Episode8 俺の部屋に魔法使いのばあさんがいるんだけど!

 自室のベッドでゴロゴロしていた男子中学生・貴斗の前に、何の前触れもなく、おばあさんが現れた。

「な、何だよ!? どこから入った!?」と驚く貴斗に、「そう驚きなさんなって。私は魔法使いのばあさんだよ」とおばあさんは答えた。


「あんたの願いを一つだけ叶えてやるよ。私に何でも言ってくれていい……まあ『今すぐこの部屋から消えてくれ』っていうのがあんたの願いなら、私は今すぐにでも消えてやるさ」


 顔中にある皺をさらに深く刻みこむかのように、おばあさんはニヤリと笑った。


 貴斗は考えた。

 欲しい物ややりたい事はそれなりにある……だが、願いは一つだけ……となると、やっぱり……!


「俺の運動神経を良くしてくれ! 学年トップクラスとまではいかなくていい! せめて平均レベルにしてくれ!」


 実は、超がつくほど運動音痴な貴斗。

 体格そのものは際立って小柄で華奢というわけではなく中学生男子の平均程度であったものの、走らせては遅い、ボールを持たせては全く持って意味不明な動きをする。

 なお、貴斗自身も意味不明な動きをしていることは自覚しているが、体が言うことを聞いてくれない(これぞまさに運動音痴あるある)といった具合だ。

 クラスの口の悪い女子が「貴斗って、見た目は人並みに運動できそうだけど、全く持ってダメダメじゃん。なんか笑えるンだけど」と言っているのも聞いたことがある。

 このように異性の目も気になる年頃ではあるが、貴斗は別の意味で同性の目もそれ以上に気になっていた。

 DQN風味な同級生男子たち(不思議なことにこいつらは皆、示し合わせたように運動だけはできる)に、これ以上、指を指されて笑われ続けるのは嫌だし格好悪過ぎるのだ。

 

「へえ、平均レベルで良いのかい? 私とて、無駄に長く生きてきたわけじゃないから、力は相当なもんだよ。あんたの運動神経を学年一どころか、県内一から日本一、さらには世界一を狙えるまでのレベルに引き上げてやれるんだけどねぇ」


「……いや、そこまでのレベルになることは望んでない。周りの奴らに遅れを取らない程度になれば、俺はそれでいいんだ」


「あんたはまだ若いから人生には限りがあるってことが実感できないんだろうけど、あんただっていつか棺桶に入る日がやってくるんだよ。一度しかない限られた人生のなかで、頂上に登りつめたいとは思わないのかい? 何かを極めて”てっぺん”を取ってみたいとか思わないのかい? 私の力なら、あんたにその椅子を用意するだって可能なんだよ」


「日本一とか世界一を狙えるまでのレベルになったら、それはそれで苦労するだろ。陸上部をはじめとした、いろんな運動部からのスカウトとかウザそうだし。第一、俺は昔からスポーツそのものが嫌いなんだ。だから、嫌いなことでてっぺんを目指すなんてマジ勘弁。それに……その椅子には、生まれつき運動神経が良いだけじゃなくて血の滲むような努力をし続けられる奴らこそが座るべきだろ。一種のドーピング行為をしようとしてる俺なんかがそこに座るのは間違っていると思う」


「……まあ、最もと言えば最もな意見だね。しかし、あんた生意気で口が達者なんだか、謙虚で筋が通っているんだか、よく分からない子だねぇ……さて、それはともかく、さっそく今からのあんたの運動神経を……」


「ちょ、ちょっと待ってくれ!」


 貴斗の声に恐怖が滲んでいた。


「願いを叶える代償は何だ? 何もなしで願いを叶えてくれるなんて、うまい話があるわけないってことは中学生にだって分かるぞ! 願いを叶えたい、あるいは願いを叶えようとして起こった悲劇についてはいろいろなパターンがあれども、古今東西の作家たちが教えてくれているし。中でも代表的なのは『人魚姫』だ。人魚姫は足を得る代わりに声をなくした。……俺は何を失くすんだ? 何を差し出せばいいんだ?」


「あんたは何も失くさないし、何も差し出す必要はないよ」


「……じゃあ、どんな形で叶えられるんだ? 俺は猫の手……じゃなくて、熊の手でもなくて……『猿の手』っていう小説だって読んだことあるんだぞ! 願いは叶えられたとしても、全く望んでいない形で叶えられてしまったら元も子もないわけだし。例えば……中学校から俺以外の男子が全員消えてしまって俺一人しかいなくなった場合でも、結果として俺の運動神経が平均レベルになったことには変わりないだろ?」


「……そんなことになるわけないさ。私はあんたの願いをあんたの望む通りに叶えるだけだ。それ以上でもそれ以下でもない」


 酸いも甘いも噛み分けたおばあさんの澄みきった瞳は、嘘を言っているようには見えなかった。


 このばあさんは、単なる親切心で俺の前に現れ、俺の願いを叶えてくれようとしているだけかもしれない……よし、それなら……!

 

 貴斗は決意した。

 だが、彼が口を開こうとした次の瞬間だった。


「ううっ……」と低い呻き声を漏らしたおばあさんは胸を抑え、その場に膝から崩れ落ちた。


「ば、ばあさん?! ちょ……っ、おい!!」


 それは、どちらにとっても最悪のタイミングであったと言えよう。

 年齢的に少なからず覚悟はしていたとはいえ、一度しかない限られた人生にたった今、あまりにも突然に終止符が打たれてしまったおばあさん。

 そして、まさに願いを叶えてもらえる寸前で、その希望を一欠片も残さず死神に引っさらわれてしまったかのような貴斗。

 彼の前に残されたのは、見知らぬおばあさんの死体だけであった。



(完)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る