第14話 残酷

 人の死はいつも単純で、唐突にやってくる。それが赤の他人ならば別にいい。

 しかし、身内となったらどうだろう。

 涙を流し、二日三日でその存在を忘れられるのだろうか。

 答は——否。

 家族が死んだという記録はいつまでも記憶に残り続ける。それはまるで呪いのように、身体を——精神を蝕んでゆく。

 もちろん、生きていれば、誰かの《死》を目にするのは当然であり、それを嘆くこと自体に微塵も意味はない。

 ただ。もし許されるのなら——


「なにが言いたいのかさっぱりです」

「酷くね、筒子ちゃん。さすがは《水神》の血って言ってほしいわけ?」


 白鏡誠司——彼は残念そうに肩を落とした。

 水神筒子。彼女はそんな誠司にかまうこともなく、ひたすらにモニターを凝視している。

 彼女の集中力に惹かれ、誠司はソファーから立ち上がり、筒子の背中からモニターを覗いた。


「なになに?」

「駒が何者かに捕まったようですね。二人の餓鬼です」

「ふうん? 知らないなあ。授戒は動けないはずだが……」

「……、あの、一応聞きますけど、まさか『おまえは俺のすることに干渉するな』みたいなアバウトな契約を交わしたわけじゃあないですよね」

「え? そんな感じだけど?」


 ここでようやく筒子は振り返った。眼鏡の向こうに見える誠司は、四十にしては幼さが残っているように思える。そんな彼を罵るなんて馬鹿げていると思い、彼女は嘆息するだけにとどまった。


「それじゃあ、授戒は直接的には何もできませんね。ま、間接的には色々してくるでしょうけど」

「なるほど! 授戒は天才だったかあー」


 陽気な笑い声が響く。


「……というか、血の契約ってそんな適当な感じなんだな。初めてだったからよく分からなかった」

「あなたが適当なだけです」


 筒子は警戒心を強めてモニターに視線を戻す。

 大山和弘と二人の戦闘を見てとある疑念が彼女を苛立たせた。


「男の方は魔眼持ちか……?」


 軽く舌打ちをする筒子。誠司は「どうしたの?」と聞いた。


「多分、この男は未来視覚醒者ですね」

「あっはっは。たしかに魔力が目に偏っているね。しかし、未来視かどうかは分からないだろう。……お得意の直感か?」

「ええ。私の勘って、よく当たるんです。それで過去に三回事件を未然に防いだことがあります」

「……ああ、そういやそうだったな。なら……笑って流せる話でもない」


 言うと、突如として神妙にかしこまった態度を取る誠司。

 これが——この男の本来の素顔だ。


「大山がこの山の研究所をゲロったとして……二、三日後にはやってくるだろうな」

「早くないですか?」

「魔術世界の便利屋ってのは、どんな奴らでも仕事が早いんだ。そういう仕事で食っている人間を侮るなど言語道断。殺人鬼はいつだって俺たちを見ているんだぜ」

「……? ……、…………? まあ、どうでもいいですけど。なら、ここは捨てますか?」

「まさか」


 好機を目前にしたかのように、誠司は目を細めて微笑んだ。


「ここの山の周辺の道路は通行止めで、誰一人として侵入を許していない。堂々と殺し合える場になっている。目立つことなく追手をあの世へ送れるんだ、なのにここを動くなんてとんでもないだろう? もちろん、白鏡の金を動かせばそれなりのことができる。でも——度が過ぎると、家族にバレかねないからね」

「…………どうして協力者が私だけなんですか? いや、この聞き方が正しいのかどうか……。バレるのが嫌だと言うのなら、古くから白鏡の近侍として生きてきた水神であるわたしにも、あなたの計画は明かさない方が良かったのでは?」

「どうして」

「私はいつ裏切るか分かりませんよ」

「そんなこと言う奴が裏切るわけがない」


 楽観的な反論を聞き、筒子は小さく息を吐いた。

 この人には何を言っても意味がないという諦観に加え、勝手だが苛立ちすらも覚えてしまう。

 筒子は水神の人間として、八歳の時から白鏡に仕えてきたが、年齢が二十を超えた今でも誠司の性格は生理的に受け付けない。だのにここまでついて来た自分も無意識のうちに毒されて来たんだな、と理解できる。


