第九師団東スヴァキ部隊の王
日崎アユム/丹羽夏子
第1話 王に見捨てられた少年
ティレアヴィルスが目を覚ました時、あたりはすでに静かになっていた。どうやら砲撃は止んだらしい。
顔を起こすと、左のこめかみから目の上にかけての部分が、鈍い痛みを訴えた。怪我をしているようだ。その辺から唇のほうへぬるぬるとした液体が流れている。
試しに、左手を伸ばして顔に触れてみた。
手が真っ赤になった。
しかしティレアヴィルスは一瞬込み上げてきた不安を押し潰した。頭部の出血は大袈裟になるという話を聞いたことがある。これもきっと見た目ほどひどい傷ではないだろう。
周囲を見回す。
ティレアヴィルスの部屋はすっかり崩壊していた。壁と天井が吹っ飛び、壁紙どころか断熱材や鉄筋も見えるほど砕け散っていた。部屋の真ん中に鉄の筒状の何か、おそらくミサイルの残骸が突き刺さっている。状況から察するに、自分は落ちてきた天井の一部が顔面に当たって昏倒したらしい。
宮殿の自分の部屋にいても、ミサイルが飛んでくれば死ぬ。
改めて、敵国の大統領とやらはこの国の王族を何とも思っていないのだ、ということを再認識した。ティレアヴィルスは第一王子で、姉に続いて王位継承権第二位の立派な王室メンバーだが、かの国はティレアヴィルスを尊い存在だとは思っていない。
むしろ、と苦いものを思い出す。
国際社会はこの国をあまりよく思っていない。この国は二十一世紀にもなって王が独裁をしている上に核開発をもくろんでいる悪の枢軸国と呼ばれていて、国際連合からも見放されようとしている。
それを知っているのは、ティレアヴィルスがついこの間までイギリスに留学していたインテリで、帰国してからも毎日英字ニュースを読んでいるからだ。
BBCニュースを見ていると、我が国の情報統制のあり方について考えさせられる。父は自国の人間が外部の情報を得て自国と他国を比べるのを止めたいと言っていた。比較は、自分たちを不幸だと思ってしまうようになる最大の悲しみであり暴力である、と。だが、そういう目隠しはもはやこのネット社会では意味を為さない。
国民はみんな自分たちが世界に嫌われていることを知っているだろうか。
この国を出ていったみんなはどこでどうしているのだろう。こうして隣国に一般民衆の保護を名目にして攻め込まれた今、その隣国に逃げてほっとしているのだろうか。
「僕も逃げたかったな」
何もなくなった部屋の真ん中で、ティレアヴィルスは誰にも聞かせられない本音を独り言という形で吐露した。
瓦礫を掻き分けて部屋の外に出る。といっても、かろうじて残っている壁にひしゃげた扉がついているだけだったので、扉に触れたら簡単にはずれて廊下に倒れていった。
廊下には複数名の黒服の男たちが倒れていた。ティレアヴィルスのセキュリティポリスだ。ティレアヴィルスを守るために残って、砲撃にやられたのだろう。
彼らにとってのティレアヴィルスは、自らの命に替えてでも守るべき存在だった。
悲しんではいけない。職務をまっとうしたことに感謝だけすればいい。
そうと思っていても胸は苦しい。
父はどうしてこんな忠義の厚い者たちを使い潰せるのか。
やがて階段ホールに出た。
窓ガラスがすべて割れていて、外の様子がよく見えた。
王の都、世界に冠たるスヴァキの街が、焼けただれ、崩壊していた。
ティレアヴィルスが生まれ育った都は、瓦礫と灰の街になったのだ。
まるで、死んだように、静まり返っている。
「誰か」
コンクリートの破片を踏み締めて廊下だった道を行く。
「誰かいないのか。生きている者はいないのか」
声が返ってこない。
崩れた壁の隙間から時々手や足が見えた。ああいうのが生きているとは思えなかった。ティレアヴィルスは心を鬼にして先に進んだ。
王はすでにイギリスに亡命している。母である王妃と姉である王女もすでにイギリスに向かっていて、少なくともスヴァキにはいない。
ティレアヴィルスが宮殿に――このスヴァキの街に残っていたのは、家臣に引き止めれられたからだった。
