女中のお仕事

 約束通り雪雅が隠居先として使っている屋敷に上がり、女中として働くことになった華乃は雪雅を睨みつけた。


何故なにゆえ私は雪雅様のお世話ばかりしているのでしょうか?」


 入ったばかりの下っ端女中というものは、もっとこう掃除だとか使いっ走りだとか雑用にまわされるものではないだろうか。

 しかも自分は父の世話をする女中としてこのお屋敷に召されたはずだ。

 それなのにどうして自分は雪雅の側に侍り、お茶出しやら話相手やらをしているのだろう。


「もう二度とあんな思いをするのは嫌だからね。捕まえておこうかと思って」

「幾ら雪雅様とて、華乃はやりませぬぞ」


 茶目っ気たっぷりに笑う雪雅と本気で眉を釣り上げている父に華乃は呆れたように笑う。


「父上まで何をなさっておいでですか」

「お前はお転婆だからな。目を離すとすぐにいなくなる」

「まぁ、酷い」


 もう無茶をしないとは言えないけれど、華乃がこちらに還ってくると決めたのはまだ幼かった主の様子が気になったからだ。

 今、その主の側には頼りになる弟が控えている。

 城下の様子をこっそり見てきたが荒れた様子はなく、人々は笑顔だった。

 主の評判も悪くない。それどころか皆、彼を尊敬し慕っているようだった。

 自分がいなくなった後の話を聞いた時は不安でたまらなくなったが、荒れたのはその時だけで今は落ち着いているように見える。

 事実、彼が治めているこの国は穏やかで笑顔に溢れている。

 心配することなどなにもない。

 そう思うのに、心に引っかかりを覚えるのはどうしてだろう。

 歪めそうになる顔を、おどけながらも心配の色を宿す瞳に映すわけにはいかない。

 意識して微笑みを浮かべて呆れたように囁く。


「心配なさらずともちゃんと大人しくしていますよ」


 その言葉にホッと息を吐いたのは黎季か雪雅か。どちらもか。

 前世こちら記憶ゆめのおかげで生き苦しくて堪らなかった世界での生活とも、幸せで充実していた前の生での生活とも違って、とても穏やかに時間が流れる。

 柔らかな笑い声とお茶を啜る音だけが響いていた空間に誰かの来訪を告げる音がした。


「あら、お客様がいらしたみたいですね」


 躾けが行き届いた女中たちとは違う足音に華乃は不思議そうに雪雅を見る。

 雪雅と黎季は眉を寄せて首を振った。

 客人が来る予定などない。

 そもそも雅冬に家督を譲って隠居をしてから城下をぶらつく以外はほぼ引きこもり生活だったりする。

 他国の友人たちとふみをかわしても、まだ現役である彼らのところに押しかけることはあっても、彼らが雪雅を知らせもなしに尋ねてくることはない。


「父上、よろしいでしょうか」

「ま、雅冬様っ!!

 本日は雪雅様の所にお客人がいらしています!しばしお待ちください!」

「何で俺が知らんことまでお前が知ってるんだ?」

「父上から聞かされております。どうか、こちらの間でしばらくお待ちを」

「チッ」


 記憶よりもずっと低く男らしくなった声に肩を跳ねさせ目を見開いて固まっていた華乃は慌てた弟の声にハッとして雪雅を見た。


「あ、アンタ、息子にどういう教育してんですか!!

 今、柚稀が止めなきゃ確実に入ってきてましたよ!?

 了承を得る前に入ってきてましたよ!?」

「あはは、そう言うところはまだまだ子供でねぇ。

 って華乃、締ってる!!おじさん首しまってるぅううう!?」


 ギャーギャーとあくまでも廊下に声が漏れないように小声で騒ぐ雪雅をガクガクと揺さぶる華乃はそれどころではない。

 遠くで見守ると決めたのだ。

 彼の側で仕えている弟の話ではやはり雅冬は華乃に未だに拘っている節があるらしい。

 周りの人間に言わせれば明らかな執着を、らしいで片付けているのは一重に華乃に自覚がないからだ。

 それでも会うとヤバイと思う程度の危機感はあるらしく珍しく取り乱して雪雅を絞め上げているのだった。

 少なくとも自分は了承もなしに入室するような子に育てた覚えはありません! という気持ちもないことはないのだが。


「華乃。お前は隣の部屋に下がっていなさい」

「……はい。お任せして大丈夫ですね?」

「お前の父だぞ」

「ふふ、ではよろしくお願いします。父上、殿」


 キリッとした父の顔でそう言われて華乃は安心して隣の部屋に下がった。

 普段どれだけふざけていても黎季も雪雅もやる時はやる。

 尊敬する父にあんな顔で任せろと言われてしまえば華乃が不安に思うことなど何もない。

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