花の命は短し、散って咲いて実をならす

三毛猫みゃー

散花

 彼女と出会ったのは大正がそれなりに過ぎた秋の終わり頃だった。


 その施設は帝都から随分と離れた所にあった、回りを山で囲われていてまるで閉ざされたような場所にあるサナトリウムという名の隔離施設、私のついの棲家。


 なんだか調子がいい、咳も今日はまだ出ていない、空気のいい場所で療養すればすぐに治るというお父様の言葉は本当だったのかもしれない。


 体調がいい事に気を良くした私は思い切って施設の外に出てみることにした。外に出ると同時に、波の音が微かに聞こえ海の香りが感じられた、それらに釣られるように私は波の音が聞こえる方へ歩きだしていた……私はそこで彼女に出会うことになる。


 秋の弱い日差しの中、左手に靴を持ち右手で白いワンピースを膝下まで持ち上げながら、寄せては返す波に足をさらしている少女が見える。


 白いワンピースより白い肌と、光の加減で金にも銀にも見える色素の薄い髪、生気が感じられないその姿は、幽鬼と言われたら信じてしまいそうな人だった。


「あら、初めて見る方ね」


 街灯に誘き寄せられる蛾のように、ふらふらと歩き近寄っていた私に気づいたのか、こちらを振り向き少し微笑み声をかけてきた。


「あっ生きている人だった」


 驚いてとっさにそんな言葉が口から出ていた。


「うふふ、おかしな方ね、私が幽霊にでも見えたのかしら、日が暮れるにはまだ早いしここには柳の木も無いわよ」


「ご、ごめんなさい、随分ときれいだなと思って、人魚がいるのかと思ってしまって」


 正直に幽鬼のようだったなどと言えるわけもなく、とっさに嘘をついていた。


「人魚なんて初めて言われたわ、こんな髪色だからよく幽霊とかお化けとは言われるけれど」


 そう言いながら腰まである髪を一房つまみ持ち上げ少し悲しそうな表情を浮かべた。


「そんな事ありません、すごくきれいだと思います」


「そう?ありがとう、それよりあなたはここには何をしに?誰かのお見舞いなら私には近づかないほうが良いわよ」


 彼女は私から少し距離を取った。


「いえ、私は……私も今日からここにお世話になりに来ました」


「そう、なのね、なら私とお友達にならないかしら?ここには同じくらいの年の人がいなくて寂しかったのよ」


「お友だち、ですか?私でいいのでしょうか?」


「うふふ、良いも悪いも私があなたとお友達になりたいのよ、駄目かしら?」


 彼女は私の手を取り胸元に寄せ首をちょこんと傾げている。


「えっと、よろしくお願いします?」


 私も首を傾げながらそう答えていた。


「うふふ、こちらこそよろしくお願いします、ね」


 けほっと彼女は1つ咳き込んだ「ごめんなさいね」と謝ってくる。繋いでいる彼女の手は思いの外冷たく感じる。


「少し寒くなってきたので戻りませんか?えっと……」


 まだ彼女の名前を聞いていなかったことに気づく、私たちはお互いに名前を聞く前にお友達になっていたようだ。


「そういえば自己紹介がまだだったわね、私は来栖宮亜璃西くるすのみやありす、お友達としてアリーと呼んでもらえると嬉しいわ」


「アリーさん?」


「さんはいらないわアリーとだけ呼んでほしいの、そう呼んでほしいと思ったの、お父様とお母様以外だとあなたが初めてよ」


「アリー……アリー、わかったわアリー。ええと私の名前は栗宮くりみやすみれよ」


「すみれ、すみれ、そうだわ、すみれは英国語でVioletと言うらしいわ、なら最初のVioからヴィオなんてどうかしら?」


 ヴィオ……初めて聞く不思議な言葉、でもそう呼ばれるのは嫌ではないと思う、ロマンス小説で女の子同士が呼び合う愛称に憧れもあった、それに初めてのお友達が付けてくれた呼び名。


「ヴィオ良いかもしれない、私のことは今日からヴィオと呼んでアリー」


「うふふ、気に入ってもらえて何よりだわ、改めてよろしくねヴィオ」


「こちらこそよろしくお願いしますアリー」


 この後私とアリーはこの施設で、殆どの時間を離れず共に過ごすことになる。


 ◆


 アリーと出会ってそろそろ1年になる、あの後施設に戻るとアリーは2日ほど寝込んだ。アリーが寝込んでいる間は外に出る事もなく手紙を書いた以外は部屋で読書に明け暮れていた、むしろそれしかやる事がなかった。アリーが起き上がれるようになると、どちらかが部屋を訪ねてお互いが持っている本を交換して読み合うのが日常になった。