首相に、国民に徹底抗戦を呼びかけておきながら王族がみんな逃げ出すとは、と怒鳴られたからである。
それを聞いた父は、女を危険な目に遭わせるわけにはいかないから、と言って、妃と娘を脱出させてから息子に宮殿で残れと命令した。
納得がいかない気持ちはあったが、高圧的で癇癪持ちの父の機嫌を損ねるのを恐れたティレアヴィルスは、父の言うとおりに残った。
そして父に見捨てられた。
強固に反抗しなかったのは、ひょっとしたら、頭のどこかでスヴァキまでは攻め込まれないだろうと思っていたからかもしれない。直視したくない現実から逃避するその心理作用は何というのだったか。
宮殿の南側、正門のほうは激しく崩れていて足を進められなかったので、北の裏門を目指した。北半分は南半分に比べればあまり崩れていない。あくまで比べれば、の話だが、屋根が残っている。それもいつ崩れるかわからないので、足早に歩いていく。焦げ臭い。
無人の門にたどりつく。皮肉にも鉄の扉は以前と変わらぬ様子で立っていた。
いつもは警護官に開けてもらう扉を、一人で開けた。想像以上に重く、難儀した。
外に出ると、向かって右側、東のほうから車のエンジン音が聞こえてきた。
生きて車を運転している人間がいる。
一台のジープが近づいてきた。乗っている人間は運転席の一人だけのようだ。ボンネットにこの国の国旗がペイントされている。
ティレアヴィルスは安堵した。生きた人間がいるというだけで嬉しかった。この心細さを解消してくれるなら敵兵以外は何でもよかった。
大きく手を振った。
ジープが目の前に停車した。パワーウィンドウが降りていき、中の運転手が顔を見せた。
よくよく見たら、運転手は女だった。
「あんたこんなところで何してるんだい?」
短く切った髪、頬には迷彩ペイント、軍用のカーキ色のジャケットを着ているが、整った顔立ちと声のトーンが若い女だ。
驚いて彼女を見つめていると、彼女が舌打ちをして、もう一度言った。
「宮殿にいてももう何にもならないと思うんだけど、あんたはここで何をしていたんだい?」
ティレアヴィルスは我に返った。
「大したことは何も。強いて言えば元帥の御用聞きみたいなものだ」
王家の一員として、宣伝塔になる。それが自分に課された使命で、軍部に言われるがままにひとと会って喋っていただけだ。
「あんた正規軍の人間なの?」
そう問われて、はっとした。
「制服組? それでも一応訓練は受けてるんだよね?」
「僕は軍人じゃない」
「じゃあ官僚? 何省?」
どうやらティレアヴィルス王子だとは思われていないらしい。みんなと同じ軍用ジャケットを着ているからだろう。非常事態宣言が出てからこちら公務員がみんなこれを着ているので、ティレアヴィルスもそれに倣ったのだ。
だが、いいのかもしれない。ここで身分を明かしたらどうなるかわからない。
BBCニュースを読んでいるティレアヴィルスは知っていた。この国でもSNSが使える人間はこの国の王が諸外国にどう評価されているかわかっている。
殺されるかもしれない。あるいは敵国に引き渡されるかもしれない。国際条約がどう定めていても、すべての国がそれを守ってくれるかわからない。
現に、目の前の女はこう言った。
「答えにくいよね、ごめん」
「あの……」
「財務省とか法務省とかなら、言わないほうがいいよ。いくらキャリア官僚様でも、下々の一般人がどう思っているのか、わかっていないわけじゃないよね?」
ぞっとした。
「まあ、これも何かのお導きだ。せっかく生き残ったんだから仲良くしよう。服を脱げば同じ血が流れてる、このスヴァキを都とするこの国の民族の血がさ」
ティレアヴィルスは胸を撫で下ろした。
「乗りな。基地に連れていくよ」
女は親指で自分の隣、つまり助手席を指した。ティレアヴィルスは「ありがとう」と言ってから助手席に回り、ドアを開けた。
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