第73話 懊悩
石上に時間の都合がついたら家に顔を出して欲しいという連絡をし、親にはいつもよりやばい冒険に出るといった趣旨のメッセージを送りつける。
そんな義務的な仕事を終えた俺はベッドに腰かけて、無意識的に編みかけの手袋の続きを繰る。編み目が一つ増える度に、心が静まっていく気がした。
礫ちゃんの頼みについて考える。
ラスボス級の敵を、俺たちのような少人数のBクラスギルドでどうにかしろなんて、あまりにも無茶苦茶な願いだ。
もし、見知らぬ他人に持ちかけられた依頼なら躊躇なく断っている。例え面識のあるクラスメイトからの依頼でも、引き受けるはずはない。
だけど、ロックさんは違う。一度、俺たちの命を救ってくれた。あのエルドラドゴーレムの対決の時、ロックさんが自らの身を顧みず、時間を稼いでくれなかったら、俺たちは死んでいたかもしれない。いや、あの『首都防衛軍』のぶっ飛んだ思考を考えると、『かもしれない』じゃすまされないほど、命を失っている可能性は高かった。
そんなロックさんが今、命の危険に晒されている。ならば、助けに行くのが人の道だ――と言えたらどんなにいいか。
別にここで礫ちゃんの依頼を断っても、誰にも責められることはない。いや、むしろプドロティスを出し抜こうとする方が馬鹿だと世間は思うに違いない。それに、俺は『ザイ=ラマクカ』のリーダーとしてみんなの命を守る義務がある。ならば、リスクを回避するのは当然だ。
高校生の手に負えるような案件ではないし、プドロティスへの対応はお上に任せ、礫ちゃんが無茶をしないよう、国かなんなりに通報して、彼女を保護してもらう。それが、一般的な『善良な市民』としての行動だろう。事実、礫ちゃんが先にコンタクトを取った他の冒険者たちはそういった対応をしたはずだ。
あまりにも正しい、妥当すぎる結論。
でも……本当にそれでいいのだろうか?
今、ここで礫ちゃんを見捨てるということは、礫ちゃんを天涯孤独の身に落とし、千人に近い人間を見殺しにするということだ。
その事実の重みに、俺はどれかけ無関心を決め込むことができるだろう。
誰に責められずとも、そのしこりはきっと自分の心の中に一生残る。
きっと、俺はこれからの人生で、ふとした時に思い出す。『あの時行動していれば救えたかもしれない』と。
その度に己の中の罪悪感に言い訳して過ごすのか?
そんなのは嫌だ。
嫌だけど、怖い。
初めてチワワと戦った時も怖かった。
エルドラドゴーレムの戦いの時も怖かった。
だけど、それはいつも突然、俺の身に降りかかってきたことだから、考える間もなく動くことが出来た。戦う以外に、他に方法はなかった。チワワの時は、家族である七里を見捨てるなんて出来なかった。エルドラドゴーレムの時は、言うまでもなく自分たちの命を守るためだ。
しかし、今回、俺は考える時間と、選択肢を得てしまった。
今までで一番、死ぬ確率が高い敵。
助けを乞うてるのは、残酷な言い方をしてしまえば赤の他人だ。逃げても言い訳が立つ。
そんな中で、俺は決断をしなければいけない。
喉が渇く。
「ふうー」
俺は大きく息を吐きだして、口を湿らせるために自室を出て、もう眠りについてるかもしれない由比と礫ちゃんに気を遣って、足音を忍ばせ階段を下り、リビングへと向かう。
漏れ聞こえてくるのは、やけにテンションの高い深夜のバラエティー番組の、耳につく笑い声。
誰かすでに先客がいるらしい。
扉を押し開ける。
ソファーには七里がぽつんと腰かけていた。一応、テレビに視線を送ってはいるが、その口元に笑みはない。考え事をしてるのか、ただ漫然と液晶画面に視線を送っている。
姿形はいつもの七里のはずなのに、今はどこか近寄り難い雰囲気があった。
俺はそんな七里を尻目にキッチンへと向かい、コップに水道水をなみなみと注いだ。
この水も元を辿れば、奥多摩から来ているのだろうか。
ふと、そんなことを考えてしまう。
「よう……」
俺はぎこちなくそう言って、七里の隣に腰かける。
口に含んだ水は、いつもよりも苦かった。