 

 本当は駄目なのだけど、冬の間は一緒のベッドに入り二人並んで本を読み感想を言い合い、また本を読むという日々を送っていた。


 春になると二人手を繋ぎ散歩をしたり浜辺で貝殻を集めて見せあったりした、だけど春が終わり梅雨に入ると少しずつ寝込む日が出てくるようになってきた。


 梅雨が終わると少し倦怠感はあるものの寝込む回数が減った気がする、梅雨のジメジメした空気が駄目だったのかもしれない。


 夏になると外の木陰で本を読む様になった、この頃は私もアリーも口数が減り無言で読書に勤しむ様になっていた。別に喧嘩したとか喋るのが嫌になったとかではなく、家から送られてきたドロップ缶が原因だった。そうドロップをなめているから、物を食べながら話すなんてはしたないからね。


 そんな日々を過ごしているとすぐに秋がやってきた、お互いもうすぐ誕生日だという事がわかり慌ててプレゼントを用意しようとしたけど、結局2人してお互いに渡したものは未開封のドロップ缶だったのは二人して大笑いした。


 ちなみにアリーの誕生日が10月31日で私の誕生日が11月1日だったのは残念に思った、どちらかが1日違えばよかったのにと。そして私はその時衝撃の事実を知ることになった、実はアリーのほうが私より1歳年下だったのだ。今は私が16歳でアリーが15歳だった、10月31日には1日だけ同じ年齢になるのはなんだか面白かった。


 そして2度めの冬が来た。咳が止まらず血痰の出る回数が増えてきていて、先生にもこの冬は越せないかもしれないと言われていた。


 私は先生にあるお願いをした、アリーが許すなら同じ部屋で最後を迎えたいと、アリーと私どちらが先に死ぬかはわからないけど、知らないうちにアリーが亡くなっているのを知りたくなかった。


 返事はすぐだった、その日のうちにアリーの部屋にもう一つベッドを用意してくれた。久しぶりに見るアリーの顔色は白を通り越して青白く見えた。


「うふふ、ヴィオは寂しがり屋さんね」


「あら、アリーは私にあいたくなかったの?」


「そんな事無いわ、だって私はヴィオよりも寂しがり屋だもの、うれしいわ」


 隣り合ったベッドから少しずつ相手のベッドへ移動する、肩がふれ合う距離になりお互いの手を絡める。今日は移動しただけなのにすごく疲れた。


「ごめんなさいアリーなんだか今日は疲れたみたい少し眠らせて」


「ええ、お休みなさい、まだほんの少しだけ、私にもヴィオにも時間はあるはずよ」


「アリー……私を……置いていかな……ね」


 それだけをなんとか言うと私は眠りに落ちた。


 ◆


 アリーと過ごすようになってから、体調が少しだけ良くなった気がする。そんな中アリーが咳をする度に「ごめんなさい」というのが嫌だと思った、私も咳をする度に「ごめんなさい」と言ってしまうのも嫌だった、お互いに謝らなくていいよと言っても、「ごめんなさい」がもう習慣になってしまっていてつい口から出てしまう。


 それをしたのは、ちょっとした悪戯心と好奇心だった、アリーが咳をし「ごめんな……」と言うタイミングでアリーに口づけをして言葉を止めた。アリーは何をされたのかわからないと言う表情で固まっている。

 

