Episode2 よくある話

 昔むかし、とある小さな村にアリアという名の大変に美しく心優しい娘がいました。

 アリアは身なりこそ粗末でお化粧などもしておりませんでしたが、首から上だけはどこかのお姫様と言っても通るほどで……まあ、あまり良くない例えではありますが、村の他の娘たちとアリアの顔面偏差値には、道端の石ころとキラキラと輝く夜空の星ほどの差がありました。


 アリアのお父さんは、この村の生まれで木こりをしていましたが数年前に病気で亡くなっています。

 アリアはお母さんと二人だけで暮らしていました。

 なお、アリアのお母さんはこの村の生まれではなく、いわゆる余所者でした。

 しかし、アリアのお母さんは控えめで穏やかな性格のうえ、これまたアリア同様に誰もがびっくりするほどの大変な美人でありましたため、村の人たちには……とりわけ男の人には好かれていました。

 

 そんな美しい母娘が暮らす村に、ある日突然、獣のような若い男を連れたおじいさんがやってきました。

 「獣のような」と一言で言いましても、それが外側にかかっている言葉なのか、内側にかかっている言葉なのかは分かりませんよね?

 この男の場合は、外側にかかっていました。


 二足歩行をする長身で筋肉質の野獣。

 人の言葉は理解しているらしく、本人も懸命に喋ろうとしているようではありましたが、その生臭い口から出てくるのは涎と唸り声のみでした。


 怯えて逃げようとする、あるいは石を投げて追い払おうとする村の人々に、おじいさんは言いました……というよりも事情を話し、懇願しました。

 野獣は、おじいさんの孫だとのことです。

 おじいさんの孫は、呪いのとばっちりを受けて、このような姿に変えられてしまったと……。



※※※



 妻を早くに亡くしたおじいさんは、一人娘と暮らしていました。

 ですが、その一人娘はお世辞にも身持ちが固いとは言えない蓮葉で放蕩者な娘であり、いつの間にやら父親の分からぬ子どもを身籠っていたと。

 やがて、娘は男児を産み落としましたが、育てる気などさらさらなかったらしく、産後まもなく家を出ていったと。

 それも、おじいさんが画家のお仕事で貯めていたお金をすべて盗み出して……。

 おじいさんは、あんな娘などは最初からいなかったと思うようにし、残された孫をしっかりと立派に育てていく決意をしました。

 その決意あってか、孫は心優しく穏やかな性格の青年へと成長しました。

 しかし、ある日の夜のことです。

 孫の青年が寝床で突如、胸を掻き毟り苦しみだしたかと思いきや、みるみるうちに世にも恐ろしい獣の姿へと変化していったのです。

 そして、地の底から響いてくるかのごときゾッとする声も聞こえてきたのです。


「お前の母親の罪は、その命にて贖ってはもらった。しかし、それではまだ足りぬ。こちらの気は収まらぬ。だから、あの女の子どもであるお前にも贖いの一部を負担してもらうことにしたのだ」


 親の因果が子に報い。

 何という理不尽なとばっちりでしょうか!

 今やおばさんと呼べる年齢になっていたであろう放蕩娘は、どこかで何やら罰当たりな行為を仕出かしたらしく、その命はすでに強制徴収されてしまったようです。


 おじいさんは声の主に懇願しました。


「……娘の罪は親である私がその贖いをする! あんな娘を育てた私にこそ責任がある! この私が全ての責任を取る! 私ならどのような姿に変えてくれても構わない! だから……孫だけは元の姿に戻してやってくれ!」


 しかし、声の主はおじいさんの必死の懇願をもともと冷たい声で、さらに冷たくはねのけました。


「残された時間が”わずか三年足らず”の老いぼれの姿を変えたところで何になる? それにこちらはお前の孫の命までは取る気はない。わずかばかりの温情もかけておいてやったのだ。……そのような姿になったお前の孫を心から愛する者が現れ、そして、孫自身もその者を心から愛するようになれば呪いはあっさりと解けるのだから」



