凸撃取材
目当てのカラオケ店に到着するまでには相当の時間を要してしまった。終電が差し迫った新宿駅。0時を過ぎても、タクローのだらだらとカラオケを続ける配信はまだ終わっていない。
(こんな時間まで居座って、どうやって家に帰る気かしら……)
どんな仕事に就いているか知らないが、その若さで毎晩のようにタクシーを使っていれば、よほどの金持ちでない限りは破産するんじゃなかろうか。
余計な心配をしているうちに辿り着いたは古びた建物、古びた看板と『カラオケの達人』の文字。営業時間などは店の看板にもホームページにも載っていないが、二階建ての窓の大半は消灯がされていて、そもそも営業しているかどうかも怪しい外観をしている。
(いいえ、間違いないわ。タクローは絶対ここに居る!)
トゥオッチでの監視を続けつつ、ユカリはとうとう現地と思わしき店に突撃した。
「いらっしゃあ〜いませ〜え」
入店早々に間延びしたあいさつで出迎えたのは老婆だ。いかにも個人で経営していそうな雰囲気に、こんな深夜までお勤めご苦労様です、と言ってあげたい。
カウンターでのんびりと煙草を吸っているところをユカリは声を潜めながら。
「今、他にお客さんはいらっしゃいます?」
「カラオケの機種にご指定はございますか〜あ?」
「タクローってご存知ですか?」
老婆はにこやかなままたが、記者を名乗るとはぐらかされそうだ。
やはり自分の目で確かめないことにはプライバシーの壁を越えられないか……と腹を括るよりも早く。
「タクローなら奥で歌ってますよ〜お」
鼻歌混じりで答えられ、ユカリは慌てて受付カウンターで身を乗り出す。
「……本当ですか!?」
「うちの孫がすみませんね〜え」
老婆は──いや、タクローの祖母は。
「あの子、いっつもこんな遅い時間にお友達とだらだら電話するものですから〜あ」
彼の電話相手は友達ではなく、匿名の不特定多数なリスナー達ですよ、とか親切に教えても仕方がないだろう。もっと言うなら、年頃も微妙に違いそうなスーツ姿のユカリを見ても、まったく不審がらないあたりが老婆の警戒心の希薄さを感じる。
なるほどカラオケ店が実家だったのか、とユカリは納得したように何度も頷いた。それなら毎晩のように歌い明かしてもお金はかからない。
(さて、どうやって乗り込むか……)
廊下のほうへ耳を澄ませると、確かに男の歌声がどこからか聞こえてくる。
タクローの配信現場は無事に押さえられたが、問題は配信の最中に突撃するべきか否かだろう。彼も普通に顔出しながらカメラを回している以上、入室すればユカリもトゥオッチに顔を見せる羽目となってしまう。
(まあ、アリっちゃアリだけどね。『
あの炎上記事には書いた記者の名前も載っていたのだ。
話題沸騰寸前な『炎上系カラオケマスター』タクローに凸撃取材をかましてきた、話題沸騰真っ只中な『炎上系ジャーナリスト』ユカリ──。
悪くない。いかにも刺激的でもっと燃え広がりそうなニュースだ!
(よし……!)
意を決したユカリが勇み足で廊下を進んでいこうとする。それを声で引き留めたのは老婆だった。
「そろそろタクローの電話も終わるだろうから〜あ。ダーツでもしながら待っててくださいね〜え」
「……ダーツ?」
老婆はいよいよ立ち上がってくる。
よく見ればロビーの壁にはダーツボードが掲げられていて、老婆もカゴいっぱいに矢を抱えて近付いてきた。
「す、すみません。私のことはどうかお構いなく──」
「ほっ」
ユカリの脇へ立った老婆が、ひゅんと矢を放つ。
矢はダーツボード目掛けて弧を描き、黒い円の部分にぷすりと刺さった。たったの一発で命中、それも真ん中だ。
「すごい!」
思わず感嘆を漏らす。
ユカリに褒められて調子付いたか、老婆は二投目、三投目と続けた。
放った矢がことごとくボードの中心へ突き刺さっていくのを、ユカリは信じがたい表情で見つめる。
「お上手ですね……!」
さてはSNSの効果かとも思ったが、SNSはインターネット上でのみ効力を持つスキルだ。
純然たる老婆の特技を見せつけられたユカリが、これはこれでそこそこに話題性のありそうな違う記事が書けるんじゃないかと舌なめずりしていた頃。
「──何を騒いでる? ばっちゃん」
男の声が降ってきた。
やや大きめのパーカーにゆるめのジーンズ、寝癖が直りきっていない後ろ髪。
カラオケボックスから姿を現した、通称『無敵の男』。
ダーツに夢中で気がつかなかったが、いつのまにかトゥオッチでの生配信も終了していたらしい。
「初めましてタクローさん!」
本人登場に図らずとも声が弾んでしまう。
ユカリはスーツからさっと名刺を抜き出し、
「私、主にネット新聞で活動しております『夕陽新聞社』の
自分の活動場所もとい実家を特定されても、タクローはさほど動揺していない様子だ。真顔で名刺を受け取りまじまじと文字列を眺めつつ、
「……はあ」
「この度はトゥオッチで精力的に配信活動をなさっているタクローさんに、いろいろとお話を伺いたくてですね!」
「そうっすか」
こんな深夜に乗り込んでくるなとか、実家まで乗り込まれて迷惑だとか、およそ記者相手に投げつけてきそうな罵倒の数々をタクローは一切口に出さなかった。
気のない返事をしつつ、名刺を持ったまま老婆にも目を向けず、再び廊下へ歩き出していってしまったのでユカリも後を付いていく。
「ちなみにタクローさん。弊社の新聞はお読みでしょうか?」
「いいえ」
のんびりしていながらも即答だ。
態度こそ配信中とあまり変わりない無気力でそっけない感じだが、ぼそぼそとした喋り方ではありつつも普通に意思疎通ができそうだった。
(ストリーマーはネットとリアルでの性格が別人レベル、コミュ障がむしろ標準装備……なんてケースも大して珍しくないからね。タクローはこれが
だが意外だ。
本当に『夕陽新聞社』を知らないのか? つい昨日どころか現在進行中で炎上騒ぎを起こしているというのに?
タクロー自身だって昨日は、コラボの件で小さくない騒ぎを起こしたばかり。てっきりネット上のニュースやトレンドには敏感なんじゃなかろうかと思っていたけれど。
(ボヤッターをやっていないから? あれ、でもそれを言ったら、昨日のコラボってどうして成立したんだろう……)
配信や動画のコラボ相手を探すには、ボヤッターなどで相手とやり取りを行うのが今の主流だが、そのボヤッターと縁がないタクローがそもそもどんな経緯でネネコと接触するに至ったのか。
新しい疑問を抱えたまま、ユカリはさっきまでタクローが歌っていたのだろうカラオケボックス105号室へ招かれた。──いや、タクローは彼女を招待したつもりなど毛頭ないだろうが。
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