Episode3 生贄に選ばれた娘【R15】

 移ろいゆく時ともに人は変わりゆく。

 生きとし生ける者たちもやがては皆、老いゆきて屍となる。

 しかし、その傍らでは新たな命が生まれ……こうして幾代にも渡り、同じことが繰り返されていく。


 今より四百年ほど昔、東洋のとある島で暮らしていた者たちもまた、幾代にも渡る命の移り変わりという自然の摂理そのものについては当然、受け入れていた。

 その人口わずか千人足らずの排他的な島は、神によって支配されていた。

 そして、島で生を受けた者たちは皆、神の力による絶大な恩恵を生まれながらに授かっていた。


 けれども、その恩恵を一方的に授かりっぱなしというわけにはいかない。

 持ちつ持たれつ。

 それは人同士ではなく、人と神との付き合い方においても同じであったらしい。

 島民たちが恩恵を授かり続けるためは、こちらからも神に供物を差し出さなければならない。

 そう、生贄が必要なのだ。


 よくある話というか当然の話の流れとして、その生贄となる者は美しい生娘というのが島の神からの条件であった。

 美しくて生娘でさえあれば、実年齢にはそれほどこだわらぬらしい。


 島の神から新しい娘をよこせ、という神託が下されるのは不定期であった。

 空に暗雲が立ち込めていれば雨や嵐を予測できようも、島の神からのそれは移り気な男心と同じく、まったくの予測不可能なものだった。

 娘が何か粗相をしでかしたのか、単に反りが合わなかったのか、はたまた島の神が娘に飽きたのかは分からないが、生贄に差し出した後、たった三ヶ月で次の娘を寄越せと言ってきた時もあったと島の歴史には残っている。


 なお、今回は前の娘が生贄となってから、六十年以上もの時が経っていた。

 歴代最長でもあり、前の娘はかなり頑張って島の神に仕えてくれていたのだろう。


 だが、長きにわたる安穏な日々は終わりを告げ、新たな生贄として一人の娘が選ばれた。

 体を清められ、綺羅びやかな着物に身を包まされた娘は、洞窟――島の神の寝殿と言われている場所――に連れて行かれた。

 

 見張りの男たちは、洞窟内に幾つかの蝋燭の灯りは残しておいてはくれた。

 しかし、ただ一人、仄暗い闇に佇む娘は涙にくれるしかなかった。

 

 なぜ、私が?

 これから私はどんな目に遭うというの?

 今ここで舌を噛み切って死のうと思えば死ぬるだろうが、そうすると父さんたちにも間違いなく咎が及ぶわ。

 そればかりか、私がいなくなったことで、他の娘が新たな生贄に選ばれるに違いない……。

 生きて逃げることは無論のこと、死んで逃げることすら私には許されない。

 そのうえ、私には前の人のように六十年以上も島の神にお仕えすることなんてこと、絶対に無理だわ。

 偉大な先人の後に凡庸な後人が続けるわけがない。

 ……こんなことになるのなら、島の祭りの夜などに勢いのまま、誰かに身を任せてしまえば良かった。


 涙は止まらなかった。

 娘は自身の運命を呪うとともに、もう一度会いたい者たち――もう二度と会えない者たち――への狂おしいほどの思いに悶え苦しまずにはいられなかった。


 その時だ。

 洞窟の”出口”より自分の方へと近づいてくる人影と足音に気づいた娘は飛び上がった。

 蝋燭の仄かな灯りに照らされ一人の男が――娘より五歳ほど年長と見える男が――立っていた。


 夢を見ているのではないか。

 互いにもう二度と会えないと思っていた者が、確かにそこいる……。


 娘と男は駆け寄りあった。

 男も泣いていた。

 その目の下には濃い隈が深く刻まれたままであることが、薄闇の中でも娘には分かった。

 自分が生贄に選ばれてからというもの、男が夜も禄に眠れていなかったことを娘も知っていたのだから。

 

「……どうやって、ここまで?」


「単純なからくりだ。見張りに金を掴ませた。……それに今いる見張りは”まだ若造だし”、前はよく面倒を見てやっていたからな。俺の要求を突っぱねることはできなかったんだろう」


 見逃された時間。

 だが、このわずかな時間もいつ終わりを告げられてしまうか分からない。

 島の神が今にも洞窟の奥からやってくるかもしれないのだから。

 男は涙声のまま続ける。

 

「この島の神は、確かに幾代にも渡って、俺たち島民たちの身に絶大な恩恵を生まれながらに授け続けてくれていた。海の向こうにいる金満家がどれほど金を積んで追い求めても手に入れることのできないほどの恩恵を……いや、恩恵というよりも、人間が生きていくうえで思うようにならぬ苦しみの一つを、この島の神は最初から取り除いてくれていたと言えるのかもしれないが……」


 そう言った男は、娘の華奢な両肩をがっと掴んだ。

 その力の強さに娘は顔をしかめた。


「だが、それが何だって言うんだ!? こんな残酷な形で、愛別離苦の苦しみを味わわされて良いものか?! ……俺はお前を失いたくない! お前を失っては生きてはいけない! ……お前にはいつまでも清らかな娘のままでいてほしかった。でも、清らかな娘のままでいたなら、お前は島の神に連れ去られてしまう……!!」


 男は娘の着物を脱がしにかかってきた。

 娘は悲鳴をあげ、逃げようとした。


「今ならまだ間に合う! もうこうするしか……!!」


「やめて、父さん!!」


 ………………父さん。

 そう、この島で生を受けた者は、島の神の力によって生老病死という苦しみのうち、「老」を生まれながらに免除された者たちであった。

 さすがに死は免れぬも、気力や体力の衰えも容色の衰えも知ることのない不老の島民たち。


 生贄に選ばれた娘。

 彼女はその言葉通り、この男の娘であった。



(完)

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