※※※



 愛が呪いを解く。

 愛が呪いに打ち勝つ。

 すなわち呪いのなかにも希望が残されている、と。

 まあ、よくある話と言えばよくある話ですね。


 それはさておき、おじいさんは自分に残された時間は”わずか三年足らず”とも告げられているのです。

 自分の残り寿命など普通は知りたくないものですが、この場合は言ってくれて良かったのかもしれないと、おじいさんは考えるようにもなっていました。

 孫を元の姿に戻すための制限時間が明確化されたのですから。


 今はこのようにおじいさんが初めて会った人々にも事情や経緯を説明できます。

 しかし、おじいさんが亡くなってしまったなら、孫の青年は言葉も話せず、誰もを身震いさせるほどに恐ろしい野獣の姿のまま、たった一人取り残されてしまうのですから。

 そのうえ……愛を探し求め続ける青年とおじいさんの旅は、もうすでに二年と三ヶ月目に突入しているとのことでもありました。


 この話を聞いたアリアやアリアのお母さん、そして村の人々の大半は彼らをとても気の毒に思いました。

 特にアリアのお母さんは、彼らに深く同情しているようでありました。

 さらに、アリアのお母さんは野獣の姿となった青年を全く怖がっていなかったのです。

 そんなアリアのお母さんに、村の男性陣は良いところを見せたいと思ったのでしょうか?

 「何か悪さをしたなら二人とも問答無用でその息の根を止めるぞ」と厳しい条件付きではありましたが、おじいさんと青年に村の空き家を提供しました。

 

 ですが、村の者たちの一部は突如やってきた余所者を受け入れることができませんでした。

 その中でも、特に若い娘たちは。

 ”受け入れられない”という感情そのものは、誰も責めることはできません。

 それに「元々は余所者のくせに、そもそもおばさんのくせに、娘ともどもちょっと目を引く外見をしているだけなのに」、今もなお、村の男たちに鼻の下を伸ばさせているアリアのお母さんに対する苛立ちと嫉妬も同時に湧き上がってきたことも責められません。

 しかし、この若い娘たちは、身も蓋もない言い方をするなら自己評価が異常なまでに高いうえ自意識過剰傾向もある娘たちはこうも思っていました。


 あの野獣は私を狙っているわ、絶対に。

 あんな恐ろしい野獣に愛されるなんて虫酸が走るわ。

 愛の一欠片すら抱かれたくない。

 一刻も早く村から出て行ってほしいわ。

 いや、早く何かしでかして誰かに息の根を止められたらいいのに。


 ……とまあ、こんな感じで一部の娘たちは、嫌悪と恐怖と侮蔑をかき混ぜて一つにしたような視線を青年とおじいさんに向けていました。

 

 ある日、彼女たちの感情の風向きが急に変わったのです。

 おじいさんが画家のお仕事をしていたことは先に軽くお伝えしていましたが、おじいさんが自身の作品を――孫の青年が呪いをかけられてしまう前に描いた青年の肖像画を――村の娘たちにも見せたのです。



 …………まさに超美形!

 青年には身分や財産こそありませんでしたが、首から上だけはどこかの王子様と言っても通るほどで……まあ、あまり良くない例えではありますが、村の他の男たちと青年の顔面偏差値には、道端の石ころとキラキラと輝く夜空の星ほどの差がありました。

 これほどの美形男子には、一生に一度出会えるか出会えないかでしょう。

 こんなに辺鄙で排他的な村で暮らしていたらなおさらです。

 おじいさん自身も年相応に”おじいさん”ではありましたが、よくよく見ると顔面に美形男子の名残が残ってはいました。


 村の娘たちは俄に色めき立ちました。

 そう、分かりやすいまでに。


 しかし、青年は急に風向きを変えてきた娘たちには微塵も心惹かれはせず、一人の娘を愛するようになりました。

 「一人の娘」などといったまどろっこしい言い方をせずとも、青年が心優しく美しいアリアを愛するようになったであろうことは、こういった話の流れからすると予測はつくでしょう。

 アリアもまた、今の姿こそ野獣であれど心優しく穏やかな青年を心から愛するようになったということも……。

 

