第26話 妃候補とリリーシアの天敵
アダルベルト様に対する疑問は気になっていたものの調べるのに時間を作ることができなかった。
大臣や陛下に事前説明をするために作った薬事法に関する資料は、レオンハルト殿下にチェックしてもらい指摘された部分を修正するという作業を4回繰り返して完成した。実務は食品医薬品局と法務省の官僚がするので私はもう官僚の説明を偉いおじさま達に解りやすく説明すること以外やることがなくなった。
ということで、パリシナ国から帰国した後の私のメインの仕事は、「妃教育のテキストを電子化する」となる。いつのまにか妃教育の主担当にされていたようで候補者と講師のスケジュール調整も私の役割になっていた。
各講師の先生のお宅を訪問して講義の内容を聞き、メモした内容を基に関連書物を調べながらテキストをファイルシステム上に作っていく。そして、書き上げたドラフト文書を印刷して講師の先生に見てもらい修正する。
妃の教育は多岐に渡る。宮廷・式典作法、社交・外交術、アルーノ大陸史、シノ大陸史、ライド大陸史、アルーノ大陸の文化、シノ大陸の文化、ライド大陸の文化そして帝王学の9科目。ボリュームの多さにゲンナリするが、知らないことを学べて結構楽しい。
当面は受験勉強していたころのように猛烈に勉強することになる。10歳から15歳まで学校以外で一日7時間を受験のために費やしてきた私にとっては昔取った杵柄だ。
*******
パリシナ国から帰国して2週間が経ち、妃候補を集めて説明会を開催することになった。私をやたらと敵視する従姉妹マリカ・アマニールもいるので憂鬱な気分になる。
妃候補は4人。
候補者1:フィリーナ・ウィローブロック様は23歳で軍事産業を営む保守派ウィローブロック公爵家の長女だ。候補者の中で唯一サルニア帝国立大学を卒業している。レオンハルト殿下とは幼馴染で義務教育のスクールでも同級生だった。皇后様も皇太后様も帝大を卒業しているので帝大出のフィリーナ様は最有力候補の1人だ。
何度かお話させてもらったが、素敵で優しいお姉さんという印象だ。
以前、大学でお目にかかった候補者2:フィリア・サイワノーレ様は現在19歳でマスメディア事業をされている保守派サイワノーレ公爵家の長女。マスメディアは国民の支持率に影響するので味方にしておきたい家門で彼女も最有力候補の一人だ。グレート・ビリアの大学に留学していたが帰国し、サルニア帝国大学の編入試験を受験予定。
候補者3:サラ・シェーカーヒル様は19歳で造船業を営む保守派シェーカーヒル侯爵家の次女。シェーカーヒル家はサルニア建国以来、最も優れた皇后と称されるビアトリス皇太后様を排出している。
そして、候補者4:マリカ・アマニール様は20歳でアマニール侯爵家唯一の直系子女だ。アマニール侯爵家は金融業を営む中立派で銀行としては国内5番目の規模だが個人への貸付緩和として消費者金融業を始めてから急成長している。中立派の取り込みは皇家保守派の議席数確保という面で重要になる。
(はぁ、マリカ様に会うのは社交の会期末のパーティ以来だから半年ぶりくらいか。)
マリカは中々子宝に恵まれなかった侯爵夫妻が授かった一人っ子だ。甘やかされて育ったからか小さな頃からワガママで自分が一番でないと気がすまない女の子だった。それでも昔は同い年ということもあって親戚の集まりでは仲良く遊んでいたのだが、スクールに入り成績が数値化されるようになって、帝大受験に必要な内申点が取れないと確定した10歳の頃から急に私を敵視してくるようになった。私がシオンに見初められてから彼女はさらに辛く当たるようになった。私以外のマクレガーの兄弟、レイアお姉様、オリバーお兄様とハミルお兄様のことが大好きであることは今でも変わらない。アマニール侯爵家の養子にハミルお兄様を迎えたいと強く主張したのも彼女だったらしい。
私は小さくため息をついた。
(マリカ様、礼節は大丈夫だよね?)
このような集まりには暗黙のルールがあって下の立場のものが先に入場する。今日は侯爵令嬢が2人、公爵令嬢が2人、最初の顔合わせなので殿下もいらっしゃるので王族が1人だ。今回の場合はおそらく15分前から10分前の間に侯爵家の2人が10分前から5分前の間に公爵家の2人が、時間ちょうどにレオンハルト殿下がいらっしゃると思われる。
開始時間の15分前、14:15になるとシェーカーヒル令嬢が入室した。濃紺の艶やかな髪と金色の瞳の可憐な女性で控えめだけど優しい人だった。しばらく談笑していると次のお客さまがいらっしゃった。
ん?