「どうしたの? お義兄ちゃん。重大な決断を前に、かわいい義妹の身体が恋しくなった?」
七里はいつものように軽口を叩いて、俺に笑いかける。
何百回も繰り返されたやりとりのはずなのに、俺はすぐに突っ込みを返すことができなかった。
「――お前は、どうしたい? この依頼、引き受けた方がいいと思うか?」
冗談をやりとりする機会を逸した俺は、七里の質問には答えずに真面目くさった顔でそう切り出す。
「どうして私にそんなことを聞くの?」
七里はそう言って、すぐに視線をテレビに戻してしまう。
「いや、いつものお前なら真っ先に、『ラスボス!? これは戦うしかないね! お義兄ちゃん!』とか言い出しそうなものなのに、今日はやけに静かだったからさ」
後先考えない七里なら、飛びついてしかるべき案件のはずなのに、礫ちゃんの話を聞いていた時のこいつは、不気味なほど口数が少なかった。
「うん。そうだね。本当なら私はお義兄ちゃんの言ったようにしなきゃいけないんだけど――私だって怖いから」
「……いや、いけないってことはないだろう。そりゃ、誰だってプドロティスは怖いさ。そうだよな。お前だって、怖いよな。茶化してすまん」
俺は軽く手を合わせて謝る。
日頃、自分から危険に突っ込んでいく七里を見ていると、時々恐怖心がぶっ壊れているのではないかと疑いたくなることも多々あるのだが、こいつだって人の子だ。そりゃ、命を失うのは怖いだろう。
「ふふっ」
俺がそう笑うと、七里はなぜか寂しげな微笑を浮かべた。
「何がおかしい」
俺はその七里の不審な仕草に眉を潜める。
「ううん。なんでもない。じゃあ、お返しに、今度は私からも一つ質問していい?」
「あ、ああ。なんだ?」
「お義兄ちゃんは英雄になりたいと思う?」
「何でそんなこと聞くんだ?」
さっきの七里と同じような調子で、俺は聞き返す。
そういえば前も七里は俺に英雄になって欲しいとかおかしなことを言っていた。
「だって、今の状況、カロン・ファンタジアの
「ああ。そう言われればそうだな――」
『カロン・ファンタジア』はプレイヤーの行動によって、ストーリーが変化するスタイルを取っていた。
その中で、クサいほど『勇者』らしい英雄的な行動を取ったプレイヤーに与えられるのが正義シナリオだ。
俺もちらっと攻略サイトで読んだだけだから詳しいところは覚えてないが、それは大体こんなストーリーだ。
邪神の加勢により力を増した邪竜プドロティスに、一晩にして十万人もいる巨大都市の住人が全て連れ去られる。残されたのはたまたまゴミだめの底に隠れていて助かった乞食の少年ただ一人だけで、その少年がなけなしの――冒険者にとっては、朝食分にもならないような微々たる金で、プドロティスの討伐を依頼してくる。他の冒険者がありえない依頼だと鼻で笑い飛ばす中、少年の自己犠牲精神に感動したプレイヤーたちだけが、彼の話を聞き、何の見返りも求めず、死のダンジョンへと足を踏み入れる。
と、結構王道なストーリーにも関わらず、ゲーム時代、このルートは全く人気がなかったらしい。『正義を貫く英雄は報われない』というストーリーのテーマとリンクさせるためか、本当に報酬がしょぼいのである。
他のルートの最終ダンジョンをクリアすれば、古代人が残した大秘宝のおかげで最終魔法が使えるようになるだの、試練を突破した者にだけが悟ることができる剣術の奥義だの、実用的なスキルが手に入る上、依頼者からの報酬で強力な装備品が貰えたり、もしくは、ラスボスがドロップアイテムがすごかったりと色々なメリットがあるのに、このストーリーだけは本当に何もなし。報酬は本当に、少年のなけなしのはした金で、戦闘系のスキルは特に貰えない。ドロップアイテムは、『ん、まあ、悪くないけどぶっちゃけ他の装備品で代替できるよね』っといった程度の、状態異常耐性がついた素材だけ。その癖、ダンジョンはやたらと複雑でアイテムを消耗させる嫌がらせじみたつくりになっている。これじゃあ、やりたがるプレイヤーが少なくても当然だ。
「俺は英雄になんかなりたくないよ」