「まあ、年寄りは忠告なんて聞かないだろうし、言うだけ無駄かもですけれど、念のため。……いつか大損しますよ」


 年寄りという言葉に眉を潜め、誠司はソファーに寝っ転がった。


「俺、おっさんかな?」

「もう四十代なんですから、年寄りでしょう。人生の折り返し地点ですよ」

「言うねえ。悔しいから二百歳まで生きてやる」


 ×


 妻城市の心臓部に近く、JRの駅付近に市内最大の総合病院がある。

 一階から四階へ向かうエレベーター内部に、言語聴覚士の顔をした男が一人。名札には“紆曲うきょく慈正じせい”と書かれており、その真の顔が《白鏡》だということは誰も知らない。

 不敵に微笑む彼は、エレベーターが開いた途端に眼鏡をかけ、己の存在を書き換える。

 歩調を変えることなく一つの病室の前までやって来て、扉をノックする。


「やあやあ、おひさだね」


 陽気な挨拶をして、ベッドの隣のパイプ椅子に腰をかけた。

 黙って向かいの景色を傍観し、それからベッドに横になっている少女に目を向ける。

 ——法号みずき。

 これが、死んだ魚の目をした彼女の名だ。外の景色を茫然と見ている様はまるで死人のようで、何を考えているかは誰にも分からない。


「ここに来るのも何回目になるかね……。長いようで短い時間ってこのことなんだなあ。今日限りでもう会えないって考えると、些か寂しい感情も湧いてくるものだ」

「——ぅ」

「俺は君を助けたいと心から願ったさ。そういう交渉だったからね……。でも、世の中にゃあどうしようもない問題ってのがある。君もそのうちの一つだ」

「なんで、男の人なの」

「どこも人手不足なんだよ、子どもには分からないか? 何回も言わせないでおくれ。……とにかく、そんな簡単にはあきらめなかったさ。記憶を部分的に消去する為の魔術の使用を試みた。……でもさあ、その知識、誰かに盗まれちゃったみたいなんだよ。だからすまん、君を助けることはできない」

「……」

「……ふと思ったんだけど。少年誌でさ、よく主人公側が『復讐なんて虚しいだけだ』とか『死んだ人は犠牲を払ってまで生き返りたいとは思わない』とか言うでしょ? あれってどうなんだろうねえ。死んだ経験があるんならまだしも、そうじゃない奴が言ってたらただの戯言だろう? そんなんで改心する悪役なんて、ただの曖昧主義じゃないか。もしくはただの馬鹿」

「——」

「俺はね、どうしてもあの娘を生き返らせなければならないんだ。《透視の魔眼》と《消えた知識》を取り戻すことができたら、きっと白鏡の名は昔のように一番上に立つことになるだろうからね。そうすりゃあ、たかが数人殺したことだって、きっとチャラになるだろう。あの娘はそれを望む。生きて魔術世界の頂点に立つことを、願っているはずだ」

「頭が、痛い」

「……あー、ごめんね、変なこと言っちゃって。じゃあ、本当にさよならだ。もう二度と会うことはないだろう」

「——」


 誠司は腰を上げ、迷うことなく出口まで進む。そこで足を止め、背中を向けたままで彼は言った。


「そうだ、忘れてた。みずきちゃんのお姉ちゃん……死んだから。君が家族の中で最も信頼できる人間は、もういないよ。この部屋は四階だし、頭から落ちれば死ねるんじゃないかな?」


 そして部屋を出る。

 切り捨てるような発言に彼は何の重みも含ませない。

 病院を後にして、彼は呟く。


「生気のない瞳で世界を見つめても、絶望しか映らないだろう。だったら、みずきちゃん——君は死んだ方が楽なんだよ」


 同情の心はない。頭の中は、次の計画——足りなくなったパーツをどう集めるかでいっぱいだった。


「……交渉する為の時間はもうない。俺が直接動くしかないか」


 誠司が記憶している燈明学園の生徒の中から、最も鈴美に近い大きさの人物を探す。


「頭部……頭部頭部……」


 自身のこめかみを指でノックしながら、誠司はバス停へと向かう。

 叩く指がピタリと止まった時、彼は正真正銘の殺人鬼の顔をしていた。

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