マリカが来るはずが、サイワノーレ令嬢が入室してきた。私は腕時計を見て時間を確認する。14:21だったのでサイワノーレ令嬢のミスではない。
2人を席に促す。続いてきたのはマリカではなくウィローブロック令嬢だった。私はマリカが殿下よりも遅く登場するのでは無いかと不安になってきた。叔母様はきちんとマリカを教育しているのだろうか。
私の不安は的中し、レオンハル殿下がアダルベルト様を伴っていらっしゃってしまった。殿下が来た以上、進行しなくてはいけない。
「皆様、本日はご参集いただきありがとうございます。アマニール令嬢がいらっしゃっていませんが時間になりましたので・・」
「お待たせいたしましたわ。」
マリカが登場した。服装はこの場に相応しい薄灰色のかわいい襟がついた紺色のワンピースだったが、髪型はツインテールの縦ロールにして、化粧も香水もちょっとキツめで気合が入っていた。服はアマニール侯爵か夫人が用意したのだろうけど、髪と化粧は自分で盛っちゃったのだろうか。夫人もおそらく服に合わせた髪型と化粧にすると思って細かく指示を出さなかったのだと思う。
(せめて申し訳無さそうにしてよー。マリカ様のバカ!!)
私に選考への助言をする権利があるなら不合格を進言したい。
優しいシェーカーヒル令嬢は気まずそうに笑顔を作り、サイワノーレ令嬢、ウィローブロック令嬢とレオンハルト殿下は悪そうな顔でニコニコしていていた。
今日の護衛のアダルベルト様は軽蔑の目線を含んだ剣呑な表情だった。
「アマニール令嬢、そちらに御着席ください。」
彼女の用意された席が末席だったからか私に指示されたからかは分からないが不満そうな顔をした。
「この席って固定なのかしら?」
(はぁ、公爵令嬢を差し置いて上座に座れないでしょう。)
「席は適宜変更します。次回から実技以外はスクール形式の席を用意します。目が悪いなどの事情があったらお伝え下さい。」
本日用意したお茶はダージリンのファーストフラッシュでお菓子は皇室御用達のベーカリーのマカロンを用意した。春摘の茶葉ファーストフラッシュは繊細な味わいで、バターを使った濃厚なお菓子などは合わないとされている。ちなみにコーヒー派の私はファーストフラッシュはあっさりしすぎていてあまり好みじゃなくて、香り高いセカンドフラッシュのほうが好きだ。
侍女達がお茶を出している間に本日のアジェンダを説明する。お茶を一口飲んだレオンハルト殿下はソーサーとカップを置いた。
「リリーシア。昨日、用意してくれたドライオレンジにチョコレートがついている菓子はまだあるかな?」
「えっと・・・はい。あります。すぐに手配いたします。」
今日はマカロンの気分じゃなかったようだ。私はメモを書いて急いで厨房に渡すように使用人に頼んだ。マリカは私が茶菓子の選択に失敗したのでニヤリと笑った。
(マリカ様、くっそムカつくわ。)
微笑みを崩さずに私は説明を開始する。10分くらい経過してからレオンハルト殿下ご要望の菓子が届いた。切りのいいところで説明を中断して茶菓子を紹介する。
「リビドー・ショッピングモールにあるショコラティエ・ローズ・サリバンのオランジェット・ショコラです。お茶はアールグレーを合わせました。皆様もよろしかったらご一緒にどうぞ。」
「保護区外の市井のものを殿下に用意するなんて信じられませんわ。しかもフレーバーティーなんて邪道なもの。」
いつもなら"これだから下位貴族は"という言葉をつけるが今日はレオンハルトの殿下の手前、堪えたみたいだ。
(もう一度、言うけど・・・くっそムカつくわ。)
ちなみに彼女がバカにしたリビドー・ショッピングモールは帝国の貴公子シオン・ワイマールのお気に入りの場所だけどね。
「わたしくはいただきますわ。リビドー・ショッピングモールは海外の有名店を多く誘致していて話題のショッピングエリアらしいですわね。一度、行ってみたいと思っているのですが、どのような感じなのですか?」
「街全体で”おとぎの国のリディア”を再現していて、夜はイルミネーションでライトアップしていてデートスポットになってます。水路があって渡し船で移動できるのが演出として面白いです。」
「いいわね。そんなところでデートしてみたいわ。」
ウィローブロック令嬢が空気を変えるために話題を少しだけ変えてくれた。サイワノーレ令嬢は「あっ」と言った。
「ショコラティエ・ローズ・サリバンってグレート・ビリア皇室の御用達じゃなかったかしら?一つ一つのチョコレートが美味しい上に芸術作品のようでお茶会でたまに頂いたわ。でもこのドライオレンジのは初めてよ。」
「アールグレーだからオレンジピールとチョコレートに負けないのね。ベルガモットとオレンジで両方柑橘系だし殿下の好みを分かっているわね。」
「普段、殿下がベルガモットのフレグランスをつけているからお茶にアールグレーを選んでそれに合わせたお菓子を用意したんだな。」