 昨日アリーと読んだ英国語で書かれたロマンス小説には、初めてのキスの味はレモンの味と書かれていたが、私とアリーの初めてのキスはドロップの甘いいちごの味がした。


「ごめんなさいは禁止にしましょ、だからアリーがごめんなさいと言う度に私はアリーに口づけすることにしたわ」


「な、な、な……はう」


 アリーは何かを言おうとして顔を真赤にして俯いてしまった、ちょっと悪ふざけをしすぎてしまったかもしれない。


「初めてだったのに……ヴィオあなた酷いわ、私初めてだったのよ」


「安心してアリー、私も初めてよ」


 こんなに焦ったようなアリーを見たのは初めてでなんだか新鮮で楽しくなってきた。


「ねえアリー昨日読んだ小説には、初めてのキスはレモンの味って書いていたけど、アリーは何味に感じた?」


 顔を真赤にして人差し指と中指を唇にあて少し首を傾げながら「……いちご味?」と答えた。


「一緒だね私もいちごの味だったわよ」


「ヴィオ、そうではないの、そうではないのよ」


「アリーは私とするのは嫌?」


 アリーは指をもじもじさせながら「いや……じゃない」と小さな声で呟いた。


「アリーなんて言ったの? 聞こえなかったからもう一回言って」


「なんだか今日のヴィオは意地悪だわ……嫌じゃないって言ったのよ」


 私はアリーの手をいつものように握る。


「ごめんねアリー、あなたの初めてを勝手に奪っちゃって……」


 下げていた顔をあげると、突然アリーに口づけをされた。


「ごめんなさいは禁止でしょ?」


 私の目には、はにかんだような笑顔のアリーが映っていた、2度めのキスもいちごの味がした。


 ◆


 気づけば冬が終わり春も過ぎ夏になっていた。夏の暑い日差しを避けるように木陰で涼むことが増えた、部屋は窓を開けていても暑すぎて干物にでもなりそうになる。


 私はこの頃から先生に体が痛くて夜に眠れないと言って、睡眠薬を出してもらっている、その睡眠薬は飲まずに夜中に細かくなるまで砕く作業を始めた。細かくなった睡眠薬を空のドロップ缶に水と一緒に入れ隠している、粉が沈殿して固まらないように定期的に振ってはいるけど。


 この作業をしていると、アリーはいつも悲しそうな顔をする。


「ねえヴィオ、私はあなたにそれを使ってほしくないわ」


「アリー私はねきっとあなたの居ない世界は地獄だと思うの、だからあなたが先に逝ったらすぐ後を追いたいのよ、アリーあなたはどうなの?私がいなくても平気?」


 そう聞くとアリーは「私にも耐えられないわきっと……」と泣きそうな表情を浮かべている。


 ドロップ缶を隠し終わると「だからねこれは私とアリーだけの秘密よ」私はそう言うとそっとアリーの唇に口づけをした。


「お休みなさい私の大好きなアリー」


「お休みなさい私の大好きなヴィオ」


 手を繋ぎ体を寄せ合い私たちは眠りについた。


 ◆


 夏が終わり、とうとう私の体は限界を迎えたみたい、体を起こすのもやっとだ体のどこもかしこも痛い、先生が用意してくれたかなり強めの痛み止めも既に効果がないようだ、呼吸をするのも苦しい。


 今日は折角のアリーの誕生日なのに、なんて日に私は命を終えようとしているのだろうか。


「ヴィオ、私の大好きなヴィオ、お願い私を置いていかないで」


「ごめんねアリー、私ももっと一緒にいたかった……ゲホッ」


 とっさに口元に手をやる、何かべチャリと濡れた感触、手のひらを見てみると真っ赤に染まっていた、また喀血かっけつしたようだ。先生はここには居ない、私がお願いして部屋から出てもらっている。


 「アリー、私の大好きなアリー……今までありがとうね」


 言葉がうまく出てこない、もっと言いたいことはあるはずなのに何も浮かんでこない。


「ヴィオ……ヴィオあなたが居なくなったら私もすぐに……」


 視線の向く先にはあのドロップ缶が隠してある。あんな物作るのではなかったと少し後悔した、あれを飲んで効果があるのかもわからない、ただ苦しむだけかもしれない、でも私にはもう止められない。


「アリー私ねあなたと会えて、あなたと過ごせて、あなたを好きになって、あなたに看取ってもらえる、すごくすごく幸せだし、幸せだったわ」


 私の血濡れの手を握り込む、とっさに汚れるから放してと言いかけたが、言えなかった。そんな私を見てアリーも何かを決意したようだ。


「ヴィオ私も幸せだったわ、初めてのお友達……あの時お友達になってもらえるのかすごくドキドキしていたのよ、初めて口づけをした時びっくりしたけどすごく嬉しかった、他にもいっぱいいっぱいあなたから幸せをもらったわ」


 そこからアリーは私との思い出をいっぱいいっぱい話してくれた、私はそれを聞きながらただ頷くだけしか出来なかった。アリーも私と同じくらい病が進行しているだろうに、体の痛みも酷いだろうに、それを私に感じさせない様にずっと振る舞っていたのはわかっている、私もそうだったから。


 ずっとアリーより先に逝くものかと言う気持ちだけでここまで来た、きっとアリーも同じだと思う。でも流石に心で想いでどうにかなる段階はとっくに過ぎていたようで、先に体が限界を迎えてしまった。私を見つめるアリーの瞳からは涙があふれている、涙に濡れる瞳に映る私も涙を流しているように見える。


 突然体を苛んでいた痛みが消えた、アリーの顔がよく見えない、もうこれで最後だろう、最後の力でなんとかアリーに倒れ込むように抱きつき、口をアリーの耳元に寄せる。


「アリー……先にそらで…あなたを……待ってるわ…………また…ね」


 小さな小さな声でそう呟くと、私の意識は闇に閉ざされた。遠くでヴィオと私を呼ぶ声が聞こえた気がした。そして私はこの時の生を終えた。

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