第56話 君は変わらない
ついにユスティーナとヴァスという長年の宿敵同士が手を組んだからといって、イシュカ相手の戦いが容易であるはずがない。
そのことは二人とも口に出さないまま承知している。戦いと言えるものになる可能性、それさえもかなり低い。
幸運なのは、度重なるヴァスの大暴れのために戦場から人影が消え去っていることだけ。ラージャ宮殿にさえ気を付けていれば、ヴァスが存分に暴れても他人を巻き込む心配がないことだけ。それは理解した上で、二人は連携して動き始めた。
「風よ!」
声に出して叫んだユスティーナが放った矢が、風の加護を受けぐんぐん加速しながらイシュカに向かっていく。二本、三本、連続して放たれた矢が、それぞれに致命傷となる部位を狙って走る。
常人であれば何も分からぬまま、はりねずみにされて終わりの攻撃。それをイシュカは、そよ風でも浴びたかのような顔で受け流す。躱しもせず、矢が当たった事実などなかったかのように、同じ姿勢で立っている。
想定内だ。オオ、と吠えたヴァスが前足で踏み付けても、岩をも砕く牙で噛み付いても、イシュカは簡単に避けてしまった。
『そんなにオレが怖いか?』
ヴァスの見え透いた挑発にも、もちろんイシュカは動じない。
「分かっているだろうに。お前には触れられたような感じがするだけでも、不愉快だからだよ」
ユスティーナの矢もヴァスの牙も、脅威にならないという意味では大差ない。避けたことにそれ以上の意味はないと鼻で笑ってから、イシュカはユスティーナに対しては柔らかに微笑みかける。
「せっかくナインという脅威が消え、マーバルの平和は保たれたのに。君が獣返りと組んで僕に向かってくるなんて、どういうつもりだい? ティナ」
顔は笑っているが指摘の内容は冷たい。常ならば頭を下げるしかなかった種類の指摘。
それをユスティーナは、わずかな躊躇をかなぐり捨て、絶えず矢を放ちながら反論する。
「元はといえば、あなたが仕組んだことだからでしょう……! 私一人だけを標的にするならまだしも、あなたはナインを使って再び戦火を起こそうとした。無辜の民を巻き込むことを知っていて! 銀月の君として、この国の王族として、絶対に許すことはできません!!」
汚い癖が付いてしまった、などと言われたユスティーナの弓術であるが、その基礎がイシュカとドルグの教えであることに変化はない。矢に速度と威力を与え、狙いを制御する風の術についてはイシュカ以外から教えを受けたことはない。
『初歩的なものとはいえ、全ての術が使えるなんて僕と君だけだからね。これについては、あのドルグでも教えられないさ』
加護を受けている風以外の術も使用できるがために、似たような結果を出せる別の術が発動してしまうなどといった、特殊な弊害がある。その制御を授けてくれる相手はイシュカだけなのだ。
あの時のイシュカ様は、珍しくどこか得意げで、少し寂しそうだった。またも手足に絡みつく糸の気配を察したユスティーナは、それを振り切って叫ぶ。
「どうしてですか!? イシュカ様。あなたはこの国を何度も救ってくださった、それは事実なのでしょう!?」
世の乱れを察知してイシュカは「生じる」。少なくとも最初のナインの反乱については、彼が介入して起こしたとは思えない。
自らは打って出ない、それも記録にあるとおり。だが、獅子の形を取ったヴァスさえまるで相手にならないのである。イシュカがその気になれば目撃者がいようがいまいが、公明正大な勝利と言える範囲でユスティーナを勝たせることもできたはず。
「どうしてあなたは、そんな風に変わってしまったの……!?」
「……変わりがなさすぎたから、かな」
ぽつりと零したイシュカが右手を掲げた。たったそれだけの動作だが、戦いが始まって以来、最初の彼の構えと呼べる動きだった。
「君が言うとおり、無辜の民を巻き込むのは確かに良くないね。ではそろそろ、無駄だということを教えてあげようか」
夜はなお深まっていくばかりの時刻だというのに、イシュカが放つ陽光が強さを増していく。
あまりに強い光に、健気に世界を照らし続けている月さえも霞み始めた。空に起こった変化はそれだけに留まらなかった。
「きゃ……!?」
愕然と夜空を、否、夜空だったはずの空を見上げたユスティーナの目前で、本当に月が消えていく。恐るべき速さで沈んだそれを蹴散らすように昇った太陽が、あたりを白々しいほどに照らし出し始めた。
『あ……あいつ、本気で太陽を動かしたのか!?』
「いいえ、あれは、あの方が作り出した術による幻です!」
血の気の引いた顔で、ユスティーナはヴァスの念波を一部否定した。
いくらイシュカといえども、時間を早めることはさすがにできないのか、実際にやると影響が大きすぎるためか。とにかく、これが幻であることは太陽神の対である身には分かった。
「幻、ですけど……方位の加護が、乱れて……!」
単にユスティーナたちを驚かせるために作られた幻ではない。太陽と月の位置はマーバル人にとって非常に大切なものなのだ。
それが太陽神そのものによって故意に乱されたことにより、加護が乱れて受けられなくなってしまった。全ての術を使える反動、ユスティーナだけに起こる障害なのかもしれないが、これで彼女の戦力は大幅に下がった。
ここから先は、弓術と体術に頼るしかない。だが、ただでさえ実力差がある相手に、風や創の術抜きで戦えるとは思えない。おもちゃの役目としてなぶられ続け、じりじりと体力を削られて殺されるか、改めて服従を誓わされるかの二択だろう。
「ヴァス」
決意に時間はかからなかった。ユスティーナは不思議にさわやかな気持ちでヴァスを見上げ、頼んだ。
「アルウィン兄様なら、説明すればきっと分かってくださる。あなたは生き残って、この国を人と獣が共存できる場所にして」
『ユスティーナ!?』
言うなり、ユスティーナは超高速で矢を放ちながらイシュカに向かって突撃を開始した。最大速度で動ける体力が残っている今、やるしかない。
「……なんとまあ。おもちゃ呼ばわりしたのは僕だが、ここでいきなりそう出るとはね」
どこまで頭が悪いのか。嘲笑うイシュカに矢は当たってはいるものの、風の加護がないこともあって、その髪をそよがせることすらできていない。
ヴァスの髪、やっぱり触っておけば良かったかな。ちらりと脳裏を過った後悔ごと、ユスティーナはイシュカに肉薄していく。
もうすぐつがえた矢の先が、イシュカに直接触れてしまう。まさかここまで来るとは思わなかったのか、紫の瞳がわずかに開いたのが見えた。
同時にユスティーナは長く銀月の君の象徴だった弓を投げ出した。ヴァスが作ってくれたものとは違うが、彼が作ってくれたものを真似て作成した矢を自らの手で掴み出し、イシュカに向かって振りかぶる。
「そんな手で僕をごまかせると?」
呆れるイシュカの手が伸びてくる。勢いよく飛び込んだユスティーナの前に突き出されたそれは、容易く彼女の腹を貫いた。
銀月の君の血が、再び大地を赤く染める。創の術は使えない。使えたとしても、傷口が大きく、出血量が多すぎて、到底間に合わないだろう。
「自分を犠牲に、獣返りのために隙を作ってやる、か。君は本当に、面白いおもちゃだね」
右腕で深々と刺し貫いたユスティーナに話しかけるイシュカは、死角から飛びかかってきたヴァスの姿をきちんと捉えていた。
「つまらないな」
巨大なあぎとが、独りごちた彼の上半身を食い千切った。
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