サイワノーレ令嬢、ウィローブロック令嬢、アダルベルト様の順でマリカ様の発言をチクチクと責めた。私をフォローしたんじゃなくて、3人はマリカ様のことが嫌いなんだな。
マリカ様も気がついたようだが私に対して振り上げた拳はそう簡単に下ろせない。
「彼女はお茶に疎いのでフレーバーティーを選んだのだと思いましたの。考えがあったこととは知らずに申し訳なかったと思いますわ。」
(うぉぉ!あのマリカが謝ったわ。ちょっとだけ貶すのを忘れないところが彼女らしいけど。)
マリカに慣れている私は謝罪の言葉を言っただけでも、子供が初めて立ったときのような感動を覚えているけれど、他の人たちはそうじゃなかったみたいだ。
「ハミル様が言うにはリリーシア様はお茶の知識も作法も十分に習得しているけれど、ヴィーナス・コネクションから歯が変色するからあまり飲むなといわれているらしいですわ。」
サイワノーレ令嬢が少し早口で言った。ハミルお兄様にグレート・ビリアにいた時に聞いたのかしら。
でもその情報はもう古くて、今は歯のホワイトニングもできるから飲み物はあまり気にしていない。反撃してくれるのは嬉しいけれどもう普通にこの会を進行したい。困った顔でレオンハルト殿下を見ると頷いた。
「今日はアルーノのフレイチェ共和国のお菓子を用意したが、今後も他国の文化を知るためにこのように初見のものを食す機会を作ろうと思う。他国に公務に行って得体の知らないものなどいただきませんと言うわけにはいかないからな。さて、この後の予定もあるだろうから話をすすめたいと思う。」
私は今後のスケジュールを説明した。妃教育は週2回で1年半かけて行い、皇太子妃は2年以内に決定する予定だ。宮廷・式典作法は実際に選ばれた人以外は役に立たない知識なのでドロップしていく人のことも考えて最後に講義を受けることになる。
資料はアルーノ大陸史とアルーノ大陸文化しかまだできていなくて、それをマリカ様に責められた時はさすがに少し苛立った。着手して2週間、大学院に行きながら頑張ったのに。
読むだけならあっという間だけど、資料を作るのってすごく大変なんだぞ。
今日の説明会は終了して、令嬢たちを送り出す準備をしているとマリカが私のところに来た。
「ところでマクレガー令嬢。再来月、ハミルお兄様が一時帰国されるのはご存知?」
「いいえ。知りませんでした。」
彼女がハミルお兄様と呼んだことと、帰国の事実を知らなかったことにショックを受ける。
「我が家でパーティを開くので良かったらいらっしゃってください。」
「・・・ありがとうございます。」
「皆様もよろしかったら是非ご参加ください。」
ちょうど社交界の活動が盛んになる時期なので大々的に次期後継者のお披露目パーティを催すそうだ。アマニール家と関わるのは憂鬱だが、おそらく両親や兄と姉も招待されるので久しぶりに家族に会える。
説明会の後、レオンハルト殿下とフィリーナ様が温室でお茶をするという。今後のことを相談したいとのことで、少しだけご一緒させていただくことになった。
温室に着くとウィローブロック令嬢は緊張が解けたのか穏やかな声になった。
「それにしても、レオは策士ね。」
「まぁね。」
「楽しんでいただろう。」
「どうかな。」
席に着くなり3人は話し出す。策士?楽しむ?3人の話にはついていけないので私は温室の植物と同化して気配を消す。社交界で身につけた令嬢スキルだ。
「座らないの?」
ウィローブロック令嬢が私に聞いてきた。
「まだ仕事がありますので、わたくしは殿下の要件を聞いたら戻ります。」
「ふむ・・・じゃあ、ちょっと来て。」
レオンハルト殿下は立ち上がり、私の手をとった。困惑する私を引っ張ってレオンハルト殿下は温室の奥へ歩いていく。可憐なピンク色の百合の前で止まって、近くにあったテーブルの上の袋から目の前にあるピンクの百合の花束を取り出した。
「相談があるというのは・・・まぁ口実で・・・この百合をあげようかど・・・。」
「わ・・・たくしにですか?」
婚約者候補のフィリーナ様を温室に連れてきて他の女に花をプレゼントするなんておかしいのでは?
「ごめん。花なんてもらっても迷惑だったよね。」
「いっ、いえ。嬉しいです。レオンハルト殿下に花をいただいて喜ばない女性はいません。」
私は慌てて百合を受け取る。レオンハルト殿下は少し困ったように眉を下げて笑っている。
「これはなんていう種類なんですか?以前、いただいたカサブランカと違って香りがあまり無いんですね。」
「これはスカシユリの一種だよ。」
思いがけず花をいただいて、ついつい顔が綻んでしまう。そんな私をアダルベルト様とウィローブロック令嬢が覗き見てるのも知らずに。
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