日記帳
モノ柿
第1話 人のことよくみてるよねって言われるけどそれ多分騙されてるだけです。って話。
「人のことよく見てるよね」
話していて、「誰か」の話題で盛り上がるとよく言われます。
あの人はああいう人だよね、あの人はこういうのが好きだよね、あの人はこれが嫌いだよね。
そういう誰が見ていてもわかる単純なことを、そういえばというふうに口にすると話している人には新鮮なようで、
「〜さんて、人のことよく見てますよね」
その場では、「そうなんですよ。人を見る目だけはあると言われます」とか言って収めてしまうのですが、どう考えても俺の目が正しく世界を見定めているとは思えません。
誰もが思っていることを、簡単にまとめてしまえる能力というのがこの世にはあるのです。
それは事象の矮小化だったり、極端化だったり、さまざまな弊害を生じさせる最悪な能力ではありますが、しかして、現代日本ではすごく重宝がられる能力の一つでもあったりする訳です。
それが、得意なだけ。
つまりは、人を貶めるのが大変に得意ということになるのですが、意外とこれを理解している人も少ない。
誰かを誰かの視点だけで語るというのは、人間の人間性を否定する行為そのものです。
なぜか。
それは、人間が多面的な生き物だからです。
職場でのその人と、家でのその人はきっと色々と違う過ごし方をしているでしょうから。
他人というのは未知の塊です。
それは内面的な問題だけでなく、外面的な部分でさえ多面的だからと言えます。
心で何を考えているのかわからない。というのは内面的な多面性。
では外面的な多面性とは何か。
それは、客観的視点の数です。
複数の人から見たその人には、見た人の数だけ印象があるということになります。
たとえば、職場でしか会わない人には職場でのその人が全てです。
飲み会に一緒に行く人にとっては酔いが回って開放的になったその人を見たことがある人もいるかもしれません。
家に遊びにいった人には、もっとオープンに接するその人の姿が印象に残るでしょう。
つまり、関わりの数だけ人間性というものは数を増やすわけです。
翻って。
他人のことを簡単にまとめてしまう、この能力。
どう言ったものでしょう?
その人を見たことのあるみんなが納得してしまい、その人のことをこれからそういうふうに見てしまう、そういう能力。
個人を平面で捕らえてしまう。
屏風の中の虎。
餅の絵を描く、ただそれだけの能力。
誰かを何かにしてしまう、多面的なものを平面的にしてしまう。
俺が持っているのはそういう、人を人とも思わない人間は誰しも使える特殊能力です。(自慢気)
考えてみて貰えば恐ろしいことに気づくと思いますが、この能力を披露すると、話題にされた人物は披露した人間の持った印象の人物として認識が定着してしまうのです。
『やはり俺の青春ラブコメは間違っている。』の葉山隼人はみんなの葉山隼人という認識のもとで苦しみながら生きていました。
彼は彼なりに彼を演じ、彼が彼であるために彼を彼たらしめる努力をしていました。
しかし、私のもつ「人間の矮小化」この能力を使えば、簡単に人間を固定観念の概念にしてしまえるのです。
あの人のあの人らしさを固定し、納得させてしまう、そういう能力を一言で表すのは少し難しいですが、人をよくみているのでは全くないことを理解してもらえると思います。
理解出来ない方は理解できないまま帰ってください。
人は人のことを完全には理解できません。
だから自分の中だけでその人という正解を作ります。
その人の新しい一面をみればその正解を更新していきます。
何も難しいことではありません。
道端で見かけるあの人のことを想像してください。
その人がどういう人なのか想像して、想像できた姿があなたにとってのその人です。
私の能力は、その想像した人っぽい誰かをよりその人っぽい解像度で仕上げた何かを想像に吹き込むモノです。
一層わからなくなってきました。
自分でもなんだかわからなくなってきたので簡単にまとめて終わりにしようと思います。
詐欺師の言葉。
つまるところ、そういうモノです。
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