 心優しき美男美女が結ばれる。

 これもまあ、よくある話ですね。

 ついに呪いは解けました。

 呪いをかけた声の主が言っていた通り、あっさりと。

 アリアと青年の愛が呪いを解き、呪いに打ち勝ったのです。

 アリアと青年は、呪いのなかに残されていた希望の光をついにその手にすることができたのです。

 なお、おじいさんの画家としての才能も本物であったと青年の真実の姿によって証明されました。



 二人の門出を祝して、村では盛大な結婚式が開かれることとなりました。

 近いうちに自分がこの世を去ると知っているおじいさんは、孫と孫を愛して呪いを解いてくれた娘の晴れ姿をこの目に焼き付けて旅立ちたいと願っていました。

 アリアのお母さんは、心を込めて愛娘の花嫁衣装を作っていました。

 先に天国に行ってしまったお父さんにも、アリアの花嫁姿を見せてあげたかったと思いながら。


 結婚式の日が刻々と迫るなか、アリアは村の若い娘たちだけを集めた祝いの席に招待されました。

 妙にギラギラと血走った目をした娘たちはこう言っていました。

 アリアの独身最後の夜を私たちが楽しませて盛り上げてあげる、と。


 アリアは不安でした。

 不安なうえに不吉な予感しかしませんでした。

 彼女自身も自分は村の娘たちの一部によく思われていない、というよりも壮絶に嫌われていることは知っていました。

 そのうえ村の娘たちの一部は自分の夫となる青年を露骨なまでに狙っていました。

 そんな彼女たちが純粋に祝福してくれるなんて思えません。


 話を聞いたアリアのお母さんもアリア以上に不安でした。

 全員が敵ではないとはいえ、ただでさえ何かと目立ってしまう自分たち母娘は村の女たちの一部にはよく思われていません。

 アリアのお母さんは人間は基本的に愛しく優しい生き物であるけど、残酷な生き物であると知っていました。

 特に同調しあい群れとなった者たちは気も大きくなり、行動に対する責任の所在はどこかに飛んでったとしか思えないほどのとんでもないことをしでかすのです。

 祝いと称した席で、娘の心は酷く傷つけられて帰ってくるであろうことは目に見えてました。


 アリアのお母さんは、アリアを止めました。

 ですが、アリアは酷く傷つけられると覚悟したうえ、祝いの席へと向かうことを選択したのです。

 家を出る前に、アリアはお母さんに言いました。

「私はこれからもずっとこの村で暮らしていくのよ。それに、この村で子どもを産んで育てていきたい……お母さんみたいにね。お母さんだってつらいことはあったけど決して逃げなかったでしょう? 私はお母さんみたいに芯の強い人になりたいの。だから、私も今ここで逃げてはいけないのよ」



 けれども、アリアは二度とお母さんの元に帰っては来ませんでした。

 アリアは傷つけられるどころか、その命までをも奪われてしまったのですから。

 祝いの席を中心となって設けていた村の娘たちの一部は、アリアの飲み物にネズミ退治の薬を混入していたのです。

 アリアは血反吐を吐き、喉を掻き毟り、相当に苦しみながら亡くなりました。

 心優しく生きてきた純真な娘の壮絶な死に様でありました。


 そう、これもまたまたよくある話…………なわけなどないでしょう!

 嫉妬や羨望、恨みは誰にでも生まれ得る感情といえるかもしれません。

 しかし、人間として超えてはならぬ一線を超えてしまう獣のごとき者たちがこの村の中にはいたのです。

 さらに言うなら、彼女たちはアリアを殺してしまったことで自分たちや自分たちの家族の今後がどうなってしまうかという想像力すら皆無の愚か者揃いだったのです。


 そのうえ、このアリア毒殺計画を集まった若い娘たち全員が賛成したわけでもなければ、事前に知らされていたわけでもありません。

 娘たちの全員が全員、アリアを殺したいほど憎んでいたわけでもないのですから。

 

 何人かの娘たちが泣きながら逃げ出し、アリアの家へと走りました。


「おばさん!! 大変です!!」

「アリアが殺されたんです!」

「早く出てきてください!!」


 娘たちは玄関扉を叩き、めいめいに喚きました。

 しかし、中からの返事はありません。

 シーンと静まり返っています。

 アリアのお母さんは家にいないのでしょうか?


