第一章 アンニュイな月曜日

 結局のところ、昨日の夜は土砂降りの雨の中、謎の男性から半ば強引に譲り受けた大型の傘をさして最寄りの駅まで歩いた。

 当然のように服も履物もびしゃびしゃのべちょべちょになった。


 アタシは自宅マンションに帰って直ぐに、下着を洗濯機の中に突っ込みつつ、水分をたっぷり吸った水色のワンピースを軽く絞って水抜きをしてからお風呂場にあるハンガーにかけておく。

 最近のマンションには、お風呂場乾燥機なる便利な機能が付いている場合が多い。そのおかげで、アタシのような平日ガッツリ仕事をしている女性にとっては洗濯物や乾かしたい服をお風呂場に吊るしておいて、昼間は乾燥機をタイマーで設定しておけば、夜遅くに仕事から疲れて帰って来たころには自動的に乾いているという荒業が可能になる。

 いくらマンションでも昼間下着を外に出して干すなんて、異世界の勇者じゃあるまいし、そんなリスキーな事は都会住まいの女性には出来ないのです。


 そこまでして、苦労して手に入れた? 男物の傘一本。

 玄関のたたきの部分に傘を広げて乾かして、明日の朝には(運命の?)彼に返しに行けるようにしておかなければ。


 そこまでやってから、傘の男性とラブラブになる夢を見ながらベッドに入った。


  ☆ ☆ ☆


「おはよー」

「おはよー、あれ? お気に入りのパンプス、今日は履いてこなかったの? 月曜日のいつもの定番の履物でしょ?」


 やばい、隣の先輩女子からチェックが入った。アタシは、ちょっとドキリとしたが、隠したところでどうにもならないと諦める。彼女の性格からしたら変に隠せば隠すほど突っ込んで来るのが想像できるから。


「うん、ちょっとね。昨日の夕立でさ、濡らしちゃったんだ」

「え? だって、あれはお気に入りーって言ってたじゃん。もしかして、昨日も会社に来てたの?」


 隣の席から椅子をガーっと動かしてきて、アタシの足元をじろじろ見て突っ込んで来るアタシの社会人としての目標でもある彼女。


「えへへ、分かりますか?」

「だって、アンタがお気に入りのパンプス履いて出歩くなんて、会社に来るときぐらいでしょ?」


 半分ずり落ちたピンクフレームの眼鏡をグイっと上げながら、すこしどぎつい赤い口紅で覆われた肉厚の唇がうごく。


「そこ、彼氏とデートの時とかのフォローはないんですね」


 あたしは、机の上のデスクトップパソコンにパスワードを入力しながら、彼女の言葉にボケを入れ込む。


「あはは、何言ってんの? アンタが彼氏とデートなんて十万年早いわよ。だって、この私でさえ彼氏いない状態が何十年も続いてるんだから。同じ職場環境で男とイチャイチャするチャンスなんて、な・い・の。もしも彼氏が欲しかったら、さっさとブラックなこの職場を退職して『花嫁クラブ』みたいな出会い系サイトに登録するか、近所のおばちゃんにでも、お見合いをセットしてもらうのね」


 アタシのボケにカチンと来たのか、彼女はアタシに向かって機関銃のようにキツイ言葉をぶち込んで来た。やばいなー、もしかしたら触れてはいけない彼女の傷に触れてしまったかな?


「いやいや、でもさ、澤田女史殿。彼女が今机の横に何気に持ち込んだ柄の長い傘はどう見ても男もんでしょ。これは昨日の夕立でアイアイ傘としゃれこんで、帰宅する時に彼に貸してもらった傘を返すというパターンのように見受けられるのですが?」


 アタシと彼女のやり取りを聞いていた、アタシの後ろの机で既にタブレットになにやらキャラクターの下絵を書き込んでいた後輩の吉田君が、参戦してきた。


「え? なにそれ。あ! ホントだ。なによアンタ、私に黙って男物の傘なんか会社に持ちこんじゃダメよ。それは会社の就業規則違反よ。今日のお昼休みはその話をミッチリと聞かせて頂戴。例えば、最後はどこのホテルに行ったかとか、先輩女子に包み隠さず教えるのよ。それが会社で賢く生きていく法則だからね」


 後輩男子の話が彼女のエンジンに燃料を注ぎ込んでしまったようだった。しかし、ここでヒートアップしても仕方ないので、自らの手で水を差す事にした。


「いやあ、確かに男性と接触はしたのですけど、傘だけを強引にアタシに押し付けて来て、彼はそのまま豪雨の中に消えて行っちゃったんです。だから、男女の浮いた話ではないんですよ。これホント……」


 アタシは、ちょっとだけ肩をすくめて、眉毛を15度下げ、口をへの字にまげ、残念オーラ120%を二人にまき散らした。


「ふーん、そうなんだ。……まあ、悲しい話なんていくらでもあるしね、気を落とさないでね。次に、もっと浮いた話があったら、隠さずにお姉さんに教えなさいね、怒らないからね」

「へー、そんな殊勝な男の人がいるんですね。このビルの地下のバーですよね? てことは、このビルの中の会社員なんですかね? このビルの中で働いている男性で女性に傘を貸す奴なんているんだ、なんかイメージ湧かないなー。もしかしたら、ワケありの男なんじゃないですか? それって」


 二人からの、一種同情めいた視線がアタシの体に突き刺さる。まあ、ホントの事だし。下手に嘘をついても直ぐにばれるだろうし。でも、確かにこのビルの地下にあるバーに日曜日に来ていたという事は、休日出勤して帰りに寄ったと言うのが一番理にかなっているわけで。

 もしかしたら、同じビルのどこかで働いている男の人なのかも? と思ったらちょっと楽しい気分になった。これが縁で、ほらさ。色々とあるかもと思うと、これで独身からおさらばできるかも。とか、とか、アタシの頭の中の妄想エンジンが動き始めかけていた。


「ほらほら、そこで妄想に浸っている暇があったら、少しでも作業を進めて頂戴! クライアントの仕様変更で、作らなきゃいけないキャラがまた増えたんだからね」


 先輩女史は、さっきまでの独身で早く彼氏欲しいモードから、早く仕事しろモードの顔に戻って、アタシと後輩君をじろりとにらんできた。だって、最初に振って来たのはセンパイじゃないですか、ねえ。


「はーい」

「ほーぉーい」


 アタシと後輩君は、頭の後ろの方から声を出して返事をしながら自分の机の前にある40インチの高精細モニターとタブレットに向かって作業を始めるのであった。

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