印を解こうとしている勢力が居ること。それらは眷属と呼ばれる者たちや宗教団体を隠れ蓑にした人間たちだということ。
「そんなこと信じられる訳、」
「無いよな、だから言ったんだ」
「それでも本当のことだと?」
僕には杉江が嘘を吐いているとも思えなかった。そんな幼稚な嘘で僕を揶揄うような奴じゃない。とすると、まさか本当のことなのか。
「それでさっき君が言った意味不明な言葉はこういう意味になる」
(ルルイエの館にて死せるクトゥルー、夢見るままに待ちいたり)
「どういうこと意味なんだ?」
「大して意味はない。クトゥルーがルルイエで眠りについている、って程度の意味しかないよ。但し、ダゴン秘密教団の中では神聖視されている言葉だ。」
「そんな言葉をなんで僕の所にわざわざ言いに来たんだろう。」
「それが判らないから、本当はこんな話をしたくはなかったけど話したんだ」
「君が嘘を吐いているとは思えないし普段の君は変な冗談を言ったり騙したりするような奴でもないことも判っている。だからこそ、全く意味が判らないよ」
それはそうだろう。いきなり旧支配者だの旧神だの言われて、はいそうですかと納得する方が頭がおかしいと言われるだろう。
「それで結局僕はどうしたらいいんだろう」
「とりあえずは何もしない方がいい。相手の出方も目的も判らないからね。まあ、それが判った時には手遅れ、ということも十分考えられるけど」
「脅かすなよ」
「脅かしてはいない。注意喚起しているだけだよ。本当はどこかに姿を隠した方がいいかも知れない。ダゴン秘密教団の人間だとして、彼らが外部の人間に接触するときは何かの儀式に利用しようとしているときぐらいしか考えられないから」
「儀式?」
「そう。もちろんクトゥルーの封印を解くめの儀式。生贄ってことさ」
「いっ、生贄?僕は殺されるのか。」
背中に冷たい汗が流れた。昨日までの日常が音を立てて崩れ落ちていく気がした。
「脅して申し訳ないけど、楽観視していても現実の認識ができなかったら意味ないからね。でも狙いは本当に君なんだろうか。君に一体何があると言うのだろう」
「僕が聞きたいよ、そんなの」
まとめると多分だがダゴン秘密教団の関係者が僕の所にやってきた、ということらしい。但し、目的は果たせなかったようだ。杉江が来た所為、というのが彼の見解だったが、ダゴン秘密教団が恐れる存在、ということなのだろうか。それはそれで怖いことなんじゃないのか?
十分用心するように、と告げて杉江が眠りについたが僕はなかなか眠れなかった。考えれば考えるほど答えの出ないことに苛立ってしまうのだ、眠れる筈がなかった。
なんとか何も考えないようにして一応の眠りにつけたのは、もう少し明るくなり始めた頃だった。
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