 いえ、中でガタンと物音がしました。

 玄関の隙間より何やら異様な臭いが――獣が醸し出すような臭いが――漏れ出てきたことに娘たちも気づきました。

 グルルルという低い唸り声が獣の臭いと混じり合い聞こえてきます。


 娘たちは困惑と恐怖で顔を引き攣らせました。

 彼女たちの体が「逃げる」という選択を取る前に、玄関扉の一番近くにいた娘の一人がその扉ごと後ろに吹き飛ばされました。


 家の中から出てきたのは、それはそれは大きな熊でした。

 言葉通り純然たる熊。

 地上最強の肉食動物と名高いハイイログマ、そのまたの名はグリズリー。

 

 なんと、この熊はアリアのお母さんだったのです。

 何者かによって、熊の姿に変えられてしまったわけではありません。

 よくある話、アリアのお母さんは”元の姿に戻っただけ”なのです。



※※※



 昔むかし、とある可愛らしい子熊が木こりの男性に恋をしました。

 つぶらな瞳で星空を見上げた子熊は願いました。


 私はあの人が好きです。

 あの人の側にいたいです。

 だから、どうか私を人間にしてください。

 できれば、誰もがびっくりするほどの美人がいいです。

 そして、どうか私が産む子どもも人間でありますように。


 子熊の願いは叶えられました。

 人間の……それも相当に美しい人間の娘になるという希望の光を子熊は手にし、と言うよりも体現することとなりました。

 しかし、子熊の願いを叶えてくれた何者かは、希望のなかに呪いをも残していったのです。


「お前はこれから先、人間のなかで生き、お前の願い通り人間の子どもを産むであろう。だが、お前が人間という生き物に絶望することがあれば、お前はたちまち元の姿へと戻ってしまう。それだけは忘れるな」と……。



※※※



 アリアのお母さんが余所者であったこと。

 それに、アリアのお母さんは野獣の姿に変えられた青年を全く怖がっていなかった理由もこれで説明はついたかと思います。

 自分自身が、元・地上最強の肉食動物だったのですから。


 忘れ得ぬ呪いをその身に宿したまま、アリアのお母さんはアリアのお父さんと恋に落ち、見事に結ばれました。

 どこからやってきたのかすら定かでない余所者ということで、最初は村の中でつらい思いをしましたがお父さんがいつも守ってくれました。

 やがて、自分たちの最愛の一粒種となるアリアも誕生し……暮らしぶりは決して裕福ではありませんでしたが、アリアのお母さんは幸せでした。

 数年前にお父さんが病気で亡くなってしまうという身を引き裂かれるほどに悲しい別れに直面しても、アリアのお母さんは決して絶望しませんでした。

 お父さんはたくさんの思い出とアリアを残してくれたのです。


 ですが、アリアはもういません。

 ”人間ども”によって殺されたのですから。

 絶望が希望を粉々に打ち砕いたのですから。


 アリアのお母さんであった熊は、アリアの死を知らせてくれた村の娘たちの肉を次々に掻きえぐり、噛みちぎりました。

 一撃によって、首の骨を折られた娘もいました。

 なんと理不尽で残酷なとばっちりなのでしょう。

 この罪なき娘たちの性根は歪んでなどおらず、不運にも巻き添えを食らっただけなのです。


 けれども、アリアのお母さんには彼女たちの必死の命乞いも、苦痛に満ちた断末魔ももう何も聞こえていません。

 お母さんはこれから目に入る人間全てを、その手にかけんとするでしょう。

 その人間の中には、アリアの夫となるはずであった青年と青年のおじいさんも含まれているかもしれません。


 自分の子を殺された母熊の悲しき咆哮が村に響き渡りました。



(完)

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