お伽噺ならいざしらず、英雄の結末なんて大抵悲惨だ。
「それはどうして? やっぱり、今回の礫ちゃんが提示してきた条件じゃ、ミッションと報酬が釣り合わないから?」
「おいおい、何言ってんだ。今、お前はゲームの話をしてたんだろうが。急に話題を戻すな」
「いいから答えて。もし、ゲーム時代の正義ルート以外みたいな特別な報酬が貰えるなら、お義兄ちゃんは奥多摩のプドロティスに挑む覚悟ができる?」
妙に切羽つまった口調で七里が畳みかけてくる。
「そりゃ、報酬は多く貰えるならその方がいいさ。だけど、正直それは俺の決断を左右する条件にはならない。だって、俺は今の生活に十分満足してるからな」
「本当にそう? お義兄ちゃんくらいの年ごろの男の子は、自分が特別なんだって思い込むものでしょ?」
七里が断定口調でそう問うてくる。
いや、むしろ、それはお前の望みだろう、という言葉が喉まで出かかったが、存外七里の視線が真剣なので俺は言葉を呑み込む。
「七里。お前は中学生だから分からないかもしれないけど、高校生になれば現実ってやつが見えてくるんだよ。俺にだって人並みくらいにはちやほやされたい気持ちはあるさ。だけど、現実の俺は、頭脳も身体能力もやっぱり人並みなんだ。もちろん、『裁縫』のスキルは希少になったけどな。だからといって、俺っていう人間の器そのものが大きくなった訳じゃないんだぞ」
「でも、お義兄ちゃんは、エルドラドゴーレムを倒したよ。『勇者』の称号も持ってる」
「あれはたまたま運が良かっただけだ」
そう何回も偶然は続かない。あんなことを続けていれば、いずれ一つしかない命の灯は消えてしまう。
「そう……。じゃあ、お義兄ちゃんは、礫ちゃんの依頼を断るんだね」
七里が残念そうな口調で言う。しかし、その顔にはほっとしたような笑みが浮かんでいた。
こいつが何を考えているか全くわからない。こんなことは初めてだ。
「それは――」
そうなってしまうのか。いや、確かに客観的の俺の発言をまとめればそうなってしまう。
「どうしてそこで詰まるの? お義兄ちゃんは英雄になりたくなくて、今の日常が大切で、だったら、どう考えても『断る』以外の結論は出ないはずだよね」
「そうだ。論理的にお前の言ってることは正しいよ。でも、人の心はそんなに簡単に割り切れるものじゃないだろ?」
自分の中の苛立ちを処理しきれなくて、ついつい七里を責めるような言い方になってしまう。
「そういうものなんだね。ごめんね。お義兄ちゃん。私にはよくわからないや」
七里はぽつりと言って、困ったようにはにかむ。
「いや、俺こそ。すまん。やっぱり、俺も余裕がないみたいだ。お前に八つ当たりするみたいになっちまった」
「いいよ。許してあげる。それと、さっきのお義兄ちゃんの『この依頼、引き受けた方がいいと思うか?』っていう質問に対する答えだけど――」
「ああ……」
溜めをつくる七里に、俺は息を呑む。
七里は一瞬、視線を床に落としてから、
「やっぱり教えてあげない!」
いつもの愚妹の顔で、にっこりと笑ってみせる。
「ははっ、なんだよ。それ」
拍子抜けした俺は、思わず噴き出した。
「だって、私にその質問をする時点で、お義兄ちゃんの中の答えはきっと決まってるから。きっと」
七里はもうこれで話は終わりとでも言うように、ソファーの上に体育座りして、テレビの音量を上げた。
「――ああ、お前の言う通りだよ七里」
俺の呟きは、芸人の笑い声に掻き消される。
七里に言われて、俺はやっと気がついた。
俺は礫ちゃんの依頼を受けるつもりでいる。
俺は密かに期待していたんだ。
七里がまたいつもみたいに俺を強引に冒険に連れ出してくれることを。
決断を後押ししてくれる言い訳を。
そんな俺の弱さを、七里はちゃんと見透かしていたんだ。
七里から答え以上の答えをもらった俺は、コップに残った水を、気合いを入れるように一気に飲み干した。
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